国島博
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国島 博(國島、くにじま ひろし、1852年(嘉永5年10月[1][2]) - 1907年(明治40年)6月16日[2])は、日本の弁護士・政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]名古屋(現・名古屋市)生まれ[1]。代言人となり、名古屋商業学校(現・名古屋市立名古屋商業高等学校)商議員、名古屋市会議員、愛知県会議員、同区部会副議長、新愛知新聞社長となる[2]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において愛知1区から自由党所属で立候補するが落選した[3]。1892年の第2回衆議院議員総選挙は不出馬。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[4]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で落選[5]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して落選[6]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補して落選した[7]。衆議院議員は1期務め、1907年に死去した。