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清水由貴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しみず ゆきこ
清水 由貴子
本名 清水 由貴子
生年月日 (1959-09-07) 1959年9月7日
没年月日 (2009-04-20) 2009年4月20日(49歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都台東区浅草[1]
死没地 日本の旗 日本静岡県駿東郡小山町
血液型 A型
職業 女優歌手タレント
活動期間 1977年 - 2007年
主な作品
【レコード】
お元気ですか」「銀座の雨の物語
【TVドラマ】
花よめは16歳」「同心暁蘭之介」「噺家カミサン繁盛記」「幸福の明日
【CM】
味の素」「カルビー」「ヤクルト」「ライオン
【バラエティー】
欽ちゃんの週刊欽曜日」「それは秘密です!!」「ザ・スターボウリング
【映画・舞台】
「ランドセルゆれて」「売らいでか!」
受賞
第3回日本テレビ音楽祭新人賞
第4回横浜音楽祭新人賞
第6回東京音楽祭国内大会優秀新人賞
第10回新宿音楽祭銅賞
第4回FNS歌謡祭優秀新人賞
第8回日本歌謡大賞新人賞
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清水 由貴子(しみず ゆきこ、本名同じ、1959年昭和34年〉9月7日 - 2009年平成21年〉4月20日)は、日本歌手女優タレントである。愛称は「ユッコ」。

来歴・人物

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芸能界デビュー

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東京都台東区出身[1]1976年2月18日(放映は同年3月14日)、NTVのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決戦大会で、イルカのヒット曲『なごり雪』を歌唱。芸能プロダクション、レコード会社合わせて14社からスカウトのプラカードが上がる。同じこの決戦大会で合格し、後にピンク・レディーとなる根本美鶴代増田啓子の二人組をおさえて最優秀賞(グランドチャンピオン)となった。当時の「スター誕生!」の審査員で、デビュー曲の作詞も手がけた阿久悠によれば、テレビ予選に合格した時点で、既に次の決戦大会の大本命として、各社スカウトマンから注目されていた。

決戦大会後は日本テレビを交えた作戦会議が何度も開かれ、期待の新人として万全に万全を期す形で、合格から1年後の1977年3月1日に「お元気ですか」でCBS・ソニーから歌手デビュー。清水のキャッチフレーズは「ほほえみスイング まごころハミング」で、同じ1977年に女性アイドル歌手としてデビューを果たし、清水と仲の良かった榊原郁恵高田みづえと共に当時「フレッシュ3人娘」と称された。狩人荒木由美子なども同期。

後にソニーのプロデューサー酒井政利は「私は新人は自分で探すという自負心があったため、本来は『スター誕生!』とは距離を置いていましたが、山口百恵と清水由貴子だけは手がけてみたいと思えた」と語った[2]

『スター誕生!』で司会した萩本欽一も「同情とは別の部分で、その執念を理解した。立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った。それは、百恵ちゃんと清水由貴子の2人だけだったね……」と語る[3]

デビュー曲がヒットして当時盛んだった賞レースで多くの新人賞を獲得したが、『速報!日本レコード大賞』(TBS、1977年11月22日放送)の新人賞(5人枠)は、清水健太郎高田みづえ狩人の順で新人賞受賞が確定して上位2名の決選投票太川陽介に破れた後、最後の1枠を巡って榊原郁恵と再び決選投票となり、僅差で受賞しなかった[4]

翌年もシングルは順調に発売されたがヒット作品がなく、萩本欽一や同じレコード会社の杉良太郎の後押しもあって、次第に活躍の場をテレビドラマバラエティ番組に移した。歌手としてシングル10枚、アルバムを2枚発売した。1985年RCAレコードへ移籍し、単独名義は6年ぶりのシングル「いつか秋」が最後の発売となった。

萩本関連の番組に出演していることから「欽ちゃんファミリー」の1人として名前が挙げられることも多かった。80年代末から90年代前半にかけてオンエアされたヤクルトのCMでは、それまでのイメージとは違う気の強い母親役を演じ、トータルで十数本ものシリーズが制作された。本人の談によれば、このCMシリーズの中に登場した亀(息子役の幼稚園児のペット)がきっかけで、以後、自分でも亀グッズの収集を趣味にしていた。

