小笠原村
おがさわらむら 小笠原村 | |||||
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父島大村地区の街並みと大村海岸 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都(小笠原支庁) | ||||
郡 | なし | ||||
市町村コード | 13421-0 | ||||
法人番号 | 6000020134210 | ||||
面積 |
113.04km2 | ||||
総人口 |
2,842人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 25.1人/km2 | ||||
隣接自治体 |
青ヶ島村、北マリアナ諸島北部諸島市 (以上海上を隔てて隣接) | ||||
村の木 |
タコノキ | ||||
村の花 | ムニンヒメツバキ | ||||
村の鳥 | メグロ | ||||
小笠原村役場 | |||||
村長 | 渋谷正昭 | ||||
所在地 |
〒100-2101 東京都小笠原村父島字西町 北緯27度05分39秒 東経142度11分31秒 / 北緯27.09419度 東経142.19192度座標: 北緯27度05分39秒 東経142度11分31秒 / 北緯27.09419度 東経142.19192度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
小笠原諸島の30あまりの島を区域とするが、一般住民が居住しているのは父島及び母島のみである。日本の最東端・最南端である南鳥島及び沖ノ鳥島を含む。
概要
[編集]村の主要な機能は人口がもっとも多い父島に集中している。伊豆諸島の町村と同様に郡の区域を画されていない。そのため「東京都小笠原村」が正式な表記である。日本で唯一、国土利用計画法における「監視区域」に指定されている。
2010年(平成22年)現在の老齢人口割合は9.2%で、全国の市町村の中でもっとも老齢人口割合が低い。逆に、生産年齢人口割合は75.7%で、全国の市町村の中でもっとも高い。
平成22年度国民健康保険、1人あたりの医療費は15万7649円で、全国の市町村の中でもっとも低い。人口の年齢構成を補正した1人あたりの医療費の指数も0.71で、全国で2位の低さである。
父島は第二次世界大戦中、父島要塞として要塞化されたが、空襲以外の攻撃が少なかったため、多くの戦争遺跡が残っている。
村の名称と同じ苗字という縁から、プロ野球選手の小笠原道大が1999年(平成11年)から2016年2月まで観光親善大使を務めた[1]。2008年(平成20年)には小笠原諸島返還40周年大使に辰巳琢郎が任命された。
東京運輸支局の管内であるため、村内で自動車を登録した場合、地域名が品川である自動車登録番号票又は車両番号票が交付される。
地理
[編集]東京都の事務所(新宿区)から小笠原村の事務所がある父島までは、約1,000キロメートル離れている。沖ノ鳥島から小笠原村の事務所である父島までは約1,000キロメートル、南鳥島からは約1,400キロメートル離れている。また、大陸から遠く離れた海洋島のため固有の動植物が多い。そのため小笠原諸島の生物地理区は、ハワイ諸島やイースター島、フィジー諸島などと同じオセアニア区に分類される。
気候
[編集]小笠原村の気候は、聟島列島・父島列島北部・西之島では温帯(亜熱帯)、父島列島南部・母島列島・火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島では熱帯サバナ気候から熱帯モンスーン気候となっている。
大陸から離れているため寒気の影響を受けにくく、同緯度の南西諸島よりも気温の日較差・年較差の小さい典型的な海洋性気候となっている。降雨については、台風の主な北上コースから外れていること、標高の高い山がないこと、太平洋高気圧(小笠原高気圧)に覆われる期間が長いことなどにより、年降水量が瀬戸内沿岸や北海道並みに少ない。
父島(熱帯サバナ気候)は最寒月平均気温が18.1℃(2月)、最暖月平均気温28.0℃(8月)、年平均気温23.4℃、年降水量1,296 mmである。南鳥島(熱帯モンスーン気候)は最寒月平均気温が21.8℃(2月)、最暖月平均気温28.5℃(7月と9月)、年平均気温25.8℃、年降水量1,053 mmとなっている[2]。
長らく日本国内で唯一、津波以外の気象警報・注意報が発表されない地域だったが、2008年(平成20年)3月26日9時から予報が開始された[3]。
歴史
[編集]- 1940年(昭和15年)4月1日 - 普通町村制の適用により、東京府小笠原支庁の父島に大村・扇村袋沢村が、母島に沖村・北村が、硫黄島に硫黄島村が設置される[4]。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行(東京府廃止)。
- 1946年(昭和21年)1月29日 - GHQよりSCAPIN-677が指令される。このSCAPIN-677によって小笠原諸島全域における日本の施政権が停止され、アメリカ軍の直接統治下に置かれる[5]。ただし欧米系島民の居住は許可され、五人委員会による自治が行われた。
