曽根幸明
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別名 |
曽根康明 藤田功、藤原伸(歌手) 川上貞次(作詞) |
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生誕 | 1933年12月28日 |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
死没 |
2017年4月20日(83歳没) 日本・東京都中野区 |
学歴 | 日本大学文学部中退 |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1960年代 - 2017年 |
曽根 幸明(そね こうめい、1933年12月28日 - 2017年4月20日[1])は日本の作曲家、アレンジャー。
妻は女優・歌手の太田きよみ、娘はシンガーソングライターの曽根由希江[2]。
人物
[編集]東京都世田谷区出身。日本大学文学部中退[3]。「藤田功」の名で歌手・俳優活動の後、本名の「曽根幸明」で作曲家としての活動を始める(「曽根康明」名義で手掛けた楽曲も存在する)。
主に1960-70年代に活躍。
自作曲としては勝新太郎の「座頭市子守唄」や「いつかどこかで」(細川たかしも歌唱)、山川豊の「流氷子守歌」、森進一の「銀座の女」、藤圭子、園まりらの「夢は夜ひらく」(練馬少年鑑別所で唱われていた俗曲を補作したもの)、藤圭子「命預けます(編曲)」「恋仁義」「知らない町で」などが代表作である。
また、『夢は夜ひらく』は「藤田功」名義で自らも歌っている。
他にも『象印スターものまね大合戦』など、1980年代にかけて審査員等としてテレビ番組にも登場し、親しみやすいキャラクターで人気を博した。特にアール・エフ・ラジオ日本では昼の歌謡ワイド番組を中心に様々な番組を担当し、同局の顔として活躍していた。
病気治療などのため一線を退いたものの、晩年まで創作活動を続けていた。
作曲家の中本直樹は最後の弟子である。
2017年4月20日、肺炎のため東京都中野区の病院で死去[4]。83歳没[1][2]。
主な出演作
[編集]映画
[編集]- 藤田功 名義
- 命との対決(1960年3月、松竹):ジプシーの政
- 今夜の恋に生きるんだ(1960年4月、日活):藤川功 /同名曲も歌唱
- 借りは返すぜ(1960年9月、日活):梅田浩
- 続 男の紋章(1963年11月、日活):純平
- 男の紋章 風雲双つ竜(1963年12月、日活):純平
- バラケツ勝負(1965年2月、東映):山田友三
テレビ番組
[編集]- 新伍のお待ちどおさま(TBSテレビ系)
- ENKA TV(テレビ朝日)
- タモリ倶楽部(テレビ朝日系)- ジ・イントロナシニナル解説
- 千葉テレビカラオケ大賞 - 審査委員長(1982年-2001年 千葉テレビ放送)
- 群馬テレビカラオケ大賞(群馬テレビ)- 審査委員長
ラジオ番組
[編集]- ソネコーのミュージックパートナー(アール・エフ・ラジオ日本)
- ソネコーの歌謡娯楽版→ポップス談話室(アール・エフ・ラジオ日本)
著書
[編集]- 『つっぱり芸人道 /おたまじゃくしが泣いている』ベストセラーズ、1985年2月。ISBN 4584005710。
- 『曽根幸明の昭和芸能放浪記 / 昭和の夢は夜ひらく』廣済堂、2007年7月。ISBN 9784331512364。
脚注
[編集]- ^ a b “「圭子の夢は夜ひらく」作曲家の曽根幸明氏死去”. 読売新聞. (2017年4月23日) 2017年4月23日閲覧。
- ^ a b 「圭子の夢は夜ひらく」作曲家・曽根幸明さん死去 娘の歌手・曽根由希江が明かす - スポーツ報知 2017年4月23日
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.513
- ^ 「作曲家の曽根幸明さん死去 「圭子の夢は夜ひらく」など」『西日本新聞me』2017年4月23日。2023年2月7日閲覧。