埴科郡
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人口13,126人、面積53.64km²、人口密度245人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 坂城町(さかきまち)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。
古代
- 出土した木簡などから大宝律令以前はのちの更級郡と共に「科野評(しなのこおり)」を構成していたと考えられる[1]。長屋王家木簡では「播信郡」との郡名表記もなされている。
- 郡衙は千曲市屋代の屋代遺跡群に比定されている。
- 和名類聚抄に見える郷名は倉科、磯部、船山、大穴、屋代、英多、坂城と記述されている。
式内社
→「信濃国の式内社一覧」も参照
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
埴科郡 | |||||||
凡例を表示 |
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
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幕府領 | 幕府領 | 13村 | ○坂木村、○横尾村、○中之条村、○鋳物師屋村、上戸倉村、○寂蒔村、○桜堂村、○小島村、下戸倉村、福井村、打沢村、新田村、杭瀬下村 |
藩領 | 信濃松代藩 | 1町 25村 |
○森村、○雨宮村、●○屋代村、○千本柳村、○清野村、○岩野村、○平林村、倉科村、小船山村[注 2]、○桑根井村、○牧内村、○土口村、○内川村、○粟佐村、○柴村、●○田中村、○生萱村、●○西条村、○加賀井村、鼠宿村、欠村、●○関屋村、●○東寺尾村、○松代町、●○東条村、○上徳間村 |
幕府領・藩領 | 幕府領・松代藩 | 1村 | 金井村 |
その他 | 熊野出速雄神社領 | 1村 | 皆神村 |
- 慶応4年2月17日(1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
- 明治2年2月30日(1869年4月11日) - 幕府領が伊那県の管轄となる。
- 明治3年9月17日(1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年(1872年)7月 - 上徳間村が千本柳村に合併。(1町39村)
- 明治6年(1873年)(1町37村)
- 欠村が西条村に合併
- 小船山村が更級郡向八幡村に合併。
- 明治7年(1874年)(1町33村)
- 7月5日 - 上戸倉村・福井村が合併して磯部村となる。
- 鼠宿村・新地村・金井村・横尾村が合併して南条村となる。
- 明治8年(1875年)5月 - 千本柳村が改称して黒彦村となる。
- 明治9年(1876年)5月30日(1町22村)
- 関屋村・桑根井村・平林村・牧内村・皆神村が合併して豊栄村となる。
- 寂蒔村・鋳物師屋村・打沢村・桜堂村・小島村が合併して東船山村となる。
- 杭瀬下村・新田村・粟佐村が合併して西船山村となる。
- 田中村・加賀井村が東条村に合併。
- 明治12年(1879年)1月4日(1町23村)
- 郡区町村編制法の長野県での施行により、行政区画としての埴科郡が発足。郡役所を屋代村に設置。
- 更級郡向八幡村の所属郡が本郡に変更。
- 明治14年(1881年)
- 明治15年(1882年)
- 明治19年(1886年)5月18日 - 坂木村が改称されて坂城村となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・千曲市。(2町15村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治37年(1904年)7月12日 - 坂城村が町制施行して坂城町となる。(3町14村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
郡制廃止後の沿革
- 1926年(大正15年)7月18日 - 警廃事件発生。警察署の統廃合に反対する地域住民が長野市に押しかけ、他地域の住民とともに県知事公舎・警察部長官舎等への襲撃を行った[2]。
- 1927年(昭和2年)5月12日 - 郡内一帯で遅霜。クワ畑に大きな被害があり、地域の養蚕業に大きな打撃を与えた[3]。
- 昭和15年(1940年)4月17日 - 戸倉村が町制施行して戸倉町となる。(4町13村)
- 昭和23年(1948年)3月1日 - 埴生村が町制施行し埴生町となる。(5町12村)
- 昭和26年(1951年)
- 昭和29年(1954年)10月1日 - 埴生町・杭瀬下村が合併し、改めて埴生町が発足。(5町9村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日(5町)
- 西条村が松代町に編入。
- 倉科村が屋代町に編入。
- 昭和32年(1957年)8月1日 - 松代町の一部(西寺尾のうち川西地区)が更級郡篠ノ井町に編入。