- 1952年(昭和27年)4月28日 - サンフランシスコ講和条約発効により、5村は日本国政府の行政から分離され廃止。アメリカ合衆国の施政権下に置かれ、引き続きアメリカ海軍管理となる。これに伴い各村役場は廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。
- 1953年(昭和28年)4月28日 - 小笠原支庁廃止[6]。
- 1967年(昭和42年) - 村職員募集開始。募集には40歳までという年齢のほか「身体剛健で小笠原の風土に耐えられる者」という条件が附されていた[7]。
- 1968年(昭和43年)6月26日 - 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定発効により、アメリカ軍から返還、本土復帰すると同時に小笠原支庁の全域をもって東京都小笠原村となる[8]。小笠原総合事務所(国の機関)[8]、東京都小笠原支庁および小笠原村役場の行政機関設置。本土復帰当初は村政組織が未整備で、東京都知事が任命する職務執行者(村長に相当)と村政審議会(村議会に相当)が自治を担った(1979年まで)。
- 1979年(昭和54年)
行政区域変遷
[編集]- 小笠原村の区域の変遷の年表
年 | 月日 | 内容 |
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1940年(昭和15年) | 4月1日 | 小笠原諸島への町村制の施行により、以下の村が設置[9][10]。 |
1943年(昭和18年) | 7月1日 | 東京都制施行により、東京府及び東京市を廃し、その区域をもって東京都が設置する。 |
1946年(昭和21年) | 1月29日 | SCAPIN-677により、小笠原諸島に対する日本の施政権が停止され、アメリカ軍の直接統治の下に置かれる。 |
1952年(昭和27年) | 4月28日 | サンフランシスコ講和条約発効により、アメリカ合衆国の施政権下に置かれ、小笠原諸島の5村は廃止。 |
1968年(昭和43年) | 6月26日 | 小笠原諸島はアメリカ軍から返還、本土復帰すると同時に、小笠原支庁の所管区域をもって東京都小笠原村を設置する。 |
- 変遷表
明治以前 | 明治元年 - 昭和15年 | 昭和15年4月1日 | 昭和15年 - 昭和39年 | 昭和40年 - | 現在 |
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大村 | 大村 | 昭和27年4月28日 サンフランシスコ講和条約 発効により廃止 |
昭和43年6月26日 本土復帰 小笠原村 |
小笠原村 | |
扇村 | 明治29年 扇村袋沢村 |
扇村袋沢村 | |||
袋沢村 | |||||
沖村 | 沖村 | ||||
北村 | 北村 | ||||
硫黄島村 | 硫黄島村 |
人口
[編集]小笠原村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 小笠原村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 小笠原村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
小笠原村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
[編集]- 村長:渋谷正昭
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 持丸克己 | 1979年(昭和54年)4月22日 | 1981年(昭和56年)5月15日 | |
2 | 安藤光一 | 1981年(昭和56年)6月14日 | 1997年(平成9年)6月13日 | |
3 | 宮澤昭一 | 1997年(平成9年)6月14日 | 2003年(平成15年)6月15日 | |
4 | 森下一男 | 2003年(平成15年)7月28日 | 2021年(令和3年)7月29日 | 在任中に死去[11] |
渋谷正昭 | 2021年(令和3年)7月29日 | 2021年(令和3年)8月30日 | 職務代理者、副村長[12] | |
杉本重治 | 2021年(令和3年)8月31日 | 2021年(令和3年)9月4日 | 職務代理者、総務課長[13] | |
5 | 渋谷正昭 | 2021年(令和3年)9月6日 | 現職 |
議会
[編集]村議会
[編集]定数:8人、現員:8人(任期満了は2027年(令和9年)4月26日)[14]
都政
[編集]小笠原村が属する島部選挙区から選出される東京都議会議員の定数は1議席である。
国政
[編集]- 選挙区:東京都第3区 (品川区の一部、大田区の一部、大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ヶ島村、小笠原村)
