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野平穣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

野平 穣(穰、のひら ゆずる / じょう、1857年安政4年9月[1][2]) - 1911年明治44年)8月21日[2])は、日本弁護士政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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安芸国高宮郡下町屋村(のち広島県安佐郡三入村可部町、現・広島市安佐北区)生まれ[1]1876年広島師範学校[2]。小学校教員を経て、代言人となり、法律事務に従事する[2]

1890年第1回衆議院議員総選挙において広島3区から自由党所属で立候補するが落選した[3]1892年第2回衆議院議員総選挙では自由党から立候補したが次点で落選した[4]1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[5]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では次点で落選[6]1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から立候補して落選した[7]。衆議院議員は1期務めた。1911年に死去した。

選挙歴

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当落 選挙 執行日 政党
第1回衆議院議員総選挙 1890年7月1日 自由党
第2回衆議院議員総選挙 1892年2月15日 自由党
第3回衆議院議員総選挙 1894年3月1日 自由党
第4回衆議院議員総選挙 1894年9月1日 自由党
第6回衆議院議員総選挙 1898年8月10日 憲政本党


脚注

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  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、349頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』492頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』11頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』33頁。

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。