コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

五輪真弓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五輪 真弓
生誕 (1951-01-24) 1951年1月24日(73歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都中野区
ジャンル J-POP
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ピアノギター
活動期間 1972年 -
レーベル CBS・ソニー / UMI
1972年 - 1984年
CBS・ソニー
1985年 - 1991年
Sony Records
1991年 - 2004年
Sony Music Direct
2007年 -)
事務所 ロレイユ
公式サイト 五輪真弓オフィシャル・サイト

五輪 真弓(いつわ まゆみ、本名:鈴木眞弓。1951年1月24日 - )は、日本女性シンガーソングライター東京都中野区出身[1][2]桜水商業高校卒業[2]

経歴

[編集]

高校時代にフォークグループを作り、テレビ番組ヤング720』(TBS)やラジオ公開録音バイタリス・フォーク・ビレッジ』(ニッポン放送)などに参加した[3]

1972年10月、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)より、アルバム『少女』とシングル「少女」の同時発売でデビュー[3]。最初のアルバム『少女』は、1971年夏に2か月間をかけて[4]アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのクリスタル・サウンド・スタジオでレコーディングされた[4]。このレコーディングには五輪のデモテープを聴いて感銘を受けたキャロル・キングチャールズ・ラーキーも参加し[4]、ストリングスの中ではデヴィッド・キャンベルヴィオラを弾いている。CBS・ソニーはこの新人シンガーソングライターである五輪に同じCBS・ソニー所属の「たくろうと並ぶ日本フォーク界の最重要人物!」とキャッチフレーズを付け[4]吉田拓郎と同様に個人レーベルを持たせ「UMI」を作り[4]、期待の大きさを示した[4]。アルバムはオリコンでは最高6位にランク。早い段階で海外レコーディングを行った。海外録音ではこれ以前に森山良子1969年12月20日リリースのアルバム『イン・ナッシュビル/思い出のグリーングラス』や[5]、これと同じ日にリリースされたザ・テンプターズのアルバム『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』があり、どちらもヒットしている[5]

マスメディアでは「和製キャロル・キング」と謳われ[1]、日本女性シンガーソングライターの草分けと呼ばれた。

1976年、4thアルバム『Mayumity』を絶賛したCBSフランスから現地(フランス)でのアルバム制作の申し出があり、初めての渡仏し[6]、7ヵ月間パリで暮らす[6]翌年フランス語によるアルバム『えとらんぜ』が発売された。機を同じくしてサルヴァトール・アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれた。また当時の日本ではまだ馴染みの薄かった自然食をいち早く取り入れ[6]、徹底して玄米食を続けた[6]。取材に番茶ハト麦茶を持参するため[6]、記者に驚かれた[6]

また、この時期以降積極的にテレビなどメディアへの露出も増えていく。特に1978年3月21日発売の「さよならだけは言わないで」のヒットにより、フジテレビ夜のヒットスタジオ』やTBSテレビザ・ベストテン』(今週のスポットライト・コーナー)など、歌番組への生出演が多く見受けられるようになる。

1980年にリリースされたシングル「恋人よ」は当初はB面(カップリング)用の曲であったが、歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。「恋人よ」は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞金賞を受賞し、より幅の広いシンガーとして認知された[3]。デビュー以来、地道なコンサート活動を続けて、音楽関係者の評価は高かったが[6]、ようやくメジャーな存在になった[6]。「恋人よ」はその後美空ひばり淡谷のり子の重要なステージ・レパートリーにもなり、後世へと伝えられる曲となった。ちなみにこの曲はCBS・ソニーの六本木スタジオにて録音された。編曲船山基紀である[7]


しかしそれ以降、歌謡曲ファンを取り込むことになった反面、それまでのファンは抵抗を感じた向きもあるといわれる。これに対して五輪はこう語っている[要出典]

