十字屋 (百貨店)
種類 | 株式会社(2007年(平成19年)1月16日消滅[2]) |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒135-0016 東京都台東区柳橋2-20-11[3] ↓ 東京都江東区東陽2-2-20(注1) 北緯35度39分59秒 東経139度48分57.5秒 / 北緯35.66639度 東経139.815972度座標: 北緯35度39分59秒 東経139度48分57.5秒 / 北緯35.66639度 東経139.815972度 |
設立 |
1935年(昭和10年)2月20日[1] (1923年(大正12年)12月13日創業[4]) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店業並びに各種物品の卸売業、不動産賃貸業及び各種サービス業その他附帯事業 |
代表者 | 代表取締役社長 武林隆夫 |
資本金 |
8万円(株式会社改組時点)[1] ↓ 194億2127万円(2002年(平成14年)時点)[1] ↓ 1億円[要出典] |
売上高 | 379.9億円(2005年(平成17年)2月期[5]) |
純資産 | △217.5億円(2005年(平成17年)2月期[5]) |
総資産 | 353.99億円(2005年(平成17年)2月期[5]) |
主要株主 | ダイエー 100% |
主要子会社 |
株式会社OPA 株式会社キャナルシティ・オーパ 株式会社りんくうパーク |
関係する人物 | 山藤捷七(十字屋呉服店創業者) |
特記事項:注1 ダイエーへの合併直前にダイエーの本社機能(ダイエーの本店は神戸市にあるので別)の所在地に移転するまでは、長らく、台東区柳橋に本社・本店があった。 |
株式会社十字屋(じゅうじや、英文表記:JUJIYA Co.,Ltd)は、かつて百貨店を初め、商業施設などを運営していた日本の企業。2007年(平成19年)1月16日に株式会社ダイエーに吸収合併された[2]。
かつて百貨店の十字屋は全国8都市にあったが、平成時代に入り店舗閉鎖を進め、ダイエーの子会社である株式会社中合(福島県福島市)が運営する十字屋山形店(山形県山形市)のみとなったが[6]、2018年(平成30年)1月31日をもって閉鎖され95年の歴史に幕を閉じた[7]。
沿革
[編集]1923年(大正12年)12月13日[4]、神奈川県平塚市にて、衣料品や身のまわり品を扱う十字屋呉服店として創業した[8]。1935年(昭和10年)2月20日[1]に株式会社化[8]。
1951年(昭和26年)10月に衣料品共同仕入機構の十字屋協同組合を設立し、チェーンストアとしての活動を開始した[1]。この時期、東京都内にも多数の店を有していたが、その後時代のニーズにそぐわなくなり整理されるようになった。
法人としては1954年(昭和29年)6月、商号を株式会社十字屋に変更し[1]、本店を東京都中央区日本橋橘町に移転[5]、翌1955年(昭和30年)2月に株式会社に十字屋協同組合傘下企業21社と合併し組織の再構築を図った[1]。 1961年(昭和36年)3月には本店をその後長らく所在する東京都台東区柳橋に移転し、10月、東京証券取引所市場第二部への上場も果たした[1]。
1967年(昭和42年)9月には百貨店の営業許可を取得し[1]、初の本格的な百貨店として栃木県足利市に足利店を開業[9]。翌年1月に東証第一部に昇格となった[1]。百貨店化にあたって1971年(昭和46年)に大丸と業務提携し[5]、商品券相互利用やTROJANといった大丸のプライベートブランドの取り扱い、物流面で協力体制を図り、6月には大丸から幹部社員の派遣を受け入れた[10]。
1973年(昭和48年)10月、大丸、丸紅、富士銀行の3社は十字屋に対するバックアップ体制を強化することになり、大丸は取締役を十字屋に派遣、派遣された取締役は、10月30日に開催された株主総会および取締役会で代表取締役副社長に選任された[10]。同時に丸紅と富士銀行から派遣された2人も十字屋の常務取締役(代表取締役)に就任した[10]。
町田、新小岩(東京都)、太田(群馬県)といった売場面積2000㎡前後の小型店では従来からの衣料品量販店の運営を続ける一方、1960年代から大宮(埼玉県)、宇都宮(栃木県)、千葉(千葉県)、船橋(千葉県)などの小型店を売場面積2000~7000㎡の規模に順次大型化させた。また1970年代に入ると仙台(宮城県)、山形(山形県)、藤沢(神奈川県)、銚子(千葉県)に売場面積10000㎡級の大型店を、さらに佐原(千葉県)、八千代台(千葉県)にショッピングセンターを出店し拡大路線を図った[† 1]。
ダイエーによる株買い占め
[編集]1976年(昭和51年)春から、関東地方進出の一環として十字屋に目をつけたダイエーが、十字屋株の買い占めを進め、十字屋の発行済み全株式24.8%を取得。筆頭株主になったことを背景に、十字屋に業務提携を迫ったが、十字屋は労使を挙げてこれに抵抗。両者の交渉は暗礁に乗り上げた[11]。このため、1979年(昭和54年)末、五島昇・東急電鉄社長、青井忠雄・丸井が仲介に乗り出し、ダイエーが十字屋に株式を譲渡する代わりに、業務提携を前向きに進めることで合意が成立[11]。
1982年(昭和57年)春、ダイエーが買い占めていた十字屋株のうち500万株を十字屋に譲渡し、商品の共同仕入れなどの資本業務提携締結に至った[5][12][12]。これによって、ダイエーによる6年越しの十字屋株買い占め問題やそれに端を発した業務提携問題はようやく決着が着いた[11]。1984年(昭和59年)11月、ダイエー副社長だった越智琢一が十字屋社長に就任している[13]。
ダイエーと提携後は不採算店舗の整理業態変更が実施され、宇都宮、町田、船橋、千葉などの店舗は手芸用品専門店やディスカウントストアに転換し、不採算であった仙台店も仙台十字屋として別会社化された。1996(平成8年)にはダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併し、業績改善のため大型商業施設OPA事業を譲受した[14]。アゴラとの合併後、売場面積が6000㎡に満たない店舗が一斉にスクラップの対象とされ足利店が平成6年に閉鎖したのを皮切りに、佐野、太田、宇都宮、船橋などの店舗が閉鎖された。
会社解散
[編集]2004年(平成16年)に親会社のダイエーと共に産業再生機構の支援決定を受け、山形を除く[5] 仙台[15][16]、銚子[16][17]、館山[16] の店舗を閉鎖した。山形店については同じダイエーの子会社中合(福島県福島市)に経営権を譲渡し、十字屋は事実上、百貨店事業から撤退した[6]。さらに2006年(平成18年)には、施設運営部門(OPAやステーションパーク)とHIPIN事業部門に関する営業を分割し、新設の株式会社OPAに承継された。またダイエーによる簡易合併手続きを内容とする合併契約書を2006年(平成18年)に締結、翌年1月16日をもって会社は解散された。この吸収合併により、十字屋の子会社であったOPAがダイエーの直接の完全子会社となった。
