小島相陽
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小島 相陽(こじま そうよう、万延元年12月26日[1](1861年2月5日) - 昭和11年(1936年)4月21日[2])は、日本の衆議院議員。弁護士。
経歴
[編集]信濃国水内郡安茂里村(現在の長野県長野市)出身[3]。明治法律学校(現在の明治大学)に学ぶ。
明治12年7月埼玉県の代言人免許を受けて代言人となる。
明治26年、弁護士法制定にともない弁護士登録。
1893年(明治26年)4月28日、松本、上田、長野の三代言人組合が合同し、長野弁護士会設立後、初代近藤牧太のあとを受けて1896年(明治29年)長野弁護士会会長に就任し、1935年(昭和10年)まで39年間にわたり会長を務めた[2]。また上水内郡会議員、長野県会議員に選出された[3]。
1894年(明治27年)、第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たしたものの、わずか3ヶ月後に衆議院解散となった。
その他、長野瓦斯株式会社相談役、長野商業会議所特別議員を務めた[1]。
出典
[編集]- ^ a b 人事興信録 1915.
- ^ a b 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b 長野県御大典記念帖 p.13 1916.