東日本橋
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東日本橋 | |
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東日本橋駅付近 | |
北緯35度41分36.16秒 東経139度47分10.93秒 / 北緯35.6933778度 東経139.7863694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
人口 | |
• 合計 | 5,628人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
103-0004[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
東日本橋(ひがしにほんばし)は、東京都中央区の町名。現行行政地名は東日本橋一丁目から東日本橋三丁目。郵便番号は103-0004[2]。
概要
[編集]日本橋地域の北東に位置し、台東区(浅草橋・柳橋)・墨田区(両国)との区境に当たる。清洲橋通りを挟み、西側は問屋街、東側は商業地と住宅地が混在する区域である。日本橋久松町に所在する久松警察署、日本橋兜町に所在する日本橋消防署の管轄に当たる。清杉通りを挟み、西側は問屋街、東側は事業所と住宅とが混在している。
河川・橋梁
[編集]歴史
[編集]現在の東日本橋に当たる区域は、江戸開府以来交通の要所として栄え、歓楽街であった。史跡も数多く残る。明治時代までは薬研堀があり、その大川口には元柳橋が架けられていた。古典落語などに度々登場する伝統的な区域である。近世以前の「両国」は隅田川西岸の大橋西詰に当たるこの付近を指していた。かつては両国広小路が置かれていた地であり、現在は記念碑が設置されている。現在の中央区日本橋地域、東京市時代の日本橋区が公的に日本橋と呼称される以前から、「日本橋」の名称と共に「両国」の名称が頻繁に使われていた。大元の両国であることを表す「元両国」という呼称もある。
1971年(昭和46年)4月、日本橋村松町・日本橋若松町・日本橋矢ノ倉町・日本橋薬研堀町・日本橋米沢町(以上現:東日本橋一丁目)、日本橋両国(現:東日本橋二丁目)、日本橋橘町(現:東日本橋三丁目)を併せ住居表示を行い新町名・東日本橋が成立した。東日本橋という地名は、この際に命名されたものである[4]。
沿革
[編集]- 1657年(明暦3年)- 明暦の大火の教訓を生かし、両国広小路が整備される。
- 1903年(明治36年)- 薬研堀が完全に埋め立てられる。
- 1962年(昭和37年)5月31日 - 都営地下鉄1号線(現在の浅草線)の駅として東日本橋駅が開業。
- 1971年(昭和46年)4月 - 住居表示の実施により東日本橋が成立。
旧町名
[編集]- 現1丁目
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- 現2丁目
- 日本橋両国
- 現3丁目
- 日本橋橘町
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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東日本橋一丁目 | 706世帯 | 1,148人 |
東日本橋二丁目 | 1,361世帯 | 2,343人 |
東日本橋三丁目 | 1,273世帯 | 2,132人 |
計 | 3,340世帯 | 5,628人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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東日本橋一丁目 | 全域 | 中央区立久松小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
東日本橋二丁目 | 全域 | ||
東日本橋三丁目 | 全域 |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]- 都営バス秋26 東日本橋駅前(葛西駅行)
- 中央区コミュニティバス北循環 馬喰横山駅
道路
[編集]- 国道6号(江戸通り)
- 東京都道302号新宿両国線(靖国通り) - 本線の終点に当たる。
- 清杉通り
- 清洲橋通り
施設
[編集]- 教育
- 公園
- 中央区立千代田公園
- 企業
- 社寺
- 旧跡