年表
[編集]- 1923年(大正12年)12月13日 - 神奈川県平塚市に十字屋呉服店を創業[4]。
- 1935年(昭和10年)2月20日 - 商号を株式会社十字屋呉服店に変更[1]。(資本金8万円[1][18])
- 1951年(昭和26年)10月 - 商品の共同仕入を行う十字屋協同組合を設立[1]。
- 1954年(昭和29年)6月 - 商号を株式会社十字屋に変更し[1]、本店を東京都中央区日本橋橘町に移転する[5]。
- 1955年(昭和30年)2月 - 十字屋協同組合傘下企業21社と合併[1]。
- 1957年(昭和32年)2月 - 十字屋食品の営業権を譲受し、食品販売に進出[19]。
- 1961年(昭和36年)
- 1967年(昭和42年) - 百貨店に業態変更した[9]。
- 1968年(昭和43年)1月 - 東京証券取引所市場第一部に上場[1][5]。
- 1971年(昭和46年)6月 - 大丸と業務提携[5][20]。大丸松坂屋CBSグループ(共同仕入れ機構)に 山形店、仙台店、足利店、藤沢店、千葉店、木更津店、銚子店、館山店が加盟し、大丸商品券の取り扱いや共同配送等を行った。
- 1982年(昭和57年)3月 - 株式会社ダイエーと業務提携[5]。
- 1996年(平成8年)9月 - 株式会社ダイエー・アゴラ(OPA事業)と合併[1]、株式会社キャナルシティ・オーパを設立[5]。
- 1999年(平成11年)8月 - 大丸と業務提携解消[5]。
- 2004年(平成16年)12月28日 - 親会社のダイエーとともに、産業再生機構の支援が決定[5]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月1日 - 会社分割によりOPAやステーションパークの施設運営部門とHIPIN事業部門を「株式会社OPA」として分社化。
- 2007年(平成19年)1月16日 - ダイエーに吸収合併され法人としては消滅。
- 2018年(平成30年)1月31日 - 最後の店舗である山形店の閉店をもって十字屋の名が消滅。
店舗
[編集]十字屋山形店
[編集]十字屋山形店 | |
---|---|
十字屋山形店(2012年2月) | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒990-8551[22] 山形県山形市幸町2-8[3] |
座標 | 北緯38度14分50.3秒 東経140度19分46.2秒 |
開業日 | 1971年(昭和46年)6月10日[24] |
閉業日 | 2018年1月31日 |
正式名称 | 十字屋山形店 |
建物名称 | 白蝶ビル[25]。 |
土地所有者 | 株式会社白蝶ビル[7] |
施設所有者 | 株式会社白蝶ビル[7] |
施設管理者 | 株式会社中合 |
設計者 | 山本建築設計事務所[26] |
延床面積 | 15,766 m²[26] |
商業施設面積 | 10,362 m²[27] |
店舗数 | テナント約80[7] |
営業時間 | 10:00 - 19:30 |
駐車台数 |
268台(タイムズ十字屋山形店) 提携:60台(ヨシダパーキング)[22]台 |
商圏人口 | 村山地方約55万人[23] |
最寄駅 | 山形駅 |
最寄IC | 山形自動車道・山形蔵王IC |
外部リンク | 公式ウェブサイト[リンク切れ] |
1971年(昭和46年)に開業。仙台店(宮城県)、藤沢店(神奈川県)、銚子店(千葉県)といった十字屋の店舗大型化の一環として七日町に既設していた店舗からの移転開業であった。当時、山形市内の大型商業施設は1956年(昭和31年)に大沼(2020年1月26日閉店)、丸久(山形松坂屋に社名変更、2000年閉店)の2百貨店が開業(十字屋は3番目の開業)、さらに1973年(昭和48年)には大手資本であるダイエー山形店やニチイ山形店(後に山形ビブレに社名変更、2000年閉店)が開業し、東北屈指の大型店の激戦区となった。その中でも十字屋は先立って開業した丸久よりも好業績であり、1981年度(昭和56年度)には100億円を計上し大沼と並び山形県を代表する大型店の地位にあった[23]。
十字屋としても、中小規模の店舗も多く地方都市に点在していた同社の店舗体制の中で、山形店の存在は県庁所在地でかつ売場面積も1万m2オーバーの店舗であり特別な存在であった。十字屋にはフラッグシップ的存在でかつ売場面積と売上でトップの仙台店(宮城県仙台市)が存在していたが、同店は赤字基調で、利益的に貢献していたのは山形店であった。[要出典]
1990年代前半までは売上高も90億から80億円台と堅調に推移していたが、景気悪化と商業の多様化、高速バスの発達に伴う仙台市へのストロー現象等で徐々に低下し2004年度(平成16年度)には約65億円にまで減少した[6]。
その後親会社のダイエーが産業再生機構の支援が決定し、十字屋もそれに準じ2005年(平成17年)11月30日を以って株式会社十字屋による営業を終了、翌12月1日に同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権が譲渡、その際、山形店のみを継続させた。
2007年(平成19年)10月6日に地下1階の食品売り場を10年振りに改装して地元特産の天元豚や庄内鶏、地元の野菜等の地場の農産物の取り扱い、焼き魚の販売開始や寿司コーナーでのおこわの品目数増強等々総菜販売等を強化した他、有名洋菓子店や焼き立てパンの店なども導入した[28]。
2016年度(平成28年度)の売上高は約31億円で、開業以来、最も少なかった[7][23]。同年12月には当店が入居するビルが耐震基準を満たしていないことが判明した[7] が、2019年(平成31年)に耐震改修を実施予定と公表された[25][29]。
2017年(平成29年)8月30日、運営者の中合が翌2018年(平成30年)1月31日を以って当店を閉店すると発表した[23][30]。地方百貨店業界の低迷、集客を支えてきた大手アパレルブランドのテナントの撤退、宮城県仙台市への消費活動の一極集中、郊外ショッピングモールとの競争激化、客層が50代から70代中心で若者層を取り込めなかった等が閉店要因とされる[7]。中合は耐震工事について所有者と調整してきたが、改修の工期が1年以上必要とみられ、賃借料の値上げも予想される中、折り合いがつかなった[7][31]。そして、発表通り2018年1月31日に閉店した。閉店時刻には店の前の大通りに多くの人がつめかけ、別れを惜しんだ[32][33]。その後、旧十字屋山形店ビルを所有する事業者が、安全確保を最優先する観点からビル解体の方針を固めたことが同年6月に明らかとなった[34]。解体工事は事業者が国と県、市からそれぞれビル解体費の補助を受け、早ければ8月にも解体を始め、翌年春までに取り壊すとしている[35][36]。
