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* これまでに防衛政務次官や防衛庁副長官、防衛大臣、党国防部会長を歴任した「新国防族」議員の一人。[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉第1次改造内閣]]では、[[外交]]・[[安全保障]]の[[政策]]通で知られ、同じ新[[国防]]族に分類される[[石破茂]]防衛庁長官の下で副長官を務めた。 |
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* [[1994年]](平成6年)[[6月29日]]、[[羽田内閣]]の総辞職に伴う[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]で、自民・[[日本社会党|社会]]・[[新党さきがけ|さきがけ]]3党は[[日本社会党委員長]]の[[村山富市]]を擁立したが、[[中曽根康弘]]や渡辺美智雄らがこれに反発。浜田も投票で造反し、旧[[連立政権|連立与党]]側が擁立した[[海部俊樹]]元首相に投票した(決選投票で海部は村山に敗れる)。 |
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* 当選後は渡辺美智雄も所属していた[[政策科学研究所|中曽根派]]に属したが、[[1998年]](平成10年)12月に[[近未来政治研究会|山崎派]]が分裂した際に離脱。なお1期上の[[桜井郁三]]、1期下の[[山口俊一]]も共に離脱している。 |
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* [[林芳正]](ボーカル&ピアノ)、[[小此木八郎]](ボーカル)、[[松山政司]](ボーカル&ギター)と共に「Gi!nz([[ギインズ]])」というユニットを組んで音楽活動もしている。[[1998年]](平成10年)10月の発足以来各地でのチャリティーコンサートなどを続け、[[2005年]](平成17年)1月にはファーストアルバム「GIIN-010」を発売した。 |
2023年1月9日 (月) 23:21時点における版
浜田 靖一 はまだ やすかず | |
---|---|
防衛大臣就任時に公開された肖像 (2022年) | |
生年月日 | 1955年10月21日(69歳) |
出生地 | 日本 千葉県富津市 |
出身校 | 専修大学経営学部 |
前職 |
渡辺美智雄大蔵大臣秘書官 浜田幸一衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(旧渡辺派→無派閥) |
称号 | 経営学士 |
親族 | 父・ 浜田幸一 |
公式サイト | 浜田やすかずホームページ |
第6・24代 防衛大臣 | |
内閣 |
麻生内閣 第2次岸田改造内閣 |
在任期間 |
2008年9月24日 - 2009年9月16日 2022年8月10日 - 現職 |
選挙区 |
(旧千葉3区→) (千葉12区→) (比例南関東ブロック→) 千葉12区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - 現職 |
その他の職歴 | |
第53代 自由民主党国会対策委員長 (総裁: 安倍晋三) (2012年9月 - 2012年12月) |
浜田 靖一(はまだ やすかず、1955年〈昭和30年〉10月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、防衛大臣(第24代)、自由民主党水産総合調査会長、自由民主党千葉県連会長。
自民党国会対策委員長(第53代)、防衛大臣(第6代)、防衛庁副長官(第1次小泉第1次改造内閣)、防衛政務次官(小渕内閣)、衆議院予算委員長、安全保障委員長、衆議院国家基本政策委員長を歴任。
衆議院議員を務め、「ハマコー」の愛称で知られていた浜田幸一を父に持つ[1]。
来歴・人物
千葉県富津市生まれ。千葉県立木更津高等学校を卒業後、米国ヒルズデールカレッジ(en:Hillsdale College)に留学し、その後専修大学経営学部経営学科を卒業した。大学卒業後は父・浜田幸一が親しい関係にあった渡辺美智雄の事務所に就職し、1980年(昭和55年)、鈴木善幸内閣で渡辺が大蔵大臣に就任した際は、秘書官を務めた。1984年(昭和59年)からは父の秘書を務めた。
1993年(平成5年)父の引退に伴い、第40回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から自由民主党公認で出馬し、初当選(当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗など)。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には千葉12区から出馬し、再選。千葉12区は中村正三郎元法務大臣の地盤でもあったことから、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙ではコスタリカ方式により中村が千葉12区から出馬し、浜田は比例南関東ブロックで3選。1998年(平成10年)、小渕内閣で防衛政務次官に就任。
2003年(平成15年)に発足した第1次小泉第1次改造内閣で、石破茂防衛庁長官の下で防衛庁副長官を務める。同年の第43回衆議院議員総選挙では再び千葉12区から出馬し、民主党の青木愛を3万票超の差で下した(青木は比例復活)。2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙は本来ならば中村が千葉12区、浜田が比例で出馬するはずだったが、中村は小泉純一郎首相が推進する郵政民営化法案の採決に体調不良を理由に欠席したため党からの公認が得られない可能性が高まり、総選挙の直前に不出馬・引退を表明。そのため浜田が千葉12区から出馬し、青木に比例復活すら許さず大勝した。同年、自民党千葉県連会長に就任。
