アブアブ赤札堂
ABAB上野店 アブアブ赤札堂本部 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒110-8541[3] 東京都台東区上野4丁目8番4号[1][2] |
設立 | 1932年(昭和7年)1月20日[4] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9010501000431 |
事業内容 | 生鮮、一般食品、実用衣料品、日用雑貨品の仕入・販売・ファッション衣料品等の小売販売業 |
代表者 | 代表取締役社長 小泉和久[3] |
資本金 | 10億円(2020年2月期) |
売上高 | 295億円(2020年2月期) |
純利益 |
▲8億6443万8000円 (2023年2月期)[5] |
総資産 |
144億9867万5000円 (2023年2月期)[5] |
従業員数 | 870名(男女合計) |
決算期 | 2月[1] |
主要株主 | 小泉グループ株式会社 |
外部リンク | アブアブ赤札堂 トップ ページ |
株式会社アブアブ赤札堂(アブアブあかふだどう)は食品スーパーマーケット「赤札堂」を展開する小売業者である。 東天紅と並び小泉グループの中核企業である[6]。
歴史・概要
[編集]1917年(大正6年)10月28日に[7]東京市深川区(現在の東京都江東区)門前仲町に小泉清一・つね夫妻が赤札堂洋品店として[8]小さな衣料品店を開いたのが始まりである[9]。この店名は、当時の鉄道切符が三等が赤だったことと、多くの商店が売出しなどの割引の時だけ赤い値札を使っていたことを掛けたもので、「三等切符で一等のお買い物」というイメージを訴えるものとなっていた[9]。
1932年(昭和7年)1月20日に東京市深川区門前仲町1-3-3に小泉通音を無限責任社員として「(初代)合資会社赤札堂洋品店」を設立し[4]、1939年(昭和14年)2月25日に東京市深川区門前仲町1-3-3に小泉清一と北村吉造を代表責任社員として「(2代目)合名会社赤札堂洋品店」を設立した[10]。
しかし、主力の衣料品が戦時統制の対象となったことから、1943年(昭和18年)に閉店することになった[9]。そして、閉店時にあった在庫の商品や家財道具を疎開先の長野県に運んで保管し、戦後に備えた[11]。
1945年(昭和20年)3月に深川の赤札堂洋品店が戦火で焼失した[8]。だが、疎開先の長野で戦時中から建築資材を入手しており[12]、戦後すぐに上京して疎開先に保管してい在庫や家財道具を売って土地を入手し[11]、同年10月28日に[11]上野広小路の四つ角の一角に間口3間で約10坪の平屋建ての店舗を開店して衣料品や下駄などの販売を行って営業を再開した[12]。この上野の店が非常に繁盛したことから[12]、その利益で上野のみならず浅草・新宿・深川・小石川などの目抜き通りの土地を取得していった[13]。
1955年(昭和30年)には「同じ品なら必ず安い」をキャッチコピーとしていたが、1957年(昭和32年)には「予算半分二倍のおしゃれ」となり、1963年(昭和38年)には「おしゃれは赤札堂」と変化させ、安さからおしゃれへイメージの転換を図っていった[14]。
この間の1957年(昭和32年)3月26日に「上野観光温泉株式会社」を設立し[15]、同年12月5日に「(3代目)株式会社赤札堂」を設立して[16]営業部門を継承し[17]、同月に「(2代目)合資会社赤札堂」は小泉合資会社と商号を変更して[18]不動管理会社となった[17]。
1959年(昭和34年)3月に上野店の改築工事を開始して1959年(昭和34年)10月に地下2階地上6階建ての建物が完成し[19]、地下1階から地上3階までを売り場として[19]日本初のS.S.D.D.S(セルフサービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)を開店した[20]。なお、上野店4階にゴールデンストアとして95円均一のを開店した[21]。
1960年(昭和35年)9月にチェーン展開を目指して「株式会社赤札堂チェーン」を設立した[22]。この頃にはイトーヨーカ堂やキンカ堂と共に繁盛店御三家として知られていた[23]。
1962年(昭和37年)6月に扇屋・ダイエー・ベニマルなどと「大量仕入機構」を設立したが、参加企業からの役員のみで常勤役員がおらず、従業員も出向社員のみで、メーカーや銀行やメーカーの協力も得られなかったことから、目標の約8%の売上に留まった[19]。
1963年(昭和38年)8月に「小泉不動産株式会社」を設立して不動産事業に参入し[24]、同年9月13日に[25]不二家と共同出資で「株式会社サンマート」を設立した[26]。
1964年(昭和39年)5月1日にAマート1号店として深川店を開店し[27]、同年10月に上野店の増築工事が完成して[28]地上7階建て一部9階建てとして規模を倍増させ[29]、同月に呉服・子供服部門を独立させて「株式会社モンマート」の営業を開始した[30]。
