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大津美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大津 美子
生誕 (1938-01-12) 1938年1月12日(86歳)
出身地 日本の旗 日本愛知県豊橋市
学歴 桜ケ丘高等学校
活動期間 1955年 - 
レーベル キングレコード
公式サイト ここに幸あり

大津 美子(おおつ よしこ、1938年1月12日[1] - )は、日本歌手

人物

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愛知県豊橋市出身[2]。私立桜ヶ丘高校卒業[3]

1953年(昭和28年)、キングレコード専属作曲家だった渡久地政信に弟子入り。この頃は、毎週土曜日に夜行電車に乗り上京し、翌日の昼のレッスンを受け帰郷するという生活を続けていた[4]。|

1955年(昭和30年)7月、キングレコードから「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」が大ヒット。「東京アンナ」がヒットしている最中、恩師渡久地政信ビクターに移籍した。これにより落胆する大津にキング文芸部長だった町尻量光は、同社作曲家だった飯田三郎を紹介し、以後、飯田が大津を指導することになる[5]

1956年(昭和31年)、師である飯田が作曲し高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒットとなる[2]。国内では結婚式用ソングとして親しまれた[6]ほか、とりわけハワイブラジルなどの多くの日系人の間で当時から今日に至るまで愛唱されており、大津も公演に出向いた[7]

NHK紅白歌合戦に7回出場している(詳細はNHK紅白歌合戦出場歴の節を参照)[2]

1969年(昭和44年)、実業家と結婚[8]1980年(昭和55年)、脳動脈破裂くも膜下出血)により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた[9]

1995年(平成7年)から1997年(平成9年)まで社団法人日本歌手協会副会長に選出[2]。1997年(平成9年)、文化庁長官賞受賞[2]。1999年(平成11年)9月、豊橋ふるさと大使[2]

2005年、歌手生活50周年を迎え、記念のBOXセット「大津美子大全集」(CD6枚組)を発売。「ここに幸あり」「東京は恋人」などの往年のヒット曲をオーケストラとの共演で新録音している。

2014年(平成16年)7月、2015年の歌手デビュー60周年目に際して、地元愛知県で収録されたNHKBS日本のうたにスペシャル・ステージ枠で出演。(共演は後輩の市川由紀乃竹島宏)自身のヒット曲「東京アンナ」「東京は恋人」「銀座の蝶」「いのちの限り」などをメドレーで披露した他、思い出のヒット曲として「白い桟橋」「ここに幸あり」を熱唱した。現在でも、そのダイナミックなアルトの歌声は健在で、新曲発売や公演、テレビ出演など精力的に活動を続けている。

2018年(平成20年)には傘寿を祝うパーティーが東京で催され[10]、2024年10月2日には穂の国とよはし芸術劇場PLATで歌手生活70周年記念コンサートが開催される予定だったが、直前に体調不良を訴え検査の結果、公演開催が困難だと診断されたとして、コンサートは中止となった[11]

エピソード

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  • 2005年に放送された、テレビ東京の『昭和歌謡大全集』で、司会の玉置宏に「歌手になる前の憧れの歌手は?」と尋ねられ「菅原都々子先生です」と答えている。菅原の高音の「泣き節」に感動したという。菅原都々子は同じ質問に対して「先輩歌手の中には素晴らしい方が沢山いらっしゃるけれど、誰か一人にしぼることはできません」と答えている。
  • 「ここに幸あり」は元々、レコード会社の先輩である三条町子が吹き込みを予定していたが、三条がこの時出産のため吹き込みができなくなってしまい、当時新人歌手だった大津にお鉢が回ってきた。

ヒット曲・代表曲

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  • 東京アンナ (1955)
  • ここに幸あり (1956)
  • 青い月夜の並木路 (1956)
  • 流れのジプシー娘 (1956)
    • 作詞:矢野亮/作曲:飯田三郎/編曲:飯田三郎
  • いのちの限り (1957)
    • 作詞:矢野亮/作曲:江口浩司/編曲:江口浩司
  • 東京は恋人 (1957)
    • 作詞:横井弘/作曲:飯田三郎/編曲:飯田三郎
  • 純愛の砂 (1957)
    • 作詞:矢野亮/作曲:飯田三郎/編曲:飯田三郎
  • 銀座の蝶 (1958)
    • 作詞:横井弘/作曲:桜田誠一/編曲:桜田誠一
  • 白い桟橋 (1958)
    • 作詞:内村直也/作曲:飯田三郎/編曲:飯田三郎
  • 東京ドライブ (1958)
  • 空へ帰る人 (1959)
    • 作詞:横井弘/作曲:飯田三郎/編曲:飯田三郎
  • 忘れないで (1960)

