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八代亜紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八代やしろ 亜紀あき
出生名 橋本 明代[1]
生誕 (1950-08-29) 1950年8月29日[2]
出身地 日本の旗 日本熊本県八代郡金剛村
(現在の八代市
死没 (2023-12-30) 2023年12月30日(73歳没)
ジャンル 演歌歌謡曲ジャズ
職業 歌手女優画家
活動期間 1971年 - 2023年
レーベル テイチクレコード(1971年 - 1981年)
センチュリーレコード(1982年 - 1985年)
日本コロムビア(1986年 - 2023年)[3]
Virgin Music(2017年 - 2023年)[4]
事務所 ミリオン企画
公式サイト 八代亜紀オフィシャルホームページ
八代亜紀 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
ジュリー・ロンドン

八代 亜紀(やしろ あき、1950年昭和25年〉8月29日[2] - 2023年令和5年〉12月30日[5])は、日本の演歌歌手女優タレント画家熊本県八代郡金剛村(現在の八代市)出身[6]。本名は橋本 明代(はしもと あきよ)[1]。血液型はB型。

来歴

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生い立ち

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幼少の頃から父親の歌う浪曲子守唄代わりに聴きながら育つ[7]。そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。

八代が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き[7]、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと自分自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。

15歳で上京してクラブ歌手に

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八代市立第六中学校卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通(九州産交バス)バスガイドとして勤務する。しかし人前で話すのが苦手なのと、業務中に歌声を披露する機会が無かったために3ケ月で退職した。その後は地元の「キャバレーニュー白馬」に歌手として雇われる[8] [9]。ところが父の会社の従業員が客としてやってきたために3日で発覚してしまう。そして「不良は家にいらない。」と勘当され、東京にいる従姉妹を頼りに上京した[10]

上京後は歌える喫茶店で学費を稼ぎながら音楽学院に通い基礎を学ぶ。数年で銀座クラブで歌うようになり、学校へは行かなくなった。その頃は主にスタンダードジャズやポップスなどを歌っていた。同じクラブで歌っていた三谷謙(のちの五木ひろし)から芸能プロダクションを紹介される。

歌手デビュー

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1971年テイチクより「愛は死んでも」でデビューした。芸名の“八代亜紀”の姓は出身地の八代(やつしろ)市から採っており、語呂の良さから「やしろ」という読みにした[11]。本名である明代より呼びやすい2文字アキとし、また漢字の“亜紀”としたのは「アジア(細亜)で何世も活躍できるように」との願いが込められている[12]

よみうりテレビ日本テレビ系)のオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、徐々にレコードが売れ始める[13]

1973年に「なみだ恋」が120万枚[14]とヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発する。

1979年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒットし、1980年に発表した「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞TBSテレビラジオ)を受賞する。これら2曲は「港町絶唱」と共に阿久悠浜圭介竜崎孝路のコンビによる「哀憐三部作」とされ、NHK紅白歌合戦NHK総合ラジオ第1)では2年連続大トリを務めた。ほどなくして“演歌の女王”と称されるようになる[15][11]

ベテラン歌手へ

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1982年、センチュリーレコードへ移籍してこの頃からヒットスターからベテラン歌手としての存在へと変わってゆく。「海猫」「ブルーレイン大阪」「日本海」「陸の船乗り -ロンサム ロード-」「恋瀬川」などを発表する。

1986年日本コロムビアへ移籍。1987年に個人事務所「ミリオン企画」を設立。1990年に「花(ブーケ)束」を発表。ポップス調バラードの同曲は八代の新たな一面を引き出し、演歌主体のファン以外からも支持されてロングセラーとなった。

演歌歌手では珍しく全盛期の楽曲全てが連続ヒットし、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップである。オリコンのシングルチャートにおけるトップ10獲得作品数も通算7作で、2011年6月に水森かおりが8作連続シングルチャートトップ10を更新するまで、女性演歌歌手歴代1位を続けた。

アルバムにおいても、オリコンの総合アルバムチャートのトップ10に5作品があり、演歌歌手としては氷川きよし五木ひろし森進一に次ぐ第4位である。総合アルバムチャートトップ10獲得連続年数は1974年から1976年まで3年連続で、オリコンによれば2007年9月現在で演歌歌手として、7年連続の氷川きよし、4年連続五木ひろしに次ぐ第3位[16]である。

晩年〜死去

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2012年頃からジャズ、ブルースなどを本格的に歌うようになる(後述)。その後は、年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーは、演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げた公演を続けていた。また、長年様々な形でのボランティア活動や故郷での地域社会貢献活動などにも積極的に関わっていた(後述)。

2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため、年内の活動を休止することを発表した[17]

以降は療養を続けてきたが、同年12月30日、東京都内の病院で死去した。73歳没。単独では9月5日長野県佐久市でのコンサートが、入院前日(翌日10日に入院)の9月9日に開催された日野皓正のコンサートへのゲスト出演が生涯最後のステージとなった。いずれも杖無しでいつものように最後までこなした。葬儀は八代の遺志により、明けて2024年1月8日に事務所スタッフのみで執り行われ、訃報は翌9日に所属事務所より公表された[18][19]

2024年2月7日、熊本県は「国民に広く敬愛と感動を与えた」として「熊本県民栄誉賞」(11例目、物故者は川上哲治以来2例目)の授与を発表した。また、八代市も「名誉市民」(合併後の新・八代市としては初、旧・八代市を含めて6例目)の称号を授与する事を発表した[20]

2024年3月26日、『八代亜紀 お別れの会~ありがとう…これからも~』が東京・蒲田の片柳アリーナで行われた。ステージ復帰を熱望していた八代の思いに応える形で、生バンドの演奏に八代の歌声を重ねたコンサート形式で開催した。歌手仲間や関係者、ファンら合わせて3000人が見守った。
「昨年暮れ、残念でしたが長い歌手人生に終止符を打ちました。苦しい時も、楽しい時も心の支えになったのは皆さんからの声援でした。感謝の気持ちでいっぱいです」
この日のメッセージ部分は全て最新AI音声。本人が2020年、声を音源データに残すことを希望し生前とかわらない包み込むような、やさしい温かい声が出席者を出迎えた。
中央の遺影は、鮮やかなピンクのドレスをまとった八代がほほえみ、スポットライトの先には生前着用していた青いドレスが飾られた。ステージセットと祭壇には胡蝶蘭や、バラ、カーネーションが盛大に並べられた。
会場には、フランスの由緒ある公募展ル・サロンに入選した絵画や熊本県民栄誉賞や八代市名誉市民の賞状など、ゆかりの品々が展示され、アトリエを再現したコーナーも設けられた。
発表された戒名は、「艶唱院釋信譽明煌清大姉(えんしょういんしゃくしんよみょうこうせいだいし)」。
貴重なコンサート映像や写真などで足跡を振り返り、「舟唄」からはじまり「雨の慕情」「なみだ恋」など全20曲が流され、"演歌の女王"として歌謡界、芸能界に貢献してきた八代に別れを告げるため、多数の歌手仲間、出席者らが思い思いの祈りをささげ献花した。
最後に、「皆さん、八代亜紀は幸せでした。幸せでしたよ」。そして「ありがとうね。バイバイ!!」の声とともにステージの幕を下ろした。

2024年11月21日、同年12月30日の「第66回輝く!日本レコード大賞」において特別功労賞を贈られることが発表された[21]

楽曲・絵画等の各種権利については、八代の生前に、ミリオン企画の社長の大野誠が自身の資本で立ち上げた新会社「八代ミュージック&ギャラリー株式会社」に移管されている。また、八代の遺言により、ミリオン企画は2024年で解散となっている[22]

2024年12月19日、菩提寺である安養院に等身大の銅像が建立され、除幕式が行われた[23]。八代の代表曲のひとつ「雨の慕情」を歌う姿を模した像である[24]

人物

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子供時代

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父は浪曲など歌が非常に上手だった[注釈 1]。また、父親は若い頃画家志望だったこともあり、八代は幼い頃から絵画教室に通った。当時は休日に母が作ってくれた弁当を持って父と一緒に写生に出かけ、休憩がてら父のギターによる弾き語りを聞いていたという[7]

父と母は19歳と20歳で駆け落ち同然に結婚し、懸命に共働きをして八代を育ててきた。普通の会社員だった父は八代が小学2年生の頃[25]に運送会社[15]を起業したが、会社経営の難しさから生活が困窮するようになる[注釈 2]

その生活状況に加え、会社経営に苦悩する父の姿を見続けたことから、子供ながらに「早く大人になって働いて、家計を助けるんだ」と決意する[7][15]。12歳で先述の通りクラブ歌手を目指し始めるが、その理由は「一流の歌手はクラブで歌うもの」と勘違いしたことも一因[注釈 3]だった。

プロの歌手を目指して上京

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将来クラブ歌手になることを念頭に置き、その前段階として中学卒業後15歳でバスガイドになった。しかし当時はまだ人前で話すことが恥ずかしくて上手く喋れず、そうこうしている内に観光名所を通り過ぎるなど失敗が多かった[7]。そんな中、友達の勧めで市内のキャバレー「キャバレー ニュー白馬」(2015年時点で現存)の歌のオーディションに年齢を誤魔化して参加し、店の専属歌手として採用される[7][13]

両親に内緒でバスガイドを辞めてキャバレーで歌い始めるが、3日後父の友人がたまたま来店したことで両親にバレた[13]。父から「いつからそんな不良になったんだ。出ていけ!」と勘当されて上京した[7]。そのためここで歌ったのは3日間だけだったが、本人は「歌手としての自信を持った大事な場所。ここが歌手・八代亜紀の原点」と位置づけている[11][13]