跡地には、大和ハウスの子会社であるダイワロイヤルが12階建のホテルを建設し[37]、2021年(令和3年)7月、ダイワロイネットホテル山形を開業させた。
県 | 市 | 店名 | 運営会社 | 売上高(億円) | |
---|---|---|---|---|---|
青森県 | 青森市 | さくら野青森本店 | (株)さくら野百貨店 | 57.3 | |
弘前市 | さくら野弘前店 | (株)さくら野百貨店 | 69.8 | ||
八戸市 | 中合三春屋店 | (株)中合 | 47.4 | ||
さくら野八戸店 | (株)さくら野百貨店 | 40.2 | |||
岩手県 | 盛岡市 | パルクアベニュー・カワトク | (株)川徳 | 188 | |
アネックスカワトク | (株)川徳 | 34.7 | |||
北上市 | さくら野北上店 | (株)さくら野百貨店 | 35.9 | ||
宮城県 | 仙台市 | 藤崎 | (株)藤崎 | 431 | |
仙台三越 | (株)仙台三越 | 353 | |||
さくら野仙台店 | (株)エマルシェ | 79.3 | |||
秋田県 | 秋田市 | 西武秋田店 | (株)そごう・西武 | 102 | |
山形県 | 山形市 | 大沼本店 | (株)大沼 | 62.8 | |
十字屋山形店 | (株)中合 | 34.7 | |||
米沢市 | 大沼米沢店 | (株)大沼 | 17.8 | ||
福島県 | 福島市 | 中合福島店 | (株)中合 | 94.9 | |
郡山市 | うすい百貨店 | (株)うすい百貨店 | 163 |
OPA(オーパ)
[編集]1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設で[14]、聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)、新百合丘(川崎市麻生区)、藤沢(神奈川県藤沢市)、河原町(京都市)、心斎橋、三宮、キャナルシティ博多の各店は現在も営業を継続している。
ステーションパーク
[編集]郊外の近隣型ショッピングセンターとして展開した店舗[39]。
過去に存在した十字屋の店舗
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
百貨店
[編集]店名 | 開店 | 閉店 | 都市 | 位置 | 後身 |
---|---|---|---|---|---|
仙台店 | 1972年 | 2005年 | 宮城県仙台市 | 北緯38度15分36.2秒 東経140度52分44.2秒 | 仙台TRビル(核店舗:LABI仙台店) |
足利店 | 1969年 | 1993年 | 栃木県足利市 | 北緯36度20分12秒 東経139度26分50.1秒 | フレッセイ通町店 |
千葉店 | 1951年 | 1986年 | 千葉県千葉市 | 北緯35度36分30.5秒 東経140度7分15.3秒 | 十字屋ショッカー → メディアバレー千葉(電器店) |
銚子店(2代目) | 1976年 | 2005年 | 銚子市 | 千葉県北緯35度44分0.5秒 東経140度49分44.2秒 | 銚子セレクト市場 ほか |
館山店 | 1969年 | 2005年 | 館山市 | 千葉県北緯34度59分40.6秒 東経139度51分45.1秒 | パインズマンション館山駅前タワー |
木更津店 | 1950年 | 1993年 | 木更津市 | 千葉県北緯35度22分53.8秒 東経139度55分27.4秒 | 十字屋ショッカー → アクア木更津立体駐車場 |
藤沢店 | 1973年 | 1986年 | 神奈川県藤沢市 | 北緯35度20分15.4秒 東経139度29分12.4秒 | コスタ → 藤沢オーパ(ファッションビル) |
ダイエー及び株式会社十字屋が産業再生機構の支援を受けて策定した再建策の一環として、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店[15]・銚子店[16][17]・館山店[16] を閉店し、翌日の12月1日に残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権を譲渡して百貨店全店の経営を終了した[6]。
- 仙台店(宮城県仙台市青葉区中央3-6-1[40]、1972年(昭和47年)4月20日(水)開店[41]→増床:1974年(昭和49年)12月および1987年(昭和62年)→2005年(平成17年)11月30日(木)閉店[15][16][41]
- 地上8階・地下3階、延床面積約31,700㎡、[42] 売場面積14,883m2の規模で営業[43] していた。屋上にはかつて遊園施設があったが、のちにゴルフ練習場(スイングアカデミー)へ転換された。
- 十字屋としては最大の売場面積と売上高を持つフラッグシップ的な店舗であり、丸光、エンドーチェーン(現在のイービーンズ)、エスパル、ams西武等と共に仙台駅周辺商業地区における中核の一つであった[44]。また、TBC東北放送ラジオ「朝の百貨店案内」(放送期間:1954年7月13日 - 1997年3月31日、放送時間:午前9:35 - 午前9:45)に、一番町の藤崎や仙台三越、仙台駅前の丸光といった市内百貨店各店と共に紹介され、百貨店同士での競合もあった(同番組内や店内放送において十字屋のCMソング「ハニーレイク」が使用された)[41]。
- 1972年(昭和47年)開業(現・仙台TRビル東館に入居)。1974年(昭和49年)に増床(現・仙台TRビル西館に入居)。1984年(昭和59年)4月に「株式会社仙台十字屋」設立[8]。1987年(昭和62年)には、仙台市地下鉄南北線開業に合わせて倉庫だった地下の2フロア(地下2〜3階)のうち地下2階を売り場に転換し増床、地下鉄仙台駅と直結させた。
- アゴラ合併以前は同社が得意とする40代以上の女性をメインターゲットに、1996年(平成8年)まで売り上げを堅調に増加させていた。だが合併後に方針を転換し若い層も取り込むことになり、1999年(平成11年)にはペディストリアンデッキ口(当ビルとの接続年不明)にあたる2階に[要出典]ギャル系のショップを集めたJUJIYA HIP[45]を新設した。このリニューアルに際してアゴラが展開するOPA事業と十字屋が展開し好調であった藤沢COSTAのノウハウを活用し、当時10代から20代の女性層から絶大な支持を有していたココルル、エゴイストなどが出店し話題を呼んだ。[要出典]
