横山勇喜
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横山 勇喜(よこやま ゆうき、1852年11月13日(嘉永5年10月2日[1][2])- 1897年(明治30年)11月7日[2][3])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。
経歴
[編集]出羽国秋田郡東大館町長倉[1](秋田県[3]北秋田郡大館町[4]を経て現大館市[1]長倉[2])で、久保田藩士・横山運之助の長男として生まれた[1][2]。藩校・明徳館で学んだ[1]。 1874年(明治7年)10月、父の死去に伴い家督を相続[1]。農業を営む[1]。
1879年(明治12年)3月、秋田県会議員に選出された[1][2]。通算6期[2][注釈 1]在任し、1891年(明治24年)4月から4か月間、同議長を務めた[1][2]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、立憲革新党)で当選したが[1][2][5]、同年9月の第4回総選挙で落選し[1][6]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。落選後に体調を崩し自宅で療養した[1]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、1890年7月、自由党)次点落選[5]
- 第2回衆議院議員総選挙(秋田県第3区、1892年2月、自由党)次点落選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、1894年3月、立憲革新党)当選[5]
- 第4回衆議院議員総選挙(秋田県第2区、1894年9月、立憲革新党)次点落選[6]
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『秋田代議士物語』69頁では7期。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 杉渕廣『秋田代議士物語:帝国議会を生きた人々』秋田魁新報社、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。