湯浅貞太郎
湯浅貞太郎 ゆあさ さだたろう | |
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生年月日 | 1850年3月30日 |
出生地 |
日本 阿波国勝浦郡田野村 (現・徳島県小松島市) |
没年月日 | 1911年8月16日(61歳没) |
所属政党 |
(立憲改進党→) 自由党 |
選挙区 | 徳島県第1選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1894年 - 1897年12月25日 |
在任期間 |
1889年 - ? 1895年 - 1898年 1901年 - 1904年 1907年 - 1910年 |
在任期間 |
1891年12月25日 - 1894年2月20日 1898年10月18日 - 1909年3月15日 |
徳島県会議員 | |
選挙区 | 勝浦郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1882年6月 - 1890年2月 |
湯浅 貞太郎(湯淺、ゆあさ さだたろう、1850年3月30日(嘉永3年2月17日[1])- 1911年(明治44年)8月16日[2][3])は、日本の政治家。衆議院議員、徳島県勝浦郡小松島町長。
経歴
[編集]阿波国勝浦郡田野村(現徳島県小松島市田野町)で、庄屋湯浅家・4代佐平次の長男として生まれる[3][4]。私塾で学び、漢学、剣術、馬術を修めた[2][5]。
徳島藩主蜂須賀家の家債整理について尽力した[4]。1870年4月(明治3年3月)勝浦郡四番里長に就任し、以後、同郡第二小区用係、学校世話係、地租改正委員総代を歴任[5]。徳島県が高知県に属していた1879年(明治12年)1月から名東郡、勝浦郡各書記を務めた[5]。
1882年(明治15年)に結成された立憲改進党に参加[6]。同年6月、徳島県会議員に当選した[1][2][3][5][7][注釈 1]。1889年(明治22年)小松島村が村制施行し村会議員に選ばれ兵務世話役を務めた[2][3][5][9]。1890年(明治23年)2月、県会議員を退任した[1]。1891年(明治24年)12月25日、小松島村長に就任し1894年(明治27年)2月20日まで在任[2][3][5][10][11]。同年3月、第3回衆議院議員総選挙に徳島県第一区から出馬して当選し、次の第4回総選挙でも当選し、自由党に所属して衆議院議員を2期務めた[2][3][5][7]。1895年(明治28年)に小松島村会議員に再選され1898年(明治31年)まで在任した[12]。
1898年(明治31年)10月18日に小松島村長に再就任し、1908年(明治41年)11月に小松島村が町制施行して同町長となり1909年(明治42年)3月15日まで在任した[2][3][5][10][11]。この間、小松島港修築の実現に尽力した[5]。また、小松島村会議員を1901年(明治34年)から1904年(明治37年)までと、1907年(明治40年)から務め、1908年、町制施行により町会議員となり1910年(明治43年)まで在任した[12]。
その他、阿波国共同汽船副社長、大日本教育会勝浦郡会理事、勝浦郡教育会長、所得税調査委員などを務めた[2][5]。
出典
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 『徳島県議会史 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』697頁。
- ^ a b c d e f g 『衆議院議員略歴』389頁。
- ^ a b 『小松島市史 : 旧小松島町の巻』42頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『地方発達史と其の人物 四国之巻』勝浦郡之部8頁。
- ^ 『徳島県史』第5巻、67頁。
- ^ a b 『小松島市史 : 旧小松島町の巻』47頁。
- ^ 『小松島市史 中巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『小松島市史 : 旧小松島町の巻』48頁。
- ^ a b 『小松島市史 : 旧小松島町の巻』39頁。
- ^ a b 『小松島市史 中巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『小松島市史 : 旧小松島町の巻』49頁。
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 徳島県史編さん委員会編『徳島県史』第5巻、徳島県、1966年。
- 小松島市役所編『小松島市史 : 旧小松島町の巻』小松島市役所、1952年。
- 東江鈴木善作編著『地方発達史と其の人物 四国之巻』郷土研究社、1942年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。