90年代は情報番組のレポーターとしてのテレビ出演が増え、『徹子の部屋』に出演してレポーターの仕事で得た知識が自分の家を買うときに非常に役に立ったと語っている。この時期は、『噺家カミサン繁盛記』で主演、NHK朝の連続テレビ小説春よ、来い』のレギュラー、その他数多くの2時間ドラマに出演し、2000年に「フジテレビ、今世紀最後の昼ドラ」(制作は東海テレビ)と銘打った『幸福の明日』で、子供の取り違えに苦悩する主人公を演じて女優の幅を広げた。

以降は2度目となるNHK朝の連続テレビ小説『こころ』のレギュラーをはじめ、連続ドラマやシリーズドラマへのゲスト出演、映画『ランドセルゆれて』での主演等、中堅女優として順調に活躍したが、2006年に「母親の介護も兼ねてゆっくりしたい」と本人の希望でデビュー以来所属した芸映から独立する。

妹の著書によれば、この時点で母親の容態は白内障の手術がうまくいかず視力が低下していたことを除けば、少なくとも後に報道されたような深刻な状態ではなかった。目標に向けて突っ走る性格の姉[5]が、仕事を辞めることで気持ちのハリを失うことの方を心配し、事実上の引退には内心反対だったものの、仕事面では相応のポジションを得てきていた頃だっただけに、人一倍責任感が強い姉の「事務所に迷惑はかけられない」という決心を前に、とうとう言い出せなかったと語っている。

事務所独立後は、長年レギュラーを務めていた山梨放送の情報バラエティー番組『ともちゃん家の5時』(1999年10月 - 2010年3月)のみを残し、それ以外の仕事は引き受けずに芸能活動を続けていたが、2007年9月に番組のリニューアルで降板して芸能界から完全に引退した。

49歳で自殺

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2009年4月21日に静岡県駿東郡小山町冨士霊園にある父親の墓前で、硫化水素が充満した黒いポリ袋を顔に被せて死亡した状態で発見された。死亡時刻は前日の20日午後5時頃と推定される。傍らに要介護の母親が車椅子に座った状態で残されて一時意識を失っていたが命に別状はなかった[6]

妹は夜勤のシフトのため、父親の墓参りへ出掛ける由貴子と母親に同行できず前日20日の日中に自宅玄関先で見送ったが、以後は姉の携帯電話へ何回かけても連絡が取れず、翌日の午前中に帰宅してもまだ帰宅しておらず不審に思い霊園へ問い合わせて発見された。霊園側から折り返しの連絡を受けて搬送先へ直行した妹と元・マネージャー[7]によって同日、本人と母親であることがそれぞれ確認された。

遺書に書かれていた「東京では葬儀をあげないで下さい」という本人の遺志通り、4月24日に同県御殿場市密葬が営まれ、相本久美子角川博櫻井淳子黒部幸英八波一起らが参列した。戒名は介護を続けた母への愛情に満ちた人生を意味する「慈孝由和清大姉(じこうゆうわせいだいし)」。25日に同所で葬儀・告別式が営まれ、親族や「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演した佐藤B作らも参列、当時弔問に訪れることができなかった萩本欽一からも供花が捧げられた[8]

清水の生前の明るいイメージと結びつかない事件は、22日のテレビ、スポーツ紙上で大きく取り上げられた。突然の訃報に「スター誕生!」のオーディションから知り、デビュー後も自身の冠番組「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」、「欽ちゃんの週刊欽曜日」、「悠々くらぶ」[9](1991年から放送のNHK情報バラエティー番組)で3回共演するなど関係が深かった萩本欽一[10]は当初ノーコメントだったが、4月27日に放送されたTBS系「みのもんた朝ズバッ!」で、亡くなる前年10月に20数年ぶりの手紙をもらっていたことを明かした。萩本は「最後に『これからも頑張るからね』と書いてあったけど、何かの叫びだったのかなぁ」と何もしてあげられなかったことを悔やみ、「ユッコちゃんは“いい子”にくたびれたのかな。だけど、最後はちょっと悪い子だったな。もうちょっと頑張ってほしかった」と涙ぐみながらコメントしていた[11]

清水と同期デビューで「フレッシュ三人娘」と呼ばれた親友の榊原郁恵は動揺が大きいためマスコミに対応が出来ず、高田みづえも連絡が取れなかった[12]。夫婦共に清水と交流があった湯原昌幸荒木由美子夫妻[13]も「辛い事があっても笑い飛ばす人だった。(母の介護に)どんな想いだったんだろうかと思うと切ない」と語った[14]

