中江豊造
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中江 豊造(なかえ とよぞう、1861年(文久元年2月[1][2])- 1942年(昭和17年)3月4日[1][2])は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]肥前国松浦郡、のちの佐賀県[2]東松浦郡相知村[3](相知町を経て現唐津市相知町)で生まれる。1878年(明治11年)佐賀県師範学校速成科を卒業した[1][2]。
長崎県地租改正御用掛、小学校訓導、小学校長を歴任[1][2][3]。佐賀県会議員に選出され、同常置委員を務めた[1][2][3]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から自由党所属で出馬して当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
著作
[編集]- 『数学速成』中江豊造、1882年。
- 『松のみどり』中江豊造、1923年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。