松井将壮
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松井 将壮(旧字体:松󠄁井 將壯、まつい しょうそう、1859年7月11日(安政6年6月12日[1])- 1918年(大正7年)6月9日[2])は、明治から大正前期の農業経営者、教育者、政治家。衆議院議員、広島県会議長、広島県世羅郡西大田村長。
経歴
[編集]備後国世羅郡賀茂村[3](広島県[2]世羅郡西大田村[4]を経て現世羅町)で生れた。豊田中学校、教員養成所、大阪英和学舎を卒業し[1][2][4]、漢籍を修めた[1][4]。農業を営む[2]。
戸長、郡書記、小学校教員を務めた[1][2][4]。西大田村長、広島県会議員、同常置委員、同議長、世羅郡教育会長などに在任した[1][2][4]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(広島県第7区)で初当選し[5]、その後、第8回総選挙まで2回再選され[6]、最後は同志研究会に所属して[2]、衆議院議員に通算3期在任した[1][2][4]。
国政選挙歴
[編集]- 第5回衆議院議員総選挙(広島県第7区、1898年3月、自由党)当選[5]
- 第7回衆議院議員総選挙(広島県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[6]
- 第8回衆議院議員総選挙(広島県郡部、1903年3月、無所属)当選[6]
- 第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、1904年3月、無所属)落選[6]
著作
[編集]- 編『領解文哺訓』博文堂、1885年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。