丸合
種類 |
協同組合[1] ↓ 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒683-8505 鳥取県米子市東福原2丁目19番48号 (やす井ビル2階 - 5階)[広報 1] |
設立 | 1954年(昭和29年)10月13日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 4270001005538 |
事業内容 | スーパーマーケットチェーン[2] |
代表者 | 代表取締役社長 梅林裕暁[広報 1] |
資本金 | 4096万円[広報 1] |
従業員数 | 約1,300(パートタイマー含む)[広報 1] |
外部リンク | https://www.marugo.or.jp/ |
株式会社丸合(まるごう)は、鳥取県米子市に本部を置き、鳥取・島根の両県にてスーパーマーケットを運営する企業である[2]。 一時期は福井県にも出店していたが現在は撤退、また鳥取県内でも鳥取市からは撤退(同業他社に譲渡)するなど、近年では鳥取県西部と島根県東部へのドミナント志向を強めている。オール日本協会の会員。
歴史・概要
[編集]米子市が同市西倉吉町に海外からの引揚者向けに三十数戸の引揚者住宅を建設し、そこに入居した引揚者たちが改造して食料品店などを開いたのが始まりである[3]。
しかし、この引揚者住宅は各戸間口一間半(約2.7m)と狭かったことから、1952年(昭和27年)に鳥取西部生活協同組合が近隣に進出することになった際に、個別に営業していては対抗できないとして、組合を結成して共同で対抗することにした[3]。 そこで、引揚者住宅で営業していた27名が140万円を出資し[4]、1954年(昭和29年)10月13日に「協同組合丸合百貨」を設立し[1]、組合員27名の引揚者住宅の店舗部分を全て組合で借り上げて[3]改装した[4]。
そして、同年11月に[5]売り場面積約100坪の総合食料品店として[4]「米子マーケット」を開業した[5]。 この開業時に組合員のうち青果物販売の1名のみは店内で個人で営業を続ける形態をとったが[4]、他の組合員は組合での事業に専従となり[4]、組合より報酬を受け取る形となった[6]。 また、当時はセルフサービス方式の導入は困難だったことから、組合員以外に約25名の従業員を雇用しての開業となった[6]。
その他、開業当初からオート三輪を導入して、淀江町や溝口町など米子市近隣の地域への出張販売も行っていた[5]。
1955年(昭和30年)8月に「協同組合丸合」に商号を変更し[1]、1957年(昭和32年)に初代理事長だった江原直己ら5名が脱退して[7]1958年(昭和33年)6月10日に「主婦の店米子店」を[8]別途に立ち上げるなどして組合員が減少したが[7]、隣接地にあった日本電信電話公社の移転跡地約400坪を取得して大幅に増床して[7]、1960年(昭和35年)4月13日に[8]全店でセルフサービス方式を導入してスーパーマーケットを開店し[7]、同月に「協同組合 ショッピングセンター丸合」へ商号を変更した[9]。
子会社として「有限会社 丸合」を設立し[7]、1962年(昭和37年)3月に[7]既存のスーパーマーケットを継承して境港店を開設したのを皮切りに[5]、チェーン展開を進めた[7]。
国道9号線の拡幅に伴って移転を迫られた小売店18店舗が中心となって[10]、 1970年(昭和45年)9月26日に米子市角盤町に「やよいデパート」を開店し[11]、組合による寄合百貨店として全国から注目を集めた[12]。
1976年(昭和51年)6月に仕入・売上・営業管理を中心とするオンラインシステムの稼働を開始した[13]。
1980年(昭和55年)3月20日に「安来ショッパーズ」(延べ床面積約5,622m2、売場面積約3,949m2、駐車台数約200台)を開店し[14]、同年に総合結婚式場やレストランの入る「大和会館」を開館した[15]。
1991年(平成3年)3月にグループの18店舗で牛乳パックの回収を開始した[16]。
2000年代に入り既存店の増床や改装を進めて、品揃えなどの改善を図って競争力強化を図った[17]。
2010年(平成22年)12月に協同組合から株式会社へ改組した[2]。
また、衣料品店も同一の店名で展開していたが、運営を衣料品専門の問屋に委ねると共に「ファッションハウスすまいる」へ店名を変更した[2]。
年表