東京の親族の家で下宿させてもらいながら音楽学院に通い、学費と生活費を稼ぐため新宿の歌える喫茶店[注釈 4]でバイトを始める[注釈 5]

銀座のクラブと歌手デビュー

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18歳の頃銀座のクラブで歌うようになると、ホステスたちから「あきちゃんの歌には哀愁がある」と好評を得た[注釈 6]。後日ホステスたちから「レコードを出した方がいい」と背中を押され[注釈 7]、その後レコードデビューへと繋がった[7]

そして1971年に歌手デビューした夜は嬉しさのあまり、デビュー曲「愛は死んでも」のシングルレコードを抱いて眠った[26]。同曲はヒットしなかったが、これまで応援してくれた人の気持ちに答えるためにも何とか売ることを決意し、八代はトランクに同曲のレコードをたくさん詰めて地方のキャバレー周りをほぼ毎日繰り返して売り歩いた[注釈 8]

歌に対する考え方

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「歌手としては表現者というより、それぞれの歌が持つ心を伝える代弁者でありたい」との考えを持っている[25]

本人は、先述の15歳で八代市の「キャバレー ニュー白馬」で歌ったことが、「歌手・八代亜紀の原点」と位置づけている[13]

学生時代に音楽の授業で歌ったところ、教師から「そんな声出しちゃいけない」などと言われ、ハスキーな声にコンプレックスを感じていた。しかし銀座のクラブで歌うようになってからホステスや客たちから歌声を褒められたことで、「自分の声はいい声だったんだ」と気づき、好きになったとのこと[13]

デビュー当時から、「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めていた。理由は、「私は辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。歌入れの時はそういう人の表情になっているはずで、それを見られるのは恥ずかしいから」とのことだった[26]。また「レコーディングは何回も録らない」との考えを持っている。これはスタジオで曲のイントロを聴き、最初に浮かんだイメージでそのまま歌うことを大事にしているため。これまでのレコーディングでは一曲につき、基本的に通しで3回までしか歌わないとのこと[26]

2021年のインタビューで、今後歌ってみたい歌として「歌詞が徹底的なまでに短くて、ギター一本でも成立するようなシンプルな作りで、“どん底の悲しみ”を表現するような歌を歌いたい」との目標を持っていた[26]

ジャズ、ブルース歌手として

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2012年、日本コロムビアに所属しながら同社了承の下で、小西康陽プロデュースによるジャズアルバム『夜のアルバム』をユニバーサルミュージックから発売して世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目で世界デビューする。マレーシアのiTunes Storeジャズチャートで1位、シンガポール2位、台湾4位、香港7位[27]、オリコン・アルバムチャートのデイリーチャートで最高9位、週間チャートで最高20位を記録し、ヒット作となった。オリコン・アルバムチャートTOP20入りは34年ぶりである。11月9日にジャズ歌手としてブルーノート東京のステージに立った[28]

2013年3月27日にニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドでライブを開催し、八代が憧憬するヘレン・メリルをゲストに招き初共演した。また4月29日には、そのライブの模様がNHK総合テレビでドキュメンタリー番組『演歌の女王 ジャズを歌う〜八代亜紀・ニューヨークでの挑戦〜』として放送される。同番組が反響を呼んで8月21日に当日のライブを収録したアルバム『夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク』が発売された[29]。さらに9月7日に開催されたジャズ・フェスティバル「第12回 東京JAZZ」に出演するなど、演歌のコンサートと並行しジャズライブも積極的に実施した。

2015年10月、寺岡呼人プロデュースによる初のブルース・アルバム『哀歌 -aiuta-』を発表した。同アルバム発売を記念して11月には、3年ぶりにブルーノート東京で『AKI YASHIRO "aiuta" Special Night』を開催した。同じく12月には、東京国際フォーラムで『八代亜紀 "哀歌" クリスマスコンサート』も開催した[30]

2017年10月、ジャズアルバム第2弾となる『夜のつづき』を発売し、前作『夜のアルバム』に続いてiTunesジャズチャートで1位を獲得する。同作品の発売を記念して11月にブルーノート東京、12月にビルボードライブ大阪、2018年1月にブルーノート名古屋でジャズライブを開催した[31]

2022年10月21日・22日の2日間にわたり、フランス・パリ日本文化会館で公演を開催した。公演は2020年の八代亜紀デビュー50周年に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期し、2年越しの開催を迎えた。絵画の世界において、伝統と格式のあるル・サロンから、永久会員の称号を授与されたフランスは、画家としても活動する八代にとって縁の深い地で、パリ公演は2日間ともに完売した。超満員で幕を開けたパリ公演で、1部では公演のためにあつらえた着物を着用した。2部では装いを新たにドレスで登場した。オープニングの「雨の慕情」からエンディングの「舟唄」まで、全編を通して"八代演歌"で客席のパリジャンからスタンディングオベーションが起こった。

絵に関して

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歌手活動だけに留まらず、画家としても活動した。画家志望だった父親の影響により、小学生の頃は将来画家になるつもりだった。また父親も実は、娘には歌手ではなく画家になってもらいたかったという[7]

子供の頃から長年水彩画を描いていたが、40歳頃に油絵の質感に惚れ込んで市川元晴に師事した[32][33]。それ以来、写実的な油絵を描いていた[26]。その後フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員[11])になった[7]

歌と絵について本人は、「歌うことも絵を描くこともエネルギーがいるけど、私の場合は歌という肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしている感じ」と語っていた[26]

ボランティアなど

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優しく面倒見の良い両親[注釈 9]の影響もあり、若い頃から色々とボランティア活動をしていた。

その一環として、1981年より女子刑務所の慰問公演を始めた。元々1973年に少年院の慰問を始めた[注釈 10]のがきっかけで、その後老人ホームや福祉施設、女子刑務所へ行くようになった。2000年、日本全国すべての女子刑務所を訪問した[34]

ペルー元大統領・アルベルト・フジモリの両親が熊本県出身ということで、以前からフジモリを支援しつつ、ペルーに対するボランティア活動も行っていた。1994年には、ペルー共和国のラ・メルセにヤシロアキ工業技術学校を設立した。また、1999年にはペルーで開催された『NHKのど自慢』にゲスト出演している。

2011年の東日本大震災の後、何度か被災地に訪れて様々な支援活動を行った[注釈 11]。また、体育館で避難所暮らしをする被災者のために、当時の八代市長や市内の畳業者[36]の協力を得て数千枚の畳を宮城県石巻市東松島市などに届けた[35][34]

2016年4月に故郷で起きた熊本地震の後、被災地での無料コンサートへの参加や義援金を渡すなどの支援活動を行った[37]

故郷での社会貢献活動

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2002年に八代市の商工会議所などを中心とした「八代亜紀と共に明日の八代をつくる会」が発足し[11]、八代市の活性化を考える会合などに参加していた[38]。この会をきっかけとして、八代はそれ以降熊本や八代市での社会貢献活動が増えた[11]

八代市で毎年5月に開かれるウォーキングイベント「九州国際スリーデーマーチ」に、2002年から毎年ゲスト出演しており、会場で絵画展やトーク&ミニライブを行っていた[39]。また、2017年の大会では八代にちなんだ「八代亜紀絵画コース」(10km)というコースもあった[40]

2003年から八代地域の活性化と地域づくりを目的とした「八代亜紀絵画コンクール」の名誉会長を務めている。同コンクールには、八代自らが選ぶ「八代亜紀大賞」、「八代亜紀賞」などの賞がある[41]

2004年に熊本県の観光や物産をPRする「くまもと誘友大使」に就任した[42]の名誉大使の第1号に就任[11]。また、八代市をPRする「八代よかとこ大使」としても活動していた[38]。さらに2009年10月から熊本市親善大使に就任した[43]

2012年に熊本県の文化に振興する活動を行った功績を讃えられ、「第22回くまもと県民文化賞」の特別賞を受賞した[44]。また、2015年には八代市から市民栄誉賞を受賞された[45]

2019年11月、熊本で開かれた世界女子ハンドボール選手権の大会特別サポーターに就任し、同大会テーマソング「Hand in Hand~つなぐ想い~」の歌唱も担当した[46]

多方面での活躍

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1973年に「なみだ恋」が大ヒットした後、トラック運転手から“トラック野郎の女神”として絶大な支持を得るようになり、「八代観音」と呼ばれる八代の顔を模した観音絵が描かれたトラックが出現した。これがきっかけとなり、1977年に当時大ヒットを飛ばしていた東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に女ダンプ運転手「紅弁天」役で出演し、八代の曲「恋歌」が挿入歌として使用された。配給収入も10億9000万円を記録した。当時の「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)出演時に、実際に運転して撮影したと話している。

1994年、少年漫画『とっても!ラッキーマン』で「ラッキー・クッキー・八代亜紀」というギャグが使われている。同作がアニメ化した際に本人がオープニングとエンディングを担当し、「ラッキー・クッキー・八代亜紀」と歌い上げた。

2005年から2006年に放送された朝日放送(ABC)トリハダ 〜感じるボロ〜ン〜』では、バラエティ番組のレギュラー司会を初めて担当した。

2012年に故郷である熊本県八代市に新設された熊本県立八代清流高等学校の新校歌制作を依頼され、「故郷の若者がふるさとを思い、愛する気持ちを持ってもらえれば」と快諾し、自ら作詞・作曲した校歌を贈った[47]

2013年10月20日、日本のヘヴィメタルフェス『LOUD PARK13』で鉄色クローンXのライブに飛び入り参加した[48]

2020年、前年より猛威を振るっている新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け、来場者の健康・安全を最優先と判断し、クラスターを発生させないため、公演の多くが延期もしくは中止を余儀なくされた[注釈 12]。コンサート再開に於いては、会場本来の収容人数よりも大きく座席数を減らし、客席間もいわゆるソーシャルディスタンスに準じて十分に間隔を取るなど細心の注意を払った[注釈 13]。2020年秋より、介護施設向けにオンラインライブを開始した。

