三春屋
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 青森県八戸市十三日町13番地 |
設立 | 2019年(令和元年)11月1日 |
法人番号 | 9420001016770 |
事業内容 | 小売業 |
代表者 | 代表取締役 土谷与志晴 |
資本金 | 1000万円 |
特記事項:株式会社中合が「三春屋店」を新設分割の上、2019年11月6日、株式会社やまきに譲渡。2022年4月10日閉店。 |
三春屋 Miharuya | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒031-8533[2] 青森県八戸市十三日町13番地[2] |
座標 | 北緯40度30分33秒 東経141度29分19秒 / 北緯40.50917度 東経141.48861度座標: 北緯40度30分33秒 東経141度29分19秒 / 北緯40.50917度 東経141.48861度 |
開業日 | 1970年(昭和45年) |
施設所有者 |
株式会社三春屋[3] ↓ 株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパン[4] ↓ 株式会社中合[5] ↓ 株式会社やまき三春屋[1] |
施設管理者 |
株式会社三春屋[3] ↓ 株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパン[4] ↓ 株式会社中合[5] ↓ 株式会社やまき三春屋[1] |
延床面積 | 25,140 m²[2] |
商業施設面積 | 15,584 m²[2] |
最寄駅 | 本八戸駅 |
最寄IC | 八戸自動車道 八戸IC |
外部リンク | Miharuya 三春屋 |
三春屋(みはるや)は、青森県八戸市に存在した日本の百貨店である。 2019年(令和元年)11月6日からは同年11月1日に設立された事業会社「株式会社やまき三春屋」が運営していた[1]。
また、かつて当百貨店を「株式会社三春屋」として運営していた会社である[3]。
歴史
[編集]創業から百貨店へ
[編集]永禄年間に「三春屋呉服店」として創業したのが始まりである[3]。福島県三春町にルーツを持つ。
1953年(昭和28年)3月に「株式会社三春屋」として法人化して呉服店の営業を続け[3]、その後衣料品店に発展した[6]。
1969年(昭和44年)11月13日に[7]、当時隣接していた店舗を構えていた八戸市初の百貨店であった「丸美屋」[6] が1968年(昭和43年)6月28日に仙台の百貨店「丸光」(後の「さくら野百貨店」、法人としては後の「エマルシェ」、2017年に倒産・閉鎖)と東京の月賦百貨店「緑屋」が進出[8][9] したことなどの影響で売上が急激に減少して閉店に追い込まれ[10]、同月15日に倒産した[11]。
そこで、清算中の丸美屋を1970年(昭和45年)に買収して[6] 増床し[3]、同年に[3] 比較的庶民向けの百貨店を開業する運びとなった[12]。
規模拡大と他社との競合
[編集]当店が百貨店を開業した1970年(昭和45年)1月に百貨店「三萬」が閉店して[13] 郊外にスーパーマーケットの「ユニバース」を開いたほか[14]、翌年の1971年(昭和46年)には1月の「つきや」と既存の大型店の閉店が相次ぐ形となった[13]。
また、1971年(昭和46年)8月に「力ネ長武田八戸店」が閉店し[13]、代わりに同社が「ニチイ」[注釈 1]などと共同出資して同年5月に設立した[17]「青森ニチイ」が同年10月7日に「ニチイ八戸店」を開店する[18] など、市街に本拠を置くチェーンの大型店と競争するようになった。
1978年(昭和53年)には丸光と共に大規模な増床をし[12]、1980年(昭和55年)4月19日に「イトーヨーカドー」が進出すると大規模なセールを展開して対抗するなど[19]、残った最後の地場資本の百貨店として県外資本の大規模店や郊外の店舗との競争に挑み続けた。
また、1980年(昭和55年)6月に岩手県水沢市の水沢駅前の魚市場跡に地上6階建て店舗面積約5,900m2の「ヤマニ三春屋」を出店したほか[20]、一関市や久慈市などにも出店するなど多店化も進めた[21]。
しかし、1981年(昭和56年)4月に店舗をダイエーに譲渡して岩手県から撤退しており[21]、この多店化は成功しなかった。
中合の傘下に
[編集]1985年(昭和60年)に当時日本一の総合スーパーだったダイエーの支援を受けて傘下に入り[5][22]、八戸の地場資本の百貨店は消滅することになった。
さらに、1987年(昭和62年)には業績不振を受けて社長が交代し[23]、1995年(平成7年)にダイエーの完全子会社となった[22]。
2000年(平成12年)6月に北海道函館市の棒二森屋を経営していた同じダイエー系の株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンに吸収合併されたため、「株式会社三春屋」は消滅することになった[4]。
