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「東京都のご当地ソング一覧」の版間の差分

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* [[渋谷公園通り|公園通り]]
* [[渋谷公園通り|公園通り]]
** 「ウィークエンドの公園通り」[[麻生よう子]]
** 「ウィークエンドの公園通り」[[麻生よう子]]
** 「化粧なんて似合わない」[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]
** 「化粧なんて似合わない」[[岩崎良美]]
** 「公園通り」[[ガロ (フォークグループ)|ガロ]]
** 「公園通り」[[ガロ (フォークグループ)|ガロ]]
** 「[[公園通り (曲)|公園通り]]」ゆず(上記とは別の曲)
** 「[[公園通り (曲)|公園通り]]」ゆず(上記とは別の曲)

2021年12月30日 (木) 00:31時点における版

ご当地ソング > 東京都のご当地ソング一覧

東京都のご当地ソング一覧(とうきょうとのごとうちソングいちらん)では、日本東京都に関連するご当地ソングの一覧を挙げる。

東京都の都歌については「東京都歌」を、都内の各特別区東京都区部)が制定している区歌多摩地域島嶼部市町村がそれぞれ制定している公式の自治体歌については東京都の区市町村歌一覧を、各大学校歌については当該大学を参照のこと。

東京全般

楽曲名のアルファベット50音順、同一の楽曲タイトルは歌手名等の順とする。

タイトルが「東京」の楽曲

漢字
ひらがな
ローマ字(「TOKIO」等も含む)

タイトルが「東京」から始まる楽曲

漢字
カタカナ
ローマ字(「TOKIO」も含む)
ローマ字+日本語(「TOKIO」も含む)

タイトルに「東京」が付く楽曲

漢字
カタカナ
ローマ字

歌詞に「東京」を含む楽曲

楽曲は英語表記「Tokyo」も含む

タイトルに「江戸」が付く楽曲

歌詞に「江戸」を含む楽曲

東京都区部

複数の場所

地名・場所
エリア

各区

全国地方公共団体コード順。曲順はアルファベット50音順。

千代田区中央区港区新宿区文京区台東区墨田区江東区品川区目黒区大田区世田谷区渋谷区中野区杉並区豊島区北区荒川区板橋区練馬区足立区葛飾区江戸川区

千代田区

中央区

新宿区

文京区

台東区

墨田区

江東区

品川区

目黒区

大田区

世田谷区

渋谷区

中野区

杉並区

豊島区

北区

荒川区

練馬区

足立区

葛飾区

江戸川区

多摩地域

多摩広域・複数地域

各市町村

全国地方公共団体コード順。曲順はアルファベット・50音順。

八王子市立川市武蔵野市三鷹市青梅市府中市昭島市調布市町田市小金井市小平市日野市東村山市国分寺市国立市福生市狛江市、[[東大 和市]]、清瀬市東久留米市武蔵村山市多摩市稲城市羽村市あきる野市西東京市瑞穂町日の出町檜原村奥多摩町