「私は昭和中期の歌謡曲を聴いて育ち、日本の叙情的な良さの影響を受けています。フランスで仕事をして日本人であることの誇りにめざめ、そのひとつが歌謡曲でした。『さよならだけは言わないで』は曲もアレンジ、サウンドすべてが歌謡曲であり、自分にとってはかなりの冒険でしたが、案の定いともたやすく大衆にとけこみました。だからと言って、それまで書いたものを否定するわけもなく、紛れもない五輪真弓のスタイルであり、今もずっと持ち続けている世界です。ただ、それを画期的なチャレンジとか、もうひとつの側面として受け止めて頂ければ嬉しいですね。しかし、『恋人よ』に関して言えば…日本の歌謡曲の枠におさまらない普遍的な歌です。これが言語や文化の異なる外国でも歌われている理由ではないかと思います。」

1984年1月にバックバンドのメンバーだった鈴木弘二と結婚。3月にパリで挙式。1985年には長男が誕生[8]。これ以降、育児のため活動をセーブし、表立った活動を控えていた時期もあったが、2000年代に入ってからは徐々にその活動を再び活発化させており、その古典的かつ普遍的な作風は、豊かな声質と歌唱と共に、今もなお国内外で高い評価を得続けている。

NHK紅白歌合戦』には、1980年「恋人よ」で初出場を果たし、1988年まで通算5回出場している。

2017年現在、ソニー・ミュージックに所属している日本人女性歌手では在籍期間が最も長い(男性歌手を含めると郷ひろみに次ぐ長さ)。また、日本人シンガーソングライターとしては最長の在籍期間である。

日本国外での人気

[編集]

1980年代には東南アジアでも「心の友」(元々は1982年発売のアルバム『潮騒』収録の楽曲)を中心にヒットが多く生まれた。「恋人よ」は現在も中国韓国ベトナムなど東南アジア各国で根強い人気を博している[3]

インドネシアでは「心の友」は知らない人がいないくらい有名な曲である。インドネシアのラジオ関係者が日本で五輪のコンサートへ行き、その際買ったアルバムの中にこの曲が入っており、インドネシアのラジオで流したことで人気となった。五輪としては、地味な曲だけになぜインドネシアで「第二の国歌」とまで言われるまで大ヒットしたのかが不思議だったという。インドネシアでは日本人が来ると歓迎の意味で、この曲を日本語で歌うことが多い。また、スマトラ島沖地震での復興の際にも被災者の支えになったといわれている。2005年には、インドネシアの歌手・DELONインドネシア語版と共に、スマトラ沖地震チャリティー・シングルとして「KOKORO NO TOMO」をデュエット・レコーディングしリリースしている。

上記作品の他に「愛の蜃気楼(砂の城)」は、ベトナムに於いて「Sa mạc tình yêu」(ベトナム語:「砂漠の愛」)というタイトルで、様々な歌手によってカヴァーされている。

ライブでは、1982年香港香港スタジアムで初の日本人ワンマンコンサートを行い、8000人の香港ファンが駆けつけた。翌1983年再び香港に渡り、クイーンエリザベスホールで2日間のコンサート。そして2014年7月15日、31年ぶりとなる香港でのコンサートを催行。会場のコンベンションエグジビジョンセンターは5000人の観客で埋まった。1986年5月のインドネシア・ジャカルタのスナヤン・コンベンションホールでワンマン・コンサートを行い、7000人を動員した。1992年5月マレーシア公演は国際交流基金の主催でプトラ・ワールド・トレード・センターにて、シーラ・マジツトをゲストに行われた。

人物

[編集]

子供時代

[編集]

子供の頃は両親が共働きで、いつも近所の子と外で遊びながら、家の鍵を持つ兄姉など家族の帰りを待っていた[1]。当時は好奇心旺盛で面白いものを見つけるとどんどん追いかけるような子供だった[1]。また、夕焼けが大好きで、先の友だちが家に帰った後も、よく一人で夕焼けを眺めていたという[1]

