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阿波加脩造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿波加 脩造(あわか しゅうぞう、1836年1月30日(天保6年12月13日[1][2])- 1916年大正5年)5月12日[2][3][4])は、幕末から明治期の医師、教育者、政治家衆議院議員。旧姓・佐渡、幼名・捨五郎[2]、通称・正頴[2]、字・士栗[2]。号・酔夢、六無斎[2]。衆議院議員としては野村脩造を名乗った[1][3]

経歴

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越中国射水郡高岡[1][2](現富山県高岡市[1][4])で、漢方医・8代佐渡養順の息子として生まれる[1][2]魚津町(現魚津市)の漢方医・阿波加家の養子となる[1][2]春日寛平[2]緒方洪庵[1][2][3][4]華岡鹿城[2][注釈 1]、山岡民部[2]などに師事し、医学、蘭学を修めた[1][2]

1858年(安政5年)魚津で開業し、コレラの治療に従事した[1][2]。1872年(明治5年)病院・好生舎を設立[2]。1876年(明治9年)新川県新川郡医務取締に就任[2]。1887年(明治20年)魚津病院の再興に尽くした[2]。下新川郡医師会長、富山県地方衛生委員も務めた[3]

1861年(文久元年)私塾・阿波加塾を開設[1]。1883年(明治16年)魚津明里小学校(のち魚津市立大町小学校)長となり[1]、小学校教員集会会頭、青年団長、下新川郡教育会長なども務めた[1]

政界では、区副長、魚津外29町町連合議会議長などに在任[3][4]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(富山県第2区、立憲改進党)で当選し[1][2][5]、衆議院議員に1期在任した[3][4]

著作

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  • 『哥路里贅語』紅屋伝兵衛、1859年。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『富山大百科事典 上巻』57頁では華岡青洲

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『富山大百科事典 上巻』57頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本洋学人名事典』20-21頁。
  3. ^ a b c d e f 「野村脩造」『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』494頁。
  4. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』350頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』44頁。

参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 武内博編『日本洋学人名事典』柏書房、1994年。
  • 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。