- 任期:2021年(令和3年)10月31日 - (「第49回衆議院議員総選挙」参照)
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
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松原仁 | 立憲民主党 | 8 | 選挙区 |
石原宏高 | 自由民主党 | 5 | 比例復活 |
参議院東京都選挙区に属する。選出議員についての詳細は、東京都選挙区の項を参照のこと。
行政機関
[編集]国の機関
[編集]東京都の機関
[編集]- 東京都小笠原支庁
- 東京都島しょ保健所小笠原出張所
警察
[編集]経済
[編集]産業
[編集]本土と異なる独自の生態系を持つ小笠原の自然に着目した観光が主産業である。小笠原では明治期よりラム酒を飲む習慣があり、村おこしとして、村や農業協同組合などが出資した小笠原ラム・リキュール株式会社がラム酒を生産している。また、コーヒーノキの商業栽培が行われており、日本では他に沖縄のみ。
漁業
[編集]- 二見漁港
- 母島漁港
郵便
[編集]- 日本郵便
- 小笠原郵便局(父島西町)- ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局。
- 郵便窓口は平日のみの営業であるが、おがさわら丸の出港日は土日祝日も午前8~10時の間は郵便窓口の取り扱いをし、内地への荷物であれば当日15時出航のおがさわら丸に載せる。
- 新東京郵便局小笠原郵便集配所 - 小笠原郵便局に併設。
- 島内のポスト及びゆうパック取扱店の集配時間は平日、土日祝日以外におがさわら丸の入出港日の集配時間が別に記載されており、全て午前9時に指定されている。この集配に差し出せば、内地への荷物であれば当日15時出航のおがさわら丸に載せる。
- 小笠原諸島と内地を結ぶ定期船はおがさわら丸のみであるため、郵便物はドック入り期を除きおがさわら丸にて運ばれる。そのため、父島島内でいつ郵便物を出したとしてもおがさわら丸の出港日までは島内に留め置かれることになり、内地に到着するのは出港日当日に集配された郵便物と同じになる。
- 内地から父島への郵便物はおがさわら丸が入港した当日に配送される。母島への郵便物はおがさわら丸が入港した当日に出港するははじま丸に載せ替えられ、同じく当日に配送される。
- 母島簡易郵便局(母島元地)- 小笠原村役場母島支所内に所在。簡易郵便局ながらゆうちょ銀行ATM設置。
- 土日祝日および12/31~1/3は営業しないが、おがさわら丸の父島出航日前日は9:00~11:00で郵便・ATMの営業をする。この時間まで取り扱われた内地行きの郵便物は、翌日のおがさわら丸に載せられる。
- 小笠原郵便局(父島西町)- ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局。
- ゆうちょ銀行
- 本店 小笠原二見港船客待合所出張所(父島字東町)- ATMのみ。ホリデーサービス実施。
郵便番号は父島が「100-2101」、母島が「100-2211」となっている。南鳥島や硫黄島の航空基地など、無人島に存在する施設の場合は、「100-2100」となる。
金融機関
[編集]- 七島信用組合小笠原支店
メディア事業
[編集]教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]道路
[編集]- 一般国道
村内には一般国道は通っていない。
- 都道
- 東京都道240号父島循環線
- 東京都道241号沖港北港線 - 東京都最南端の都道
路線バス
[編集]- 小笠原村営バス
- 扇浦線(村役場 - 小港海岸)
- 大村 - 奥村循環線(ブルーライン、オレンジライン)
タクシー
[編集]- 小笠原観光(旧「父島タクシー」、父島)
母島にはタクシーはなく、有償運送のみ。
港湾
[編集]航路
[編集]- 小笠原海運「おがさわら丸」
- 東京港竹芝客船ターミナル - 父島二見港を結ぶ貨客船。所要時間は24時間、おおむね6日に1往復、ピークシーズンのみ3日に1往復運航。「おが丸」の愛称がある[15]。曜日ではなくおがさわら丸の入港・出航に合わせて人々は動いており、例えばおがさわら丸が出港している間を休業とする店も多い。
- かつては所要時間が約16時間の高速旅客船テクノスーパーライナーの就航が予定され船舶も建造されたが、原油価格高騰の影響で中止された。
- 伊豆諸島開発「ははじま丸」
- 父島二見港と母島沖港を結ぶ貨客船。1日0.5 - 1往復運航、所要時間は2時間10分、休航日あり。おがさわら丸入出港日は、接続するダイヤを組む。
- 共勝丸「共勝丸」
- 東京港月島埠頭 - 父島二見港 - 母島沖港を結ぶ貨物船。おおむね月3回の就航、所要時間は約46時間だが海況により変動する。2014年頃までは旅客営業も行っていたが、それ以降は行われていない。
名所・旧跡・祭事・催事
[編集]観光スポット
[編集]- 父島
- 大村海岸
- 小港海岸
- 境浦海岸 - 旧日本軍の輸送船「濱江丸」の残骸がある。
- ジョンビーチ・ジニービーチ