- 昭和34年(1959年)6月1日 - 屋代町・埴生町が更級郡稲荷山町・八幡村と合併して更埴市が発足し、郡より離脱。(3町)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 坂城町が更級郡村上村を編入。
- 昭和41年(1966年)10月16日 - 松代町が長野市・篠ノ井市・更級郡川中島町・信更村・更北村・上高井郡若穂町・上水内郡七二会村と合併し、改めて長野市が発足、郡より離脱。(2町)
- 平成15年(2003年)9月1日 - 戸倉町が更埴市・更級郡上山田町と合併して千曲市が発足し、郡より離脱。(1町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
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屋代町 | 屋代町 | 昭和30年4月1日 埴科屋代町 |
昭和30年6月1日 屋代町 |
屋代町 | 昭和34年6月1日 更埴市 |
平成15年9月1日 千曲市 |
千曲市 | |
雨宮県村 | 雨宮県村 | |||||||
森村 | 森村 | |||||||
倉科村 | 倉科村 | 倉科村 | 昭和31年9月30日 屋代町に編入 | |||||
埴生村 | 埴生村 | 昭和23年3月1日 町制施行 |
昭和29年10月1日 埴生町 |
埴生町 | ||||
杭瀬下村 | 杭瀬下村 | 杭瀬下村 | ||||||
更級郡稲荷山町 | 稲荷山町 | 昭和30年4月1日 稲荷山桑原町 |
昭和30年12月1日 稲荷山町 |
稲荷山町 | ||||
更級郡桑原村 | 桑原村 | |||||||
更級郡八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | ||||
戸倉村 | 戸倉村 | 昭和15年4月17日 町制施行 |
昭和30年4月1日 戸倉町 |
戸倉町 | ||||
更級郡更級村 | 更級村 | 更級村 | ||||||
五加村 | 五加村 | 五加村 | 昭和30年7月1日 戸倉町に編入(一部は埴生町へ) | |||||
更級郡上山田村 | 明治25年10月14日 上山田村 |
昭和24年11月3日 上山田町 |
昭和30年7月1日 上山田町 |
上山田町 | ||||
明治25年10月14日 力石村 |
力石村 | |||||||
松代町 | 松代町 | 昭和26年4月3日 松代町 |
昭和30年4月1日 松代町 |
松代町 | 昭和41年10月16日 長野市 |
長野市 | 長野市 | |
清野村 | 清野村 | |||||||
東条村 | 東条村 | |||||||
豊栄村 | 豊栄村 | 豊栄村 | ||||||
寺尾村 | 寺尾村 | 寺尾村 | ||||||
更級郡西寺尾村 | 西寺尾村 | 西寺尾村 | ||||||
西条村 | 西条村 | 西条村 | 昭和31年9月30日 松代町に編入 | |||||
坂城村 | 明治37年7月12日 坂城町 |
昭和30年4月1日 坂城町 |
坂城町 | 坂城町 | 坂城町 | 坂城町 | ||
南条村 | 南条村 | |||||||
中之条村 | 中之条村 | |||||||
更級郡村上村 | 村上村 | 村上村 | 昭和35年4月1日 坂城町に編入 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 横田数馬 | 明治12年(1879年)1月4日 | ||
2 | 滝沢久武 | 明治13年(1880年)8月 | ||
3 | 永田重 | 明治14年(1881年)1月 | ||
4 | 中島精一 | 明治15年(1882年)6月 | ||
5 | 渡辺猶人 | 明治16年(1883年)11月 | ||
6 | 小坂善之助 | 明治16年(1883年)12月 | ||
7 | 中島精一 | 明治19年(1886年)8月 | 再任 | |
8 | 関口友愛 | 明治23年(1890年)5月 | ||
9 | 師岡政挙 | 明治23年(1890年)10月 | ||
10 | 吉田有恪 | 明治28年(1895年)7月 | ||
11 | 山中助蔵 | 明治32年(1899年)2月 | ||
12 | 浜音之助 | 明治33年(1900年)12月 | ||
13 | 大鳥居英太郎 | 明治37年(1904年)12月 | ||
14 | 倉田藤太 | 明治39年(1906年)7月 | ||
15 | 竹下源六 | 明治41年(1908年)12月 | ||
16 | 松下金六 | 明治45年(1912年)6月 | ||
17 | 甲田慶治郎 | 大正3年(1914年)9月 | ||
18 | 佐藤三男 | 大正5年(1916年)7月 | ||
19 | 横田克己 | 大正10年(1921年)3月 | ||
20 | 岡村千馬太 | 大正11年(1922年)9月 | ||
21 | 志賀市蔵 | 大正11年(1922年)10月 | ||
22 | 長坂治助 | 大正13年(1924年)7月 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から(合併の経過を)調べる
- 「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。