1965年(昭和40年)12月1日にコンピューターを導入[31]。1966年(昭和41年)11月には株式会社ノーベル薬品を買収して医薬品販売を開始し[30]、1967年(昭和42年)1月11日に本部集中仕入れに変更した[32]。
上野店に若い客層が増えてきたことから95円均一売場や特売場を廃止してムード陳列によるファッション中心の売場に改装し[33]、1970年(昭和45年)10月18日にファッション専門館へ業態転換してファッションアイランド「アブアブ」として新装開店した[34]。
1968年(昭和43年)12月1日に当社が55%・ブルーチップスタンプが45%を出資して資本金500万円で「レッドチップ株式会社」を設立してスタンプ事業を開始し[35]、1969年(昭和44年)4月16日に深川ショッピングセンターを開店した[36]。
1970年(昭和45年)4月26日にソフトウェア会社「ユービーシー」の営業を開始して[37]、同年9月19日に西友ストアーと折半出資でボウリング場運営会社を設立し[38]、同年10月18日に上野店をファッション専門館へ業態転換してファッションアイランド「アブアブ」として新装開店した[34]。
1971年(昭和46年)2月22日に[39]「(4代目)株式会社アブアブ赤札堂」に設立して「(3代目)株式会社赤札堂」の営業を継承した[17]。 同月に「株式会社ゼネラルメンテナンス」を設立して[40]同年8月1日に常駐警備や保安業務を開始した[41]。
1972年(昭和47年)1月に「赤札堂グループ」を「小泉グループ」へ名称を変更し[40]、1973年(昭和48年)3月に「小川町物流センター」を開設して[42]上野店への配送車両を約80%削減した[43]。
1976年(昭和51年)3月13日に「株式会社エーマート」を設立して食品スーパーの出店を進め[44]、1980年(昭和55年)2月に「株式会社エーマート」を吸収合併した[17]。
その間の1979年(昭和54年)3月に浦安物流センターを開設し[42]、食品を扱うディストリビューションセンター型の物流拠点とした[43]。
1982年(昭和57年)9月10日にファッション専門店からヤングファッション専門店に絞り込んむ改装を行って[45]、上野店の全フロアに[46]オンラインによるサイレスのカード決済端末を導入し[47]、ライフと提携してクレジットカード「ライフ·ABABカード」の発行を開始した[46]。
1983年(昭和58年)4月に17店舗で電話注文による販売を開始した[48]。
1988年(昭和63年)11月16日にはロゴマークなども一新して上野店を全面的に改装した[49]。また、台湾に資本金96万7000ドルで輝泉企業股份有限公司を設立し[50]、1988年(昭和63年)に店舗面積約500m2の2店舗を出店した[51]。しかし、1991年(平成3年)に撤退した[51]。
2000年代になると、アブアブ上野店にユニクロやダイソーを導入して、近隣客の利便性向上を図った[52]。
2023年(令和5年)5月末にアブアブ上野店地下1階の赤札堂食品館を閉店し[53]、2024年(令和6年)6月30日にアブアブ上野店を閉店した[52]。
沿革
[編集]- 1917年(大正6年)10月28日[7] - 東京市深川区(現在の東京都江東区)に赤札堂洋品店として創業[1]
- 1932年(昭和7年)1月20日 - 東京市深川区門前仲町1-3-3に小泉通音を無限責任社員として「(初代)合資会社赤札堂洋品店」を設立[4]。
- 1939年(昭和14年)2月25日 - 東京市深川区門前仲町1-3-3に小泉清一と北村吉造を代表責任社員として「(2代目)合名会社赤札堂洋品店」を設立[10]。
- 1945年(昭和20年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)6月 - 「株式会社ゴールデンストア」を設立[54]。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)12月1日 - コンピューターを導入[31]。
- 1966年(昭和41年)11月 - 「株式会社ノーベル薬品」を買収し、医薬品販売を開始[30]。
- 1967年(昭和42年)1月11日 - 本部集中仕入れに変更[32]。
- 1968年(昭和43年)12月1日 - 当社が55%、ブルーチップスタンプが45%を出資して資本金500万円で「レッドチップ株式会社」を設立し、スタンプ事業を開始[35]。
- 1969年(昭和44年)4月16日 - 深川ショッピングセンターを開店[36]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)1月 - 「赤札堂グループ」を「小泉グループ」へ名称を変更[40]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 「小川町物流センター」を開設[42]。
- 1975年(昭和50年) - 「株式会社キャビン」と業務提携[17]。
- 1976年(昭和51年)3月13日 - 「株式会社エーマート」を設立[44]。
- 1979年(昭和54年)3月 - 浦安物流センターを開設[42]。