- ウェザーステーション展望台 - 夕日の名所。グリーンフラッシュ現象が観測されることがある[16]。
- 小笠原海洋センター - 小笠原の海洋生物の保護・研究活動のかたわら、ウミガメの飼育・展示を行っている[17]。
- 母島
観光ツアー
[編集]エコツーリズムが盛んで、父島発のツアーが複数の業者により催行されている。
- ホエールウォッチング、ドルフィンスイム&ウォッチング
- 南島ツアー
- 兄島海中公園ツアー
- ケータ島ツアー
- ジャングルトレッキング、ナイトツアー
- 戦争遺跡ツアー
- グラスボート、シーカヤック、ウィンドサーフィン
- スクーバダイビング、スキンダイビング
伝統芸能
[編集]郷土料理
[編集]主な年中行事
[編集]- 1月1日:日本一早い海びらき[20](父島・母島)- 海開きの神事、ウミガメ放流、伝統芸能披露など[21]
- 春:母島フェスティバル(母島)- 母島特産品の試食や直売など[22]
- 6月下旬:返還記念祭(父島・母島)
- 7月下旬:小笠原貞頼神社例大祭(父島)
- 8月:サマーフェスティバル(父島)- 盆踊りや花火大会など[23]
- 11月上旬:大神山神社例大祭(父島)
- 11月下旬:月ヶ岡神社例大祭(母島)
- 12月31日:カウントダウンパーティー(父島)
-
大村海岸
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小港海岸
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境浦海岸の「濱江丸」
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ウェザーステーション展望台
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小富士
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ロース記念館
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南島
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兄島海中公園
出身有名人
[編集]- 避難じいさん(絵本作家、川柳作家、グラフィックデザイナー)
脚注
[編集]- ^ 観光親善大使 小笠原 道大 選手
- ^ “気象庁過去の気象データ検索”. 2021年12月7日閲覧。
- ^ 小笠原諸島に対する予報警報業務の拡充について - 国土交通省気象庁
- ^ 小笠原村沿革 - 小笠原村公式サイト
- ^ 連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号 独立行政法人 北方領土問題対策協会
- ^ 東京都職制沿革
- ^ 青鉛筆『朝日新聞』1976年10月2日朝刊、13版、23面
- ^ a b 同年6月1日法律第83号「小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律」
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店、1978年、ISBN 4040011309
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
- ^ “【訃 報】 森下一男村長逝去のお知らせ”. 小笠原村役場総務課 (2021年7月29日). 2021年7月29日閲覧。
- ^ “小笠原村長職務代理者について”. 小笠原村役場総務課 (2021年7月29日). 2021年9月21日閲覧。
- ^ “村長職務代理者について”. 小笠原村役場総務課 (2021年8月30日). 2021年9月21日閲覧。
- ^ “議員名簿 | 小笠原村公式サイト”. 2023年6月29日閲覧。
- ^ “新しくなった「おがさわら丸」の船内をご紹介!!”. 小笠原村観光局 (2017年6月21日). 2021年5月2日閲覧。
- ^ “絶景を観るならここ。夕日も星もクジラも観えちゃう!?ウェザーステーション展望台”. 小笠原村観光局 (2018年9月1日). 2021年5月2日閲覧。
- ^ “施設案内”. 小笠原海洋センター. 2021年5月2日閲覧。
- ^ “ココは行っとかなきゃ!東日本の海辺の絶景スポット”. 日本気象協会 (2019年4月17日). 2021年5月2日閲覧。
- ^ “堺ヶ岳・石門【さかいがたけ・せきもん】 貴重な動植物が残る母島の秘境”. 母島観光協会. 2021年5月2日閲覧。
- ^ “父島の観光”. 東京都環境局. 2021年5月2日閲覧。
- ^ “年間行事”. 小笠原村観光局. 2021年5月2日閲覧。
- ^ “母島フェスティバルってどんなお祭り?その全貌を紹介します!”. 小笠原村観光局 (2019年4月26日). 2021年5月2日閲覧。
- ^ “ご当地ヒーローも登場!父島のサマーフェスティバル”. 小笠原村観光局 (2017年9月27日). 2021年5月2日閲覧。