さくら屋
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒326-0814 栃木県足利市通3丁目2600番地[3] ↓ 栃木県足利市通4丁目2573番地[4] |
設立 |
1952年(昭和27年)4月26日[1] (創業1950年(昭和25年)10月[3]) |
業種 |
百貨店[1] ↓ 不動産業[4] |
法人番号 | 2060001018661 |
事業内容 | 土地及び住宅、アパート・マンション等の不動産仲介および総合管理 |
代表者 | 代表取締役 島田 將行 |
資本金 |
150万円(設立時)[3] ↓ 500万円(1961年(昭和36年)10月)[3] ↓ 5000万円(1968年(昭和43年)3月)[3] |
売上高 |
5000万円[2] ↓ 16億円(1968年(昭和43年))[5] |
従業員数 |
21[2] ↓ 280[5] ↓ 8[4] ↓ 20名(2024年現在) |
決算期 |
2月[1]
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外部リンク | https://www.sakuraya.co.jp/ |
さくら屋[6] SAKURAYA | |
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「さくら屋」の入っていた建物。現在は解体済み | |
店舗概要 | |
所在地 | 栃木県足利市通3丁目2600番地[6] |
開業日 | 1967年(昭和42年)11月27日[5] |
敷地面積 | 1,100 m²[3] |
延床面積 | 7,633 m²[6] |
商業施設面積 | 5,858 m²[6] |
営業時間 | 10:00-18:00[6] |
前身 | 安田銀行足利支店[7] |
後身 |
十字屋足利店[8] ↓ フレッセイ通町店[9] |
最寄駅 | 足利駅 |
さくら屋(さくらや)は、栃木県足利市にかつて存在した日本の百貨店[8]。 両毛地区初の百貨店法に基づいた百貨店で[8]、開業初日には当時の足利の商店街が史上最高の人出となった[5]。 1970年(昭和45年)4月に十字屋に営業権を譲渡して従業員も全て移籍し、不動産会社に転換した[10]。
概要
[編集]1950年(昭和25年)10月に島田良三郎が衣料品小売店[3]「さくら屋呉服店」を創業し[11]、1952年(昭和27年)4月26日に[1]資本金150万円で[3]「株式会社さくら屋呉服店」として法人化した[1]。
当社に勤めた義弟の和田正毅が独立し[12]、1955年(昭和30年)10月に前橋市に「株式会社さくら屋」を設立して[13]服地小売店を開業した[12]。1961年(昭和36年)に前橋に地下1階・地上4階建ての店舗を完成[12]。
同年10月に当社は資本金を500万円に増資し[3]、「株式会社さくら屋」へ商号を変更した[1]。
1963年(昭和38年)10月1日に「株式会社前橋さくらや」を設立して前橋市の「株式会社さくら屋」の婦人服地販売業を継承させ、不動産管理の「株式会社さくらや本社」と分離[12]。
1967年(昭和42年)4月に百貨店法の許可を得て、同年9月に「さくら屋商事株式会社」を設立して桐生店を分離独立[3]。
当時の足利市の中央商店街は幅10mに満たず通2丁目以西が一方通行となっており、国道の拡幅と防災建築街区の造成が並行して進められることになった[8]。それに伴って当社は総工費約5億6000万円を投じて鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階建て・一部8階建ての店舗を建設し[5]、両毛地区初の百貨店法に基づいた百貨店を[8]1967年(昭和42年)11月27日に開業[5]。 この開業初日には、商店街に当時としては史上最高の買い物客が押し寄せ、花火大会並みの混雑となった[5]。 その後も順調に買い物客を集めて売上を伸ばして足利の商店街の各店舗として機能し、近隣の商店の売上も伸ばした[5]。
1968年(昭和43年)3月に資本金を5000万円に増資し[3]、同年には売上高約16億円を上げた[5]。
しかし、1968年(昭和43年)に「藤五ストア」足利店が開店し[8]、1932年(昭和7年)7月15日に「丸高均一店」として開店[14]以来足利市民に親しまれていた髙島屋ストアが1969年(昭和44年)に高層化[8]。 同年7月13日に永楽町の「丸足足利海陸物産市場」跡にキンカ堂[注 1]が進出することが明らかになったが、当時は疑似百貨店として進出を規制できない状況であった[8]。
この状況で、さくら屋単独での百貨店経営では先行き不透明の公算が大きいことから[5]、従業員及び全商品も十字屋が引受ける形で百貨店の営業権を譲渡することを[10]、同年11月に発表した[5]。
1970年(昭和45年)4月に十字屋に営業権を譲渡して従業員も全て移籍し、「株式会社さくら屋」は不動産業に転換した[10][注 2]。