- 2000年(平成12年)9月に「株式会社仙台十字屋」から仙台店を株式会社十字屋に営業譲渡し、2001年(平成13年)2月に株式会社仙台十字屋の清算が結了した[8]。売上高は同2001年2月期をピークに減少[15]。売上高減少を打開するため、食品売場にニュークイック、北辰水産など外部テナントや直営酒類ディスカウントショップ・リカーズの導入を図ったが、功を奏ぜずダイエー再建の一環により2005年(平成17年)に閉鎖が決定した。[要出典]
- 閉店時の売上高は105億円であり、ピーク時と比べ50億円近く減少していた。
- 閉店後、土地・建物を所有する仙台市の不動産会社「日本オフィスビル」から東急レクリエーションが一括して借り上げ[46]、2007年(平成19年)2月23日にヤマダ電機LABI仙台店を核店舗とする複合商業施設仙台TRビルとして再スタートした[47][48][† 2]。
- 足利店(栃木県足利市通3-2600[3][40]、旧さくら屋開店:1967年(昭和42年)11月27日[49] → 買収:1970年(昭和45年)4月開店[50]→1993年(平成5年)12月末日閉店[51]・解体[52]
- さくら屋から全商品と全従業員を含む営業権移譲をうける形で開業した[50]。さくら屋より経営権移譲後、西側に別館を建設、手薄だった食料品売場を地下一階に新設した。ただ建物の構造上、地階へエスカレーターとエレベーターが接続できなかった為、スロープを2カ所新設し対応した。しばらくは栃木県南唯一の百貨店として順調な業績を上げていたが、渡良瀬川以南にイトーヨーカドーが出店するなど足利市の商業地域の変化が始まるや業績も伸び悩み始め、1980(昭和55)年に別館を閉鎖、同時に食料品と玩具の取り扱いを廃止しファッション中心の売場へと転換するなど売場を縮小した。その後、当時運営していたディスカウトストアの好調を受けて1988(昭和63)年にかつてのレストランスペースであった6階にJマートという小規模な食料品売場を復活させたが、競合店に対抗できず、数年で撤退し1993(平成5)年に閉店となった。[要出典]
- 建物除却後空地の状態が続いたが、2000(平成12)年11月から2001(平成13)年1月に足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けビューティフルあしかがスクエアと銘打った各種イベントが開催された[52]。
- 現在は群馬県を本拠とする食品スーパーフレッセイ通町店が進出し現在に至っている[52]。
- 千葉店 (千葉県千葉市中央区中央3-2-9[3][40]、1951年(昭和26年)11月21日開店[55]-1986年(昭和61年):「十字屋ショッカー」へ業態転換-1996年(平成8年)8月閉店)
- (2代目)銚子店 (千葉県銚子市双葉町3-24[58]、1976年(昭和51年)10月22日開店[59]→増床:1990年(平成2年)11月→閉店:2005年(平成17年)11月30日[60][16][17][61]
- 敷地面積約5,680m2[58]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[58]、延べ床面積約16,161m2[58]、店舗面積約6,738m2[58](直営店舗面積約4,412m2[58])、駐車台数約210台[58]。
- 銚子市の表玄関である銚子駅前通りに位置した銚子市内唯一の百貨店で1991年(平成3年)に売上高約107億円を上げたが[62]、郊外型店との競合や不況の影響などで2004年(平成16年)に売上高約47.5億円に落ち込み[62]、産業再生機構の支援を受けて経営再建する一環として2005年(平成17年)11月30日に閉店した[61]。
- 当店の開設の際には、銚子商店連盟連合会が売場面積の縮小など3項目の意見書を提出するなど反対運動を行ったが、1974年(昭和49年)の銚子市長選で誘致を掲げる嶋田が当選を果たしたことなどが影響して進出が決まった[63]。
- 当店開店は、銚子駅前の商店街の通行量の増大や地元の商店主らの積極的な営業姿勢への転換などの効果をもたらし、銚子の商業発展につながったとされた[64]。
- 店舗跡地は、当初、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店[65](注・東京銀座などで百貨店を運営する松屋とは別企業)による商業施設「リズム」が地下1階が食品で地上1階は婦人服など全館を使って2008年(平成20年)11月14日に開店する予定だった[66] がテナントが集まらず断念し[62]、2008年(平成20年)11月下旬から[62]2009年(平成21年)1月頃にかけて解体された。しばらくは更地であったが、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店が運営会社「てうし横丁」設立して2011年(平成23年)7月から木造平屋建ての銚子漁港市場「てうし横丁」を建設して2011年(平成23年)12月オープン予定していた[67] が、テナントが集まらず延期。
- (2代目)館山店(千葉県館山市北条1841[3][40]、1969年(昭和44年)2月20日開店→2005年(平成17年)11月30日閉店[16][60])
- 売り場面積約1,654m2[40]
- 木更津店(千葉県木更津市富士見1-5-24[3][40]、1950年(昭和25年)11月24日開店[68]-1994年(平成6年)1月31日閉店[69])
- (2代目)藤沢店(藤沢市藤沢430[71]、百貨店としての開店(移転拡張):1973年(昭和48年)9月28日[72]→藤沢十字屋(1986年(昭和61年)2月11日閉店[73])→業態転換:1986年(昭和61年)3月13日 COSTA(コスタ)[73]。
十字エス・シー ポポ
[編集]百貨店店舗に準じて展開されていた店舗である。
- 佐原店(佐原市佐原イ74[74]、1972年(昭和47年)12月8日[74] - 1997年(平成9年)閉店[75])
- 八千代台店(八千代市八千代台南1-7-7[77]、1971年(昭和46年)2月26日[77] - 1997年(平成9年)閉店[75])
- 小岩店(1972年(昭和47年)7月15日[81])
中小型店舗
[編集]衣料品主体の中小型店舗を関東地方や東北地方を中心に展開していた。
末期には後期までの存続した6-7店舗程度が手芸専門店「クロスティ」と称した。○印。
山形県
[編集]- 山形七日町店(山形市七日町7-43[82]、1951年(昭和26年)1月8日開店[82] - 1976年(昭和51年)5月31日閉店[83])
- 米沢店(米沢市中央1-2-17[3](旧・元細工町3313[82])、1951年(昭和26年)1月8日開店[82])
- 売り場面積430m2[82]
- 寒河江店(寒河江市本町2-8-3[3][85]、1982年(昭和57年)9月10日開店[85][86] - 1994年(平成6年)1月16日[69])