萩本欽一の番組で共演しデュエット曲もリリースした小西博之は、報道直後に「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコを許さない。天国なんかに絶対に行かせない。冥福も祈らない。僕が引き戻してやるから」と涙ながら怒りに声を震わせ、通夜と葬儀を欠席した[15]2015年5月1日にTBS系「爆報! THE フライデー」で小西は、清水の7回忌で初めて墓参りしたと明かし、「僕はユッコちゃんに助けられたけど、僕はユッコちゃんを助けられなかった。それが悔しくて……」と清水を気遣うことが出来なかったと懺悔して「話聞いてあげればよかった。ごめんな」と号泣した[16][17]

11月17日に妹の良子がブックマン社から「介護うつ ―お姉ちゃん、なんで死んじゃったの―」(ISBN 978-4893087287)を上梓した。「周囲には一切弱音を吐かなかった」[18]と姉の姿を振り返りながら介護による孤立・自殺の防止を訴え続けている[19]

一命を取り留めた母は2010年9月17日に都内の病院で79歳で他界した。

経歴

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  • 1959年(昭和34年)9月7日 - 東京都台東区浅草に生まれる。
  • 1965年(昭和40年) - 竹ノ塚団地(足立区)に転居。この頃、父親が月賦でオルガンを購入してくれたことで音楽に目覚める。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 足立区立保木間小学校に入学。
  • 1967年(昭和42年) - 再び浅草の駒形へ転居し、台東区立田原小学校に転入。6月、妹が誕生。
  • 1968年(昭和43年) - 父が心臓肥大のため他界。生活が急変する中、家族を支え、学校では合奏団でマリンバを担当。当時の生活のエピソードとして、近くのお米屋によくお米を借りに行っていたという。後年、番組企画でこのお米屋に訪れ再会を果たしている。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 台東区立蔵前中学校に入学。卓球部では副部長を務め、区大会個人戦三回戦まで勝ち進む。また、フォークソングにも熱中し、アルバイトで念願の中古ギターを購入する。
  • 1975年(昭和50年)
    • 4月 - 東京都立京橋商業高等学校に入学。
    • 9月 - オーディション番組に応募したという同校の生徒に刺激され「スター誕生!」に応募。
    • 10月8日 - 有楽町よみうりホールで行われた予選大会で合格。テレビでの本選大会に出場する7名の中のひとりに選ばれる。
    • 11月12日 - 後楽園ホールでの本選大会で、太田裕美の「雨だれ」を歌い合格。決戦大会に駒を進める。このとき弾いたギターは、本選大会出場が決まった際、歪んだ中古ギターのために娘に後悔させたくないと、苦しい家計をやりくりして母親が買ってくれた新しいギターだったという。
  • 1976年(昭和51年)
    • 2月18日 - 決戦大会ではイルカの「なごり雪」を歌い最優秀賞を獲得。14社から指名を受け、第16回グランドチャンピオンとなる。
    • 8月 - 芸能界デビューに向けて、事務所が用意した杉並区阿佐ヶ谷のアパートへ転居。
    • 12月 - 東京都立京橋商業高等学校を在籍1年9か月で退学。
  • 1977年(昭和52年)
    • 1月 - 明大中野高校定時制に転入[1]
    • 3月1日 - CBS・ソニーから「お元気ですか」でデビュー。キャッチフレーズは「ほほえみスイング まごころハミング」。
    • 7月1日 - セカンドシングル「明日草」発売。
    • 10月10日 - サードシングル「ほたる坂」発売。曲名の「ほたる坂」は東京谷中の宗林寺に「蛍坂」として実在する。
    • 12月21日 - ファーストアルバム「ほたる坂から」発売。
  • 1978年(昭和53年)
    • 2月25日 - 4thシングル「天使ぼろぼろ」発売。
    • 5月5日 - 千代田公会堂にて初のコンサート、「小さな小さなまごころコンサート」を開催。
    • 6月1日 - 5thシングル「多感日記」発売。
    • 6月23日 - フジテレビワイドショー小川宏ショー』「希望の詩・少女の涙の詩へ 清水由貴子 初公開の曲」にて自身の作詞作曲した歌を披露する。
    • 9月1日 - 6thシングル「歌を重ねて」発売。