[編集]- 1947年(昭和22年)10月 - 海外からの引揚者が、米子市西倉吉町で「よなごマーケット」を開設[広報 2]。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)8月 - 協同組合丸合百貨を「協同組合丸合」に商号を変更[1]。
- 1960年(昭和35年)
- 4月13日 - 「ショッピングセンター丸合」として新装開店[8]。山陰では初めてセルフサービス方式を採用。
- 4月 - 「協同組合 ショッピングセンター丸合」へ商号を変更した[9]。
- 1970年(昭和45年)9月26日 - 米子市角盤町に「やよいデパート」を開店[11]。
- 1976年(昭和51年)6月 - 仕入・売上・営業管理を中心とするオンラインシステムを稼働開始[13]。
- 1977年(昭和52年)6月23日 - 「やよいデパート境港店」を開店[18]。
- 1980年(昭和55年)
- 1986年(昭和61年) - POSシステムを導入。
- 1991年(平成3年)3月にグループの18店舗で牛乳パックの回収を開始した[16]。
- 1994年(平成6年)11月 - 協同組合丸合創業満40周年記念行事を行う。
- 2004年(平成16年)11月 - 創業51年目に入り、これを契機に全店リニューアルを実施しお客様に快適で親しみのある店づくりと提供する商品の見直しを図る。
- 2010年(平成22年)12月 - 協同組合から株式会社へ改組[2]。同時に新たな店舗ロゴを採用[2]。
店舗
[編集]過去に存在した店舗
[編集]鳥取県
[編集]米子市
[編集]- ショッピングセンタ一丸合米子本店[19]
- (米子市西倉吉町21[19][20]、1960年(昭和35年)4月13日開店[8])
- 店舗面積約1,436m2[8]。
- 隣接地にあった日本電信電話公社の移転跡地約400坪を取得して大幅に増床すると共に、全店でセルフサービス方式を導入してスーパーマーケットとなった[7]。
- やよいデパート
- (米子市角盤町[11]、1970年(昭和45年)9月26日開店[11][18]、2016年(平成28年)1月30日閉店[22])
- 地下1階・地上5階建て[10]、延べ床面積約13,638m2[18]、売場面積約9,642m2[18](直営売場面積約4,610m2[18])、駐車台数約320台[18]。
- 米子髙島屋(現・JU米子タカシマヤ)の向かい側に位置し、ピークの1978年(昭和53年)には96億円を売り上げていた[22]。2013年(平成25年)7月にスーパー「丸合」が撤退し、11月からディスカウントスーパー「ディオ」が下層階で営業していたが、3階以上にテナントを誘致できずにいた[22]。
- 河崎店
- (米子市河崎1740-7、1976年(昭和51年)7月31日開店[23] - 2016年(平成28年)9月1日閉店[24])
- 売場面積約1,293m2[23])、駐車台数約40台[23]。
- 建物の解体後、[独自研究?]跡地にスーパードラッグひまわり河崎店が[要出典]2017年6月10日に開業[広報 3]。
- 成実店
- (米子市奈喜良279-1[25]、1993年(平成5年)9月3日開店[25] - 2019年(平成28年)6月30日閉店[25])
- 鉄筋コンクリート造[26]
- 跡地にはローソン米子奈喜良店になった[27]。
境港市
[編集]- やよいデパート境港店
- (境港市元町1825[30]、1977年(昭和52年)6月23日開店[18] - 2018年(平成30年)9月30日閉店[31])
- 延べ床面積約7,670m2[18]、売場面積約4,502m2[18](直営売場面積約1,682m2[18])、駐車台数約220台[18]。
東伯郡
[編集]- 東伯店
- 2010年3月28日をもって閉店。2018年現在はスーパーセンタートライアル琴浦店になっている。
西伯郡
[編集]- (初代)淀江店 → 淀江本通り店[5]
- (西伯郡淀江町字淀江802[35]、1963年(昭和38年)9月開店[7])
- 店舗面積約99m2[28]。
- 当店とは別に、国道9号線沿いに「淀江ショッピングセンター」(敷地面積約1,271m2、売場面積約922m2、駐車台数約20台)を開設した[36]。
島根県
[編集]松江市
[編集]- 玉湯店
- (松江市玉湯町湯町74[37]、1976年(昭和51年)6月開店[37])
- 店舗面積約1,400m2[37]。
- 2012年6月12日をもって閉店。現在はシンコー玉湯店になっている。[独自研究?]