音楽好きな父が趣味でヴァイオリンを弾いていたこともあり、自宅にはその他色々な楽器やレコードがあり、ラジオからは歌謡曲が流れるなどいつも音楽に囲まれて生活していた[1]。10代の頃は純粋に歌が好きだったが、この頃はプロの歌手になることは特に考えていなかった[1]。高校卒業後は英語の専門学校に進学したが、集団行動が苦手に感じることもあったことから、半年後に学校を辞めた[1]

歌手デビュー

[編集]

ほどなくして銀座や新宿などにある歌声喫茶のような店の小さなステージで、ギターの弾き語りのバイトを始めた[1]。当時一世風靡していた小劇場「渋谷ジァン・ジァン」は本人にとって憧れの舞台で、後日そこのオーディションに合格して音楽活動をスタート[1]。当時この舞台では、ジョーン・バエズの「ドンナ・ドンナ」(ドナドナ)や「朝日のあたる家」、ピーター・ポール&マリー(通称・PPM)の曲など、ポピュラーな英語の歌(洋楽カバー)を披露していた[1]

その後「自分の言葉で歌いたい」と思うようになり、作り上げたのがデビュー曲の「少女」だった[注釈 1]。デビュー当時、本人には「アメリカでレコーディングした和製キャロル・キング!」という華やかな宣伝文句が付いていた[1]。ただし同曲の中身はとてもささやかな私的なもので、宣伝文句とのギャップを感じていた本人は、当時そうした生活に馴染むのに少し時間がかかったという[注釈 2]

曲作りなど

[編集]

本人は、「私にとって音楽とは、自分自身を大きく飛躍させてくれるもの」と位置づけている[1]

作詞作曲をする際本人の場合は、詞が先にでき上がることが多いとのこと[1]。何気ない日常の中で、ちょっとした印象的な場面や刺激があった時に詞が浮かんでくるという[1]。詞を思いついたら忘れないようすぐに紙[注釈 3]に書いている[1]。その後書き溜めておいたいくつかの詞を用いて、さらに内容をふくらませて曲を完成させる、という手法を取っている[1]

五輪は自ら楽曲制作を行っているが、本人は「楽曲って最終的にはアレンジャー(編曲者)の感性に委ねることになるんです」としている[1]。「恋人よ」では、作詞作曲してアレンジャーに編曲してもらった後、スタジオで初めて音を聴いた時に「魂が震えるような感覚を覚えた」という[1]

