米津等史
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米津 等史 よねつ ひとし | |
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生年月日 | 1959年2月24日(65歳) |
出身校 | 東海大学政経学部卒業 |
前職 | 資生堂従業員 |
所属政党 |
(新進党→) 自由党 |
選挙区 | 比例南関東ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 2000年6月2日 |
米津 等史(よねつ ひとし、1959年2月24日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員(1期)。
人物
[編集]東海大学付属高輪台高等学校を経て[1]、東海大学政経学部卒業。
極真空手の創始者大山倍達に非常に可愛がられ、秘書的な役割もつとめていた。
1981年(昭和56年)に大学を卒業し、弁護士であった養父が顧問を務めていた[要出典]資生堂に15年勤務した[2]。
1996年(平成8年)、当時の新進党党首・明日の内閣総理大臣小沢一郎の要請により、全国化粧品小売組合連合会の推薦で第41回衆議院議員総選挙に出馬。比例南関東ブロック名簿第1位で立候補し当選[2]。
翌1997年(平成9年)末、新進党は分裂して解党されたため、自由党結成に参加。同党山梨県連会長に就任した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙には体調不良を理由に立候補せず、そのまま1期で退任した。
2003年 防衛庁 防衛研究所 客員研究員(アメリカ軍法・行方不明兵に関する法律の研究)
2011年の東日本大震災では、アメリカ海兵隊の窓口をつとめ、仙台空港復旧に尽力しトモダチ作戦で重要な役割を果たした。
2018年5月 アメリカ国防総省より民間人最高位の「公務殊勲賞」を授与された。
政界引退後は、戦死者の遺骨収容のボランティア活動に取り組んでいる[3]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 『東海大付属高輪台高等学校同窓会会報 第5号』(PDF)(プレスリリース)東海大付属高輪台高等学校同窓会、2001年3月31日 。2023年7月31日閲覧。
- ^ a b 『政界』 19巻、3号、政界出版社、1997年、59頁。doi:10.11501/2889264。ISSN 09180044。
- ^ 松浪健四郎「【地方再生・創生論 211】戦死者の遺骨収容を一日も早く 日体大理事長 松浪健四郎」『観光経済新聞』2021年4月29日。2023年7月31日閲覧。