そして、2004年(平成16年)10月にダイエーが経営再建のため産業再生機構に支援要請を行い[22]、2004年(平成16年)12月に支援決定されたことに伴い策定された再建計画の中で百貨店事業からの撤退と売却の方針が盛り込まれて報道されたため、八戸市長と八戸商工会議所などが連名で2004年(平成16年)12月28日に産業再生機構や経済産業大臣などに存続の要望書を提出するなどこととなった[22]。
店舗自体は黒字経営が続いていたこともあって売却されず[24]、2005年(平成17年)12月1日に[25]、ダイエーグループの中合(本社:福島市)が「中合三春屋店」として運営しているアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンは同じダイエー系の中合と合併した上でダイエーを引き受け先として増資を行い[5]、そのまま営業が続けられることとなった[5]。
そして、2010年(平成22年)7月1日に中合がダイエー以外の株主が保有していた株式を全て無償で取得した上でダイエーに取得した株式の一部を50億円で売却して債務超過を解消したため、ダイエーの完全子会社となっている[5]。
中合傘下で営業していた店舗は後に閉店が相次ぎ、2021年(令和3年)7月15日にマリーン5清水屋(旧:中合清水屋店)が閉店したことにより、翌7月16日時点において、旧中合の流れを汲む店舗では三春屋が唯一営業を継続していた。
やまきへの事業譲渡
[編集]2019年(令和元年)9月5日に三春屋の事業を中合から商業コンサルティング会社の「やまき」へ事業譲渡することを発表[1]。やまきは同年11月1日に事業会社「やまき三春屋」を設立、11月6日より運営がやまき三春屋へと移管された。
このような企業再編が行われたため、経営母体の企業は三春屋からアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパン、中合、やまきと変化したが、店舗名はこの間も変化せず後述の閉店に至るまで「三春屋」として八戸市中心市街地における百貨店の営業を継続した。
譲渡後しばらくは日本百貨店協会の店舗リストから外れており、一時的に協会非加盟であった。後に「やまき三春屋」として再加盟し、引き続き青森県内ではさくら野百貨店の3店舗(青森本店・八戸店・弘前店)と共に日本百貨店協会加盟店舗となっている。
閉店へ
[編集]2021年(令和3年)9月10日付で全従業員約140人の約7割に当たる約100人に解雇通知を出した。
同社は取材に対し「新型コロナウイルスの影響で売り上げが落ち、今秋に予定していた改装計画にも支障が出ている。経費削減に取り組んだが三春屋ののれんを残すため、さらに人件費削減が必要」と述べた。希望退職を募らなかった点には「それほど財務状況が逼迫している」と釈明。従業員の再就職は「積極的に支援したい」としている。
それに対しUAゼンセン県支部(青森市)は「解雇される従業員の選定基準も不透明で、具体的な経営状況も示されていない」などと指摘。
また同店の所在している八戸市の小林眞市長(当時)は「三春屋は市中心部のにぎわいを支えてきた大きな存在。状況を注視したい」と話した[26]。
その後、2022年4月にも閉店する方針であると報じられ[27]、同年4月10日を以って閉店し、百貨店としては52年の歴史に幕を閉じた[28]。これにより、旧中合の流れを汲む店舗はすべて消滅することとなり、青森県内の百貨店は青森・八戸・弘前のさくら野百貨店と弘前の中三の4店舗となった。
閉店の時点で残る70名の従業員のうち59名、残る11名も4月末を以って解雇とする一方、法人自体は存続させ、百貨店業態に拘らずに再生を目指す方針を明らかにしている[29]。
年表
[編集]- 永禄年間 - 「三春屋呉服店」として創業[3]。
- 1953年(昭和28年)3月 - 「株式会社三春屋」として法人化[3]。
- 1970年(昭和45年) - 丸美屋を買収して[6] 増床し[3]、百貨店を開業[12]。
- 1978年(昭和53年) - 大規模な増床を実施[12]。
- 1980年(昭和55年)6月 - 岩手県水沢市の水沢駅前に「ヤマニ三春屋」を出店[20]。
- 1981年(昭和56年)4月 - 店舗をダイエーに譲渡して岩手県から撤退[21]。
- 1985年(昭和60年) - ダイエーの支援を受けて同社の傘下に入る[5]。
- 1987年(昭和62年) - 業績不振を受けて社長が交代[23]。
- 1995年(平成7年) - ダイエーの完全子会社となる[22]。
- 2000年(平成12年)6月 - 同じダイエー系の株式会社アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンに吸収合併され、「株式会社三春屋」は消滅[4]。
- 2005年(平成17年)12月1日[25] - アドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンが同じダイエー系の中合と合併し、「中合三春屋店」となる[5]。
- 2010年(平成22年)7月1日 - 中合がダイエーの完全子会社となる[5]。
