安田愉逸
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安田 愉逸(やすだ ゆいつ、1853年(嘉永6年11月[1])- 1904年(明治37年)8月23日[1])は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]日向国諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)出身[2]。農業を営んだ[1]。1878年(明治11年)英国の測量船「シルビア[注 1]」が日本近海にて測量をした際、これに従う[2]。その数年後、鹿児島県の山鹿野鉱山[注 2]嘱託となり、1886年(明治19年)長崎県属に転じ、外交事務に従事する[2]。1889年(明治22年)オーストリアの皇族ハンリート・バルジー来朝の際は通訳として随行し全国を巡遊した[1]。ほか、教師、造兵局通訳官、外務省訳官などを歴任した[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮崎県第2区から無所属で出馬し当選[1]。第3回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。