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]
発売日 タイトル カップリング 規格
CBS・ソニー / UMI
1st 1972年10月21日 少女 空を見上げる夜は EP
2nd 1973年3月21日 汚れ糸 EP
3rd 1973年7月1日 昨日までの想い出 黒猫とゆりかご EP
4th 1973年10月1日 煙草のけむり EP
5th 1974年2月21日 冬ざれた街 春風 EP
6th 1974年7月1日 ミスター・クラウディ・スカイ あじさいの花 EP
7th 1974年10月1日 酒酔草 ちいさな水たまり EP
8th 1975年2月21日 落日のテーマ 旅路 EP
9th 1975年10月21日 うつろな愛 リンゴの樹の下で EP
10th 1976年4月1日 ジャングルジム 浜辺 EP
11th 1977年6月21日 清い流れのように EP
12th 1977年10月21日 ゲーム 東京 EP
13th 1978年3月21日 さよならだけは言わないで 春に咲く花 EP
14th 1978年9月21日 残り火 恋愛ともだち EP
15th 1979年4月21日 夜汽車 一葉舟 EP
16th 1979年9月21日 合鍵 岐路(みち) EP
17th 1980年3月21日 約束 こんなにもあなたを EP
18th 1980年8月21日 恋人よ ジョーカー EP
19th 1981年3月7日 運命 春・のすたるじい EP
20th 1981年9月21日 リバイバル 手紙 EP
21st 1982年3月21日 ジグソーパズル 行きずり EP
22nd 1982年6月21日 問わず煙草 あなたのいない夜 EP
23rd 1982年9月22日 抱きしめて (愛は夢のように) 野性の涙 EP
24th 1983年4月21日 真夜中のラブソング ラブリーデイ EP
25th 1983年10月1日 時計 夜行列車 EP
26th 1983年12月10日 野性の涙 EP
27th 1984年3月5日 他人がえり ジェラシー EP
28th 1984年6月1日 熱いさよなら ラブ EP
CBS・ソニー
29th 1985年12月5日 密会 ジュ・テーム EP
30th 1986年3月5日 風の詩 EP
31st 1986年4月1日 時の流れに〜鳥になれ〜 EP
32nd 1986年8月27日 泣かないで 家路 EP
33rd 1987年4月1日 そしてさよなら 恋しさは今 EP
34th 1988年9月21日 ハロー、マイ・フレンド 恋しても EP
8cmCD
35th 1990年10月21日 おまえ 忘れたくない恋 8cmCD
Sony Records
36th 1992年4月22日 さよならは一度だけ 微笑みは出会いと共に 8cmCD
37th 1992年8月21日 いつも そして いつまでも 海辺の恋 8cmCD
38th 1994年2月21日 悲しみにまかせて See You Again 8cmCD
39th 1996年2月1日 うたかた 春・のすたるじい (Rearranged ver.) 8cmCD
40th 1996年5月22日 恋は突然に 風よ 8cmCD
41st 1997年1月22日 時は過ぎて いつかあなたと 8cmCD
42nd 2000年7月19日 愛の約束/心の歌 8cmCD
43rd 2004年6月23日 ふれあう時を信じて 夢は時を越え マキシシングル (CCCD)
マキシシングル (CD)
Sony Music Direct
44th 2013年7月24日 BORN AGAIN 花のように マキシシングル

デュエット・シングル

[編集]
名義 発売日 タイトル c/w 規格 発売元
五輪真弓 duet with DELONインドネシア語版 2005年8月24日 KOKORO NO TOMO Try To Remember マキシシングル Sony Records

オリジナル・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格
CBS・ソニー / UMI
1st 1972年10月21日 少女 LP
2nd 1973年7月1日 風のない世界 LP
3rd 1974年7月21日 時をみつめて LP
4th 1975年10月21日 Mayumity - うつろな愛 LP
5th 1977年6月21日 えとらんぜ LP
6th 1977年11月1日 蒼空 - TODAY LP
7th 1978年12月5日 残り火 LP
8th 1979年11月21日 岐路 LP
9th 1980年9月6日 恋人よ LP
10th 1981年9月21日 マリオネット LP
11th 1982年10月21日 潮騒 LP
CD
12th 1983年10月21日 窓 〜せめて愛を〜 LP
CD
CBS・ソニー
13th 1985年12月5日 風の詩 LP
CD
14th 1986年9月5日 時の流れに LP
CD
15th 1987年5月21日 Wind and Roses LP
CD
16th 1988年9月30日 ノスタルジー LP
CD
17th 1990年10月21日 名もなき道 CD
Sony Records
18th 1992年8月21日 The Memorial Album CD
19th 1994年3月9日 Personal CD
20th 1996年2月1日 21世紀 CD
21st 2003年4月9日 Time To Sing CD
Sony Music Direct
22nd 2007年10月31日 Welcome Hybrid SACD

ライブ・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格
CBS・ソニー / UMI
1st 1974年3月21日 冬ざれた街 LP
2nd 1975年3月21日 本当のことを言えば LP
3rd 1975年12月5日 The SHOW - best concert album '75 LP
4th 1981年4月1日 春愁 LP
5th 1983年4月21日 MAYUMI ITSUWA '83 CD
6th 1984年7月21日 1984五輪真弓ライヴ 熱いさよなら LP
CD
Sony Music Direct
7th 2016年10月19日 五輪真弓ライブ 心の友〜 AFTER DECADES CD