その他エピソード

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厚化粧のイメージがついて回っていた時期があり、ギャグのネタにされたり、嘉門達夫に「リバーサイドホテル」の替え歌「誰も知らない素顔の八代亜紀」と歌われるなどしていたが、彫りの深い顔立ちをしているだけで、実際の化粧は薄い[49][50]。八代はその後、化粧品のテレビCMにすっぴんで登場し、テレビ画面から嘉門に対して「ざまあ見ろ!」というセリフを発していた。八代がフジテレビ『志村けんのオレがナニしたのヨ?』に出演した際は、「リバーサイドホテル」をこの歌詞で歌ったことがある。2001年に発行された書籍「素顔」の帯にも、この文言がダブル・ミーニング的に使用されている[51]ビートたけしツービートとして、「(八代は)厚化粧で、笑うとヒビが入る」などのギャグを飛ばしていた[52]

スタイルが抜群であり、2008年ギャル渋谷で買い物をする番組に出演した際、ギャルたちにタイトな服を勧められると「私は胸が大きいからこの服は着られない」と発言した。スリーサイズは未公開。

お酒はぬるめの燗がいい」「肴はあぶったイカでいい」という歌詞が冒頭に登場する「舟唄」を歌っている中、本人は「炙ったイカは好きなものの、酒は呑めない」とのこと[53][54]

スター千一夜(フジテレビ)のパーティで王貞治と話した際に、彼が846号目の本塁打をいつ打つか聞き、実際に打った後にそのときのバットが王から贈られた[55]。号数は語呂合わせで「やしろ」となることとかけており[56]、八代は礼として王の肖像画を描いて贈った[55]

「舟唄」は多くの歌手にカバーされている。梶原しげるがイングリッシュ演歌としてカバーした他、2006年にボスのCMでトミー・リー・ジョーンズが歌い話題になった。八代本人も2001年に発売したアルバム『MOOD』では同曲をラップ調にアレンジして歌っている。

学園モノのコメディ漫画『ハイスクール!奇面組』の1コマにおいて、八代の名前を使ったダジャレ「三畳紀 ジュラ紀 白亜紀 八代亜紀」というものが登場する[注釈 14]

1994年に元歌手でマネージャーだった男性と結婚した。父の助言で八代からプロポーズしたという。2021年1月に離婚した[1][58]

2006年1月6日、タイヨーエレックのパチンコ台「CR 演歌の歌姫 八代亜紀」が稼動した。

2010年3月1日、リーガロイヤルホテル大阪で行われた大村崑金婚式にサプライズゲストとして登場し、来場者を驚かせた。

芸能界きっての猫好きで、自らも猫を飼っている。保護猫歴60年と猫の扱い方は玄人だった。愛猫の絵を描いたこともある[59]

俳優の新田純一とは公私ともに親しい関係で、ラジオや配信番組などでも共演機会が多かった。新田の妻が八代のヘアメイクを長年担当していており、八代が前述の療養の際には入院先の病室に入れる関係者を限っていたが、新田の妻は事務所スタッフらと共に、ほぼ付きっきりで寄り添ったという。新田は八代の危篤の報を受けて駆け付けており、臨終も夫妻で看取っている[60]

受賞歴

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賞名 受賞作品
1973年 第6回新宿音楽祭 金賞 なみだ恋
夜のレコード大賞 銀賞
第6回日本有線大賞 優秀賞
第4回日本歌謡大賞 放送音楽賞
第15回日本レコード大賞 歌唱賞
1974年 夜のレコード大賞 優秀スター賞 愛ひとすじ
第7回日本有線大賞 グランプリ
第5回日本歌謡大賞 放送音楽賞(2年連続)
第16回日本レコード大賞 歌唱賞 愛の執念
1975年 夜のレコード大賞 夜のスター賞 おんなの夢
第8回日本有線大賞 会長特別賞
ベストヒット賞
有線スター賞 ともしび
第6回日本歌謡大賞 放送音楽賞(3年連続)
1976年 第9回日本有線大賞 有線スター賞 もう一度逢いたい
第9回全日本有線放送大賞 功労賞
第7回日本歌謡大賞 放送音楽賞(4年連続)
第18回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞
1977年 第10回日本有線大賞 有線ヒット賞
第10回全日本有線放送大賞 特別賞 おんな港町
第8回日本歌謡大賞 放送音楽賞(5年連続) 愛の終着駅
特別連盟賞
第19回日本レコード大賞 最優秀歌唱賞(2年連続)
1978年 第11回日本作詩大賞 入賞 哀歌(エレジー)
第9回日本歌謡大賞 放送音楽賞(6年連続) 故郷へ…
第20回日本レコード大賞 金賞
1979年 第12回日本有線大賞 有線音楽賞 涙の朝
第12回日本作詩大賞 入賞 舟唄
第12回全日本有線放送大賞 特別賞
第10回日本歌謡大賞 放送音楽賞(7年連続)
第21回日本レコード大賞 金賞
1980年 第6回日本テレビ音楽祭 グランプリ 雨の慕情
第6回演歌大賞 名人賞
第7回横浜音楽祭 祭賞
第6回全日本歌謡音楽祭 優秀歌唱賞
第13回日本有線大賞 有線音楽賞
第13回全日本有線放送大賞 優秀スター賞
第9回FNS歌謡祭 最優秀視聴者賞
第11回日本歌謡大賞 放送音楽賞(8年連続)
大賞
第22回日本レコード大賞 大賞
1981年 第18回ゴールデン・アロー賞 音楽賞
第2回古賀政男記念音楽大賞 優秀賞 女心は港の灯
第14回日本作詩大賞 大衆賞
1982年 第8回日本テレビ音楽祭 10周年特別賞
第15回日本作詩大賞 作品賞 海猫
1983年 第2回メガロポリス歌謡祭 演歌メガロポリス賞 ブルーレイン大阪
第4回古賀政男記念音楽大賞 大賞 恋の彩
第25回日本レコード大賞 特別金賞 日本海
1984年 第10回演歌大賞 名誉歌手賞
第17回日本作詩大賞 入賞 恋瀬川
1987年 第20回日本有線大賞 20周年特別期待賞
1988年 第15回横浜音楽祭 ラジオ日本演歌賞 冬に恋歌
第30回日本レコード大賞 企画賞 北愁記
1989年 第8回メガロポリス歌謡祭 演歌メガロポリス賞 下町夢しぐれ
第16回横浜音楽祭 ラジオ日本演歌賞
1990年 第9回メガロポリス歌謡祭 特別賞 花(ブーケ)束
第23回日本有線大賞 有線音楽優秀賞
第32回日本レコード大賞 作詞賞
1996年 第29回日本作詩大賞 入賞 あんた逢いに来い
日本赤十字社金色有功章 日本赤十字社金色有功章
1998年 第24回欧州国際美術展 入選 見つめているものは…
フランス ル・サロン展 入選 想い出
1999年 第32回日本作詩大賞 入賞 風のブルース
日本・フランス現代美術展 ル・サロン・フランス 芸術家協会名誉会長
会長連署功労賞
フランス ル・サロン展 入選銅賞 時は流れて
2000年 3年連続入選 風を見つめて…
2001年 4年連続入選 一夜物語
2002年 5年連続入選[61] やすらぎ
2003年 第36回日本作詩大賞 入賞 新宿なみだ町
政経文化画人展 内閣総理大臣賞
2008年 第9回日本・フランス現代美術世界展 特別賞
2010年 2010年度文化庁長官表彰 人の哀感を巧みに描き出す魅力的な歌声と歌唱技術
2011年 第23回国際宝飾展 日本ジュエリーベストドレッサー賞
60代女性部門
2021年 第42回松尾芸能賞 大賞[62]
2024年 第66回輝く!日本レコード大賞 特別功労賞

ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高順位
規格品番
1 1971年
9月25日
A面 愛は死んでも 池田充男 野崎真一 伊藤雪彦 - SN-1170
B面 赤坂はせつなくて
2 1972年
1月25日
A面 別れてあなたを 悠木圭子 鈴木淳 森岡賢一郎 SN-1206
B面 淋しい朝 あきらはるお
3 1972年
10月25日
A面 恋街ブルース 悠木圭子 小谷充 88位 SN-1282
B面 ドアーを叩いて
4 1973年
2月5日
A面 なみだ恋 12位 SN-1300
B面 雨のカフェテラス 二条冬詩夫
5 1973年
6月1日
A面 おんなの涙 悠木圭子 伊藤雪彦 17位 SN-1310
B面 未練恋
6 1973年
10月1日
A面 女ごころ 千家和也 19位 SN-1333
B面 過去 悠木圭子 小谷充
7 1974年
1月25日
A面 しのび恋 伊藤雪彦 13位 SN-1377
B面 みれん雨 野本高平 伊藤雪彦
- 1974年 A面 長崎はみなと町 二条冬詩夫 - SN-1381
B面 霧の摩周湖 水島哲 平尾昌晃 伊藤雪彦
- 1974年 A面 ひとり花 中山寛 野崎真一 - SN-1382
B面 恋あざみ 泉淳三 彩木雅夫
- 1974年 A面 船は行く 吉田旺 - SN-1383
B面 あなたのブルース 藤本卓也
8 1974年
5月25日
A面 愛ひとすじ 川内康範 北原じゅん 小谷充 10位 SN-1397
B面 別れのフェリーボート
9 1974年
9月25日
A面 愛の執念 伊藤雪彦 9位 SN-1417
B面 悲しい夢
10 1975年
1月25日
A面 おんなの夢 悠木圭子 鈴木淳 馬場良 3位 SN-1433
B面 雨の港町 竹村次郎
11 1975年
5月25日
A面 ともしび 竜崎孝路 10位 SN-1451
B面 最終列車 鈴木淳
12 1975年
9月25日
A面 貴方につくします SN-1474
B面 わかれ雨
13 1975年
10月25日
A面 愛していません ジェームス三木 野崎真一 伊藤雪彦 48位 SN-1480
B面 命つくして 朝倉一雄
14 1976年
1月25日
A面 花水仙 池田充男 浜圭介 14位 SN-1494
B面 白い桟橋 伊藤雪彦
15 1976年
5月25日
A面 ふたりづれ 15位 RS-6
B面 霧笛
16 1976年
7月25日
A面 夢魔のブルース 川内康範 北原じゅん 小谷充 69位 RS-12
B面 かくれ妻
17 1976年
9月25日
A面 もう一度逢いたい 山口洋子 野崎真一 竜崎孝路 9位 RS-22
B面 女の燈台 小島高志 広崎竜二 伊藤雪彦
18 1976年
11月25日
A面 あい逢い横丁 ジェームス三木 いずみたく 親泊正昇 87位 RS-37
B面 かげろうの唄 山川啓介
19 1977年
2月5日
A面 おんな港町 二条冬詩夫 伊藤雪彦 13位 RS-46
B面 盛り場 池田充男
20 1977年
5月25日
A面 恋歌 16位 RS-66
B面 迷い 鳥井実 浜圭介 若草恵
21 1977年
8月5日
A面 愛されてみたい 小野朱美 遠藤実 斉藤恒夫 50位 RS-80
B面 夜の顔 荒川利夫
22 1977年
9月25日
A面 愛の終着駅 池田充男 野崎真一 竹村次郎 13位 RS-85
B面 なみだの艶歌 伊藤雪彦
23 1977年
11月25日
A面 おんな橋 梅林貴久生 菊池俊輔 - RS-100
B面 もう泣きません
24 1978年
1月25日
A面 愛の條件 川内康範 北原じゅん 小谷充 21位 RS-105
B面 ひとり寝
25 1978年
5月25日
A面 哀歌 谷村新司 竹村次郎 20位 RS-123
B面 ボンボヤージ 小谷充
26 1978年
9月25日
A面 故郷へ… 池田充男 野崎真一 竹村次郎 26位 RS-135
B面 愛の歳月 杉紀彦 弦哲也 伊藤雪彦
27 1979年
1月25日
A面 涙の朝 悠木圭子 鈴木淳 馬場良 17位 RS-151
B面 ながれ花
28 1979年
5月25日
A面 舟唄 阿久悠 浜圭介 竜崎孝路 15位 RS-165
B面 長いプラットホーム 中村泰士
29 1979年
9月25日
A面 女だから 悠木圭子 鈴木淳 馬場良 27位 RS-180
B面 あなたの子守唄 小杉仁三
30 1980年
4月25日
A面 雨の慕情 阿久悠 浜圭介 竜崎孝路 9位 RS-195
B面 男と女・酒と歌
31 1980年
9月10日
A面 港町絶唱 28位 RS-220
B面 死ぬほど愛して
32 1981年
2月5日
A面 女の街角 悠木圭子 鈴木淳 斉藤恒夫 23位 RE-510
B面 私にお世話を… 池田充男
33 1981年
4月25日
A面 あなたに逢いたい 五木寛之 弦哲也 竜崎孝路 41位 RE-524
B面 たそがれの歩道橋 呼子雅彦
34 1981年
7月10日
A面 女心は港の灯 山口洋子 弦哲也 京建輔 48位 RE-530
B面 港は日暮れ
35 1981年
10月5日
A面 うしろ影 北原じゅん 竜崎孝路 50位 RE-540
B面 なみだ俱楽部
36 1981年
12月20日
A面 はまなすの花が咲いたら 岡本おさみ 樋口康雄 - RE-543
B面 黒い髪
37 1982年
4月5日
A面 あなたと生きる 五島新 森安俊行 斉藤恒夫 34位 7AC-0001
B面 銀座海峡
38 1982年
8月21日
A面 海猫 高橋直人 小林学 竜崎孝路 43位 7AC-0004
B面 さいごの恋人 杉紀彦 曽根幸明
39 1982年
10月21日
A面 いい顔になったね 八代亜紀 斉藤恒夫 - 7AC-0005
B面 新宿情話 みなみらんぼう 八代亜紀
40 A面 うれし泣き 八代亜紀 竜崎孝路 7AC-0006
B面 新宿螢 斉藤恒夫
41 A面 夜更けの二人[注釈 15] 竜崎孝路 7AC-0007
B面 北海おんな節 高田宏治 立花亮
42 1983年
1月21日
A面 積木の城 なかにし礼 浜圭介 竜崎孝路 7AC-0008
B面 異国の人
43 1983年
3月20日
A面 なみだ川 荒木とよひさ 三木たかし 45位 7AC-0010
B面 只今恋のド真中 里村龍一 野崎真一 竹村次郎
44 1983年
5月21日
A面 ブルーレイン大阪 荒木とよひさ 浜圭介 馬飼野俊一 61位 7AC-0013
B面 夢ならさめないで 水木れいじ
45 1983年
8月21日
A面 日本海 阿久悠 大野克夫 三木たかし 79位 7AC-0014
B面 おんな北帰行 浜圭介 竜崎孝路
46 1983年
10月21日
A面 恋の彩 麻生香太郎 藤本卓也 - 7AC-0017
B面 想い出涙色
47 1984年
2月21日
A面 ふたりの夢 悠木圭子 鈴木淳 斉藤恒夫 57位 7AC-0020
B面 粉雪の手紙 池田充男 野崎真一 竹村次郎
48 1984年
5月21日
A面 涙の最終列車 69位 7AC-0022
B面 陸の船乗り -ロンサム ロード- 山口洋子 中村泰士 川村栄二
49 A面 夢待草 荒川利夫 聖川湧 竹村次郎 - 7AC-0023
B面 恋慕夜曲 吉田旺 浜圭介 馬飼野俊一
50 1984年
10月5日
A面 恋瀬川 秋野めぐみ 竹田賢 斉藤恒夫 52位 7AC-0031
B面 愛夢 山口洋子 中村泰士 川村栄二
51 1985年
4月5日
A面 愛しても今は他人 石本美由起 遠藤実 斉藤恒夫 86位 7AC-0034
B面 裏町しぐれ
52 1985年
9月21日
A面 命火 石原信一 浜圭介 竜崎孝路 79位 7AC-0043
B面 おんなの情念 秋野めぐみ 竹田賢 小谷充
53 1986年
8月22日
A面 港町純情 水木かおる 鈴木淳 池多孝春 87位 AH-760
B面 あなたの噓 鳥井実
54 1987年
4月1日
A面 竜二 吉岡治 三木たかし 川口真 84位 AH-817
B面 うぬぼれ鏡 佐藤寛
55 A面 砂の城 川口真 - AH-818
B面 あばよ港町 佐藤寛
56 1987年
9月21日
A面 恋は火の川 池田充男 徳久広司 京建輔 49位 AH-863
B面 紅歌 石原信一
57 1988年
4月1日
A面 かもめの歌 阿久悠 浜圭介 馬飼野俊一 - AH-930
B面 北都の女 桜庭伸幸
58 1988年
6月1日
A面 最終ひかり 沢ひとし 大船わたる かみたかし AH-937
B面 こころうた 曽我部博士 荒木圭男 前田俊明
59 1988年
9月1日
A面 冬の恋歌 阿久悠 浜圭介 馬飼野俊一 AH-974
B面 野暮
60 1989年
2月10日
01 下町 夢しぐれ 石本美由起 岡千秋 佐伯亮 49位 12CA-8153
02 信濃路の里
61 1990年
2月10日
01 花 (ブーケ) 束 阿久悠 服部克久 服部隆之 67位 CA-8390
02 たそがれ東京 服部良一 服部克久
62 1991年
2月21日
01 カクテル 川口真 若草恵 - CODA-8666
02 接吻
63 1991年
8月21日
01 愛を信じたい 秋元康 中崎英也 川村栄二 CODA-8787
02 酒占い
64 1991年
10月1日
01 熱海あたりで[注釈 16] 林哲司 服部隆之 CODA-8798
02 はっけよい 高橋研 若草恵
65 1992年
4月10日
01 雪のれん 松井由利夫 遠藤実 佐伯亮 89位 CODA-9
02 風紋
66 1993年
3月21日
01 カラス 岡田冨美子 浜圭介 若草恵 - CODA-168
02 「思秋」奥嵯峨 MAKI 竹田賢 桜庭伸幸
67 1994年
3月21日
01 あかんたれ もず唱平 弦哲也 前田俊明 94位 CODA-397
02 あなただけ 石坂まさを
68 1994年
5月21日
01 ラッキーマンの歌 ガモウひろし 佐瀬寿一 矢野立美 - CODC-426
02 恋はブーガ 高田ひろお
69 1995年
3月21日
01 とおりゃんせ 悠木圭子 鈴木淳 竜崎孝路 91位 CODA-606
02 女は花になれ
70 1996年
2月21日
01 あんた逢いに来い 麻こよみ 西峰卓矢 前田俊明 - CODA-883
02 夢のあとさき 建石一 伊藤雪彦 若草恵
71 1996年
10月19日
01 泡沫〜UTAKATA〜 野村万之丞 竜崎孝路 CODA-1024
02 (大河ドラマバージョン) 野村万之丞
72 1997年
1月21日
01 ミスター サムシング ブルー 湯川れい子 長谷川智樹 CODA-1146
02 Sentimental Boat to Heaven 鴨宮諒 長谷川智樹
73 1997年
5月21日
01 ほんね たかたかし 杉本真人 矢野立美 CODA-1237
02 桜吹雪の中で 松本比呂 若草恵
74 1997年
11月1日
01 男はつらいよ 星野哲郎 山本直純 山本純ノ介 CODA-1343
02 さよならあんた 河島英五 川口真
75 1998年
3月21日
01 盛り場流れ唄 悠木圭子 鈴木淳 池多孝春 CODA-1457
02 きずな
76 1998年
9月19日
01 あなたに乾盃 竜崎孝路 CODA-1622
02 おもかげ 前田俊明
77 1999年
3月20日
01 風のブルース 吉田旺 杉本眞人 CODA-1717
02 紅の花 秋野めぐみ 竹田賢
78 2000年
2月19日
01 朧月夜 阿久悠 弦哲也 CODA-1827
02 ひまわりワルツ
79 01 グアム慕情 ひさとみまこと 中谷靖之助 CODA-1838
80 2000年
8月19日
01 あなたの背中に 阿久悠 杉本眞人 南郷達也 CODA-1891
02 ステーションホテル24時 竜崎孝路
81 2001年
3月17日
01 これからがある もず唱平 伊藤雪彦 伊戸のりお CODA-1938
02 愛の影 水木れいじ 川口真
82 2001年
7月25日
01 あした天気になーれ[注釈 17] もず唱平 大谷明裕 伊戸のりお CODA-1984
02 Memorie's 西森三紗 亜乃庸 竜崎孝路
83 2002年
2月21日
01 友の焼酎 いではく 大谷明裕 CODA-2024
02 冬の鷗 桜庭伸幸
84 2002年
10月19日
01 哀しみよ隣りで眠れ 荒木とよひさ 徳久広司 伊戸のりお 69位 CODA-2063
02 友の焼酎 いではく 大谷明裕 竜崎孝路
85 2003年
4月2日
01 裸足のシンデレラ 悠木圭子 鈴木淳 129位 CODA-2095
02 春夏秋冬ふられ節[注釈 18] 荒木とよひさ 伊戸のりお
86 2003年
7月23日
01 新宿なみだ町 川村栄二 84位 COCA-15501
02 昭和の灯り
87 2004年
4月21日
01 新宿なみだ町 - COCA-15661
02 おのれ道 渡邊智央 一色真実 長谷川智樹
88 2004年
7月21日
01 不知火酒 荒木とよひさ 聖川湧 石倉重信 77位 COCA-15682
02 愛を信じたい 秋元康 中崎英也 川村栄二
89 2005年
3月23日
01 不知火情話 荒木とよひさ 岡千秋 南郷達也 66位 COCA-15744
02 生まれ変わる朝 八代亜紀 長谷川智樹
90 2005年
9月21日
01 白い花 YANCY - COCA-15798
02 空に星があるように 荒木一郎 YANCY
91 2006年
1月18日
01 骨までしびれるブルースを 荒木とよひさ 水森英夫 矢野立美 104位 COCA-15832
02 最後の女 秋野めぐみ 竹田賢 前田俊明
92 2006年
8月23日
01 女心と秋の空 所ジョージ 石倉重信 109位 COCA-15919
02 お酒を飲んで…
93 2007年
2月21日
01 鰻谷 河島英五 河島翔馬 179位 COCA-15959
02 月の花まつり 若草恵
94 2007年
7月18日
01 立ち呑み『小春』 もず唱平 円広志 前田俊明 105位 COCA-16002
02 悲しみの法則 BORO 矢野立美
95 2008年
2月20日
01 役者 たきのえいじ 大谷明裕 竜崎孝路 100位 COCA-16063
02 宗谷岬 松山千春 石倉重信
96 2008年
5月21日
01 東京音頭〜Remixed by J.P.〜 西條八十 中山晋平 J.P. - COCA-16081
02 東京ブギウギ〜Remixed by J.P.〜 鈴木勝 服部良一
03 東京音頭(正調) 西條八十 中山晋平 石倉重信
97 2008年
9月24日
01 昭和の歌など聴きながら 荒木とよひさ 徳久広司 石倉重信 88位 COCA-16182
02 漢江の月 前田俊明
98 2009年
9月16日
01 純情カプチーノ 岡田冨美子 竜崎孝路 54位 COCA-16291
02 女の予感
99 2010年
4月7日
01 一枚のLP盤 荒木とよひさ 杉本眞人 宮崎慎二 61位 COCA-16349
02 昭和の歌など聴きながら 徳久広司 石倉重信
03 CRY ME A RIVER Arthur Hamilton 京建輔
100 2011年
1月19日
01 人生の贈りもの 吉元由美 都志見隆 矢野立美 93位 COCA-16438
02 一枚のLP盤 荒木とよひさ 杉本眞人 宮崎慎二
03 愛を信じたい 秋元康 中崎英也 川村栄二
101 2011年
10月19日
01 デスティニーラブ 石原信一 徳久広司 矢野立美 65位 COCA-16519
02 人生の贈りもの 吉元由美 都志見隆
102 2012年
5月30日
01 クレオパトラの夢[注釈 19] ちあき哲也 鈴木キサブロー 宮崎慎二 103位 COCA-16607
02 あの日の昭和がここにある 鳥井実 大谷明裕 石倉重信
103 2012年
11月21日
01 この広い宇宙のかなたで 高嶋渉 ゲール語民謡 間宮工 - COCA-16669
02 この素晴らしき世界 鈴木博文 G.Douglas
G.D.Weiss
YANCY
104 2012年
12月5日
01 追憶の面影橋 喜多條忠 鈴木淳 竜崎孝路 143位 COCA-16670
02 五月雨の道 岡田冨美子 中崎英也 若草恵
105 2013年
10月23日
01 MU-JO 伊藤薫 M.Friedman 106位 COCA-16771
02 愛しすぎる女 吉元由美 クリヤ・マコト
03 残心 渡辺淳一 浜圭介 竜崎孝路
04 赤い街 さくらももこ 松雪陽 小林信吾
106 2014年
10月22日
01 心をつなぐ10円玉 かず翼 杉本眞人 矢野立美 83位 COCA-16930
02 あなたにありがとう 小川容子 若草恵
03 五月雨の道 岡田冨美子 中崎英也 若草恵
107 2016年
10月19日
01 JAMAAS 真実はふたつ 伊藤薫 G.Jargalsaikhan - COCA-17230
02 みんな、こどもだった 重実博
108 2020年
3月11日
01 明日に生きる愛の歌 悠木圭子 鈴木淳 鎌田雅人 152位 TYCT-30104
02 ワタシウタ カタヤマケイジ
03 舟唄 (ピアノ・バラードVer.) 阿久悠 浜圭介 武部聡志
109 2020年
12月9日
01 居酒屋「昭和」 中山正好 八代亜紀
大谷明裕
竹内弘一 58位 TYCT-30118
02 月ノ小舟 竹内清訓 八代亜紀 鎌田雅人
110 2023年
3月15日
01 想い出通り 悠木圭子 - TYCT-30136
02 六条御息所の恋[注釈 20] 相田毅 相田毅
周防泰臣
周防泰臣
03 Le Portrait 鮎川めぐみ C.Gioacchino -
04 なみだ恋2023 悠木圭子 鈴木淳 鎌田雅人

