いづも屋百貨店
いづも屋百貨店 IDUMOYA | |
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店舗概要 | |
所在地 | 新潟県上越市本町5丁目[1] |
開業日 | 1927年(昭和2年)[2] |
閉業日 | 1985年(昭和60年)2月20日[3] |
商業施設面積 | 5,400 m²[1] |
最寄駅 | JR信越本線高田駅 (新潟県) |
いづも屋百貨店(いづもやひゃっかてん)は、新潟県上越市にあった日本の百貨店である。
歴史・概要
[編集]1920年(大正9年)に新潟県高田市(現在の上越市)でいづもや呉服店として創業したのが始まりである[1]。
1927年(昭和2年)にいづも屋百貨店として新潟県下最初の百貨店を開業した[2]。
上越地方を代表する商店街となって高田の銀座と呼ばれた[4]本町3-5丁目で、屋上遊園地や映画館『いづも屋劇場』(1957年(昭和32年)1月1日開場[5]し、1962年(昭和37年)8月28日に廃業[6])を併設した店舗はその中心的な存在として大いににぎわった[7]。
しかし、1974年(昭和49年)11月に長崎屋高田店が本町5丁目に、翌年1975年(昭和50年)7月に大和が本町4丁目に進出して競合が激化した[1]ため、1976年(昭和51年)に大手スーパーマーケットのジャスコ(現在のイオン)と業務提携してその傘下に入ったが、その後も店名は変更せず営業を続けた。
1979年(昭和54年)にジャスコといづも屋百貨店の共同で直江津に計画されたショッピングセンターの核店舗として出店を計画したが地元の反対で申請が取り下げられたため実現せず[1]、従来通り営業を続けた。
だが、1971年(昭和46年)4月29日に高田市と直江津市が対等合併に伴う新市庁舎(1976年(昭和51年)4月10日完成)を含む公共施設を高田と直江津の旧市街地の中間にある春日山駅東側にある木田地区に建設したなどで集客力が低下し、モータリゼーションの進展で駐車場の不足や渋滞などの問題が生じていたため、旧市街地の店舗に見切りをつけて郊外にイヅモヤジャスコを開くことを決め、1981年(昭和56年)に商業活動調整協議会で認可を受け[1]、スクラップアンドビルドの形で1985年(昭和60年)2月20日にいづも屋百貨店を閉店し[3][7]、約63年の歴史に終止符を打った。
同年11月22日には郊外の土橋に後継店舗のイヅモヤジャスコ高田店を開業した[3][7]が、1992年(平成4年)の改正大店法施行で大型店の出店規制緩和や北陸自動車道上越インターチェンジに合わせて建設された国道18号上新バイパスなどへ対応するため、1996年(平成8年)3月に富岡に新たにできた上越ショッピングセンターの核店舗としてジャスコ上越店と店名を改め再び移転[8]。この時にイヅモヤの商号が消滅し、いづも屋が関係して出店した店舗は消滅した[1]。
閉店後の跡地
[編集]1987年12月より解体作業が実施された[9]いづも屋百貨店跡はしばらく空き屋のまま放置された後に建て替えられ、1990年代に上越ワシントンホテルがオープンした[10]。その後ホテルは上越マンテンホテル(1999年~)、ロワジールホテル上越(2007年~)、ホテルラングウッド上越(2014年~)を経てアートホテル上越(2016年~)となった[10]。
イヅモヤジャスコ跡は2001年(平成13年)に上越市市民プラザが開設されている[1]。
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 青木敏隆. “国土経済論叢 市町村合併と都市構造の課題(その4)”. 経済調査研究レビュー 2009年3月 (経済調査会経済調査研究所) (2009-3).
- ^ a b 『新潟県史別編1』新潟県、1989年。
- ^ a b c 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)377頁。
- ^ 岡観妙『懐かしのわが街上越―岡観妙写真集』新潟日報事業社、2008年10月。
- ^ 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)年表13頁。
- ^ 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)年表15頁。
- ^ a b c 平成15年度調査報告書 第1部 町家を活かしたまちづくりによる地域活性化戦略 (Report). 上越市創造行政研究所. 2003.
- ^ “ジャスコ「上越店」開店、地場の生鮮揃え訴求”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月3日)
- ^ 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)年表25頁。
- ^ a b “新ホテル名は5代目 10月から「ラングウッド上越」が「アートホテル上越」に”. 上越タウンジャーナル. (2016年8月14日)