新井啓一郎
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新井 啓一郎(あらい けいいちろう、1861年9月19日(文久元年8月15日[1])- 1924年(大正13年)3月4日[1][2])は、日本の篤農家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]武蔵国埼玉郡高岩村(のち埼玉県南埼玉郡篠津村大字高岩、現:白岡市)で、大地主・新井庫之助、しん子夫妻の息子として生まれる[1][3][4]。青木雪萼、島田重礼などに師事し漢学を修めた[3][4]。
1882年8月、高岩村戸長に就任し、南埼玉郡所得税調査委員、徴兵参事員などを務めた[2][3][4]。1889年、埼玉倶楽部常議員となり、自由民権運動に加わった[3]。1892年2月、第2回衆議院議員総選挙で埼玉県第三区から出馬し、当局から選挙干渉を受けながらも当選[2][3]。以後、第6回総選挙まで連続して当選し、衆議院議員を連続五期務めた[1][2]。この間、立憲政友会協議員などを務めた[5]
その後、産業の振興に尽力し、特に米質改良に取組み、各地を視察して産米改良の必要性を説き、埼玉県の産米検査の導入に寄与した[1][2][5]。