デュエット・シングル

[編集]
発売日 デュエット A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高順位
規格品番
1974年
8月10日
石原裕次郎 A面
[注釈 21]
別れの夜明け 池田充男 伊藤雪彦 17位 SN-1413
1979年
11月25日
A面 夜のめぐり逢い 野崎真一 竜崎孝路 51位 RS-185
B面 ふたりの港町 上原賢六
1980年
12月20日
A面 わかれ川 野崎真一 伊藤雪彦 52位 RE-504
B面 なみだの宿 上原賢六
1984年
10月5日
夏木勲 A面 盛り場二人づれ 野崎真一 竹村次郎 - 7AC-0032
B面 夜の駅
1990年
6月21日
高倉健 01 挽歌 荒木とよひさ 平尾昌晃 竜崎孝路 41位 CODA-8539
02 放浪雲
1994年
9月21日
ミスターX 01 水割りのセレナーデ たきのえいじ 美樹克彦 川村栄二 - CODA-483
02 夜更けのふたり 秋野めぐみ
1999年
9月10日
杉本眞人 01 港灯 吉田旺 杉本眞人 矢野立美 CODA-1778
2017年
5月24日
May J.
[注釈 22]
01 母と娘の10,000日
〜未来の扉〜
アンジェラ・アキ 55位 RZCD-86354
2017年
11月29日
モモエ
[注釈 23]
01 にほんご音頭 倉本美津留 長谷川智樹 - 配信限定
2019年
2月6日
みやぞん
[注釈 24]
01 だいじょうぶ 伊藤薫 高見沢俊彦 高見沢俊彦
鎌田雅人
73位 TYCT-30085

アルバム

[編集]