ベスト・アルバム

[編集]
発売日 タイトル 規格
CBS・ソニー / UMI
1st 1977年11月1日 五輪真弓 the best LP
2nd 1977年11月21日 五輪真弓 全曲集 CT
3rd 1978年8月1日 MY SONGS/さよならだけは言わないで LP
4th 1981年7月1日 五輪真弓 コレクション LP
5th 1982年6月21日 COLLECTION '82 LP
CBS・ソニー
6th 1985年11月10日 五輪真弓全集/フェイバリット・ソングス CD
7th 1986年4月21日 五輪真弓 ベスト・コレクション CD
8th 1987年11月1日 五輪真弓 33 ALL singles CD
9th 1988年7月1日 Four Songs 8cmCD
10th 1989年11月22日 ニュー・ベスト・セレクション CD
Sony Records
11th 1991年9月1日 Anniversary Eve 〜Brand-new Best〜 CD
12th 1991年11月1日 Another Face 〜English Best Selection〜 CD
13th 1993年6月21日 アンソロジーVOL.1 CD
14th アンソロジーVOL.2
15th 1996年2月1日 NOW & FOREVER〜五輪真弓ベスト・コレクション〜 CD
16th 2002年2月20日 MAYUMI CLASSICS CD
17th 2003年12月17日 BLUE ANTHOLOGY CD
18th 2005年12月21日 MAYUMI THE BEST〜KOKORO NO TOMO CD
Sony Music Direct
19th 2009年6月10日 GOLDEN☆BEST deluxe 五輪真弓 コンプリート・シングルコレクション CD
20th 2013年10月23日 Lovers & Friends Blu-spec CD2
21st 2015年9月30日 五輪真弓 THE BEST ENCORE
22nd 2017年8月30日 GOLDEN☆BEST 五輪真弓 -スペシャルセレクション- CD
23rd 2022年10月21日 Mayumi Itsuwa Premium best -HISTORY- Blu-spec CD2

映像作品

[編集]
発売日 タイトル 規格
CBS・ソニー
1st 1983年5月1日 五輪真弓'83 VHS
LD
2nd 1987年1月21日 五輪真弓 ライブ・時の流れに LD
3rd 1987年9月21日 Wind And Roses CDV
4th 1988年4月1日 MASTER PIECE VHS
Sony Records
5th 1993年1月10日 五輪真弓20周年コレクション コンサートツアー '92〜'93 VHS

タイアップ一覧

[編集]
楽曲 タイアップ 収録作品
冬ざれた街 TBSポーラテレビ小説愛子』主題歌 シングル「冬ざれた街」
落日のテーマ NHK 銀河テレビ小説『僕たちの失敗』主題歌 シングル「落日のテーマ」[注釈 4]
野性の涙 NHK 銀河テレビ小説『今ぞ恋しき』主題歌 シングル「野性の涙」
熱いさよなら TBS系『ザ・サスペンス』エンディングテーマ シングル「熱いさよなら」
銀座ジュエリーマキ CMソング シングル「空」
時の流れに〜鳥になれ〜 銀座ジュエリーマキ・カメリアダイアモンド CMソング シングル「時の流れに〜鳥になれ〜
泣かないで 銀座ジュエリーマキ CMソング シングル「泣かないで」
そしてさよなら 関西テレビフジテレビ系『夏樹静子サスペンス』主題歌 シングル「そしてさよなら」
忘れたくない恋 テレビ朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ シングル「おまえ」
さよならは一度だけ 読売テレビ日本テレビ朝の連続ドラマ愛情物語』主題歌 シングル「さよならは一度だけ」
いつもそしていつまでも ニッセイ愛の唄『ロングラン』CMソング シングル「いつもそしていつまでも」
恋は突然に テレビ東京系『徳光和夫の情報スピリッツ』エンディングテーマ シングル「恋は突然に」
時は過ぎて 東映配給映画『流れ板七人』主題歌 シングル「時は過ぎて」
愛の約束 ハウス食品『こくまろ』CMソング シングル「愛の約束/心の歌」
心の歌 NHK『五七五紀行』テーマソング
ふれあう時を信じて テレビ東京系『ワールドビジネスサテライト』エンディングテーマ シングル「ふれあう時を信じて」
BORN AGAIN NHKラジオラジオ深夜便』より シングル「BORN AGAIN」

