天埜伊左衛門
表示
天埜 伊左衛門(伊左衞門、あまの いざえもん、1854年1月27日(嘉永6年12月29日[1])- 1930年(昭和5年)8月28日[2][3])は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員、愛知県知多郡亀崎町長。
経歴
[編集]尾張国知多郡乙川村[4](愛知県[2]知多郡乙川村、亀崎町[3]を経て現半田市亀崎町)で、先代・天埜伊左衛門の長男として生まれた[1]。1869年(明治2年6月)家督を相続した[1]。酒造業を営む[2][3]。私塾を設け郷土の子弟の教育に尽くした[2][3]。
乙川村戸長となる[注釈 1]。1884年(明治17年)愛知県会議員に選出され[2][3][4]1892年(明治25年)まで在任[4]。1889年(明治22年)亀崎町長に就任[2][3][4]。所得税調査委員、亀崎教育会長も務めた[2][3][4]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(愛知県第7区)で初当選し[4][5]、その後、第4回総選挙まで再選され[5][6]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。
実業界では、知多郡商業会議所会頭、愛知県連合酒造組合会頭、亀崎銀行頭取、日本安全油取締役、東洋汽船重役などを務めた[1][2][3][4]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1890年7月、無所属)次点落選[5]
- 第2回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1892年2月、中央交渉会)当選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1894年3月、立憲革新党)当選[5]
- 第4回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1894年9月、立憲革新党)当選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1898年3月、進歩党)次点落選[6]
- 第6回衆議院議員総選挙(愛知県第7区、1898年8月、憲政本党)次点落選[6]
- 第7回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、1902年8月、憲政本党)落選[7]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『知多教育名鑑』371頁では村長。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 知多郡教育会編『知多教育名鑑 : 御大礼記念』知多郡教育会 、1929年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。