- 1980年(昭和55年)2月 - 「株式会社エーマート」を吸収合併[17]。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)4月 - 17店舗で電話注文による販売を開始[48]。
- 1988年(昭和63年)
- 1991年(平成3年) - 台湾から撤退[51]。
- 1995年(平成7年)4月28日 - アブアブ上野店7階にHMV上野が開店[55]。
- 2024年(令和6年)6月30日 - アブアブ上野店を閉店[52]。
店舗
[編集]赤札堂
[編集]東京都内のみの展開で2023年4月20日現在、9店舗展開している[56]。
かつて存在した店舗ブランド
[編集]- エーマート(Aマート) - 食品スーパー[44]。
- アブアブ(ABAB) - ファッション専門店[57]。
かつて存在した店舗
[編集]東京都
[編集]江東区
[編集]- (2代目)深川店(東京都江東区門前仲町1[58])
台東区
[編集]墨田区
[編集]新宿区
[編集]- (2代目)新宿店(東京都新宿区新宿3-30-11[70]、1975年(昭和50年)4月開店[71] - 1977年(昭和52年)6月閉店[72])
- 新宿のメインストリートに出店していたレディースファッション専門店[73]。
荒川区
[編集]中央区
[編集]その他23区
[編集]
三多摩
[編集]神奈川県
[編集]千葉県
[編集]- (2代目)アブアブ船橋店[39](千葉県船橋市浜町2-1-1[102] ららぽーとTOKYO-BAY専門店モール2階[103]、1981年(昭和56年)4月2日開店[102] - 2021年1月25日閉店)
埼玉県
[編集]栃木県
[編集]- アブアブ小山店[39](栃木県小山市本郷町3-6-50 キンカ堂小山店[108]、1987年(昭和62年)10月開店[2] - ?閉店)
- 店舗面積104m2[2]
- ラブミー宇都宮店(栃木県宇都宮市駅前通り1-4-6 トナリエ1F、?開店 - 2021年1月11日閉店)
群馬県
[編集]茨城県
[編集]新潟県
[編集]愛知県
[編集]海外
[編集]過去に存在した事業所
[編集]- 小川町物流センター(千代田区神田小川町1-10 日本通運小川町支店内[114]、1973年(昭和48年)3月開設[42])
- 浦安物流センター(千葉県東葛飾郡浦安町猫実1153[42]、1979年(昭和54年)3月開設[42])
過去に存在した関連会社
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp224
- ^ a b c d e 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 104-105
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 118-120
- ^ a b c d “商業登記”. 官報 第1648号 (大蔵省印刷局) (1932年6月29日).pp32
- ^ a b 株式会社アブアブ赤札堂 貸借対照表の要旨[出典無効]
- ^ “若き総帥の〝カジ取り〟が気になる小泉グループ その成否を握る東天紅、小泉A・L・Sの行くえ”. 実業往来 1977年11月号 (実業往来社) (1977年11月1日).pp34
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- ^ a b “商業登記”. 官報 第3743号 (大蔵省印刷局) (1939年6月29日).pp25
- ^ a b c d e 中川秀秋 “五十億円の年間売上げ小売店赤札堂” 高志人 1963年1月号 (高志人社) (1963年1月10日)。pp26
- ^ a b c 小泉一兵衛 『わが宇宙衛星型経営 小泉グループへの招待』 産業能率短期大学出版部、1975年8月25日。 pp14
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- ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 1974年版』 東京信用交換所、1974年1月1日。pp14
- ^ a b c d 中川秀秋 “五十億円の年間売上げ小売店赤札堂” 高志人 1963年1月号 (高志人社) (1963年1月10日)。pp27
- ^ 吉田貞雄 『商魂 小売のロマンに賭ける男たち』 ダイヤモンド社、1984年3月30日。 pp226
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- ^ 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1969年9月15日。pp10
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参考文献
[編集]- 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』東洋経済新報社、2008年7月28日。