- 鳥取東店[要出典]
- 2011年3月に閉店しサンマートに営業譲渡。サンマート東店になっていたが[要出典]、2019年8月31日をもって閉店[42]。
- 鳥取西店[要出典]
- 2011年3月に閉店しサンマートに営業譲渡。サンマート西店になっている。[要出典]
- 東出雲店(八束郡東出雲町錦町3-90[43]、?開店)
- 1992年(平成4年)5月22日に売場面積1,550m2で結審した[44]。
- 2016年5月15日をもって閉店。跡地にスーパーマートサンアイ東出雲店が開業したが、のちに閉店。建物の解体後、マックスバリュ西日本が運営するザ・ビッグ東出雲店が開業[要出典][45]。
安来市
[編集]福井県
[編集]- 八光小浜店
- (小浜市四谷町[49]、1976年(昭和51年)9月9日開店[50])
- 売場面積約3,176m2[50]、駐車台数約250台[50]。
- 小浜ショッピングセンターの核店舗として「ママーストア」と共に出店していた[50]。
実現しなかった店舗
[編集]- やよいデパート錦町店
- (米子市錦町3-90[51]、1989年(平成元年)8月15日開店予定[51])
- 鉄筋コンクリート造12階建て[51]・延べ床面積約21,162m2[18][51]、売場面積約6,726m2[18][51]。
過去に存在した関連会社
[編集]- サンイン情報システム株式会社(資本金1250万円[13])
- 丸合グループの事務処理システムの構築・運用[13]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2820
- ^ a b c d e f g 浜岡謙治(2015年8月17日). “丸合・梅林裕暁社長に聞く 「新生まるごう」へ改革推進”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp10
- ^ a b c 『協同組合による協業化事例集 3』 全国中小企業団体中央会、1968年2月1日。pp138
- ^ a b c d e 『協同組合による協業化事例集 3』 全国中小企業団体中央会、1968年2月1日。pp139
- ^ a b c d e f 大矢幸雄 “鳥取県淀江町における大規模小売店舗の成立”. 島根地理学会誌 第25号 (島根地理学会) (1989年3月31日).pp8
- ^ a b 『協同組合による協業化事例集 3』 全国中小企業団体中央会、1968年2月1日。pp140
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『協同組合による協業化事例集 3』 全国中小企業団体中央会、1968年2月1日。pp141
- ^ a b c d e 『食品工業総合名鑑 1964年版』 光琳書院、1964年4月28日。pp31-6
- ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 昭和39年版 上巻』 信用交換所大阪本社、1965年2月20日。pp1175
- ^ a b 長田寿夫 『多様化時代における共同組合の役割』 中小企業と組合 1978年4月号 (全国中小企業等協同組合中央会) (1978年4月)。pp13
- ^ a b c d 『鳥取県議会史 別巻』 鳥取県議会、1975年3月31日。 pp222
- ^ 『激動の世代"昭和"グラフと写真で綴る64年間の軌跡』 山陰の経済 1989年3月号 (山陰経済経営研究所) (1989年2月)。pp39
- ^ a b c d 松岡輝行 宅野雅夫 『小売業界における応用 サンイン情報システム株式会社の例』 日本電気技報 1977年4月号 (日電図書) (1977年4月25日)。pp52
- ^ a b 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp38
- ^ a b 町田成一 “「4」丸合(鳥取) 協同組合の柔軟な組織体質を強い意志力で結束させ「お客のかゆいところに手のとどく商売」をめざす”. 食品商業 1987年2月号 (商業界) (1987年2月).pp101-104
- ^ a b 『日本列島・ライフ・四方山話 (C)資源サイクルに意欲的なスーパー(鳥取)』 経済ライフ 1991年5月号 (国連経済社) (1991年5月)。pp81
- ^ “中国地区小売流通特集 丸合(鳥取県)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年6月28日). pp13
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp44
- ^ a b c d 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp302
- ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年11月10日。pp642
