赤碕町
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あかさきちょう 赤碕町 | |||||
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廃止日 | 2004年(平成16年)9月1日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 東伯町・赤碕町→琴浦町[1] | ||||
現在の自治体 | 琴浦町[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 鳥取県 | ||||
郡 | 東伯郡 | ||||
市町村コード | 31369-6 | ||||
面積 | 57.66 km2 | ||||
総人口 |
8,344人 (2000年) | ||||
隣接自治体 | 東伯町・中山町 | ||||
町の木 | 船上山五葉 | ||||
町の花 | ナシ | ||||
赤碕町役場 | |||||
所在地 |
〒689-2501 鳥取県東伯郡赤碕町赤碕1142-3 | ||||
外部リンク | 赤碕町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯35度30分55秒 東経133度38分17秒 / 北緯35.51533度 東経133.63806度座標: 北緯35度30分55秒 東経133度38分17秒 / 北緯35.51533度 東経133.63806度 | ||||
特記事項 | 座標は現在の分庁舎の位置である。 | ||||
ウィキプロジェクト |
赤碕町(あかさきちょう)は、かつて鳥取県の中部に存在した町である。東伯郡に属した。
2004年(平成16年)9月1日に合併により琴浦町となった[1]。
町役場は琴浦町役場分庁舎として使用されたが、後に移転した。本項では町制施行前の名称である赤崎村(あかさきむら)についても述べる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、八橋郡赤崎宿・松谷村・別所村の区域をもって赤崎村が発足。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 赤崎村の所属郡が東伯郡に変更。
- 1900年(明治33年)3月27日 - 赤崎村が町制施行して赤碕町となる。
- 1914年(大正3年)11月1日 - 大字赤碕町を赤碕に「赤碕町大字○○村」から大字の「村」を削除し、「赤碕町大字○○」と改称[2]。
- 1954年(昭和29年)1月1日 - 成美村・安田村・以西村と合併し、改めて赤碕町が発足。
- 2004年(平成16年)9月1日 - 東伯町と合併して琴浦町が発足[1]。同日赤碕町廃止。
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]港湾
[編集]- 赤碕港
娯楽
[編集]- 成美館(〜昭和30年代) - 映画館[4]。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 川瀬慎一朗(2014年11月6日). “検証・合併10年:鳥取市の今/6止 単独の智頭 知恵出し活路”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年10月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 琴浦町発足後の2014年に閉校。成美小学校・安田小学校・以西小学校が統合され、琴浦町立船上小学校となった。
- ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。同文献を出典とする1960年の映画館(中国地方)「消えた映画館の記憶」を参照した
- ^ 地名を知る 琴浦を知る 『 (4) 赤碕(あかさき)』 広報ことうら 2019年12月号