※オリコン100位内にチャート・インした作品のみ掲載

発売日 タイトル 最高位
(LP)
最高位
(CT)
最高位
(総合)
1973年3月1日
1994年10月21日 (CD)
なみだ恋 35位 - -
1973年7月1日 おんなの涙 21位 - -
1973年9月1日 演歌ごころ 41位 - -
1973年10月25日 女ごころ 24位 - -
1973年11月25日 演歌の旅路 58位 - -
1974年2月5日 演歌ごころ〜花と蝶 55位 - -
1974年5月25日 ゴールデンスター・ツイン・デラックス 13位 - -
1974年6月25日 愛ひとすじ 8位 8位 -
1974年8月25日 オン・ステージ 8位 12位 -
1974年10月25日 ベスト歌謡16 5位 - -
1974年11月1日 八代亜紀 - 1位 -
1974年11月25日 愛の執念 66位 - -
1975年1月25日 愛・12章/おんなの夢 17位 14位 -
1975年2月25日 八代亜紀リサイタル I 30位 11位 -
1975年3月1日 大ヒット曲集 - 1位 -
1975年6月1日 ともしび - 2位 -
1975年6月25日 ベスト歌謡16 19位 - -
1975年8月25日 八代亜紀が歌う不滅の演歌 42位 - -
1975年9月1日 昭和流し唄 - 22位 -
1975年10月25日 ベスト歌謡16/貴方につくします 10位 - -
1975年11月1日 全曲集 - 1位 -
1975年11月25日 影を慕いて 59位 - -
1976年1月25日 花水仙 19位 8位 -
1976年2月25日 いつの日も歌を 60位 - -
1976年4月25日 大ヒット16曲 - 5位 -
1976年4月25日 演歌熱唱 67位 - -
1976年6月25日 ベスト歌謡30 34位 - -
1976年7月25日 ふたりづれ 44位 - -
1976年7月25日 演歌大全集 - 11位 -
1976年10月25日 もう一度逢いたい 28位 - -
1976年11月1日 スーパー・デラックス20 - 2位 -
1976年11月25日 ヒット歌謡ベスト30 36位 - -
1977年1月25日
2014年10月22日 (CD)
熱唱 八代亜紀リサイタル 41位 35位 -
1977年3月5日 全曲集 - 2位 -
1977年3月25日 おんな港町 42位 - -
1977年5月25日 ヒット歌謡ベスト30 49位 - -
1977年6月25日 激唱 90位 - -
1977年7月25日 恋歌 - 12位 -
1977年7月25日 愛されてみたい 43位 - -
1977年10月25日 スター・ゴールデン・デラックス - 2位 -
1977年10月25日 オリジナル・スーパーヒット16 8位 - -
1977年11月25日 愛の終着駅 99位 - -
1978年1月25日
2014年10月22日 (CD)
五周年記念リサイタル 燃えて翔べ 86位 - -
1978年2月25日 絶え間なき愛の流れ 82位 69位 -
1978年4月25日 華麗なる女心 73位 59位 -
1978年6月25日 哀歌 74位 - -
1978年10月25日 ベストセレクト20 - 4位 -
1978年10月25日 オリジナル・ベスト 37位 - -
1978年11月25日 八代亜紀 65位 - -
1979年1月25日 八代亜紀リサイタル 愛の季節…そして、亜紀はまだひとり… - 76位 -
1979年2月25日 涙の朝 46位 8位 -
1979年4月25日 永遠のヒット全曲集 - 10位 -
1979年5月25日 舟唄 52位 9位 -
1979年10月25日 スーパースター ビッグヒット20 - 4位 -
1979年10月25日 オリジナルベスト 46位 - -
1979年11月25日 演歌 - 43位 -
1979年11月25日 オリジナルヒット30 59位 - -
1980年1月25日
2013年8月21日 (CD)
八代亜紀リサイタル'79 〜私の愛する演歌〜 - 38位 -
1980年4月25日 演歌全曲集 - 26位 -
1980年5月25日 全曲集 - 4位 -
1980年5月25日 雨の慕情 40位 - -
1980年6月25日 大全集 78位 - -
1980年10月25日 ワイド・デラックス20 - 3位 -
1980年10月25日 オリジナルベスト16 34位 - -
1980年11月25日 演歌流し唄 - 69位 -
1981年1月25日
2013年8月21日 (CD)
八周年記念 八代亜紀リサイタル - 64位 -
1981年2月25日 オリジナルヒット曲集 - 17位 -
1981年5月25日 スーパースター・ヒット全曲集 - 25位 -
1981年10月25日 ビッグヒット - 47位 -
1982年5月21日 あなたと生きる - 54位 -
1982年7月25日 全曲集 - 54位 -
1982年9月21日 海猫 - 62位 -
1983年2月21日 ヒット歌謡20 なみだ川 - 57位 -
1983年6月21日 ブルーレイン大阪 - 57位 -
1984年3月21日 ふたりの夢 - 65位 -
1984年11月5日 全曲集 - 68位 -
1990年10月25日 全曲集 - 92位 -
1991年10月25日 全曲集 - 64位 -
2012年10月10日 夜のアルバム - - 20位
2015年10月28日 哀歌 -aiuta- - - 80位
2017年10月11日 夜のつづき - - 69位

近年のオリジナル、ライブ、企画アルバム

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発売日 タイトル 備考
1995年9月21日 色彩花変化 25周年記念アルバム。河島英五作詞作曲「月の花まつり」「さよならあんた」が新境地。
2007年にシングル化された「鰻谷」はこのアルバム用に書き下ろされ、お蔵入りになっていた。
1998年1月21日
2008年12月1日
八代亜紀と素敵な紳士の音楽会
〜LIVE IN QUEST〜
1997年9月、原宿クエストホールで行った初のジャズ・ライヴを収録した18年振りのライヴ・アルバム。
往年のスタンダード・ナンバーを中心に、八代自身のヒット曲もジャズ調にアレンジ。
2008年に再発売された。
2000年1月21日 いい男 いい女 いい時代 30周年記念アルバム。阿久悠が監修、全曲の作詞を担当。
ダンチョネ節から始まり、ダンチョネ節で終わる構成になっており、当初アルバムタイトルは『THE 舟唄』であったが変更された。
後にシングル・カットされた「あなたの背中に」はシングルとは別バージョン。
2001年11月21日
2010年1月25日
MOOD 南佳孝大貫妙子大沢誉志幸かの香織などポップス系アーティストの書き下ろし9曲の他、
セルフカバーとしてラップ調の「舟唄」、R&B調の「愛を信じたい」、
カバー曲「UNCHAINED MELODY」「FLY ME TO THE MOON」を収録し、演歌色の無い意欲的な企画アルバム。
2010年にオンデマンドCDとして再発売された。
2005年6月22日 VOICE 35周年記念ミニ・アルバム。アコースティック・サウンドで全編が優しい音色で統一されている。
花(ブーケ)束」「生まれ変わる朝」も新アレンジで再録。「この素晴らしき世界」を日本語でカバー。
「白い花」は後にシングル・カット。
2007年9月19日 彩月〜いろどりづき〜 円広志荒木とよひさBORO美樹克彦弦哲也河島英五松山千春など多彩なアーティストが楽曲を提供。
シングル候補になった曲を集めたアルバム。2008年2月「役者」をシングル・カット。
2010年8月18日 人生の贈り物 40周年記念オリジナル・アルバム。
杉本眞人伊藤薫、弦哲也、さとう宗幸都志見隆吉元由美鈴木淳などが楽曲を提供。
2011年1月、「人生の贈りもの」のボーカルを新たにレコーディングし直してシングル・カット。
2012年10月10日 夜のアルバム 小西康陽プロデュースによる初の本格ジャズ・アルバム。「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「サマータイム」など全12曲収録。
ユニバーサルミュージックより発売され、世界75ヵ国に同時配信。
2013年8月21日 夢の夜〜ライヴ・イン・ニューヨーク 2013年3月27日、ニューヨークの名門ジャズクラブ・バードランドで行ったライブを完全収録した15年ぶりのライブ・アルバム。
2015年10月28日 哀歌 -aiuta- 寺岡呼人プロデュースの初のブルース・アルバム。アメリカのブルース5曲、日本のブルース3曲のカバーに、
THE BAWDIES横山剣クレイジーケンバンド)、中村中らの書き下ろしによる新曲4曲を含む全12曲収録。
2017年10月11日 夜のつづき 『夜のアルバム』に続くジャズ・アルバム第2弾。「帰ってくれたら嬉しいわ」「フィーヴァー」「黒い花びら」など全13曲収録。
同年11月1日には完全生産限定でアナログLPも発売。
2021年9月25日 八代亜紀ベストヒット 〜ニューレコーディングス&ニューシングルズ〜 ヒット曲12曲の新録音にVirgin Music移籍後に発売されたシングル曲を収録したベスト・アルバム。

タイアップ曲

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楽曲 タイアップ
1975年 愛していません TBS系ドラマ「愛の断崖」主題歌
1976年 あい逢い横丁 テレビ朝日系ドラマ「玉ねぎ横丁の花嫁さん」主題歌
1977年 おんな橋 日本テレビ系ドラマ「うどん一代」主題歌
もう泣きません 日本テレビ系ドラマ「うどん一代」挿入歌
1980年 はまなすの花が咲いたら TBS系ドラマ「はまなすの花が咲いたら」主題歌
黒い髪 TBS系ドラマ「はまなすの花が咲いたら」挿入歌
1983年 積木の城 TBS系ドラマ「母も娘も」主題歌
ブルーレイン大阪 映画「ブルーレイン大阪」主題歌
1984年 陸の船乗り -ロンサムロード- 三菱自動車工業ふそう大型トラック ザ・グレートCMソング
1986年 キャバレーフラミンゴ 映画「玄海つれづれ節」主題歌[注釈 25]
1988年 最終ひかり JR東海東海道新幹線キャンペーンソング
1990年 挽歌 三菱自動車工業「ふそう中型トラック ファイター」CMソング
1994年 ラッキーマンの歌 テレビ東京系アニメ「とっても!ラッキーマン」OPテーマ
恋はブーガ テレビ東京系アニメ「とっても!ラッキーマン」EDテーマ
1995年 とおりゃんせ 映画「極道の妻たち 赫い絆」主題歌
女は花になれ 映画「極道の妻たち 赫い絆」挿入歌
1996年 泡沫〜UTAKATA〜 NHK総合 大河ドラマ秀吉」挿入歌
1997年 ミスターサムシングブルー 大鵬薬品ソルマック」CMソング
男はつらいよ 映画「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」主題歌
2000年 To Feel the Fire キリンFIRE」CMソング[注釈 26]
グアム慕情 グアム政府観光局「楽しさエンドレスキャンペーン」CMソング
2004年 おのれ道 日本テレビ系アニメ「ごくせん」EDテーマ
2005年 白い花 JR東日本「会津時間旅行篇」CMソング
2012年 この広い宇宙のかなたで 田中貴金属工業・CMソング
2017年 にほんご音頭 NHK Eテレシャキーン!」挿入歌
2020年 ワタシウタ 日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」EDテーマ