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp334
- ^ a b c 「総力特集 2017年全国大型小売業現況レポート 全国縦断取材 問われる新しい価値提供と新百貨店モデル構築への「攻め」と「守り」の構造改革 米子 官民一体で中心市街地をコンパクトシティ化へ」『ストアーズレポート』2017年6月号
- ^ a b c 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp46
- ^ 鳥取マガジン (2016年8月3日). “[米子丸合河崎店が9月1日で閉店!]”. 鳥取マガジン. 2023年8月1日閲覧。
- ^ a b c 鳥取マガジン (2019年5月27日). “[米子市丸合の成実店が閉店予定。]”. 鳥取マガジン. 2023年8月1日閲覧。
- ^ “屎尿浄化槽性能評定完了物件 日本建築センター”. 生活排水 1993年11月号 (月刊生活排水社) (1993年11月1日).pp34
- ^ 鳥取マガジン (2022年7月3日). “[オープン「まるごう 成実店」があった場所にローソンができました]”. 鳥取マガジン. 2023年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年11月10日。pp643
- ^ 『鳥取県年鑑 1967年版』 日本海新聞社、1966年12月1日。pp415
- ^ “銀行異動状況・3月”. 金融財政事情 1978年10月23日号 (金融財政事情研究会) (1978年10月23日).pp64
- ^ “境港の老舗SC「パティオ」 来月末で閉店”. 日本海新聞 (日本海新聞社). (2018年8月21日)
- ^ a b 鳥取マガジン (2023年4月19日). “【境港市】まるごう高松店が閉店予定”. 鳥取マガジン. 2023年8月1日閲覧。
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp303
- ^ 大矢幸雄 “鳥取県淀江町における大規模小売店舗の成立”. 島根地理学会誌 第25号 (島根地理学会) (1989年3月31日).pp3
- ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp336
- ^ 大矢幸雄 “鳥取県淀江町における大規模小売店舗の成立”. 島根地理学会誌 第25号 (島根地理学会) (1989年3月31日).pp9
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp1480
- ^ “銀行異動状況・1月”. 金融財政事情 1977年8月29日号 (金融財政事情研究会) (1977年8月29日).pp57
- ^ 『中国年鑑 昭和49年版』 中国新聞社、1973年11月10日。 pp93
- ^ “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp87
- ^ a b c d 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp39
- ^ “サンマート東店が8月31日(土)閉店。29日から閉店セール開催”. とっとりずむ (2019年8月27日). 2023年8月1日閲覧。[出典無効]
- ^ “届出情報”. ショッピングセンター 1991年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年9月1日).pp77
- ^ 『経済日誌』 山陰の経済 1992年7月号 (山陰経済経営研究所) (1992年7月)。pp52
- ^ 株式会社ロジスティクス・パートナー. “マックスバリュ西日本/島根県に初出店「マックスバリュ川跡店」「ザ・ビッグ東出雲店」”. 流通ニュース. 2023年8月1日閲覧。[出典無効]
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp305
- ^ 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp165
- ^ 安来商工会議所記念誌編集委員会『商工業古今と二十年の步み』 安来商工会議所、1975年。pp111
- ^ 小浜市史編纂委員会 『小浜市史 年表・総目次・通史編索引』 小浜市、1998年8月30日。pp108
- ^ a b c d 小浜市史編纂委員会 『小浜市史 通史編 下巻』 小浜市、1998年3月30日。pp638
- ^ a b c d e “届出情報”. ショッピングセンター 1988年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1988年10月1日).pp60
広報・プレスリリースなど一次資料