2008年(平成20年)、麻生内閣で防衛大臣に任命され初入閣し、父が過去の経歴や、その口の悪さのために父が議員在任中に成し遂げなかった国務大臣就任を果たした。同年10月、「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」と主張する論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長を、「政府見解とは異なる意見である」という理由で更迭した。翌2009年(平成21年)4月5日、北朝鮮によるミサイル発射実験が発生。これに先立ち、3月に北朝鮮が「人工衛星」と称して長距離弾道ミサイルを発射した場合、「わが国の領土の上を飛ぶようなものを打ち上げるのは極めて不愉快だし、あってはならない。もしもの場合を考えれば対処するのは当然だ」と発言し、破壊措置命令を発令する考えを表明した。在任中に海賊対処法を成立させた。
同年8月の第45回衆議院議員総選挙では千葉12区で6選したが、民主党の中後淳に比例復活を許した[注釈 1]。翌9月、麻生内閣総辞職により防衛大臣を退任。
2011年(平成23年)10月、谷垣禎一総裁の下、国会対策委員長代理に就任(国会対策委員長は自身と当選同期の岸田文雄)。2012年(平成24年)の自由民主党総裁選挙では、同じ防衛大臣経験者の石破茂を支持したが、石破は浜田と当選同期の安倍晋三に敗れた。総裁選後、安倍総裁の下、国会対策委員長代理から昇格する形で自由民主党国会対策委員長に就任した。同年12月、自民党幹事長代理に就任。2013年(平成25年)1月31日、無派閥連絡会の初会合に参加した。
2021年(令和3年)5月、千葉県知事選挙大敗により自民党千葉県連会長を引責辞任した渡辺博道衆議院議員の後を受け2度目の県連会長就任[2]。
2022年(令和4年)8月10日、7月の安倍晋三元首相銃撃事件の発端となった旧統一教会に関わる議員の排除を目的として、9月上旬に予定されていた内閣改造が前倒しとなり、第二次岸田改造内閣が発足。それに伴い、防衛大臣に再就任。
政策
- 憲法改正と集団的自衛権の行使に賛成。
- アベノミクスを評価する。
- 原発は日本に必要。
- ヘイトスピーチの法規制に賛成。
- 首相の靖国神社参拝は問題ない[3]。
- 村山談話については見直すべきではないとする一方、河野談話については見直すべきとしている[4]。
- 選択的夫婦別姓制度については、2001年(平成13年)時点では賛成[5]としていたが、2014年(平成26年)の調査では、「どちらとも言えない」としていた[6]。2021年(令和3年)3月に自民党有志で設立した「選択的夫婦別姓の早期実現を目指す議員連盟」では野田聖子や岸田文雄などと共に発起人となり、自身が会長に就任した[7][8]。
- 「消費税0%の検討」を掲げた『国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言』に賛同している[9]。
エピソード
- 強面・豪快・自己主張の強さや数々の武勇伝で知られた父・幸一とは対照的に、穏やかな性格で、TV出演やマスコミ露出を好まないという。麻生内閣の防衛相としては、安定した国会答弁や報道対応で省内の評価は高かったとされるが、発信力不足とも評された[10]。
- これまでに防衛政務次官や防衛庁副長官、防衛大臣、党国防部会長を歴任した「新国防族」議員の一人。第1次小泉第1次改造内閣では、外交・安全保障の政策通で知られ、同じ新国防族に分類される石破茂防衛庁長官の下で副長官を務めた。
- 1994年(平成6年)6月29日、羽田内閣の総辞職に伴う首班指名選挙で、自民・社会・さきがけ3党は日本社会党委員長の村山富市を擁立したが、中曽根康弘や渡辺美智雄らがこれに反発。浜田も投票で造反し、旧連立与党側が擁立した海部俊樹元首相に投票した(決選投票で海部は村山に敗れる)。
- 当選後は渡辺美智雄も所属していた中曽根派に属したが、1998年(平成10年)12月に山崎派が分裂した際に離脱。なお1期上の桜井郁三、1期下の山口俊一も共に離脱している。
- 林芳正(ボーカル&ピアノ)、小此木八郎(ボーカル)、松山政司(ボーカル&ギター)と共に「Gi!nz(ギインズ)」というユニットを組んで音楽活動もしている。1998年(平成10年)10月の発足以来各地でのチャリティーコンサートなどを続け、2005年(平成17年)1月にはファーストアルバム「GIIN-010」を発売した。
- 2014年の第186回国会において、過去に、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長の要職にあった衆議院議員で、質問、議員立法、質問主意書のいずれかの提出がなかった24人の議員(野田佳彦、小沢一郎、野田毅、亀井静香、鳩山邦夫、中村喜四郎、浜田靖一、高村正彦、平沼赳夫、丹羽雄哉、額賀福志郎、大島理森、川崎二郎、金子一義、山口俊一、山本有二、大畠章宏、小池百合子、細田博之、塩谷立、渡海紀三朗、林幹雄、伊藤達也、佐藤勉)の一人として紹介されている[11]
選挙歴
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 37 | 旧千葉3区 | 自由民主党 | 8万2039票 | 19.46% | 5 | 2/7 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 40 | 千葉12区 | 自由民主党 | 10万2570票 | 54.04% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 44 | 比例南関東 | 自由民主党 | 21 | / | 1/6 | ||
