伊央里直加
表示
(伊織直加から転送)
いおり なおか 伊央里直加 | |
---|---|
別名義 |
ナオ(愛称) 伊織直加 (旧芸名、よみ同じ) |
生年月日 | 1970年5月9日(54歳) |
出生地 | 大阪府和泉市 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1989年 - 2011年 |
配偶者 | あり |
主な作品 | |
舞台 しあわせのつぼ |
伊央里 直加(いおり なおか、1970年〈昭和45年〉5月9日[1] - )は、日本の元女優、元宝塚歌劇団男役スター。旧芸名は、伊織 直加(読みは同じ)[1]。
略歴
[編集]大阪府和泉市出身[1]。国立大阪教育大学附属天王寺中学校・附属高等学校天王寺校舎出身(附中37期・附高31期生[2])。
小学校高学年からバレエを、中学時代からジャズダンスを習っていた。附属高校1年修了時、ミュージカルダンサーを志し一般のオーディション感覚で宝塚音楽学校を受験した[2]。
1989年(平成元年)、宝塚歌劇団に首席入団。第75期生、同期は元星組トップスターの湖月わたる、元月組副組長の嘉月絵理、振付家のAYAKO(当時は宝樹彩)、現専科の美穂圭子など。この当時の芸名は伊織直加(読みは同じ)。若手スターの激戦区だった花組に配属された。
年譜
[編集]- 1994年(平成6年)、英国ロンドン公演のメンバーに選抜される。
- 1995年、『エデンの東』で新人公演初主演を果たす。
- 1998年、『Endless Love』にてバウホール単独初主演を果たす。
- 2000年、専科へ異動。
- 2003年、宙組公演「傭兵ピエール・満天星大夜総会-STARDUST PARTY-」で退団。在団中は泉州銀行CMキャラクターを務めていた。退団後は女優に転進。舞台を中心に活躍。
- 2005年10月25日、芸名を伊央里直加に改名した。
- 2006年、ヨーガの指導員資格を取得。都内のスタジオなどで教えている。
- 2007年12月5日、米国籍の一般人男性と入籍。(翌年4月挙式にあたり公表)
- 2008年4月29日、都内で製薬会社勤務の米国人男性と挙式。
- 2009年1月30日、長女出産。
- 2011年7月30日、『gratitude〜Endless Love〜』の公演をもって芸能界を引退し、アトリエ・ダンカンより除籍。以後は、夫の母国である米国に移住。
宝塚時代の主な舞台
[編集]花組時代
[編集]- 1990年9月、『秋…冬への前奏曲』新人公演:カレル(本役:香寿たつき)/『ザ・ショーケース』
- 1991年1月、『春の風を君に…』新人公演:毛鼠(本役:真琴つばさ)/『ザ・フラッシュ』
- 1991年2月、『小さな花がひらいた』(バウ・東京特別)又
- 1991年6月、『ヴェネチアの紋章』新人公演:エンリコ(本役:夏城令)/『ジャンクション24』
- 1991年8月、『ディーン』(バウ・東京特別)サル・ミネオ
- 1992年2月、『白扇花集』/『スパルタカス』新人公演:パオロ(本役:真琴つばさ)
- 1992年4月、『小さな花がひらいた』又/『ジャンクション24』(全国ツアー)
- 1992年8月、『心の旅路』新人公演:リチャード(本役:愛華みれ)/『ファンシー・タッチ』
- 1992年10月、『フラワー・ドラム・ソング』(バウ)ワン・サン
- 1993年2月、『メランコリック・ジゴロ』新人公演:ロジェ(本役:宝樹芽里)/『ラ・ノーバ』
- 1993年4月、『ル・グラン・モーヌ -失われし日々-』(バウ)フランツ
- 1993年8月、『ベイ・シティ・ブルース』新人公演:ファルコ(本役:紫吹淳)/『イッツ・ア・ラブストーリー』
- 1994年2月、『サラン・愛 -ムグンファの花に包まれて-』(バウ)柳君正
- 1994年3月、『ブラック・ジャック 危険な賭け』新人公演:ケイン(本役:真矢みき)/『火の鳥』
- 1994年7月、『花幻抄』/『扉のこちら』/『ミリオン・ドリームズ』(ロンドン)
- 1994年8月、『ライド・オン』(バウ)
- 1994年9月、『冬の嵐、ペテルブルグに死す』新人公演:アンドレ・エレツキーイ伯爵(本役:真矢みき)/『ハイパー・ステージ!』
- 1995年1月、『哀しみのコルドバ』マリオ、新人公演(東宝):リカルド・ロメロ(本役:真矢みき)[注釈 1]/『メガ・ヴィジョン -はてしなき幻想-』
- 1995年6月、『エデンの東』新人公演:キャル(本役:真矢みき)/『ダンディズム!』 *新人公演初主演
