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関戸覚蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関戸 覚蔵(せきと かくぞう、1844年12月17日(弘化元年11月8日)- 1916年大正5年)5月9日[1][2])は、明治時代政治家立憲革新党所属の衆議院議員(当選3回)[2]。『茨城新聞』創刊者。

経歴

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常陸国行方郡潮来村(現在の潮来市)に生まれる。潮来は水運によって栄えており、関戸家も豊かであった[3]東京師範学校に入学するが病気のため中退[1][2][3]戸長、郡書記、茨城県勧業課長を務め、1881年第3回茨城県会議員選挙に当選し、茨城県会議員を1886年まで務めた[1][3]。また、自由民権運動に加わり、1880年に民権結社の公益民会を磯山清兵衛らと設立したり、国会開設請願の署名1万人分を野手一郎らと集めてその代表になった[2]1891年には『いはらき』(現・『茨城新聞』)を創刊し、経営者となる[1][2]が経営がうまくいかず、飯村丈三郎に茨城新聞社の経営を委ねた[3]

1890年第1回衆議院議員総選挙に立候補するが落選[4]1892年第2回衆議院議員総選挙で初当選し[5]、以降連続3回当選し、衆議院議員を辞めてからは著述に打ち込んだ[3]

そのほか、文部省維新史料編集嘱託を務めた[1]

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』344頁。
  2. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus『関戸覚蔵』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e 茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年11月、602-603頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/12193181/1/1 
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』1頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』7頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。