    • 10月10日 - 「ファンクラブユッコ★ファンの集い 甲府ぶどう狩り」バスツアー開催。クイズの景品として本人手作りのおにぎりが登場した。
    • 12月5日 - 7thシングル「神様・なぜ愛にも国境があるの!」発売。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月6日 - NTV系「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」でコメディドラマに初出演。撮影のため半年間の歌手休養宣言。
    • 9月7日 - 芝ABCホールにて2度目のコンサート、「清水由貴子 コンサート 今、歩きはじめて…20の誕生日」を開催。
    • 9月21日 - 8thシングル「言問橋」、セカンドアルバム「私小説」を同時発売。歌番組ではデビュー曲以来の弾き語りスタイルで歌った。
    • 11月19日 - テレビ朝日系列の「花よめは16歳」でドラマ初主演を果たす。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)10月8日 - 「同心暁蘭之介」のレギュラーとして時代劇に初挑戦。独身の同心宅に住み込みで奉公する女中・おりき役。ドラマの中ではご主人様として仕え、絡みも多かった主演の杉良太郎から、役者としての心構えや芝居のイロハを厳しく指導される。
  • 1982年(昭和57年)10月8日 - 「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーに抜擢。「欽ちゃんバンド」のコーナーではエレクトリックピアノを担当。
  • 1983年(昭和58年)9月21日 - キャニオン・レコードから丸4年ぶりのシングル、通算9枚目となる「銀座の雨の物語」をリリース。「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演の小西博之とのデュエット曲。番組内でもコントの最中に披露し、毎週、マイクがどこから出て来るかわからないという演出で会場を沸かせた。
  • 1984年(昭和59年)6月12日 - 初めてのサスペンスドラマ「火曜サスペンス劇場 行きずりの殺意」に、犯人役・船越栄一郎の恋人役で出演。
  • 1985年(昭和60年)
    • 4月13日 - 「パンツの穴 花柄畑でインプット」(東映)に南清子(教師)役で映画初出演。
    • 9月21日 - RCAから10枚目のシングル「いつか秋」を発売。これがラストシングルとなった。またこの頃、清水由貴子の歌で「スーパーマーケットチェーン三和」のイメージソング「サンワ・マイ・フレンド」が録音されている。尚、レコード化はされていない。
  • 1988年(昭和63年) - ヤクルトのCMに母親役で出演。長期にわたる人気シリーズCMとなった。
  • 1991年(平成3年) - フジテレビ系列の連続ドラマ「噺家カミサン繁盛記」に落語家師匠のおかみさん・和代役で出演。2度目の主演ドラマ。
  • 1994年(平成6年) - 「春よ、来い」でNHK朝の連続テレビ小説に初出演。第1部と第2部では全く異なる役でレギュラー出演。
  • 1995年(平成7年)
    • アニメ「あたし天使あなた悪魔」で初めてのアフレコ。主人公の声と主題歌(音源未発売)を担当した。
    • 武蔵野市に念願の一戸建てを購入。ローンが嫌で繰上げ返済を重ね、当初の予定返済期間25年のところをで10年で完済した。
  • 1996年(平成8年) - 浜木綿子主演の舞台「売らいでか!」で初の商業演劇に挑戦。
  • 2000年(平成12年) - フジテレビ系列の連続ドラマ「幸福の明日」で3度目のドラマ主演を務める。
  • 2002年(平成14年) - 自身の手によるHP「かめのしっぽ」を立ち上げる。自らがデジカメで写したドラマの撮影現場や共演者、旅行先での写真にコメントを添える形で構成されていた。
  • 2003年(平成15年)
    • ドラマ「夢の約束」で単発ドラマでは初めての主演。
    • 映画「ランドセルゆれて」で映画初主演。
    • 山梨を楽しもう!キャンペーン2003『思い出のやまなし・旅の絵手紙』コンテストの審査員を務める。
  • 2005年(平成17年) - NTTドコモ九州のイメージキャラクター(地域限定)としてCMに出演。
  • 2006年(平成18年)3月 - 所属事務所「芸映」を退社。
  • 2007年(平成19年)9月 - 芸能界を引退。
  • 2009年(平成21年)4月20日 - 静岡県駿東郡小山町にて自殺。享年49。

ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位
(売上枚数)
規格品番
CBS・ソニー
1 1977年
3月1日
A面 お元気ですか 阿久悠 三木たかし 30位
(8.2万)
06SH-119
B面 あじさい村から
2 1977年
7月1日
A面 明日草 三木たかし 萩田光雄 45位
(4.3万)
06SH-180
B面 少女のメルヘン
3 1977年
10月10日
A面 ほたる坂 三木たかし 79位
(1.5万)
06SH-225
B面 野菊の墓
4 1978年
2月25日
A面 天使ぼろぼろ - 06SH-264
B面 自画像
5 1978年
6月1日
A面 多感日記 06SH-345
B面 不幸な秋
6 1978年
9月1日
A面 歌を重ねて 阿部敏郎 福井峻 06SH-382
B面 遠い星からの手紙 草鹿宏 阿部敏郎
7 1978年
12月5日
A面 神様・なぜ愛にも国境があるの! 都倉俊一 萩田光雄 06SH-424
B面 私は泣かない 山口洋子
8 1979年
9月21日
A面 言問橋 喜多條忠 水谷公生 瀬尾一三 06SH-580
B面 子供のままでいられたら 清水由貴子 菅原進 福井峻
キャニオン・レコード
9 1983年
9月21日
A面
[20]
銀座の雨の物語[21] 阿久悠 南こうせつ 井上鑑 25位
(8.7万)
7A-0316
RCA
10 1985年
9月21日
A面 いつか秋 杉紀彦 森田公一 馬飼野俊一 - RHS-218
B面 想い出の出発[22]

アルバム

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発売日 タイトル 規格 規格品番
1977年12月21日 ほたる坂から LP 25AH374
1979年9月21日 私小説 LP 25AH779

コンサート・イベント

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  • 小さな小さなまごころコンサート(千代田公会堂)  1978年5月5日
  • ファンクラブ ユッコ★ファンの集い 甲府ぶどう狩りバスツアー  1978年10月10日
  • 清水由貴子 コンサート 今、歩きはじめて…20の誕生日(芝ABCホール)  1979年9月7日
  • 第3回サマーピクニック 熊本県阿蘇郡坊中キャンプ場(小西博之と共にゲスト出演)   1983年8月6日〜7日

その他

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  • サンワ・マイ・フレンド(スーパー三和 企業イメージソング)歌:清水由貴子 作詞:岩倉みゆき 作曲:増田豊

新人時代(1977年)の受賞

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タイアップ曲

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楽曲 タイアップ
1978年 歌を重ねて 集英社コバルト文庫」イメージソング
神様・なぜ愛にも国境があるの!

出演

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連続ドラマ (レギュラー)

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連続ドラマ (ゲスト)

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単発ドラマ

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  • サザエさん 恋の季節だよ! サザエさん(フジテレビ)(星野知子主演)(1983年4月6日)
  • 月曜ドラマランド (フジテレビ)
    • ぐうたらママ」(1983年7月4日)
    • 「ぐうたらママ2」(1983年11月7日)
    • 「ぐうたらママ3 ぐうたらママ怒る」(1984年4月30日)
  • 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
    • 「行きずりの殺意」(1984年6月12日) - 平山幸子 役
    • 弁護士・高林鮎子29」(2001年11月20日) - 成瀬裕子 役
    • 警部補 佃次郎16女の賭け」(2002年11月12日) - 野口千絵 役
    • 「産婦人科医・南雲綾子2 〜四十三歳、初産の女〜」(2003年7月29日) - 秋元珠代 役
    • 弁護士・高林鮎子33」(2004年7月6日) - 渡辺清美 役
    • 街の医者・神山治郎スペシャル ダイエット症候群の女 やせる裏技で男を奪う鮮血のメロンパン」(2005年4月5日) - 田辺亜希 役
  • 月曜ワイド劇場(テレビ朝日)
    • 「女が会社で上司いびりを始めるとき」(1986年6月23日)
  • 木曜ゴールデンドラマ(読売テレビ)
    • 「死者からの使者」(1988年3月24日)
    • 「長い道IV 母がボケた!問われる三姉妹の愛、哀しき父の決断」(1989年10月26日) - 祐子 役
    • 「結婚戦争・逆タマの母、息子よ財産に惚れるな」(1990年6月28日) - 愛子 役
    • 「再婚旅行・花も嵐も踏みこえて、熟年男女が涙で綴る純愛の詩」(1991年3月14日)
  • 火曜スーパーワイド火曜ミステリー劇場(テレビ朝日)
    • 「南紀白浜踊り子電車殺人事件」(1989年4月18日) - 小坂友子 役
    • 「ベビーシッター 桃子の冒険」 (1990年6月26日)
  • 水曜グランドロマン(日本テレビ)
    • 「別れの余韻」(1990年6月13日)
  • 金曜エンタテイメント(フジテレビ)
    • 細うで繁盛記(2)」(1995年2月3日) - 正子 役
    • 「また家族にしてね」(1996年5月31日)
    • 名古屋嫁入り物語(9)」(1997年7月4日)
    • 「熱血ド演歌分校先生の事件通信簿・1 20年前の白骨死体が復讐!?(熱血!イノシシ先生の事件通信簿)」(1998年1月30日)
  • 月曜ドラマスペシャル月曜ミステリー劇場 (TBS)
  • 土曜ドラマNHK総合
    • 「オバサン、咲いた!」(1993年6月19日)
  • 土曜ワイド劇場(テレビ朝日)
    • 「越後親不知、死を招くファインダー 白鳥は虚空に叫ぶ!」(1991年2月9日) - 木村美恵 役
    • おとり捜査官・北見志穂「ラッシュアワー連続殺人!」」(1998年5月30日) - 相沢理恵 役
  • 土曜サスペンス(テレビ朝日)
    • 「挑戦する女・弁護士 七尾響子 セクハラ連続殺人!」(2006年02月18日) - 林 勝子 役