1993年(平成5年)の十字屋閉店後はしばらく廃墟となっていたが、建物は解体され更地となって足利まちづくりがパサージュ形式のイベント店舗スペースとイベントスペース (足利ドーム) を設置したビューティフル アシカガ・スクエアが2000年(平成12年)11月から2001年(平成13年)1月に開設されて足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けて各種イベントを行った[9]。 2003年(平成15年)5月に当店跡地にフレッセイ通町店が開店[9]。
年表
[編集]- 1950年(昭和25年)10月 - 島田良三郎が衣料品小売店[3]「さくら屋呉服店」を創業[11]。
- 1952年(昭和27年)4月26日[1] - 資本金150万円で[3]「株式会社さくら屋呉服店」として法人化[1]。
- 1955年(昭和30年)10月 - 義弟の和田正毅が独立し[12]、前橋市に「株式会社さくら屋」を設立[13]。
- 1961年(昭和36年)
- 1967年(昭和42年)
- 1967年(昭和42年)11月27日[5] - 両毛地区初の百貨店法に基づいた百貨店を開業[8]。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)4月 - 十字屋に営業権を譲渡して従業員も全て移籍し、「株式会社さくら屋」は不動産業に転換[10]
- 1993年(平成5年)12月末日 - 十字屋足利店が閉店[16]
- 2003年(平成15年)5月 - 当店跡地にフレッセイ通町店が開店[9]。
開店時のフロアガイド
[編集]鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階建て・一部8階建てで[5]、6階には屋上遊園地・7-8階には喫茶店や子供用ジム・展望台を備えた。上りエスカレーター、エレベーター3機が設置されており、屋上遊園地の観覧車も当時としては珍しく子供たちに人気だった。[要出典]
- 8階 展望台、喫茶、アイスクリーム、お子様ジム[要出典]
- 7階 ギャラリー、お茶・お花・人形教室、展覧会場[要出典]
- 6階 ゲームセンター、熱帯魚、小鳥、お子様乗り物、プレイランド[要出典]
- 5階 大食堂、中華和洋食、寿司、甘味「さくらんぼ」、喫茶、宴会場、写真、スタンド、両毛名店街[要出典]
- 4階 家庭用品、和洋陶器、漆器、美術工芸品、おもちゃ、乗り物、和洋人形、書籍、レコード[要出典]
- 3階 ベビー子供服、寝具、インテリア、京呉服、実用呉服、高級和装履物[要出典]
- 2階 紳士服、ヤングメンコーナー、ワイシャツ、婦人服、デザイン室、婦人服地[要出典]
- 1階 婦人服、婦人子供服、紳士婦人用品、雑貨、化粧品、煙草[要出典]
過去に存在した店舗・事業所
[編集]過去に存在した関連会社
[編集]- 桐生支店を分離独立させた会社[3]。
- 不動産管理会社の「株式会社さくらや本社」と婦人服地販売業を分離するために設立された[12]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1996
- ^ a b c 『日本会社録 第3版』 交詢社出版局、1963年11月15日。ppさ8
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1620
- ^ a b c 『下野年鑑 1983年版』 下野新聞社、1983年5月25日。pp356
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日。 pp962-963
- ^ a b c d e 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパート・ニューズ社、1968年5月15日。pp262
- ^ 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日。 pp140
- ^ a b c d e f g h i 足利市史編さん委員会 『近代足利市史 第2巻 通史編』 足利市、1978年1月20日。 pp1276
- ^ a b c d 米浜健人. “旧まちづくり三法下における地方都市中心市街地活性化の実情と課題 栃木県足利市を例として”. 早稲田大学学術研究 地理学・歴史学・社会科学編 第58号 (早稲田大学 教育学部) (2010-2).
- ^ a b c d “着々と進むデパートの系列化問題 流通産業を生み出し得るか”. 東邦経済1970年4月号 (東邦経済社) (1970年4月).pp66
- ^ a b 『産経日本紳士年鑑 第7版 上』 産経新聞社、1967年11月。ppさ131
- ^ a b c d e f g h i j k 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2082-2083
- ^ a b c d e f 『帝国銀行・会社要録 第40版』 帝国興信所、1959年。pp群馬県8
- ^ 高島屋135年史編集委員会 『高島屋135年史』 高島屋、1968年9月。 pp263
- ^ 新足利風土記編纂会 『目でみる新足利風土記』 国書刊行会、1985年9月26日。 pp58
- ^ “東西南北”. 商業界 1994年1月号 (商業界) (1994年1月).pp32-35
- ^ a b c 『日本会社録 第6版』 交詢社出版局、1968年11月20日。ppさ16