映像作品

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発売日 タイトル 備考
1984年6月21日 八代亜紀の世界 艶歌・女を歌う
1984年6月21日 八代亜紀の世界 旅・港を歌う
1992年7月21日 演歌の花道
1992年11月21日 史上最大の歌謡ワンマンショー!!
熱唱!! 八代亜紀 22年の軌跡
2本組
1995年12月1日 歌手生活25周年記念リサイタル
明日にむかって
NHKホールで行われた25周年記念リサイタルを収録
司会: 玉置宏、ゲスト: 上沼恵美子
2006年1月18日 八代亜紀DVDコレクション PV(ビデオ・クリップ)
2012年1月18日 歌人伝説〜八代亜紀〜 BSフジで放映された番組『歌人伝説』出演時のロングインタビューとスタジオライブを収録

楽曲提供

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書籍

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出版年月 タイトル 出版社 備考
1980年11月 八代亜紀写真集 熱唱 燃えて哭く… 双葉社
1980年11月 八代亜紀 不知火 スポニチ出版 石原信一
1985年11月 私の命火 -35才自伝的エッセイ- 主婦の友社 八代亜紀著
1986年4月 八代亜紀写真集 望郷 美・来人
1989年12月 愛蔵版 燃える恋歌 東京新聞出版局 20周年記念・半生記
1991年10月 亜紀、夢をありがとう KKロングセラーズ 橋本タミ子(八代亜紀の実母)著
1995年11月 幻の恋に燃えて -八代亜紀 うたの風景- 日本短波放送 木戸征治著 写真とエッセイ、対談を収録
2000年4月 みんな、こどもだった 八代亜紀抒情画物語 PARCO 八代亜紀著 初画集
2001年11月 素顔 青春出版社 八代亜紀著 自叙伝
2007年12月 舟唄ビューティー アスコム 初のビューティー・ブック
2009年6月 八代亜紀のゆる〜い3カ月骨盤ダイエット
二の腕・ウエストに効く雨降れウォーク
幻冬舎 フジテレビ「どーも☆キニナル!」編著
2010年11月 八代亜紀物語 時流れて、今 西日本新聞社 浜口雅也著 西日本新聞連載をまとめて単行本化

NHK紅白歌合戦出場歴

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1973年・第24回に初出場以来、1987年・第38回まで15年連続で出場した。その間にトリ3回(大トリ2回)、トップバッター1回を経験した。

1988年は選に漏れ、翌1989年・第40回に再出場するが、八代自身もベテラン歌手であるにもかかわらず、その後は大物が立ち並ぶ終盤からは外され、番組の前半に曲順が回されるなど曲順上冷遇されて、1994年に2度目の落選となった。

1999年に50回記念で懐メロ重視の選考となったことから2度目の再出場を果たし、その後3年連続で出演するが、多ジャンル化を目指した2002年の紅白で3度目の落選となった。以降は出場していない(2005年の紅白では『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』に「舟唄」「雨の慕情」が上位200曲内に入ったものの出場はなかった)。

年度  放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1973年 第24回 なみだ恋 08/22 菅原洋一 紅白初出場
1974年 第25回 2 愛ひとすじ 19/25 五木ひろし
1975年 第26回 3 ともしび 20/24 フランク永井
1976年 第27回 4 もう一度逢いたい 19/24 森進一
1977年 第28回 5 おんな港町 24/24 五木ひろし(2) 紅組トリ
1978年 第29回 6 故郷へ… 18/24 五木ひろし(3)
1979年 第30回 7 舟唄 23/23 五木ひろし(4) 大トリ(2)
1980年 第31回 8 雨の慕情 23/23 五木ひろし(5) 大トリ(3)
1981年 第32回 9 うしろ影 21/22 五木ひろし(6) トリ前
1982年 第33回 10 海猫 21/22 五木ひろし(7) トリ前(2)
1983年 第34回 11 日本海 17/21 北島三郎
1984年 第35回 12 恋瀬川 18/20 北島三郎(2)
1985年 第36回 13 命火 17/20 北島三郎(3)
1986年 第37回 14 港町純情 17/20 細川たかし
1987年 第38回 15 恋は火の川 01/20 森進一(2) 紅組トップバッター
1989年 第40回 16 下町夢しぐれ 17/20 吉幾三 2年ぶり紅白復帰
1990年 第41回 17 花(ブーケ)束 24/29 布施明
1991年 第42回 18 舟唄(2回目) 20/28 堀内孝雄
1992年 第43回 19 愛の終着駅 09/28 小林旭 第1部トリ
1993年 第44回 20 もう一度逢いたい(2回目) 06/26 鳥羽一郎
1999年 第50回 21 舟唄(3回目) 18/27 かぐや姫 6年ぶり紅白復帰
2000年 第51回 22 なみだ恋(2回目) 20/28 前川清
2001年 第52回 23 これからがある 06/27 鳥羽一郎(2) 最後の紅白出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

座長公演

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上演期間 劇場 タイトル 第一部演目 第二部演目
1980年 5月28日 - 6月1日 新宿コマ劇場 八代亜紀8周年記念公演 越前おんな節 演歌! 八代亜紀のすべて
1981年 5月2日 - 10日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 不知火おんな節 いま燃える亜紀の世界
1982年 4月29日 - 5月9日 新宿コマ劇場 八代亜紀10周年特別公演 北海おんな節 亜紀 燃える演歌
5月26日 - 30日 梅田コマ劇場
1983年 7月3日 - 13日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演
夏木勲特別出演
昭和疾風おんな節 ヒット・パレード
亜紀 演歌の夏まつり
7月21日 - 31日 梅田コマ劇場
1984年 7月1日 - 15日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演
夏木勲特別出演
日本海疾風おんな節 八代亜紀 この夏情熱!
7月 梅田コマ劇場
1985年 10月3日 - 28日 新宿コマ劇場 デビュー15周年
八代亜紀特別公演
火の国疾風おんな節 亜紀・いま艶花!
1986年 3月1日 - 26日 梅田コマ劇場
10月3日 - 28日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 越前無情
-おんな節シリーズ第7弾-
昨日・今日・明日
演歌ひとすじ
1987年 5月6日 - 31日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演
左幸子特別出演
うず潮慕情
-おんな節シリーズ第8弾-
亜紀演歌
十八番歌いっぱなし
7月3日 - 28日 梅田コマ劇場
1988年 3月4日 - 29日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 津軽人情おんな節 ヒット・パレード
八代演歌 今・炎える女ごころ
8月 梅田コマ劇場
1989年 2月2日 - 27日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 関東疾風おんな節 ヒット・パレード
春一番! 八代演歌まっ盛り
5月4日 - 29日 梅田コマ劇場 浪花疾風おんな節 '89八代演歌まっ盛り
1990年 6月2日 - 27日 新宿コマ劇場 デビュー20周年記念
八代亜紀特別公演
不知火お雪旅暦 歌に魅せられ20年
今、更なる飛翔!!
7月4日 - 29日 梅田コマ劇場
1991年 3月1日 - 26日 梅田コマ劇場 八代亜紀特別公演 母恋道中旅日記 ヒット・パレード
今、新たな演歌時代
6月2日 - 28日 新宿コマ劇場
1992年 1月2日 - 28日 梅田コマ劇場 八代亜紀特別公演 春姿千両纏 初春に舞う 演歌吹雪!!
3月1日 - 28日 新宿コマ劇場 春に舞う 演歌吹雪!!
1993年 6月2日 - 27日 大阪・劇場飛天 八代亜紀奮闘公演 花暦照姫人生双六 ヒット・パレード
亜紀、飛天を翔ける!!
9月2日 - 28日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 闇の華・剣の舞 総ざらえ!
今、華やかに亜紀演歌
1994年 8月2日 - 28日 大阪・劇場飛天 八代亜紀奮闘公演 人情ばなし 恋泥棒 ヒット・パレード
演歌繚乱 亜紀の花道
10月2日 - 28日 新宿コマ劇場 八代亜紀特別公演 望郷疾風おんな節
-五社英雄監督を偲び-
1995年 1月2日 - 28日 名古屋・中日劇場 歌手生活25周年記念
八代亜紀特別公演
闇の華・剣の舞 歌い初め!絢爛演歌大絵巻
11月2日 - 27日 新宿コマ劇場 おりん事件帳千両飛脚 あなたにありがとう、
そして今遥かなる歌の道!
12月2日 - 25日 大阪・劇場飛天
1997年 5月3日 - 26日 大阪・新歌舞伎座 八代亜紀特別公演
菅原文太特別出演
豚と真珠とおもろい夫婦 八代亜紀オンステージ
2001年 9月1日 - 28日 新宿コマ劇場 二人のビッグステージ
千昌夫・八代亜紀
じゃぱにーずどりーむ
「あした天気にな〜れ」
ミリオンセラー
愛のヒットパレード
2002年 3月1日 - 27日 梅田コマ劇場
2003年 4月4日 - 28日 大阪・新歌舞伎座 新歌舞伎座特別企画
八代亜紀・神野美伽
多岐川舞子林あさ美
女の春夏秋冬 ふられ節 グランド・フィナーレ

