「第3回衆議院議員総選挙」の版間の差分
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2020年8月20日 (木) 00:38時点における版
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第3回衆議院議員総選挙(だい3かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1894年(明治27年)3月1日に行われた日本の帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
第2回衆議院議員総選挙において選挙干渉を指揮したとされて失脚した内務大臣品川弥二郎は、その後吏党系議員の再結集を図って国民協会を設立した。ところが、この過程で吏党側は分裂して同盟倶楽部のように民党側に奔る集団まで現れた。また、政権も第1次松方内閣から第2次伊藤内閣に移ると、前政権を支持していた国民協会内部には伊藤内閣への不満が高まってきた。一方の民党側でも藩閥が譲歩するなら妥協も考慮するとした自由党と藩閥と徹底的に争う姿勢を見せた立憲改進党の間で対立が見られるようになった。
伊藤内閣は外務大臣陸奥宗光の元で先に治外法権の解消を図る条約改正をまとめようとしていた。これに対して国民協会の主流派である国粋主義者達は「完全な対等条約以外の条約改正は認めず、安政条約を忠実に履行すべし」とする「条約励行論」を唱えた(安政条約を忠実に履行すれば、外国人は外国人居留地の外への自由な外出が不可能となる)。これに吏党・民党を問わず伊藤内閣に不満を抱く各党派が揃って同調、対外硬派(硬六派)と呼ばれた。同じ頃、自由党から出していた衆議院議長星亨が不正問題を理由に衆議院を除名とされて強引に議長を辞めさせられるという事件が起きた。自由党は星がかつて陸奥の引き立てを受けた人物であることから、これを硬六派に参加している国民協会や立憲改進党の陰謀として激しく反発した。
1893年(明治26年)12月8日、大日本協会主宰者の安部井磐根を中心とした多数派による「条約励行建議案」が提出されると、これを条約改正を葬り去ろうとする謀略であるとした陸奥らの主張によって29日に衆議院本会議での安部井による同案の趣旨説明最中に停会が宣言され、翌30日に衆議院解散が行われた。
この選挙では大規模な選挙干渉こそは避けられたものの、硬六派特に国民協会への圧迫が加えられた。加えて国民協会が吏党が本来持つ与党的色彩を失ったことで有権者の離反を招き、吏党では最多議席を確保したものの、解散前の69から35に激減した。逆に反政府でも前回の干渉で大打撃を受けた自由党は今回の硬六派に参加しなかったことで政府の目下の敵対者とは看做されずに干渉の対象外とされたために、大幅に議席を伸ばした。立憲改進党も硬六派ということで政府の圧迫を受けたものの、前回よりは緩やかであったために揺り戻し効果によって増加した。
自由党も硬六派も過半数を得られなかったことに加えて、自由党も外交政策では政府を支持したものの、政府の緩慢な行政改革に対する批判は依然継続しており、伊藤内閣が明確な支持勢力を議会に持たない状況は全く変わりなかった。そして、わずか3ヶ月後には再度の解散を迎える事になるのである。
選挙データ
内閣
- 第2次伊藤博文内閣(第5代)
解散日
解散名
投票日
- 1894年(明治27年)3月1日
改選数
- 300
選挙制度
- 小選挙区制(一部2人区制)
- 記名投票
- 1人区(単記投票) ‐ 214
- 2人区(連記投票) ‐ 43
- 制限投票
- 直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性
- 有権者 440,113
その他
- 立候補者 729
選挙結果
投票率
- 88.76% (前回比-2.83%)
党派別獲得議席
政党名 | 議席数 | 議席内訳 |
---|---|---|
吏党 | 68 | |
国民協会 | 35 | |
同志倶楽部 | 24 | |
大日本協会 | 9 | |
民党 | 198 | |
自由党 | 120 | |
立憲改進党 | 60 | |
同盟倶楽部 | 18 | |
無所属 | 34 | |
合計 | 300 |
この選挙で当選
自由党 立憲改進党 国民協会 大日本協会 立憲革新党 その他
※神奈川3区は東京府にまたがる選挙区に再編され、東京13区として扱われたため、存在しない。
※立憲革新党は選挙後に同志倶楽部と同盟倶楽部が合併して誕生した政党。
参考文献
- 佐々木隆『藩閥政府と立憲政治』(吉川弘文館 1992年 ISBN 4642036326)