出演番組

[編集]
  • ザ・ミュージック 五輪真弓の世界
  • FM25時 五輪真弓 夜のエトランゼ(エフエム東京)

NHK紅白歌合戦出場歴

[編集]
年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1980年(昭和55年)/第31回 恋人よ 8/23 さだまさし
1981年(昭和56年)/第32回 リバイバル 11/22 寺尾聰
1986年(昭和61年)/第37回 時の流れに〜鳥になれ〜 9/20 小林旭 5年ぶり復帰出場
1987年(昭和62年)/第38回 心の友 11/20 チョー・ヨンピル
1988年(昭和63年)/第39回 Wind and Roses 20/21 谷村新司 トリ前

主な提供楽曲

[編集]

この他、松田聖子にも『ミュージックフェア』の番組内企画として「街角のカフェテラス」を提供(作詞・作曲)。後に五輪自身の歌唱により「熱いさよなら」として発売されている。

NHKみんなのうた

[編集]
  1. 遠いまち(作詞・作曲・歌。1976年2~3月初回放映。映像には五輪本人が出演)2016年販売のCD『NHKみんなのうた 55 アニバーサリー・ベスト 〜チョコと私〜』に初収録。
  2. 星の子供たち(作詞・作曲・歌。1998年6~7月初回放映)2022年販売のCD『Mayumi Itsuwa Premium best -HISTORY-』に初収録。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本人は、「『少女』は大人になる無念さを歌った曲で、自分の体験を基に作りました。子供時代は二度と帰れないかけがえのないものだったから、そこからあの内面的で私小説のような歌ができたんです」と語っている[1]
  2. ^ 時間がかかった理由は他にもあり、本人は以下のようにも語っている。「レコードデビューしましたが、私としては有名になりたくて、ヒットを出したくてレコーディングしたわけではありませんでした。それまでのような自由がきかなくなって自分のペースを崩される状況になってしまい、当時はそのことに自分自身が理解できなかった(気持ちが追いつかなかった)のかもしれません」[1]
  3. ^ レシートの裏やチラシの余白など、その場その場にある紙で書いていいものならなんでも。
  4. ^ 『僕たちの失敗』(NHK、1974年)の主題歌で、放送の翌年に発売された。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 私にとって音楽は自分を飛躍させるもの。不死鳥のように、どこまでも飛んでいきたい。”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2013年5月). 2023年6月16日閲覧。
  2. ^ a b 「決定!保存版 '76 ALLスタアLIST 五輪真弓」『スタア』1976年2月号、平凡出版、86頁。 
  3. ^ a b c d アーティスト・アーカイヴ 五輪真弓 イツワマユミ”. 記憶の記録 LIBRARY. 日本音楽制作者連盟. 2023年6月21日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 「今月のミュージックテープ情報 『少女/五輪真弓』 CBSソニー〔SZLF-24-UM〕 ¥2,400」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年1月号、東京映音、89頁。 
  5. ^ a b 濱口英樹「本城和治インタビュー」『ヒットソングを創った男たち〜歌謡曲黄金時代の仕掛人』ヤマハミュージックメディア、2018年、87-90頁。ISBN 978-4401645268 
  6. ^ a b c d e f g h 名田貴好; 橋倉正信『青春音楽グラフィティ タイガースからYMOまで』集英社集英社文庫 COBALT-SERIES〉、1981年4月、96–99,376頁。 
  7. ^ アルバム『恋人よ』(1980年9月6日発売)復刻盤CD1990年9月15日発売/規格品番:CSCL-1235)より。
  8. ^ プロフィール”. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2024年11月22日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]