出演

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映画

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上映年 タイトル 配給 主演 備考
1972年 銀蝶流れ者 牝猫博奕 東映 梶芽衣子
1973年 夜の歌謡シリーズ なみだ恋 東映 中島ゆたか 八代は劇中で「なみだ恋」を歌う本人役
1974年 夜の演歌 しのび恋 東映 中島ゆたか 八代は劇中で「しのび恋」を歌う本人役
1976年 おしゃれ大作戦 東宝 由美かおる
1977年 トラック野郎・度胸一番星 東映 菅原文太
1978年 多羅尾伴内 東映 小林旭 挿入歌「愛の條件」も担当
1986年 玄海つれづれ節 東映 吉永小百合 八代は準主演
1995年 極道の妻たち 赫い絆 東映 岩下志麻 主題歌「とおりゃんせ」、挿入歌「女は花になれ」も担当
2022年 スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免 東映ビデオ 純烈
2024年 てっぺんの剣 narrowz 北乃きい本郷奏多

劇場アニメ

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上映年 タイトル 配給 役名 備考
2016年 ファインディング・ドリー ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ 海洋生物研究所の女性アナウンス(八代亜紀)[63] 日本語吹替版
日本語吹替版のエンドソングも担当[64]

テレビドラマ

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放送日 タイトル 放送局 役名 備考
1973年6月6日 特別機動捜査隊 NET 第605回「恋の裏通り」
挿入歌「なみだ恋」も担当
1976年 玉ねぎ横丁の花嫁さん NET ゲスト出演
1977年 海峡物語 テレビ朝日 ゲスト出演
1980年4月24日 長七郎天下ご免! テレビ朝日 おふじ 第25話「春を呼ぶ鉄火飛脚」
1982年5月6日 木曜ゴールデンドラマ
北のめぐり逢い
読売テレビ 八代亜紀デビュー10周年記念ドラマ
ドラマ初主演
1983年4月26日 歌謡ドラマ
海猫哀歌
NHK総合 八代の曲「海猫」をモチーフにしたドラマ
1983年11月24日 木曜ゴールデンドラマ
悲恋
読売テレビ 初めて入浴シーンに挑戦
1985年3月14日 木曜ゴールデンドラマ
主婦、逃避行
読売テレビ
1987年2月18日 水曜ドラマスペシャル
袋小路の女
TBS / ユニオン映画 主演・木島景子
1991年3月25日 水戸黄門 第20部 TBS お涼 第20話「弥七を狙う女 -八代-」
1991年 また又・三匹が斬る! テレビ朝日 くれないお京 第9話「湯煙り血煙り咲いた女の三度笠」
1992年1月10日 金曜ドラマシアター
主婦たちのざけんなヨ!!
フジテレビ
1994年2月10日 ニュー・三匹が斬る! テレビ朝日 第6話「艶姿!度胸で渡す大井川」ゲスト出演
1994年4月5日 積木くずし、そして… テレビ東京
1995年3月3日 金曜エンタテイメント
清水次郎長物語
フジテレビ お民 挿入歌「茶っ切り節」も担当
1995年4月14日 金曜エンタテイメント
ざけんなヨ!!8
フジテレビ 「長男の嫁・三日間の地獄」
1995年7月22、29日 土曜ドラマ
メナムは眠らず
NHK総合 日本・タイ国際共同制作ドラマ
1995年8月17日 痛快・三匹が斬る! テレビ朝日 猪鹿お蝶 第17話「噂の女と千両疵」
1996年1月7日
- 12月22日
NHK大河ドラマ
秀吉
NHK総合 おせん 挿入歌「泡沫〜UTAKATA〜」も担当
1997年 御家人斬九郎 フジテレビ 第2シリーズ第11話ゲスト出演
2001年9月30日 女子刑務所東三号棟3
私たちは息子を殺しました…
TBS 八代亜紀 刑務所を慰問する歌手役として特別出演
2007年7月13日
- 9月28日
スポパラ ドラマ24
BOYSエステ
テレビ東京
2008年6月23日 スミレ16歳!! BSフジ ヤシロアキ 八代の曲「鰻谷」がフィーチャーされる
2014年4月28日 東京特許許可局 NHK Eテレ 第3話ゲスト出演
2019年2月22日 約束のステージ 〜時を駆けるふたりの歌〜 読売テレビ 田村キヨコ 全日本歌謡選手権審査員・特別出演)
2021年4月 FM999 999WOMEN'S SONGS WOWOW 総理大臣の女 第2話ゲスト出演

ドキュメンタリー番組

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  • 八代亜紀 ブラジルで「にほんのうた」を歌う(BSジャパン、2012年12月30日)
  • 人生指南紀行 女の横町 東京・人情編(NHK BSプレミアム、2014年8月20日) - ナレーション
  • 人生指南紀行 女の横町 地方・旅情編(NHK BSプレミアム、2014年8月27日) - ナレーション
  • 八代亜紀 ブルース、魂の叫び〜聖地メンフィス、ミシシッピ・ブルース街道へ〜(BSフジ、2015年11月13日)

バラエティ・教養番組

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ラジオ番組

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  • ラジオ喫茶 八代(ラジオ日本、2012年10月1日 - 2016年3月28日)
  • 八代亜紀 RADIO PALETTE〜音のアトリエ〜(JFN系、2013年10月 - 2018年3月)
  • 今日も八代亜紀晴れ(かっぱFM
  • ムーンラウンジ八代(ラジオ日本、2016年4月4日 - 2023年12月)

CM

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ほか多数

脚注

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注釈

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  1. ^ 特に浪曲は、親戚や近所の人が時々聞きに集まっていたほどであった。
  2. ^ また父は、自分たちより従業員たちの生活を優先して給料を払っていたことも困窮する理由となった[7]
  3. ^ 具体的には、ジュリー・ロンドンのレコード裏のプロフィールに書かれていた、「アメリカのクラブ歌手で、一流のシンガーとして…」という文言を勘違いした。また、当時アメリカのクラブは、既に知名度のある歌手やダンサーのショービジネスの場とされる。一方日本のクラブは店のママなどを相手に中年の男性客などが酒に酔う場所で歌手が下積みの一環として歌うことが多かったとされ、意味が全く異なるとされる[7]
  4. ^ 詳細は不明だが、本人によると「美人喫茶」という業種とのこと[13]
  5. ^ ちなみに後日音楽学院にやって来たレコード会社の社員によりスカウトされる。しかしそれは歌手志望の若者を狙うレコードデビューを騙った詐欺で、「デビューさせてあげるから200万円用意しなさい」と言われ、八代は「結構です!」と断るということがあった[7]
  6. ^ 本人は大人っぽい歌を歌ってはいたが、当時はまだ女の哀しみや男女の恋愛についてよく分かっておらず、「哀愁がある」と言われてもピンと来なかったとのこと[25]
  7. ^ 八代によると、当時店のホステスたちは勤務時は素敵に見えたが、その多くは給料日に恋人にほとんどの金を持っていかれるなど辛い思いをしていたという。彼女たちから「世の中には私たちみたいな悲しみを背負った女性が沢山いるから、レコードを出してそういう人たちにもあきちゃんの歌を届けてあげてほしい」と言われた。
  8. ^ 夜行列車に乗って見知らぬ街で降りた後、地図を見ながらキャバレーを巡ってそこで歌ってレコードを売り歩いた。その頃は重いトランクを引いていたため、手は豆だらけになったという[13]
  9. ^ 子供時代に生活が困窮していた中でも、人付き合いのいい母は多めに肉じゃがを作って近所におすそ分けした。また父は冬のある日ホームレスの男性を「外は寒いだろう」と約1ケ月間家に住まわせることもあった[25][13]
  10. ^ 当時「なみだ恋」が大ヒットし、「無名歌手だった私のレコードを多くの人に買ってもらえて嬉しかった。世の中の人へのお礼に何か恩返しできないかしら」との考えから慰問活動を始めた。
  11. ^ 被災地での慰問コンサートの開催、全国各地のコンサート会場での義援金の呼びかけ、自身の絵画展の収益の一部を寄付する等[35]
  12. ^ 詳しくは、「日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」・「新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)」・「2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響」、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく休業を参照のこと。
  13. ^ 今後もこの方針は続け、新型インフルエンザ等対策特別措置法新型インフルエンザ等対策特別措置法第24条第9項等に従う意向である。
  14. ^ この時は原始時代を舞台にした架空の話で、教師が主人公たち生徒に俳句を教える授業をし、その一例としてこのダジャレを言う[57]
  15. ^ デュエット:増田登
  16. ^ デュエット:桂三枝
  17. ^ デュエット:千昌夫
  18. ^ 八代と、神野美伽多岐川舞子林あさ美の4人による楽曲。
  19. ^ デュエット:小林旭
  20. ^ 啖呵:玉川奈々福
  21. ^ B面は、石原裕次郎の「泣き砂浜」。
  22. ^ May J. duet with 八代亜紀名義。
  23. ^ 八代亜紀とモモエ名義。
  24. ^ 八代亜紀 with みやぞん名義。
  25. ^ 八代と、吉永小百合風間杜夫の3人による楽曲。一部上映館において全国合計2020枚限定で発売。
  26. ^ 懸賞用非売品CD『SOUL of FIRE』収録。

出典

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  3. ^ 2002年10月から2010年9月まではコロムビアミュージックエンタテインメント
  4. ^ 2012年・2013年の両年に日本コロムビア在籍時のままにユニバーサルジャズ(レーベルはEmArcy)よりジャズアルバムを発売している。
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  9. ^ 後に「18歳と年齢を偽り採用された。」と本人が語っている。
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  66. ^ タナベ胃腸薬ウルソ CMギャラリー 田辺三菱製薬

関連項目

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外部リンク

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