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 48 | 千葉12区 | 自由民主党 | 11万5708票 | 53.93% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 49 | 千葉12区 | 自由民主党 | 14万3780票 | 57.62% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 53 | 千葉12区 | 自由民主党 | 13万4298票 | 53.10% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 57 | 千葉12区 | 自由民主党 | 13万9935票 | 65.18% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 59 | 千葉12区 | 自由民主党 | 13万4037票 | 74.29% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 62 | 千葉12区 | 自由民主党 | 12万75票 | 63.35% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 66 | 千葉12区 | 自由民主党 | 12万3210票 | 64.01% | 1 | 1/3 | / |
不祥事
- 2009年(平成21年)1月、浜田の資金管理団体「至幸会」において私設秘書5人が労働保険に未加入だった[12]。浜田の事務所では「認識が甘かった」と謝罪し、2008年(平成20年)12月に労働保険に加入し2006年度(平成18年度)分まで遡及して支払った[12]。
所属団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会[13]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[13]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[13]
- 日韓議員連盟
- 再チャレンジ支援議員連盟
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- ギインズ
- 日本の産業基盤と将来戦闘機を考える研究会(会長)
- 無派閥有志の会(会長)[14]
- 選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟(会長)[15]
脚注
注釈
出典
- ^ “浜田幸一元衆院議員が死去 政界の暴れん坊「ハマコー」”. 日本経済新聞 (2012年8月5日). 2021年3月25日閲覧。
- ^ “自民千葉県連、幹事長ら留任 知事選大敗後、新体制スタート”. 産経新聞. (2021年5月22日) 2022年8月9日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2014年衆院選 アンケート
- ^ 毎日新聞 2014年衆院選 アンケート
- ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ “「選択的別姓」実現目指し自民有志が議連”. 産経新聞 (2021年3月19日). 2021年3月25日閲覧。
- ^ 日本テレビ (2021年3月25日). ““選択的夫婦別姓”実現へ 自民党内に議連”. 日テレNEWS24. 2021年3月25日閲覧。
- ^ “賛同者一覧 国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言”. 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会. 2020年9月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞2009年8月12日朝刊
- ^ 「国会議員三ツ星データブック」、186国会版 国会議員三ツ星データブック、特定非営利法人「万年野党」著。ISBN 978-4905239239
- ^ a b 稲垣衆史・秋山信一・中村かさね「労働保険:5閣僚事務所が未加入――強制知らず秘書分など」『労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2009年1月26日。
- ^ a b c 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ “カギ握る無派閥議員 菅義偉氏は着々と若手囲い込み 石破茂氏は「別動隊」に期待も… 進次郎氏の動向も焦点”. 産経新聞 (2018年7月16日). 2021年8月24日閲覧。
- ^ “自民、夫婦別姓議論盛ん”. 毎日新聞. (2021年3月26日)
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 林芳正 岸信夫 |
防衛大臣 第6代:2008年 - 2009年 第24代:2022年 - |
次代 北澤俊美 現職 |
先代 赤城徳彦 |
防衛庁副長官 2003年 - 2004年 |
次代 今津寛 |
先代 栗原裕康 |
防衛政務次官 1998年 - 1999年 |
次代 依田智治 西川太一郎 |
議会 | ||
先代 川崎二郎 |
衆議院政治倫理の確立及び 公職選挙法改正に関する特別委員長 2021年 - 2022年 |
次代 平口洋 |
先代 額賀福志郎 |
衆議院情報監視審査会会長 2018年 - 2020年 |
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先代 竹下亘 |
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先代 設置 |
衆議院我が国及び国際社会の 平和安全法制に関する特別委員長 2015年 |
次代 廃止 |
先代 小林興起 |
衆議院安全保障委員長 2005年 - 2006年 |
次代 木村太郎 |
党職 | ||
先代 岸田文雄 |
自由民主党国会対策委員長 第53代:2012年 |
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先代 小此木八郎 |
自由民主党青年局長 第34代:1999年 - 2000年 |
次代 下村博文 |