柳瀬春次郎
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柳瀬 春次郎(やなせ はるじろう、1852年2月20日(嘉永5年2月1日[1])- 1910年(明治43年)5月28日[1][2])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]伊予国越智郡今治村風早[1](愛媛県[2]越智郡今治村、今治町を経て現今治市[1][3])で生れた[1]。京都同志社で学んだ[1][2]。
帝国議会前に愛媛県政界が活発になるとこれに加わり[1]、当初は改進派として活動したが[1]、長屋忠明の勧めで大同派に転じた[1]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第2区、自由党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任[2][3]。同年9月の第4回総選挙では村上芳太郎に敗れて落選し[1][5]、政界を引退した[1]。
その後、実業界で活躍し、伊予本木取締役、伊予晒粉監査役、伊予興業合資会社業務担当社員などを務め[1][2][3]、柳瀬商行を設立して社長に就任した[1][2]。
国政選挙歴
[編集]- 第2回衆議院議員総選挙(愛媛県第2区、1892年2月、自由党)次点落選[4]
- 第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第2区、1894年3月、自由党)当選[4]
- 第4回衆議院議員総選挙(愛媛県第2区、1894年9月、自由党)次点落選[5]