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野際陽子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
のぎわ ようこ
野際 陽子
野際 陽子
集英社『週刊明星』9月26日号(1963年)より
本名 野際 陽子
生年月日 (1936-01-24) 1936年1月24日
没年月日 (2017-06-13) 2017年6月13日(81歳没)
出生地 石川県河北郡津幡町[1][2]
死没地 東京都
身長 163 cm
血液型 A型
職業 女優アナウンサー司会者歌手ナレーター声優
ジャンル テレビドラマテレビ映画映画トーク番組
活動期間 1958年 - 2017年
活動内容 1958年:NHK入局
1962年:NHK退局
1962年:司会業開始
1963年:女優デビュー
1968年:『キイハンター
1995年:『浅見光彦シリーズ
2000年:『TRICK
配偶者 千葉真一1973年 - 1994年
著名な家族 真瀬樹里(娘)
主な作品
テレビ映画
キイハンター
ザ・スーパーガール
テレビドラマ
抱きしめたい!
ダブル・キッチン
長男の嫁』シリーズ
ジューン・ブライド
浅見光彦シリーズ
サラリーマン金太郎』シリーズ
京都迷宮案内』シリーズ
TRICK』シリーズ
ほんまもん
新選組!
ドラゴン桜
花嫁のれん』シリーズ
DOCTORS〜最強の名医〜』シリーズ
やすらぎの郷
バラエティー番組など
いつみても波瀾万丈
旅の香り
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野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年昭和11年〉1月24日[3] - 2017年平成29年〉6月13日[3])は、日本女優[3]アナウンサー[4]司会者歌手ナレーター声優身長163cm[4]血液型はA型[5]。特技は英語フランス語[3]。最後の所属事務所はラヴァンス[4]。本名は同じ。

来歴

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生い立ち

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石川県河北郡津幡町で生まれ[1][2]富山県富山市で育ち、3歳から東京都杉並区天沼で育った[6]。杉並区立杉並第五小学校[注釈 1]立教女学院中学校・高等学校立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演[6]。 大学時代の同期には元プロ野球選手の長嶋茂雄杉浦忠、俳優の高橋悦史、フリーアナウンサーの押阪忍がいる[7]

NHKアナウンサー時代

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大学卒業後、1958年NHKアナウンサーとして入局。秋山和平は同期入局[7]。3か月の研修後に名古屋放送局に赴任[6]。天気・婦人番組を担当。翌年の伊勢湾台風の災害報道にも関わっている。同局には1年後輩のアナウンサーとして下重暁子がいた。1960年にNHK東京放送局(現:NHK放送センター)に赴任。テレビ『おはようみなさん』の司会を週1回担当。以降の2年間は週3本のレギュラー番組を担当した[8]。名古屋赴任時に独身寮の野際の部屋に強盗が入り、ナイフを突きつけられ金銭を獲られたエピソードを明かしている[9]

NHK退局、女優へ

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1962年3月にNHK退職後、企画を説明する係として広告代理店へ転職。しかし出番が来ないまま3か月が経ち、給料だけもらうのは忍びないと気兼ねしていると、15分の生放送番組である『女性専科』(TBS)の司会者を担うこととなった。『3時にあいましょう』(TBS)では船越英二と司会を務め、二人のコミカルな掛け合いが人気を博した[10]。一部媒体では、「女性フリーアナウンサーの先駆者」と評されることもある[11]

以降は女優活動が中心となり、TBSのプロデューサー大山勝美は「NHKのアナウンサーだった野際を女優に誘ったのは僕」と述べている[11]1963年7月5日放送のテレビドラマ『悲の器』(TBS) で主演の佐分利信の教え子になる理知的な若い美人が欲しくて人選していたが、なかなか見つからず。野際は当時NHKの花形美人アナウンサーだったが、近々辞めてフリーになるという噂があり、会って「芝居やってみませんか」と誘ったら「とてもやりたいと思っている」と言われ出演してもらった[11]。ほとんど褒めることのない佐分利が野際のことを「彼女はいいですね」と褒めていたので野際も自信を持ったのではないか、それで東映の映画とかに出演するようになったと述べている[11]