- 敷地面積約6,600m2[85]、鉄骨造地下1階地上5階建て塔屋1階[85]、延べ床面積約16,500m2[85]、店舗面積約8,839m2[85](当社店舗面積約6,830m2[85])、駐車台数約330台[85]。
- 本町十字路に建てられた[87]、「寒河江ショッピングセンター・チェリーモール」の核テナントで[85]、30店の専門店も入居していた[86]。商圏は寒河江西村山地区10万人を想定[87]。だが、1986年(昭和61年)5月17日に百貨店から総合スーパーに業態転換。同時に提携しているダイエーから全面的に商品を受け入れることになり、店名も「ダイエーFC十字屋寒河江店」に改めた[88]。ダイエーは1994年(平成6年)1月16日に完全撤退[89]。同年7月にはウエルマートの食品部門をキーテナントにいくつかのテナントが入り「パオ2丁目」として営業を始めた[89]。ところが、市郊外にヤマザワやヨークベニマルなどが出店し競合が激化。「パオ2丁目」は1999年(平成11年)6月20日に閉店した。その後、市の中心部の空洞化を防ぐという狙いで寒河江市が土地建物を購入し[89]、2000年(平成12年)9月に「フローラ・SAGAE」として新装オープンしている。
福島県
[編集]茨城県
[編集]- 水戸店(水戸市南町3-3-33[93]、1952年(昭和27年)5月31日[94] - 1978年(昭和53年)4月[95])
- 日立店(日立市鹿島町1-9-2[3][40][96]、1950年(昭和25年)11月29日開店[96] - )
- 第二日立店(日立市鹿島町1-10-4[96]、1965年(昭和40年)7月13日開店[96] - )
- 売り場面積561m2[96]
栃木県
[編集]- (初代)宇都宮店(宇都宮市曲師町3154[97]、1950年(昭和25年)2月4日開店[97])
- (初代)宇都宮店支店(宇都宮市千手町186[99])
- ○宇都宮店(2代目)(宇都宮市池上町4-12[3][40]、1968年(昭和43年)10月25日開店[100] - 1996年(平成8年)閉店[101])
群馬県
[編集]- 前橋店(前橋市榎町14[104]、1961年(昭和36年)10月20日開店[104] - 1976年(昭和51年)8月期上期閉店[105])
- (初代)高崎店(高崎市田町75[107]、1957年(昭和32年)12月14日開店[108] - ?)
- 売り場面積140坪[108]
- (2代目)高崎店(高崎市連雀町4[104]、1964年(昭和39年)10月29日開店[104] - 1976年(昭和51年)2月閉店[9])
- 桐生店(桐生市本町6-382[40]、1963年(昭和38年)9月14日開店[104] - 1992年(平成4年)閉店[110])
- 1963年(昭和38年)に桐生市の繁華街だった本町6丁目に約558m2の敷地に鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て延べ床面積約1,400m2の店舗を建設して開業し、長崎屋やいせやなど近隣にあった他の大型店と共に昭和40年代をピークとする同地区の繁栄の核として営業していたが、1992年(平成4年)に閉店した[110]。
- 閉店後は十字屋から物件を借りてゲームセンター「プレイランドパル」が2006年(平成18年)11月末まで営業してその後は空き店舗となっていたが、2012年(平成24年)7月から9月まで解体工事を行って更地に戻し、土地所有者に返還した[110]。現在は桐生メモリードホールとなっている。[独自研究?]
- 売り場面積約902m2[104]
- 太田店(太田市東本町19-20[3][18]、1950年(昭和25年)10月[111] - 1996年(平成8年)8月閉店[112])
- 地上5階で売場面積1900㎡の衣料品量販店業態として営業していた[112]。
埼玉県
[編集]- (初代)浦和店(浦和市仲町2[113]、1950年(昭和25年)9月26日開店[114] - 1962年(昭和37年)11月[115])
- (2代目)浦和店(浦和市高砂1-10-3[3][71]、1962年(昭和37年)11月[115] - 1984年(昭和59年)2月19日[116])
- ○大宮店(大宮市宮町1-83[3][114][118]、1950年(昭和25年)5月26日開店[114] - )
- ○大宮中央デパート店 2005年(平成17年)2月閉店[5]
- 与野店(与野市下落合1027[93][119]、1975年(昭和50年)6月16日開店[119])
- 入間店(入間市[120]、1983年(昭和58年)12月開店[120] - ?)
- 売り場面積約1,461m2[120]
千葉県
[編集]- (初代)銚子店(銚子市陣屋町138[55]、1960年(昭和35年)11月15日開店[55] - 1976年(昭和51年)9月閉店[93])
- 陣屋町二番地に出店していた売り場面積約330m2の衣料品店[64]。
- 本八幡店(市川市八幡3-1-5[40]、1963年(昭和38年)9月27日開店[55]-)
- 浦安店(浦安市[120]、1979年(昭和54年)11月開店[120] - ?)
- 売り場面積約320m2[120]
- (初代)船橋店(船橋市、1960年(昭和35年)11月15日開店[55] - ?閉店)
- (2代目)船橋店(船橋市本町1-7-6[3][40]、1968年(昭和43年)11月30日開店[121] - ?閉店)
- ショッカーに業態転換。
- 売り場面積約3,292m2[40]
- 中山店(船橋市小栗原町2-108[122]、1952年(昭和27年)5月開店[122] - ?閉店)
- 売り場面積100m2[122]
- 千葉店(千葉市吾妻町2-20[40]、1951年(昭和26年)11月21日開店[55]) - 1996年閉店)
- 1986年にショッカーに業態転換[要出典]。
- (初代)館山店(館山市長須賀128[55]、1950年(昭和25年)3月14日開店[55])
- 売り場面積302m2[55]
東京都
[編集]- 池袋店(1951年(昭和26年)設立[123])
- ○亀戸店(2003年(平成15年)8月閉店[5])
- 新小岩店(葛飾区新小岩1-38-1[126]、1951年(昭和26年)7月10日開店[126] - 1996年(平成8年)7月[127])
- (初代)小岩店(葛飾区小岩町4-1791[126]、1960年(昭和35年)11月12日開店[126] - ?)
- 売り場面積314m2[126]
- (2代目)小岩店(葛飾区南小岩8-11-7[128][129]、1966年(昭和41年)6月24日開店[128] - ?)
- 売り場面積1,114m2[128]
- ○町田店(町田市原町田6-10-7[3][40]、1950年(昭和25年)12月18日開店[126]>-)
- 八王子店(八王子市横山町96[126]、1964年(昭和39年)6月20日開店[126] - ?)
