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大日向作太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおひなた さくたろう

大日向 作太郎
生誕 1860年1月23日
秋田県雄勝郡羽後町
死没 (1914-10-23) 1914年10月23日(54歳没)
国籍 日本の旗 日本
別名 黒旋風
職業 政治家
著名な実績 船川築港期成同盟を結成
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大日向 作太郎(おおひなた さくたろう、1860年1月23日安政7年1月1日) - 1914年大正3年)10月23日)は、秋田県政治家である。

来歴

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現在の秋田県雄勝郡羽後町に生まれる[1]。23歳で父と死別し、家督を相続した[1]

1889年明治22年)に秋田県会議員となる[1]。県議当選直後より船川港の築港整備を主張、1897年(明治30年)には「船川築港期成同盟会」を結成して委員長となり、着工を待つところにまでこぎ着けたが、日露戦争により整備は延期された[1][2]1902年(明治35年)に県会議長に就任[1]。議長時代は「黒旋風」と呼ばれていた[2]

1907年(明治40年)に政界を引退する[1]。船川港の整備が開始されたのはその4年後だった[2]。この間の政治活動で家産をほぼ使い尽くしたという[2]

晩年は「秋田新報」や鉱山事業を手がける(後者は失敗)[1]。心臓病を発症して、1914年10月23日死去[2]

没後の1935年(昭和10年)5月に、「大日向作太郎氏碑」が羽後町内の八反田公園に建立された[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 大日向作太郎 - 『20世紀日本人名辞典』日外アソシエーツ、2004年(コトバンク
  2. ^ a b c d e f 碑(いしぶみ)の周辺(第三十二回) 生涯賭けた大日向作太郎 築港から迎えて六十周年 築港ゆかりの碑 - 『あきた』No.121(1972年6月号)、秋田県庁