- 2019年(令和元年)11月6日 - 三春屋の事業が中合からやまきに譲渡された[1]。
- 2022年(令和4年)4月10日 - 三春屋閉店。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 「三春屋店」の事業承継のお知らせ (PDF) 中合、2019年9月5日(2019年10月4日閲覧)。
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ a b c d e f g h i j 『流通会社年鑑 1998年版』 日本経済新聞社、1997年12月2日。
- ^ a b c d 『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2003年10月。
- ^ a b c d e f g h i “三春屋などダイエー完全子会社に”. 東奥日報 (東奥日報社). (2010年5月31日)
- ^ a b c d “三春屋が買収交渉 八戸丸美屋デパート大資本進出押さえる?”. 東奥日報 (東奥日報社). (1970年3月20日)
- ^ “さようなら丸美屋 「十八年間親しまれ ついに閉店、明日解散”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社). (1969年11月14日)
- ^ “風雲急!八戸商戦夏の陣 あす二デパート開店 地元イメージアップで対抗”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社). (1968年6月27日)
- ^ “まるでお祭りさわぎ 「丸光」「緑屋」開店 どっと五万人の客 八戸駅前まで人の波続く”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社). (1968年6月29日)
- ^ 野口雄一郎 奥田義雄 西川大二郎 『日本列島その現実 2 地方都市』 勁草書房、1971年1月。
- ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
- ^ a b c d 高橋英博他 『都市機能の高度化と地域対応 ―八戸市の「開発」と<場所の個性>』 東北大学出版会、2004年。
- ^ a b c 小野久三 『八戸昭和史 激動する情勢下の一地方都市』東奥日報社、1979年4月20日。
- ^ “大型店めぐり攻防激化 八戸に進撃始める 温室に吹き込んだ風 地上八階の長崎屋”. 東奥日報 (東奥日報社). (1970年1月1日)
- ^ “ニチイからマイカルへ本社看板も交代”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年7月5日)
- ^ 武内彩(1998年8月4日). “サティ:名称「イオン」に 全国91店舗で”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 『流通会社年鑑 1981年版』 日本経済新聞社、1980年12月。
- ^ “商店街のワクを広げる 八戸ショッピングプラザめでたくオープン”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社).. (1971年10月8日)
- ^ “どっと四万人の買い物客 八戸スカイビルが開店 早朝からお祭り騒ぎ”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社). (1980年4月20日)
- ^ a b 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。
- ^ a b c 『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』 歴代知事編纂会、1983年11月。
- ^ a b c d e 『八戸市議会議事録 平成17年3月定例会 - 03月02日-04号』 八戸市議会、2005年。
- ^ a b 『東奥年鑑 昭和63年版』 東奥日報社、1987年9月。
- ^ “ダイエー、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年9月2日)
- ^ a b 『読売年鑑 2006年版』 読売新聞社、2006年3月9日。ISBN 978-4643060010
- ^ “コロナで百貨店不振、全従業員の7割に解雇通知…市長「にぎわい支えてきた大きな存在」”. 読売新聞. (2021年8月24日) 2022年4月15日閲覧。
- ^ “三春屋、4月閉店方針/八戸市の老舗百貨店”. 東奥日報. 2022年3月4日閲覧。
- ^ “青森:八戸 三春屋52年の歴史に幕”. 読売新聞. (2022年4月12日) 2022年4月15日閲覧。
- ^ “青森・八戸の老舗百貨店「三春屋」が4月10日閉店”. 東洋経済オンライン. (2022年4月9日) 2022年4月9日閲覧。