島嶼部

鉄道路線

道路

道路名称
坂道名称

河川

脚注

  1. ^ 沢知美(1947年10月8日-)東京都出身。二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)中退。1964年にミス・プレタポルテに当選しファッション・モデルとなる。同時に「中野味和子」の芸名により、二本の映画、「東京は恋する」(監督:柳瀬観、日活、1965年9月18日公開)、「高原のお嬢さん」(監督:柳瀬観、日活、1965年12月4日公開)にも出演する。1967年には「沢知美」と改名しレコード・デビュー。1972年までに、シングル16枚、アルバム3枚を発表した。「東京ミッドナイト」(SAS-1194・COLUMBIA)は1968年11月に発売された7枚目のシングル。「沢知美」[1] 2020年1月24日閲覧。「中野味和子」[2] 2020年1月24日閲覧。
  2. ^ 第58回全国高等学校野球選手権大会(1976年)において、桜美林高等学校野球部が延長11回の末、PL学園を制して60年ぶりに真紅の大優勝旗を東京に持ち帰ったことを讃えた歌。
  3. ^ 元歌はザ・ピーナッツの歌った「東京たそがれ」であり、題名を変更して再発された。
  4. ^ 川辺妙子(1949年7月18日-)北海道滝川市出身。「ミッドナイト東京」(F S-25・PHILIPS)によりデビュー。1973年までに、シングル7枚、アルバム2枚を発表している。「川辺妙子」[3] 2020年1月24日閲覧。
  5. ^ 三浦正弘とアロハ・ブラザーズは日本最初の家族合唱団であり、1957年に結成された。 メンバーは以下の5人。 三浦正弘(リーダー、スティール・ギター、ヴォーカル)1937年10月30日生れ。東京都立航空工業高等学校(現・東京都立航空工業高等専門学校)卒業。 三浦悦夫(ベース、ヴォーカル)1940年10月27日生れ。東京都立航空工業専門学校卒業。 三浦貞夫(ギター、ヴォーカル)1943年8月13日生れ。豊島実業高等学校(現・豊島学院高等学校)中退。 三浦春男(サイド・ギター、ヴォーカル)1945年4月10日生れ。昭和鉄道高等学校中退。 三浦久雄(ウクレレ、ヴォーカル)1947年8月9日生れ。東京都立向島商業高等学校中退。 のちに、妹の三浦京子(礼子)も参入する。 三浦正弘とハニー・ブラザーズ+三浦京子、三浦正弘とハニー・ロマン、三浦弘(「正弘」から改名)とハニー・ロマン、三浦弘とハニー・シックスと幾度もグループ名を変更させながら、1982年までに11枚のシングルと1枚のアルバムを発表している。1968年9月に発売した「ラリラリ東京」(SDR-1367・Polydor)が民放連の要注意歌謡曲指定を受けたため、1970年に「イライラ東京」(LP-1201・LIBERTY)と改題し再発している。さらにこの曲は殿様キングスによって、「しっちゃかめっちゃか東京」「メロメロ東京」の題名でカバーされている。「三浦正弘」[4] 2020年1月25日閲覧。
  6. ^ WWII In American Music: Pearl Harbor & Reaction 2020年1月22日閲覧
  7. ^ 歌詞の中に上記東京都下の地名以外に広島も含む。
  8. ^ 潤ますみ(1952〜)は、グラビア・モデルを経て「潤ますみ」の芸名で1971年に東映からデビュー、翌年、日活に移籍し日活ロマンポルノに出演した。1973年、「潤まり子」に改名。1975年にフリーとなり、1976年には「潤まり」と再度改名したものの24歳でスクリーンから姿を消した。歌手としてはRCAから「裏町人生歌」(1974年7月、JRT-144.「潤まり子」名義)「新小岩から亀戸へ」(1975年9月、JRT-1444.「潤まり」名義)の二枚のシングルを出している。「玉割り人ゆき」の項目も参照のこと。なお、「夕映えのサンフランシスコ」や「愛は流れるヴォルガのように」などの曲を歌った歌手の「じゅんマリ」は別人である。
  9. ^ 作間毅(1904-1987) 日本におけるジャズ・パイオニアのひとり。法政大学在学中からジャズ・バンドを結成し活躍していた。1925年、1926年に日本橋三越ホールでコンサートを開催するとともに、1928年から翌年にかけて日本Victorに9曲のレコーディングを行う。マスクをかぶり「鉄仮面」という別名義によるレコードもある。「ジャズと歴史にまつわる話」[5] 2020年1月24日閲覧。
  10. ^ アニメ「邪神ちゃんドロップキック」挿入歌
  11. ^ 知川ユキ(1947年6月3日-)本名は森泉綾子、東京都墨田区出身。「好きならいいじゃない」(1968年10月25日.US-599-J・UNION)がある。「ぐんぐん銀座」はそのB面。「知川ユキ」[6] 2020年1月24日閲覧。
  12. ^ オリジナルは和田弘とマヒナスターズが歌った「菊千代と申します」作詞:山上路夫、作曲:鈴木庸一、編曲:和田弘、1963年
  13. ^ 山川ユキ。1959年2月11日生まれ。山口県下関市出身。本名は萩田由記子。石坂まさを歌謡学院出身。「新宿ダダ」(1977年6月1日.EP:KA-1057・ミノルフォン)でデビュー。1978年に「カメラのさくらや」初代CMソングを歌う。1979年までに4枚のシングルを残す。「山川ユキ」[7] 2020年1月26日閲覧。
  14. ^ お七とその家族らが被災した際に避難したとされる吉祥寺(または正仙院、円乗寺)の所在地は、現在の本駒込付近にあたる。
  15. ^ TFM山下達郎のサンデー・ソングブック』2013年3月17日放送分より。
  16. ^ 賛美歌まもなくかなたの」の替え歌とするのは間違い。
  17. ^ 「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズは江戸川区北小岩が舞台
  18. ^ ただし実際には、三鷹市在住だった露風が郷里の兵庫県揖保郡龍野町(現:たつの市)を回想して作詩したものである。

関連項目