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埴科郡

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長野県埴科郡の範囲(緑:坂城町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

埴科郡(はにしなぐん)は、長野県信濃国)の

人口13,126人、面積53.64km²、人口密度245人/km²。(2024年12月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

  • 長野市の一部(松代町西寺尾・松代町牧島・松代町小島田・松代町大室を除く松代町各町)
  • 千曲市の一部(概ね千曲川以東)

古代

  • 出土した木簡などから大宝律令以前はのちの更級郡と共に「科野(しなのこおり)」を構成していたと考えられる[1]。長屋王家木簡では「播信郡」との郡名表記もなされている。
  • 郡衙は千曲市屋代の屋代遺跡群に比定されている。
  • 和名類聚抄に見える名は倉科、磯部、船山、大穴、屋代、英多、坂城と記述されている。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
埴科郡
凡例を表示

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 13村 ○坂木村、○横尾村、○中之条村、○鋳物師屋村、上戸倉村、○寂蒔村、○桜堂村、○小島村、下戸倉村、福井村、打沢村、新田村、杭瀬下村
藩領 信濃松代藩 1町
25村
○森村、○雨宮村、●○屋代村、○千本柳村、○清野村、○岩野村、○平林村、倉科村、小船山村[注 2]、○桑根井村、○牧内村、○土口村、○内川村、○粟佐村、○柴村、●○田中村、○生萱村、●○西条村、○加賀井村、鼠宿村、欠村、●○関屋村、●○東寺尾村、○松代町、●○東条村、○上徳間村
幕府領・藩領 幕府領・松代藩 1村 金井村
その他 熊野出速雄神社領 1村 皆神村
  • 慶応4年2月17日1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
  • 明治2年2月30日1869年4月11日) - 幕府領が伊那県の管轄となる。
  • 明治3年9月17日1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
  • 明治4年
  • 明治5年(1872年)7月 - 上徳間村が千本柳村に合併。(1町39村)
  • 明治6年(1873年)(1町37村)
    • 欠村が西条村に合併
    • 小船山村が更級郡向八幡村に合併。
  • 明治7年(1874年)(1町33村)
    • 7月5日 - 上戸倉村・福井村が合併して磯部村となる。
    • 鼠宿村・新地村・金井村・横尾村が合併して南条村となる。
  • 明治8年(1875年)5月 - 千本柳村が改称して黒彦村となる。
  • 明治9年(1876年5月30日(1町22村)
    • 関屋村・桑根井村・平林村・牧内村・皆神村が合併して豊栄村となる。
    • 寂蒔村・鋳物師屋村・打沢村・桜堂村・小島村が合併して東船山村となる。
    • 杭瀬下村・新田村・粟佐村が合併して西船山村となる。
    • 田中村・加賀井村が東条村に合併。
  • 明治12年(1879年1月4日(1町23村)
    • 郡区町村編制法の長野県での施行により、行政区画としての埴科郡が発足。郡役所を屋代村に設置。
    • 更級郡向八幡村の所属郡が本郡に変更。
  • 明治14年(1881年
    • 1月28日
      • 屋代村が改称して屋代町となる。(2町22村)
      • 下戸倉村が改称して戸倉村となる。
    • 5月23日 - 東船山村が分割されて寂蒔村・鋳物師屋村・打沢村・桜堂村・小島村となる。(2町26村)
    • 5月25日 - 黒彦村が分割されて千本柳村・上徳間村となる。(2町27村)
  • 明治15年(1882年
    • 2月18日 - 西船山村から粟佐村が分立。(2町28村)
    • 9月2日 - 向八幡村が分割されて中村・小船山村となる。(2町29村)
    • 11月27日 - 西船山村が分割されて杭瀬下村・新田村となる。(2町30村)
  • 明治19年(1886年5月18日 - 坂木村が改称されて坂城村となる。

町村制以降の沿革

1.屋代町 2.松代町 3.坂城村 4.南条村 5.中之条村 6.戸倉村 7.五加村 8.埴生村 9.杭瀬下村 10.森村 11.倉科村 12.雨宮県村 13.清野村 14.西条村 15.東条村 16.豊栄村 17.寺尾村(紫:長野市 桃:千曲市 赤:坂城町)