- 1995年9月、『チャンピオン! -蘇る伝説-』(バウ・東京特別)フリオ・ディアス
- 1996年1月、『花は花なり』/『ハイペリオン』タナトス 他、新人公演:ハオペリオン/ドラキュラ他(本役:真矢みき) *新人公演主演
- 1996年6月、『ハウ・トゥー・サクシード -努力しないで出世する方法-』タッカベリ
- 1996年9月、『エデンの東』リー/『ダンディズム!』(全国ツアー)
- 1996年12月、『香港夜想曲』(バウ)トニー
- 1997年2月、『失われた楽園 -ハリウッド・バビロン-』マイク・テイラー/『サザンクロス・レビュー』
- 1997年4月、『君に恋してラビリンス!』(バウ)オービット
- 1997年8月、『ザッツ・レビュー』(大劇場公演のみ)嵐梅之輔
- 1997年10月、『白い朝』(バウ)さぶ
- 1998年5月、『SPEAKEASY -風の街の純情な悪党たち-』チャールズ・ランディ/『スナイパー -恋の狙撃者-』
- 1998年10月、『Endless Love -永遠の愛-』(バウ・名古屋特別・東京特別)バシーム/マーク *バウホール公演初主演
- 1999年1月、『夜明けの序曲』櫛引弓人
- 1999年8月、『タンゴ・アルゼンチーノ』ジャン/『ザ・レビュー 99』
- 2000年4月、『源氏物語 あさきゆめみし』柏木/『ザ・ビューティーズ!』
- 2000年11月、『〜愛と孤独の果てに〜 ルードヴィヒII世』ディルクハイム伯爵/『Asian Sunrise』
専科時代
[編集]- 2001年8月、『大海賊 -復讐のカリブ海-』キッド/『ジャズマニア』(月組)
- 2001年11月、『カステル・ミラージュ -消えない蜃気楼-』アントニオ (宙組)
- 2002年10月、『Switch -75thコラボレーション-』(バウ)
- 2003年2月、『傭兵ピエール』トマ/『満天星大夜總会』(宙組) *退団公演[3]
宝塚退団後の主な活動
[編集]舞台
[編集]- 2003年
- 「キス・ミー・ケイト」東宝ミュージカル(大阪梅田コマ劇場)[3]
- 「砂の戦士たち」(サンシャイン劇場)
- 「ラブ・レターズ」(パルコ劇場)
- 2004年
- 「Shocking SHOCK」(帝国劇場)
- 「浅間」(サンシャイン劇場)
- 「喝采」(帝国劇場)
- レ・ミエンレビュー「MY MIRAGE II」(東京厚生年金会館)
- 2005年
- 「おんなたちの同窓会」(名鉄ホール)
- 「最悪な人生のためのガイドブック」(パルコ劇場・シアター・ドラマシティ)
- 「夏の夜のロミオとジュリエット」(天王洲アートスフィア)
- 2006年
- 「しあわせのつぼ」(東京・大阪・愛知・新潟・福岡)
- 2007年
- 「阿国」(東京・新橋演舞場、京都・京都南座)
- 「DREAM BOYS」代役出演 (東京・帝国劇場)
- 2008年
- 「DREAM BOYS」出演 (大阪・梅田芸術劇場メインホール)
- 「Welcome to Jubilee V〜Special Dream〜」(築地本願寺ブディストホール、大阪住吉区民センター大ホール)
- 2010年
- 「Welcome to Jubilee V II〜Special Moment〜」(築地本願寺ブディストホール)
- 「Welcome to Jubilee V III〜Special Moment〜」(築地本願寺ブディストホール)
- 2011年
- 「Welcome to Jubilee IX〜Legend of Dream〜」(築地本願寺ブディストホール)
- 「gratitude〜Endless Love〜」(吉祥寺・前進座劇場)
テレビ
[編集]バックダンサー(伊央里直加・貴城けい・初風緑・風花舞・星奈優里・蘭香レア)
その他
[編集]- 名古屋星が丘三越『あさきゆめみし展』において、伊央里直加トークショー(2006年1月4日)
脚注
[編集]- ^ a b c アトリエ・ダンカンによる公式プロフィール(2012年1月21日時点のアーカイブ)
- ^ a b 「パワーヨガ講習会」報告- 大阪教育大学附属天王寺中学校
- ^ a b ENAK SUMiRE STYLE 伊織直加産経新聞
注釈
[編集]外部リンク
[編集]- アトリエ・ダンカンによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2012年1月21日アーカイブ分)
- 伊央里直加Official Website Stage & Yoga - ウェイバックマシン(2011年2月6日アーカイブ分)