※「挑戦する女・弁護士 七尾響子 セクハラ連続殺人!」は『土曜ワイド劇場』枠で放送するために2002年撮影されたがお蔵入りし、長らく未放送だったが、2006年2月に昼間の『土曜サスペンス』の放送枠で初放送された。

  • 欽ちゃんファミリー時代劇スペシャル「俺たちの熱い風」(1984年10月7日 日本テレビ) - 志乃 役
  • 幕末青春グラフィティ 福沢諭吉(1985年2月11日 TBS) - 豆奴 役 DVD販売元:松竹(2013年12月5日 DB-0740) VHS販売元:ポニー(V128F-1312)
  • FROZEN NIGHT フローズンナイト〜凍てつく真夏の夜〜 「大騒動の小さな家(箱庭の街)」(1989年8月12日 フジテレビ)VHS販売元:ポニーキャニオン(1989年8月21日 V98F-1948)
  • 東芝日曜劇場「別れてください」(1992年8月9日 TBS) - 由利子 役
  • 夢の約束 (2003年1月7日 テレビ大阪) - 主演 鈴木佳子 役   VHS・DVD(企画:大阪人権問題映像啓発推進協議会・製作:共和教育映画社)
  • 松本清張ドラマスペシャル 「黒の回廊」(2004年3月23日 日本テレビ) - 松村郁子 役(日本テレビ開局50年記念作品) DVD販売元:バップ(2005年1月26日 VPBX-12247)

情報・バラエティ番組

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情報ジャンル

期間 番組名 役職
1986年4月 1987年3月 なうNOWスタジオ(テレビ朝日) レギュラー出演
1987年10月 1988年3月 布施明のグッDAY(テレビ朝日) 金曜日レギュラー
1988年10月 1991年3月 内田忠男モーニングショー(テレビ朝日) 木曜日レギュラーおよび『八波一起と清水由貴子のワンダフルピープル』コーナー担当
1998年10月 2005年3月 ジャスト(TBS) 木曜日レギュラーコメンテーター
1999年10月 2007年9月 ともちゃん家の5時山梨放送 北口家の母『ゆきこ』役

バラエティジャンル

バラエティ番組の主なゲスト

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声優

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  第1話:焼き肉屋大騒動 <品番:COVC-4514>(1995年3月21日発売)
  第2話:だってヒナコが! <品番:COVC-4532>(1995年6月21日発売)

