脇栄太郎
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脇 栄太郎(脇 榮太郎[1]、わき えいたろう[2]、1847年(弘化4年10月[2]) - 1908年(明治41年)12月7日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(当選4回)[2]。
経歴
[編集]安芸広島藩領賀茂郡、のちの寺西村(広島県賀茂郡西条町、寺西村、寺西町、西条町を経て現東広島市)出身[1]。12、3歳の時に京師、浪花に数年遊学する[1]。漢籍および剣術を修めた[2]。業成ると故郷に帰り、家業の農業、醸造業等に従事する[1]。
農兵組頭、庄屋、戸長、第八大区書記、賀茂郡書記を経て[2]、1882年(明治15年)、広島県会議員に当選[2]。広島県会議員、同常置委員、同議長などを務めた[2]。ほか、山陽鉄道、中国紡績各重役、私立関西中学校財団理事などを歴任した[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第5区から出馬し当選[3]。以来4回当選した[2]。立憲政友会に所属した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
- 『衆議院要覽 大正13年12月編 乙』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。