- 売り場面積1,189m2[126]
神奈川県
[編集]- ○平塚店(平塚市紅谷町3-15[40]、1935年(昭和10年)2月20日開店[130]-1996年(平成8年)7月14日閉店[127][131])
- 1923年(大正12年)に十字屋呉服店として創業した地。売り場面積969m2[127]。
- 伊勢佐木店[132] → 横浜店[130](横浜市伊勢佐木町2-84[130][132]、1951年(昭和26年)4月11日開店[130] - 1976年(昭和51年)9月24日閉店[83])
- 売り場面積1,390m2[130]
- (川崎店(川崎市宮前町21[133]、1961年(昭和36年)6月9日開店[133] - )
- 売り場面積693m2[133]
- (初代)藤沢店(藤沢市藤沢555[130]、1950年(昭和25年)5月26日開店[130] - )
- 売り場面積322m2[130]
- ○新百合丘オーパ店(2005年(平成17年)2月閉店[5])
- (初代)小田原店(小田原市緑町1-48[133]、1955年(昭和30年)3月14日開店[133] - )
- 売り場面積450m2[133]
- ○(2代目)小田原店(小田原市栄町2-8-23[40]、1964年(昭和39年)10月[134] - ?)
- 売り場面積約1,139m2[40]
静岡県
[編集]- 吉原店(吉原市(富士市)本町1-145[135]、1953年(昭和28年)10月24日開店[135] - )
- 売り場面積475m2[135]
- 沼津店(沼津市大手町5-3-13[3]、1956年(昭和31年)10月30日開店[135] - 1994年(平成6年)11月末[136])
- 伊東店(伊東市猪戸1-26[18][40]、1962年(昭和37年)11月17日開店[135]-1996年(平成7年)7月閉店[127])
十字屋ショッカー
[編集]ディスカウントストアとして営業していた店舗である[138]。 1980年代に入ると、商業地の郊外化が加速し中心市街地に中小の店舗を多く持っていた十字屋の起死回生の策として始めた事業であった。 当時親会社であるダイエーが不振店舗をディスカウントストアであるトポスに業態変換を果たし藤沢店などを大成功に導いていた。 十字屋も親会社のノウハウを活用しロゴマークもトポスに類似したものを採用し船橋、千葉、木更津の千葉県内の店舗を転換、売上げを回復させた。 ただ1990年代半ばに業態の見直しとともに撤退した。
- 木更津店
- 船橋店[138]
- 千葉店
十字屋ホームセンタードアイ
[編集]ジューエル
[編集]- 浦和店
- 新小岩店
十字マート
[編集]十字ストア
[編集]- 大船店(鎌倉市大船1-22-26[141]、1967年(昭和42年)5月25日開店[141] - )
- 売り場面積880m2[141]
- 逗子店(逗子市逗子1-5-7[142]、1967年(昭和43年)6月25日開店[142][143] - )
- 久里浜店(横須賀市久里浜4-6-13[144])
- 飯能店(飯能市柳町23-12[145]、1967年(昭和42年)11月25日開店[145] - )
- 売り場面積681m2[145]
OPA(オーパ)
[編集]1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設[14]。
- 浜大津OPA
- 新神戸OPA
実現しなかった店舗
[編集]子会社
[編集]- 株式会社OPA(施設運営事業、2006年(平成18年)3月1日に会社分割で新設された完全子会社)
- 株式会社キャナルシティ・オーパ(施設運営事業、80%出資)[5]
- 株式会社りんくうパーク(商業施設開発事業、りんくうパパラ関連、100%出資)[5]
- 株式会社十字屋友の会(前払い式特定取引業)[5] 中合友の会に営業譲渡
- 十字興業株式会社(不動産賃貸業)[5]
- 2006年(平成18年)3月30日より商号をダイエースペースクリエイトに変更した。現在はダイエーの100%子会社。
- 十字エス・シー開発株式会社(不動産賃貸業、間接50%を含め100%出資)[5]
- りんくうパーク、十字エス・シー開発については、2007年(平成19年)に清算
- 株式会社関東十字屋(百貨店) - 1974年(昭和49年)12月設立[19]
- 株式会社仙台十字屋(百貨店) - 1984年(昭和59年)4月設立[19]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 226
- ^ a b ダイエーが来月、十字屋を吸収合併(日本経済新聞 2006年12月15日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本アルマナック 現代日本を知る総合データバンク 1984年版』 教育社、1984年1月30日。pp1594
- ^ a b c 『日本小売業経営史』 公開経営指導協会、1967年5月20日。pp580
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『株式会社十字屋 第71期有価証券報告書』(レポート)十字屋、2005年5月27日。
- ^ a b c d 上田泰嗣、辻本貴洋(2005年10月12日)。十字屋山形店、「中合」に営業を譲渡 屋号、雇用は継続(毎日新聞)
- ^ a b c d e f g h 十字屋山形店 来年閉店 競争激化で売り上げ減 中心街の空洞化拍車懸念(毎日新聞 2017年8月31日)
- ^ a b c d 沿革 - ウェイバックマシン(2013年2月11日アーカイブ分)-(有報リーダー「株式会社十字屋」)
- ^ a b c 三家英治『現代日本小売経営戦略』晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906。
- ^ a b c 大丸三百年史 2018, p. 292.
- ^ a b c 「ダイエー・十字屋問題が決着 来年メド、に提携成立」『読売新聞』1981年10月20日 8頁
- ^ a b 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社 、1977年5月。ISBN 978-4828200057
- ^ 「十字屋社長に越智氏」『読売新聞』1984年9月6日 6頁
- ^ a b c “十字屋、9月1日付でダイエー・アゴラと合併 経営基盤強化図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年4月24日)
- ^ a b c d e “駅前の顔また消える 十字屋仙台店11月閉店”. 河北新報 (河北新報社). (2005年9月1日)
- ^ a b c d e f g h i “ダイエー、新たに十字屋含め7店を11月末までに閉鎖”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年8月31日)
- ^ a b c d “ダイエー、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年9月2日)
- ^ a b c 『会社年鑑 上場会社版 下巻 1997年版』 日本経済新聞社、1997年。
- ^ a b c 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 193-195
- ^ a b 『会社履歴総覧 会社四季報長期データ版 創刊 1992年版』 東洋経済新報社、1991年10月。
- ^ 『ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版 1971年版』 ダイヤモンド社、1971年3月29日。pp648
- ^ a b アクセス&駐車場 - ウェイバックマシン(2018年9月9日アーカイブ分)-(十字屋山形店)[リンク切れ]
- ^ a b c d 「十字屋山形店」来年1月閉店 国内最後の店舗…老舗の歴史に幕(産経新聞 2017年8月31日)
- ^ 山形市史編さん委員会 『山形市史 現代編 』 山形市、1981年。
- ^ a b 要緊急安全確認大規模建築物(民間建築物) (PDF) (山形市「大規模建築物等の耐震診断の結果及び公表について」)[リンク切れ]
- ^ a b 設計事例 商業・宿泊施設(山本建築設計事務所)
- ^ 山形市中心市街地活性化基本計画 平成20年11月 平成20年11月11日認定 平成21年3月27日変更 平成22年3月23日変更 平成23年3月31日変更 平成24年3月29日変更 (Report). 山形市. (2012年3月29日).