1966年2月にかねてから念願であったパリへ留学。ソルボンヌ大学で古典仏文学の授業を受けながら、アリアンスフランセーズにも通い、1年を過ごした。翌年帰国後『女性専科』に復帰し、パリで培ったファッションセンスを活かした[8]

1967年3月、パリからの帰国時に、まだ日本では珍しかったフランス製のミニスカートを着用してタラップを下りてきた[12]。ミニスカートは世界的に流行しつつあったが、日本においては同年10月のツイッギー来日を皮切りに爆発的に流行したが、それよりも7か月早く著名人がミニスカートを穿いて公の場に現れたことから、野際は「日本におけるミニスカート第一号」である[12][10]

1968年に『キイハンター』が始まると5年間放送され、視聴率30%以上を記録し一世を風靡した。ディレクターにどうしても歌わせて欲しいと直談判して[13][出典無効]、主題歌の「非情のライセンス」も歌った。1972年には共演の千葉真一と婚約、翌年結婚。1975年1月1日に長女・真瀬樹里を出産。38歳11か月での初産は当時の芸能人の高齢出産最高齢記録だった[14]。以降、娘の授業参観や学校の運動会などに積極的に参加した[10]

1990年代

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1992年、『ずっとあなたが好きだった』でマザコンオタク冬彦役を演じた佐野史郎と、彼を溺愛するしたたかな母親役の野際の怪演が話題となり、大ヒット[15][10][注釈 2]。以後、着物姿の姑役(主に息子に甘く嫁に厳しい姑)が定着し[10]、『ダブル・キッチン』『誰にも言えない』『スウィート・ホーム』『長男の嫁』などTBSドラマの常連になった[15]

1994年、日本に居たかった野際は、アメリカに拠点を移したかった千葉と離婚[14][17][18]。千葉と一緒に記者会見に臨み、「私のわがままです。彼がハリウッド進出のため米国にいるのがほとんどで、千葉真一の妻という感覚が希薄になりフッと忘れてしまうことが多くなった。けじめもつけたかったし、出会った『キイハンター』のころの友達に戻りたかった」と理由を答えている[14]

1996年、『徹子の部屋』に出演した際に離婚を「良妻賢母と言われていたけれど、任じゃないっていう感じがした」などと当時を振り返っていた[19]。同年10月5日、『オールスター感謝祭'96超豪華!クイズ決定版この秋お待たせ特大号』では60歳255日での最年長優勝を果たした[20]。その記録は23年たった現在も破られていない。

2000年代以降

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2011年3月、福島第一原子力発電所事故を受け、「原発からでた放射能を無害にする技術ができない限り、原発はありえない」と反原発のスタンスであることをインタビューで語っている。このため、震災後に自宅の照明器具を全て省エネのためLEDに交換している[21]

2013年12月、特定秘密保護法の制定に関して反対を表明[22]

2014年(平成26年)に初期の肺腺癌と診断され手術したが、2015年(平成27年)に再発したため再手術で腫瘍摘出手術を行っていた。

死去

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2016年(平成28年)秋からは『やすらぎの郷』の撮影に参加していたが、癌が再発。体調が日に日に悪化する中、野際はそれを周囲に隠しながら2017年(平成29年)5月7日まで撮影を続行し、代役の効かない重要なシーンをすべて撮り終えていた。

しかし翌5月8日肺炎を併発して入院。以降容態は回復することなく、1か月後の6月13日午前8時5分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去した。81歳没。娘・真瀬や事務所スタッフらが最期を看取った。テレビドラマでは『やすらぎの郷』が、映画では『いつまた、君と〜何日君再来〜』(2017年6月24日公開)が遺作となった。

生涯最後の撮影現場となった『やすらぎの郷』では、撮影の合間に酸素吸入器を付けるなど体調が悪いながらも、最後まで毅然と演じきった。また、『ずっとあなたが好きだった』などで共演した佐野史郎も自身のブログで哀悼の意を表した[23]

