森本省一郎
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森本 省一郎(もりもと しょういちろう、文久元年9月[1](1861年) - 大正8年(1919年)2月20日[注 1])は、日本の政治家。衆議院議員、号は湘竹仙史。
来歴
[編集]信濃国安曇郡立田村(現長野県松本市)に森本義男の子として生まれる。祖父の森本良右衛門は松本藩の議事下局出役を務め、父の義男は長野県会議員を務めた。
筑摩県師範学校に学び、明治12年(1879年)に卒業し梓小学校長に就任する。翌年(1880年)松沢求策について奨匡社に参画し、国会開設運動に奔走したが、一年余りで教職を辞し上京、帰郷後の同19年(1886年)埴科郡書記となり、同21年(1888年)長野県会議員に当選し、県参事会員を兼任する。土木行政の折衝にあたり、道路や河川の整備に尽力した。県内に分県論が持ち上がると、実現に向けて奔走したが、内務省の反対で実現しなかった。同27年(1894年)第3回衆議院議員総選挙に初当選した。大正元年(1912年)に政界を引退。
著書
[編集]- 『平林甚左衛門之伝』(1917年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』658頁では2月7日。
出典
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』658頁。
出典
[編集]- 『信濃人物誌』1965年。
- 『南安曇郡誌 第3巻下』1923年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。