郡制廃止後の沿革

  • 昭和15年(1940年4月17日 - 戸倉村が町制施行して戸倉町となる。(4町13村)
  • 昭和23年(1948年3月1日 - 埴生村が町制施行し埴生町となる。(5町12村)
  • 昭和26年(1951年
    • 4月3日 - 松代町・清野村・東条村が合併し、改めて松代町が発足。(5町10村)
    • 10月1日 - 松代町が更級郡篠ノ井町の一部(東福寺のうち道島・筏道下区)を編入。
  • 昭和29年(1954年10月1日 - 埴生町・杭瀬下村が合併し、改めて埴生町が発足。(5町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 4月1日(5町3村)
      • 坂城町・中之条村・南条村が合併し、改めて坂城町が発足。
      • 松代町・豊栄村・寺尾村が更級郡西寺尾村と合併し、改めて松代町が発足。
      • 戸倉町が更級郡更級村と合併し、改めて戸倉町が発足。
      • 屋代町・雨宮県村・森村が合併して埴科屋代町が発足。
    • 6月1日 - 埴科屋代町が改称して屋代町となる。
    • 7月1日 - 五加村の一部(中)が埴生町に編入。残部は戸倉町と合併し、改めて戸倉町が発足。(5町2村)
  • 昭和31年(1956年9月30日(5町)
    • 西条村が松代町に編入。
    • 倉科村が屋代町に編入。
  • 昭和32年(1957年8月1日 - 松代町の一部(西寺尾のうち川西地区)が更級郡篠ノ井町に編入。
  • 昭和34年(1959年6月1日 - 屋代町・埴生町が更級郡稲荷山町八幡村と合併して更埴市が発足し、郡より離脱。(3町)
  • 昭和35年(1960年)4月1日 - 坂城町が更級郡村上村を編入。
  • 昭和41年(1966年10月16日 - 松代町が長野市・篠ノ井市・更級郡川中島町信更村更北村上高井郡若穂町上水内郡七二会村と合併し、改めて長野市が発足、郡より離脱。(2町)
  • 平成15年(2003年9月1日 - 戸倉町が更埴市・更級郡上山田町と合併して千曲市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
  屋代町 屋代町 昭和30年4月1日
埴科屋代町
昭和30年6月1日
屋代町
屋代町 昭和34年6月1日
更埴市
平成15年9月1日
千曲市
千曲市
雨宮県村 雨宮県村
森村 森村
倉科村 倉科村 倉科村 昭和31年9月30日
屋代町に編入
埴生村 埴生村 昭和23年3月1日
町制施行
昭和29年10月1日
埴生町
埴生町
杭瀬下村 杭瀬下村 杭瀬下村
更級郡稲荷山町 稲荷山町 昭和30年4月1日
稲荷山桑原町
昭和30年12月1日
稲荷山町
稲荷山町
更級郡桑原村 桑原村
更級郡八幡村 八幡村 八幡村 八幡村 八幡村
戸倉村 戸倉村 昭和15年4月17日
町制施行
昭和30年4月1日
戸倉町
戸倉町
更級郡更級村 更級村 更級村
五加村 五加村 五加村 昭和30年7月1日
戸倉町に編入(一部は埴生町へ)
更級郡上山田村 明治25年10月14日
上山田村
昭和24年11月3日
上山田町
昭和30年7月1日
上山田町
上山田町
明治25年10月14日
力石村
力石村
松代町 松代町 昭和26年4月3日
松代町
昭和30年4月1日
松代町
松代町 昭和41年10月16日
長野市
長野市 長野市
清野村 清野村
東条村 東条村
豊栄村 豊栄村 豊栄村
寺尾村 寺尾村 寺尾村
更級郡西寺尾村 西寺尾村 西寺尾村
西条村 西条村 西条村 昭和31年9月30日
松代町に編入
坂城村 明治37年7月12日
坂城町
昭和30年4月1日
坂城町
坂城町 坂城町 坂城町 坂城町
南条村 南条村
中之条村 中之条村
更級郡村上村 村上村 村上村 昭和35年4月1日
坂城町に編入

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 横田数馬 明治12年(1879年)1月4日
2 滝沢久武 明治13年(1880年)8月
3 永田重 明治14年(1881年)1月
4 中島精一 明治15年(1882年)6月
5 渡辺猶人 明治16年(1883年)11月
6 小坂善之助 明治16年(1883年)12月
7 中島精一 明治19年(1886年)8月 再任
8 関口友愛 明治23年(1890年)5月
9 師岡政挙 明治23年(1890年)10月
10 吉田有恪 明治28年(1895年)7月
11 山中助蔵 明治32年(1899年)2月
12 浜音之助 明治33年(1900年)12月
13 大鳥居英太郎 明治37年(1904年)12月
14 倉田藤太 明治39年(1906年)7月
15 竹下源六 明治41年(1908年)12月
16 松下金六 明治45年(1912年)6月
17 甲田慶治郎 大正3年(1914年)9月
18 佐藤三男 大正5年(1916年)7月
19 横田克己 大正10年(1921年)3月
20 岡村千馬太 大正11年(1922年)9月
21 志賀市蔵 大正11年(1922年)10月
22 長坂治助 大正13年(1924年)7月 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

注釈

  1. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  2. ^ 長野県のウェブサイトに掲載している市町村合併に関連する資料の一つ「歴史的地域区分について」では本郡所属。[1]

出典

  1. ^ 古川貞雄編『県史20 長野県の歴史』(山川出版社、1997年)
  2. ^ 「長野県は無警察状態に」『大阪毎日新聞』1926年7月19日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.520 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 「見渡す限り真っ黒に-各地の被害」『信濃毎日新聞』1927年5月13日夕刊( 昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編pp.538-539毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献

  • 長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から(合併の経過を)調べる
「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。

関連項目