- ^ “十字屋/食品売り場、10年ぶり全面改装”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2007年10月12日)
- ^ 倒壊危険性、山形市内8施設 7施設は対応予定(山形新聞 2016年12月6日)[リンク切れ]
- ^ 十字屋山形店、来年1月末で閉店へ - ウェイバックマシン(2017年8月30日アーカイブ分) - 山形新聞. 2020年11月22日閲覧。
- ^ 中合 十字屋山形店を閉鎖 来年1月末(日本経済新聞 2017年8月31日)
- ^ “「十字屋、ありがとう」 山形店が閉店、常連客ら名残惜しむ” - ウェイバックマシン(2018年2月1日アーカイブ分)-山形新聞. (2018年2月1日)
- ^ “山形)駅前のシンボルに惜しむ声 十字屋山形店が閉店”. 朝日新聞デジタル. (2018年2月1日) 2018年2月3日閲覧。
- ^ “旧十字屋山形店ビル、解体へ 所有者、安全を最優先” - ウェイバックマシン(2018年6月14日アーカイブ分)-山形新聞. (2018年6月6日)
- ^ “旧十字屋解体、補助事業を活用 山形市長が考え示す” - ウェイバックマシン(2018年6月14日アーカイブ分)-山形新聞. (2018年6月8日)
- ^ “「十字屋」跡地活用へ市も支援” - ウェイバックマシン(2018年6月14日アーカイブ分)-NHK NEWS WEB 山形 NEWS WEB. (2018年6月7日)
- ^ “旧十字屋跡地にホテル建設 山形・大和ハウス系、21年3月完成予定” - ウェイバックマシン(2019年5月21日アーカイブ分)-山形新聞. (2019年5月19日)
- ^ 日経流通新聞(2016年8月17日)
- ^ “ダイエー初のNSC「ステーションパーク小束山店」4月27日オープン 兵庫県神戸市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年5月25日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 164
- ^ a b c 『懐かしのせんだいCM大百科』-せんだいCM捜索隊-(企画:スダジオM77。発行:エイエイピー東北、2007年11月) pp.14-15
- ^ 旧「十字屋仙台店」跡地利用について (PDF) (東急レクリエーション 2006年9月)
- ^ 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) (Report). 国土審議会調査改革部会. (2000年).
- ^ 鳥越幸宏『100万都市の流通-広島市の小売を考える- 第1回研究集会報告書』(レポート)地域経済システム研究センター、1990年7月。
- ^ AneCanモデル葛岡碧、細かいネタから楽天まで故郷・仙台を語り尽くす!(CanCam 2014年2月3日)
- ^ “旧十字屋仙台店、東急系の商業施設に 来年3月開業”. 河北新報 (河北新報社). (2006年9月13日)
- ^ “激しさ一層、仙台家電競争 ヤマダ電機都心型店舗開店”. 河北新報 (河北新報社). (2007年2月23日)
- ^ “ヤマダ電機LABI仙台 2月23日(金)オープン 宮城県仙台市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年4月5日)
- ^ 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日。 pp962-963
- ^ a b “着々と進むデパートの系列化問題 流通産業を生み出し得るか”. 東邦経済1970年4月号 (東邦経済社) (1970年4月).pp66
- ^ “東西南北”. 商業界 1994年1月号 (商業界) (1994年1月).pp32-35
- ^ a b c 米浜健人. “旧まちづくり三法下における地方都市中心市街地活性化の実情と課題 栃木県足利市を例として”. 早稲田大学学術研究 地理学・歴史学・社会科学編 第58号 (早稲田大学 教育学部) (2010年2月).
- ^ a b c d e f “会員消息”. 日本百貨店協会会報 1068号 (日本百貨店協会) (1981年4月5日).pp42
- ^ 中心市街地の空きビル活用及びリニューアル事例調査 報告書 平成24年3月 (Report). 国土交通省都市局. (2012年3月4日).
- ^ a b c d e f g h i j 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp82
- ^ “ダイエー・メディア、パソコン専門店「メディアバレー千葉」9月4日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年8月27日)
- ^ 杉村暢二 『都市の商業 その地誌的考察』 大明堂、1978年3月。ISBN 978-4470060054
- ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp342
- ^ 『ショッピングセンター年鑑 1978年版』 日本ショッピングセンター協会、1978年7月1日。pp211
- ^ a b “銚子、館山の2店閉鎖 ダイエー傘下の十字屋”. 千葉日報(千葉日報社). (2005年9月2日). pp4
- ^ a b “十字屋銚子店が閉店”. 日刊大衆日報 (大衆日報社). (2005年12月2日)
- ^ a b c d 新沼章 (2008年12月6日). “十字屋銚子店:取り壊し開始、市内唯一のデパート消滅”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 戸石四郎 『もう一つの銚子市史 戦後の民衆運動五十年史』 なのはな出版、1998年8月。ISBN 978-4931379084
- ^ a b 『続銚子市史』 銚子市、1983年2月。
- ^ “松屋百貨店:昨年閉店の十字屋銚子店を買収”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2006年7月16日)
- ^ 新沼章 (2008年7月23日). “十字屋銚子店跡地:新商業施設、開業へ 新名称は「リズム」-JR銚子駅前”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “銚子の百貨店跡に魚や野菜の屋台村”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2011年7月13日)
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp81
- ^ a b 『平成6年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1994年。
- ^ a b “旧十字屋木更津店跡 立体駐車場が完成”. 房総時事新聞 (房総時事新聞社). (2007年8月8日)
- ^ a b 流通会社年鑑 1979年版, 日本経済新聞社, (1978-10-20), pp. 180-181
- ^ 藤沢駅周辺商店街商業活性化調査報告書 (Report). 藤沢市経済部産業振興課. (1999年3月).
- ^ a b (続)藤沢市史編さん委員会 『ニュースは語る20世紀の藤沢1956-2000 (続)藤沢市史 別編3』 藤沢市、2006年3月。
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp369
- ^ a b “十字屋 佐原、八千代店を閉鎖”. 千葉日報(千葉日報社). (1997年10月1日). pp5
- ^ 平成22年度 中心市街地商業等活性化支援業務 市町村の中心市街地活性化の取組に対する報告書 千葉県 香取市 (Report). 経済産業省 中心市街地活性化室. (2011年2月).
