吉田矢健治
表示
吉田矢 健治(よしだや けんじ、1923年(大正12年)10月25日 - 1998年(平成10年)11月6日)は、昭和期の作曲家。山口県岩国市出身。明治大学卒業。通称:ダヤ先生[1]。
経歴
[編集]明治大学マンドリン倶楽部を経て、作曲家の利根一郎に師事。 1950年(昭和25年) 12月よりテイチクレコード専属となり、村澤良夫歌唱の「見果てぬ夢」で作曲家としてデビュー。翌年に菅原都々子の『広東エレジー』で初ヒットを飛ばす。(尚、此の作品は後にシンガポールの演歌歌手黄清元によってカヴァーされ、現地でも広く知られる様になった[2]。)1953年(昭和28年)からキングレコードに専属し、「あなたと共に」、「夕焼けとんび」、「山の吊橋」など昭和期に多くの曲を作曲した。「女心の唄」ではバーブ佐竹が第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。優しいその旋律は、吉田矢メロディーと呼ばれた。
1992年(平成4年)、第34回日本レコード大賞功労賞を受賞。
1998年(平成10年)11月6日、肺気腫のため死去、75歳没。告別式には音楽葬が行われた。
代表曲
[編集]- 『山のロマンス』(昭和27年5月)[島田芳文作詞、歌:楠木繁夫]
- 『雨降る街角』(昭和28年11月)[東条寿三郎作詞、歌:春日八郎]
- 『あなたと共に』(昭和29年11月)[矢野亮作詞、歌:津村謙、吉岡妙子]
- 『スペインの恋唄』(昭和29年11月)[矢野亮作詞、歌:松島詩子]
- 『私の幸福は何処へ』(昭和29年12月)[矢野亮作詞、歌:吉岡妙子]
- 『月夜の笛』(昭和30年1月)[横井弘作詞、歌:津村謙]
- 『青き月夜の並木路』(昭和30年5月)[東条寿三郎作詞、歌:大津美子]
- 『月の出ぬ間に』(昭和31年10月)[横井弘作詞、歌:石井千恵]
- 『お花ちゃん』(昭和31年10月)[矢野亮作詞、歌:三橋美智也、斉藤京子]
- 『みれん峠』(昭和31年11月)[東条寿三郎作詞、歌:三橋美智也]
- 『ごめんよかんべんナ』(昭和32年4月)[伊作詞、歌:春日八郎]
- 『夕焼けとんび』(昭和33年3月)[矢野亮作詞、歌:三橋美智也]
- 『別れの燈台』(昭和33年7月)[高橋掬太郎作詞、歌:春日八郎]
- 『山の吊橋』(昭和34年10月)[横井弘作詞、歌:春日八郎]
- 『足摺岬』(昭和34年11月)[高橋掬太郎作詞、歌:春日八郎]
- 『女心の唄』(昭和40年1月)[山北由希夫作詞、歌:バーブ佐竹]
- 『ひとり泣く夜のワルツ』(昭和42年7月)[矢野亮作詞、歌:江利チエミ]
- 『慕情の街』(昭和49年)[たなかゆきを作詞、歌:春日八郎]
- 『坂東節/恋あらし』(昭和51年)[横井弘作詞、歌:三橋美智也]
- 『瀬戸の船唄』(昭和53年)[水野喬作詞、歌:三橋美智也]
- 『あゝ高杉晋作』(昭和61年)[山添花秋作詞、歌:三橋美智也]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “吉田矢健治 - コトバンク”. コトバンク. 2017年1月20日閲覧。
- ^ Anna Shaw (2016-06-21), 黃清元 往事難追憶 MTV 2024年10月11日閲覧。