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山上路夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山上 路夫
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
基本情報
出生名 山上 路夫
生誕 (1936-08-02) 1936年8月2日(88歳)
出身地 日本の旗 日本東京府
ジャンル ポピュラー音楽
職業 作詞家
実業家
活動期間 1960年代 -
事務所ビクター音楽出版→)
フリー

山上 路夫(やまがみ みちお、1936年昭和11年〉8月2日 - )は、日本の作詞家実業家文化功労者

ビクター音楽出版株式会社専属を経て、フリーとなる。

来歴

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生い立ち

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東京府(現在の東京都)出身[1]。喘息で闘病生活を送る思春期をすごし、学生生活を送ることができなかった[2]青山学院大学第二経済学部を中退。21歳のときに作詞家になることを決意した。

作詞家として

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作曲家のいずみたくと共同でCMソングや流行歌などを多く手掛け、明治製菓(現在の明治)アルファチョコレートのCMソングとして制作した「世界は二人のために」は、1967年昭和42年〉に新人歌手の佐良直美が歌うと大ヒットした。翌年の第40回選抜高等学校野球大会では、選手入場行進曲に選ばれた。

その後は、由紀さおり夜明けのスキャット」(1969年〈昭和44年〉、作曲はいずみたく)、テレビドラマ『水戸黄門』主題歌「ああ人生に涙あり」(1969年〈昭和44年〉、作曲は木下忠司)、赤い鳥翼をください」(1971年〈昭和46年〉、作曲は村井邦彦)、小柳ルミ子瀬戸の花嫁」(1972年〈昭和47年〉、作曲は平尾昌晃)、GARO学生街の喫茶店」(1972年、作曲はすぎやまこういち)、アグネス・チャンひなげしの花」(1972年〈昭和47年〉、作曲は森田公一)、CMソング「バーモントカレー」の歌(1973年〈昭和48年〉、作曲はいずみたく)、野口五郎私鉄沿線」(1975年〈昭和50年〉、作曲は佐藤寛)、ゴダイゴガンダーラ」(1978年〈昭和53年〉、奈良橋陽子と共同、作曲はタケカワユキヒデ)など、1960年代後半から1970年代にかけて立て続けにヒット作の作詞を手掛けた。また、日本大学習志野高等学校の応援歌「歓喜のうたごえ」の作詞をしたこともある。

現在も作詞家として活動しており、2011年平成23年〉に発表したふくい舞の「いくたびの櫻」(作曲は佐藤博)は、第44回日本作詩大賞第44回日本有線大賞作詞賞を受賞している[3][4]。2021年〈令和3年〉に文化功労者[5]

1969年に村井邦彦とともにアルファミュージックを創業するなど[6]、音楽出版事業にも参画した。

作風

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山上の作風はヒューマニズムに満ちているものが多い。

家族・親族

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父は、昭和初期に活躍した音楽家東辰三。昭和初期に活躍し、「港が見える丘」「君待てども」「荒鷲の歌」等の歌曲を作詞・作曲した。

妻は、テレビ朝日系ドラマ『特捜最前線』主題歌の『私だけの十字架』(歌:ファウスト・チリアーノ)などの作品がある、作詞家の尾中美千絵である。

主な楽曲

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あ行

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か行

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さ行

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た行

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な行

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は行

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ま行

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や・ら・わ行

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CMソング

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CMにおいて、CMソングとして使用。

校歌

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脚注

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  1. ^ 山上路夫 ラジオデイズ
  2. ^ 朝日新聞2011年2月12日朝刊別刷 be on Saturday
  3. ^ 日本作詩家協会. “日本作詩家協会 公式サイト 日本作詩大賞”. 2012年4月7日閲覧。
  4. ^ TBSテレビ. “第53回 輝く!日本レコード大賞”. 2012年4月7日閲覧。
  5. ^ 長嶋茂雄さんら9人文化勲章 功労者に加山雄三さんら”. 時事ドットコム (2021年10月26日). 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  6. ^ 「村井邦彦」『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~ソニー・ミュージックダイレクト
  7. ^ 【ことでん公式 KOTODEN SOUND 緑と海の国】 - Youtube
  8. ^ 学校案内>沿革、校訓、校名・校章・校歌 - 茨城県立石下紫峰高等学校公式サイト。2024年4月4日閲覧。