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp385
- ^ 平成12年6月 定例会(第2回)八千代市議会会議録 第5号 (Report). 八千代市議会. (2000年6月8日).
- ^ a b 東洋経済新報社,社会調査研究所共同編集 『東洋経済臨時増刊 首都圏商業地図マップ』 東洋経済新報社、1995年。
- ^ “「アメニティパーク・ユアエルム八千代台」が好調持続、低価格訴求が人気集める”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月3日)
- ^ a b 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月).
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp39
- ^ a b “50年における会員異動について”. 日本百貨店協会会報 945号 (日本百貨店協会) (1976年1月20日).pp49
- ^ 神谷満雄 『山形商工会議所創立75周年記念出版 山形商工会議所史 下巻』 山形商工会議所、1972年。
- ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp176
- ^ a b “十字屋が販売拡大で新分野へ進出”. とうほく財界 1982年9-10月号 (東日本出版) (1982年9月).
- ^ a b 寒河江市史 下巻 (現代編) 2012, p. 429.
- ^ 「十字屋寒河江店 総合スーパーへ衣替え ダイエーのFCに」『日経流通新聞』1986年5月19日 5頁
- ^ a b c 寒河江市史 下巻 (現代編) 2012, p. 430.
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp108
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1962年版』 商業界、1962年。pp30
- ^ a b c 白河市中心市街地活性化基本計画 平成21年3月 平成21年3月27日 認定 平成23年7月7日 変更 (Report). 白河市. (2011年7月7日).
- ^ a b c d 『百貨店調査年鑑 1976年度版』 デパート・ニューズ社、1976年9月30日。pp330
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp50
- ^ a b 水戸市史編さん委員会編 『水戸市史 下巻(三)』 北海道新聞社、1998年5月。
- ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp49
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp58
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp307
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年。pp183
- ^ 『日本商業年鑑 1969年版』 商業界、1969年5月20日。 pp33
- ^ 「郊外SC地域も悩む まちづくり 成功の条件」日経MJ2006年1月4日付、2ページ
- ^ 消防防災博物館 事例
- ^ “増える時間貸し駐車場 宇都宮市の中心部”. 下野新聞 (下野新聞社). (2006年3月14日)
- ^ a b c d e f g h 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp62
- ^ “産業界新地図=消費構造の変化にどう対処する”. 実業之世界 1976年6月号 (実業之世界社) (1976年6月1日).pp110
- ^ 群馬銀行五十年史編纂室 『群馬銀行五十年史』 群馬銀行、1983年。
- ^ 『罐詰年鑑 1963年版』 東京食料新聞社、1963年1月20日。pp243
- ^ a b 『全国スーパーマーケットストア・スーパーチェーン名簿』 日本化学繊維協会、1963年10月。pp157
- ^ a b “街のルポ〈高崎〉”. ショッピングセンター 1976年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1976年8月1日).pp42-43
- ^ a b c “旧十字屋、解体へ 跡地利用は未定”. 桐生タイムス (桐生タイムス社). (2012年7月10日)
- ^ 『太田市史 通史編 近現代』 太田市、1994年。
- ^ a b 杉村暢二 『中心商業地の構造と変容』 大明堂、2000年7月16日。ISBN 978-4470540235
- ^ 『スーパーマーケット・レイアウト集 1964年版』 商業界、1964年。pp148-149
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp68
- ^ a b c 浦和市市史編さん室 『浦和市史 第5巻 現代史料編Ⅰ』 浦和市、1999年3月30日。
- ^ 『昭和59年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1984年。
- ^ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ^ a b 杉村暢二 『中心商業地の変容』 大明堂、1998年3月30日。ISBN 978-4470540174
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1976年度版』 日本ショッピングセンター協会、1976年4月30日。pp102
- ^ a b c d e f 『流通会社年鑑 1986年版』 日本経済新聞社、1985年11月11日。pp155
- ^ 『日本商業年鑑 1969年版』 商業界、1969年5月20日。 pp36
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1962年版』 商業界、1962年。pp52
- ^ 『産経日本紳士年鑑 第6版 下』 産経新聞、1966年5月30日。pp115
- ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp13
- ^ 『洋品店経営の実際』 誠文堂新光社、1960年8月10日。pp166
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp99
- ^ a b c d 日経流通新聞 1996年7月18日付「店舗閉鎖が来月完了 十字屋」より
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 196年版』 商業界、1967年。pp91
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年。pp222
- ^ a b c d e f g h 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp124
- ^ “平塚最後の百貨店、「梅屋・本館」が8月末で閉館へ”. 神奈川新聞 (神奈川新聞社). (2011年8月2日)
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1962年版』 商業界、1962年。pp69
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp123
- ^ 『小田原市史 通史編 近現代』 小田原市、2001年3月28日。
- ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp167
- ^ 『静岡年鑑 データしずおか 96』 静岡新聞社、1996年9月。
- ^ 棟田他喜男 『現代ビジネス用語 即戦力 1996』 朝日出版社、1996年1月。ISBN 978-4255950310
- ^ a b “船橋地区、大型店の食品激戦地に 客奪回へ生鮮強化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月26日)
- ^ a b c d e 『自動車部品・用品名鑑 1987年版』 自動車産業通信社、1986年12月25日。pp779
- ^ a b c 『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 日本食糧新聞社、1971年11月25日。pp58
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp249
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp250
- ^ a b 『日本商業年鑑 1969年版』 商業界、1969年5月20日。 pp28
- ^ 『ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版 1979年版』 日本経済新聞社、1979年3月29日。 pp884
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp160
- ^ 平成12年 9月定例会-9月8日- 大津市議会会議録 (Report). 大津市議会. (2000年9月8日).
- ^ “大津市長選 県都の課題<上>中心市街地「人口増」と「客足減」の矛盾”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年1月11日)
- ^ 千葉紀和 (2012年8月25日). “コジマNEW大津店:明日都浜大津、来月23日閉店 市「大変残念だ」”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 大久保斉、松井元 (2005年9月22日). “流通革命を夢見て-中内功氏と神戸 中.愛着 開発行政と歩調合わせ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ 『ネアカのびのびへこたれず 中内㓛 言行録』 流通科学大学、1987年12月。
- ^ a b c d “II=3条申請後、商調協で協議中か協議準備中の主要な第1種大型店343店”. 日経地域情報 増大 1992年6月1日号 (日経産業消費研究所) (1992年6月1日).pp12
参考文献
[編集]- 寒河江市史編さん委員会 編『寒河江市史 下巻 (現代編)』寒河江市、2012年3月。
- J.フロント リテイリング株式会社『大丸三百年史』J.フロント リテイリング、2018年12月。