ラジオ

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映画

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  • パンツの穴 花柄畑でインプット(1985年 東映) - 南清子(青葉学園・体育教師)役  ビデオ販売元:東映ビデオ(TE-B068)
  • ドン松五郎の大冒険(1987年 東宝東和) - ユカ役   ビデオ販売元:バンダイビジュアル(1988年4月25日 BES-260)
  • 修羅場の人間学(1993年 東映) - 富子(ホステス)役  ビデオ販売元:東映ビデオ (1994年5月21日 VCTB-00592)
  • チンピラぶるーす ど・アホ!(1996年 映像京都 配給ファニーエンジェル配給) - 早川恭子役  ビデオ販売元:東映ビデオ(VRZF-326) DVD販売元:ラインコミュニケーションズ(LCDV-71356)
  • ズッコケ三人組 怪盗X物語(1998年 東映) - 奥田時子役  ビデオ販売元:東映ビデオ(1999年2月12日 VRTB858)
  • あかね色の空を見たよ(2001年 中山映画
  • ランドセルゆれて(2003年 中山映画) - 主演 工藤麻衣子役  DVD販売元:大阪学童保育連絡協議会

舞台

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オリジナルビデオ・DVD

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  第1話「パニック風味手巻ずし編」
  第2話「愛情風味ハンバーグ編」

  • 広報ビデオ『水の気持ちも考えて!-天使から“節水”のお願い-』 (1998年5月、東京都水道局NTV映像センター
  • ビデオ『心を贈る絵手紙入門(全3巻)』 (1998年発売、NHKソフトウェア
  • ビデオ『友達-ともだち-』(2002年9月発売、映像京都シナノ企画) - 主演
  • DVD『しぜんとあそぼ〜動物 かわいい ともだち〜』(2007年04月18日発売、NHK、販売元:コロムビアミュージック) - 猿のコーナーのナレーター担当

CM

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ナレーション

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その他

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  • 趣味悠々 心を贈る絵手紙入門(1998年 NHK教育) - レギュラー

雑誌

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関連書籍

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  • 『介護うつ お姉ちゃんなんで死んじゃったの?』清水良子著(2009年11月16日、ブックマン社)

脚注

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  1. ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1990年1月5日号 p.116「プロフィール」
  2. ^ “淳子超え”で、路線変更した百恵の「青い果実」 2013年1月11日 アサ芸プラス
  3. ^ 萩本欽一が初激白、百恵ちゃんが挨拶に来ない理由 2013年1月8日 アサ芸プラス
  4. ^ 【追悼特集】さようなら、清水由貴子さん 2009年4月25日 昭和TVワンダーランド
  5. ^ すでに自宅のローンを繰り上げ完済、父親の墓まで建て替えていた。
  6. ^ 清水由貴子さんが父の墓前で硫化水素自殺 日刊スポーツ2009年4月22日
  7. ^ 結婚できない苦悩…清水由貴子さん自殺哀しい足取り 発見現場で元マネジャー会見 夕刊フジ2009年4月23日
  8. ^ 欽ちゃんバンドで葬送…清水由貴子さん告別式 夕刊フジ2009年4月27日
  9. ^ 悠々くらぶ 番組表検索結果詳細 NHKアーカイブス
  10. ^ 欽ちゃん絶句! 清水由貴子さん悲しすぎる介護人生 夕刊フジ2009年4月22日
  11. ^ 欽ちゃん初告白「最後はちょっと悪い子」 2009年04月28日 マイアミブルー
  12. ^ フレッシュ3人娘の榊原郁恵は動揺大きく2009年4月22日 日刊スポーツ
  13. ^ 清水と湯原はテレビ東京系列の「ザ・スターボウリング」で、共に司会者として出演した。また清水と荒木は同学年(1959年度)生まれで、芸能界(アイドル歌手)デビューも同期生(1977年)だった。
  14. ^ 湯原夫妻ショック「いつも笑顔。せつない」 2009年4月22日 日刊スポーツ
  15. ^ デュエットの小西博之は「アカン、ボケ」 2009年4月22日 日刊スポーツ
  16. ^ 小西博之 自死の清水由貴子さんに懺悔(1)2015年5月1日 日刊スポーツ
  17. ^ 小西博之 自死の清水由貴子さんに懺悔(2)2015年5月1日 日刊スポーツ
  18. ^ 清水由貴子さん“遺書”自殺直前、妹に送ろうとしたメール 2009年11月17日 ZAKZAK
  19. ^ 介護うつ、悲劇止めたい 清水由貴子さんの妹がエッセー 2009年11月22日 asahi.com
  20. ^ B面は「佐藤のB面です。銀座の雨の物語」(歌唱:佐藤B作天園翔子)。
  21. ^ デュエット:小西博之
  22. ^ デュエット:森田公一

関連項目

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