死後

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2016年11月23日石川県河北郡津幡町の広報特使を委嘱された[24]

その後、『やすらぎの郷』の後を受けて放送がスタートした『トットちゃん!』で、娘・真瀬が野際を演じて話題となった。

また、野際がシリーズの初回からレギュラー出演していた『DOCTORS〜最強の名医〜』では、野際没後の2018年放映のスペシャル版から、野際が演じる堂上総合病院院長・堂上たまきは海外に移住し、現地での医療に尽力しているという設定のもと、院長室に飾られた写真での出演となり、それはシリーズの実質完結となる2023年のスペシャル(ファイナル)まで全うされ、話の中で他の出演者が写真に語りかけたり、異国の地で活躍する堂上の噂をするというようなシーンがその都度設けられた。   戒名は慈優院釋尼美陽。墓所は静岡県駿東郡小山町富士スピードウェイに隣接する冨士霊園にある。

人物

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家族仲が良く、実家の家族とよくバーベキューを楽しみ[25]還暦を迎えたのを機に『脱いでみようか』というタイトルのエッセイを出版している。本人曰く「自分のことを正直に書けたので」このタイトルに落ち着いた[26][出典無効][27]

多趣味であり、独身時代から勉強していた語学に加え、結婚後も子供と一緒にアイスダンスピアノなどを習っていたことがある[25]。ドラマ『キイハンター』の元フランス情報局のスパイ役や、1976年のドラマ『コードナンバー108 7人のリブ』の主演である女性スパイ役は、英語とフランス語が堪能なことを買われての抜擢だった[10]。近雑誌の取材で玉村豊男のアトリエを訪れた事がきっかけで水彩画を描いている[28]

若い頃は酒豪だったが、女優転向した頃から飲む量をセーブするようになった[10]。その後は“健康おたく”を自称するくらい健康には気を使い、自分で考案したり人に聞いたりした健康ドリンクを長年飲み続け[25]、(いつからかは不明だが)毎朝スムージーも飲むようになった[10]。「老いは股関節から来る」と主治医に聞いてから毎日欠かさずストレッチを続け、180度開脚できるようになった[28][10]

『キイハンター』や『鬼平犯科帳』などで共演した丹波哲郎から妹のように可愛がられ[29]佐野史郎はドラマ『ずっとあなたが好きだった』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている[29]。『キイハンター』には衣装スタッフはいたが、本人が普段から最先端のお洒落な服を好んで着ていたことから、時々私服で出演していた[10]。『キイハンター』で共演した大川栄子は後年、野際について以下のように語っている。「撮影現場では決してわがままを言う人ではないが、自分の意見をはっきり言うタイプでした。すましたところがなく気さくでお洒落で憧れのお姉さんでした」[10][注釈 3]

所属のラヴァンスは、丹波が設立した「丹波プロダクション」が元であり、娘の真瀬を含め、多くの俳優を抱える事務所として営業していた。しかし闘病中の野際は、自身の体調の最悪の事態を考え、事務所社長とともに、所属俳優の他事務所への移籍の口利きを進めた[30]。野際の死去の直前の5月末にて「株式会社ラヴァンス」は解散・消滅した。

『ずっとあなたが好きだった』の後も『ダブル・キッチン』など着物を着た姑役が続くが、「私の後(の姑役)は、浅野ゆう子さんにでもお願いしようかしらね」と語り、浅野とは生涯に渡り交流が続いた[10]。晩年の闘病中であることは週刊誌にスクープ掲載されるまでは極秘だったそうで浅野や佐野、賀来千香子羽田美智子坂井真紀、黒柳など特に親交が深い極一部の関係者のみにしか知らせていなかったという。

夫婦役では『ダブル・キッチン』以降伊東四朗との共演が多い。橋爪功とは映画『善人の条件』、『ずっとあなたが好きだった』『スウィート・ホーム『京都迷宮案内』『新・京都迷宮案内』(無印から9シリーズ連続共演)『笑う三人姉妹』、『告発〜国選弁護人』などで共演している。NHK時代から黒柳徹子との交流が続いていたため、『徹子の部屋』へのゲスト出演21回は女性ゲストでは最多だった(2018年12月21日に和田アキ子が22回の出演で更新される)[18]

