清見屋
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 千葉県佐原市佐原イ611[1][2](現・香取市) |
設立 | 1948年(昭和23年)9月24日[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店の経営 |
資本金 |
30万円(設立時)[3] ↓ 500万円[1] ↓ 1245万円[2] |
売上高 | 56億3000万円(1985年(昭和60年)8月期)[2] |
営業利益 | 1億2724万円(1985年(昭和60年)8月期)[2] |
決算期 |
6月[1] ↓ 8月[2] |
株式会社清見屋(せいみや)は、かつて千葉県佐原市(現・香取市)で百貨店の佐原ショッピングプラザ清見屋(さわらショッピングプラザせいみや)を経営していた企業。
佐原ショッピングプラザ清見屋はJR成田線佐原駅近くにあった。
茨城県潮来市を中心とする茨城県と千葉県にスーパーマーケット「セイミヤ」は1887年(明治20年)に漬物店として創業した企業である[4]。
来歴
[編集]創業
[編集]佐藤新兵衛の次男の治兵衛が佐原の下宿イ611で独立したのが始まりである[5]。
1883年(明治16年)に清宮甚兵衛が[3]家業を継承した[6]。
1948年(昭和23年)頃までは常に5人以上の丁稚を抱えていた[7]。
1948年(昭和23年)9月24日に[1]資本金30万円で「株式会社清見屋呉服店」を設立して法人化した[3]。
1957年(昭和32年)9月に佐原市佐原イ514に洋品雑貨と既製服を扱う支店を開設した[3]。
1971年(昭和46年)9月に「株式会社清見屋」へ商号を変更し[1][2]、同年10月に[1][2]まだ倉庫が多かった国鉄成田線佐原駅南口に大型店を開店させた[7]。
1978年(昭和53年)には店舗の改築を行い、洋品売場の面積を呉服売場よりも増やした[7]。1979年(昭和54年)には近くに十字屋佐原店も開店し、清見屋と十字屋は佐原駅前の繁栄の原動力となった[7]。
閉店・跡地
[編集]1997年(平成9年)には同じく佐原駅前の十字屋佐原店が閉店[8]。2004年(平成16年)2月、自己破産により閉店となった[9]。閉店後の跡地には[10]、2022年(令和4年)12月25日にみんなの賑わい交流拠点コンパスがオープンした[広報 1]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『全国繊維企業要覧 昭和51年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1975年9月15日。pp1208
- ^ a b c d e f g h i 『全国繊維企業要覧 昭和64年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1988年9月20日。pp1744
- ^ a b c d 『日本纖維商社銘鑑 昭和34年版』 東京信用交換所、1959年3月10日。pp823
- ^ 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン25周年記念誌編集委員会 『風車と共に 主婦の店運動25年』 主婦の店スーパーマーケット全国チェーン、1982年4月16日。pp148-151
- ^ 平柳翠 『佐原騒擾の真相 水戸家騒動天狗派余聞 南山高橋善左衛門秀一伝』 佐原興業、1962年11月1日。pp220
- ^ 平柳翠 『佐原騒擾の真相 水戸家騒動天狗派余聞 南山高橋善左衛門秀一伝』 佐原興業、1962年11月1日。pp221-222
- ^ a b c d 林慶澤「日本の地方都市における商家の家業と社会的関係 千葉県佐原市の事例分析」博士論文、1998年
- ^ “十字屋 佐原、八千代店を閉鎖”. 千葉日報(千葉日報社). (1997年10月1日). pp5
- ^ “破産宣告の清見屋 商品券の一部返還 千葉財務事務所”. 千葉日報(千葉日報社). (2004年4月9日). pp4
- ^ “佐原駅複合施設に65・7億円 香取市補正予算 年内に一般競争入札公告 北口バス拠点は用地測量”. 日刊建設タイムズ (日刊建設タイムズ社). (2019年11月21日)
広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ “みんなの賑わい交流拠点コンパス(KOMPAS)オープニングセレモニーを開催します”. 香取市 (2022年12月19日). 2024年3月27日閲覧。