NHK紅白歌合戦出場歴

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年度/放送回 曲目 対戦相手
1956年(昭和31年)/第7回 東京アンナ 曾根史郎
1957年(昭和32年)/第8回 東京は恋人 フランク永井
1958年(昭和33年)/第9回 銀座の蝶 若山彰
1959年(昭和34年)/第10回 空へ帰る人 神戸一郎
1960年(昭和35年)/第11回 東京ドライブ
1962年(昭和37年)/第13回 忘れないで 三浦洸一
1990年(平成2年)/第41回 ここに幸あり 堀内孝雄

主な他のシングル

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  • 形見の詩集(1955年、デビューから2作目)
  • 雨にびっしょり夜の街(1957年)
  • 大阪の夜(1959年)
  • ハミングお嬢さん(1960年)
  • サンパウロ・チャチャ(1960年)
  • 恋の糸満娘(1961年)
  • ひとり行く旅なれば(1962年)
  • 紫川の白い花(1963年)
  • 東京のクレオパトラ(1963年)
  • 東京ローレライ(1963年)
  • 女の風雪(1963年)
  • かりそめの恋(1964年、三条町子のヒット曲のカヴァー)
  • 海つばめ(1964年、ビクター移籍第一弾、第一回吹込曲)
  • 土佐のカルメン(1965年、ビクター)
  • 美しき愛のかけら(1973年)
  • 若き日の詩(1977年、KING、GK-100)
  • 横須賀マリア(1978年、KING、GK-203)
    • 横須賀マリア - 作詞:たかたかし、作曲:馬飼野康二
    • 雨ようたって愛の詩 - 作詞:たかたかし、作曲:馬飼野康二
  • 夜霧のハンブルク(1979年、KING、GK-359)
  • 愁恋歌(1991年、KING、KIDX-35)
  • この生命のある限り(1995年、KING、KIDX-230)
    • この生命のある限り - 作詞:荒木とよひさ、作曲:市川昭介
    • 雲よ何処に - 作詞:荒木とよひさ、作曲:市川昭介
  • 愛の詩を花の詩を(2000年、KING、KIDX-546) ※歌手生活45周年記念盤
    • 愛の詩を花の詩を - 作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし
    • オムレツの舞踏曲 - 作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし
  • 夜空に光るあの星よ(2015年、KING、KICM-30687) ※歌手生活60周年記念盤
    • 夜空に光るあの星よ - 作詞:東逸平、作曲:杉本眞人
    • ここに幸あり(60周年バージョン) - 作詞:高橋掬太郎、作曲:飯田三郎

主なテレビ番組出演

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歌番組

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他、数々の歌番組に出演

ドラマ

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その他の出演

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  • 秋の歌謡フェスティバル[13]ゆうぽうと、2012年10月12日)
  • 日本歌手協会創立50周年記念 歌謡フェスティバル(ゆうぽうと、2013年11月22日

脚注

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  1. ^ 東京で大津さんの傘寿を祝う会”. 東愛知新聞. 2022年8月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ふるさと大使/大津美子”. www.city.toyohashi.lg.jp. 豊橋市. 2022年8月20日閲覧。
  3. ^ 株式会社BS日本 (2021年11月18日). “第431回 大津美子|歌謡プレミアム|BS日テレ”. BS日テレ. 2022年8月20日閲覧。
  4. ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、46ー48頁。 
  5. ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、61-67頁。 
  6. ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、76頁。ISBN 9784309225043 
  7. ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、82-95頁。 
  8. ^ 『ここに幸あり』株式会社リヨン社、1988年12月5日、128-132頁。 
  9. ^ 私の記念碑:歌手 大津美子「ここに幸あり」 傘寿迎え、詞かみしめ”. 毎日新聞. 2022年8月20日閲覧。
  10. ^ 後藤康之「東京で大津さんの傘寿を祝う会」『東愛知新聞』2018年4月18日。
  11. ^ 竹下貴信「※公演中止※大津美子さんの70周年記念コンサート 10月2日に豊橋で開催」『東愛知新聞』2024年9月19日。
  12. ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年)
  13. ^ 司会は女優の倍賞千恵子

外部リンク

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