『ダブル・キッチン』では、野際のを叩くシーンが話題となったが、他人の演奏によるアテレコではなく本人が数日間懸命に稽古をした上で実際に叩いた音が使われている[10]

『旅の香り 時の遊び』で共演していたお笑い芸人ヒロシを可愛がっていた。野際の死去に際してヒロシは「僕が出始めたころは、売れているピークのときでしたが、番組が終わるころになると世間から“一発屋”と呼ばれ、雑に扱われるようになっていたんです。よくある話ですが、売れているときはよくしてくれても、落ちぶれると接し方が変わるじゃないですか。でも野際さんはそんなことがなく、いつも“ヒロシくん、ヒロシくん”と呼んでくれて」と話している。番組スタッフにも「うちのヒロシをよろしく」と言って回ってくれていたそうである。「最初はウソだろう、僕のことなんか見てないだろうと思っていたんですが、本当だと知ってうれしかったですね。僕が番組に出続けられたのは、野際さんのおかげだと思っています」とヒロシは感謝している。野際はヒロシに誕生日プレゼントとして高級スカーフを与えたことがあり、ヒロシはスカーフを身に付ける習慣はないが大事にとっておいているという[31]

浅野ゆう子からは、「努力家で自分に厳しく、人に優しい性格」と評されている[10]。佐野史郎からは、以下のように評されている。「普段の撮影現場では気配りを欠かさず、一歩下がって常に全体を見渡しているような方でした。決して人の悪口を言ったり、撮影中にトラブルが起きても誰かに文句を言うことはありませんでした」[10]

人を笑わせることが好きで、撮影現場でちょっとしたいたずらをするお茶目な一面もあった[注釈 4]

出演

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テレビドラマ

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テレビ映画

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映画

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舞台

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テレビアニメ

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吹き替え

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ラジオ

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バラエティ・情報番組

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旅番組

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教養番組

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ドキュメンタリー

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  • ヒューマンドキュメンタリー「ある少女の選択〜18歳“いのち”のメール〜」(2011年7月22日、NHK総合)- ナレーション
  • ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜(2013年10月 - 、BS朝日)- 日曜インタビュアー(土曜インタビュアーの舘野晴彦とともに担当)

音声ガイド

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  • 東京国立博物館 特別展「京都-洛中洛外図と障壁画の美」(2013年)

ドラマCD

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CM

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受賞

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音楽

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シングル

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発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
テイチクレコード
1968年5月 EP SN-647 A 非情のライセンス[注釈 8] 佐藤純弥 菊池俊輔
B おしゃれなスパイ[注釈 9] 野際陽子 村沢良介 小谷充
キャニオン・レコード
1970年10月 EP CA-12 A パリに終った恋 野際陽子 村井邦彦 馬飼野俊一
B 過ぎ去りし日々 山上路夫

書籍

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著書

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演じた女優

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  • 真瀬樹里

脚注

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注釈

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  1. ^ 杉並区立若杉小と統合され杉並区立天沼小学校に変わり、2008年2月23日閉校。
  2. ^ 1992年度の新語・流行語大賞では、「冬彦さん」が流行語部門の金賞に選ばれ、佐野と共に受賞者となった[16]
  3. ^ 他にも「当時大学生だった私が待ち時間に勉強していたフランス語を教えてくれたり、一緒にコシノジュンコの服を買いに街に出かけたりしました」とも語っている[10]
  4. ^ 出典の週刊現代の記事には、撮影の合間にまぶたに目を描いて寝たフリをする野際の写真が掲載されている[10]
  5. ^ 放送期間中に死去、テレビドラマは同作が遺作となった。
  6. ^ 映画は同作が遺作となった。
  7. ^ 「芸能人のおしどり夫婦がCMで出演」という流れの始まりだった。
  8. ^ TBS系テレビドラマ「キイハンター」主題歌。
  9. ^ TBS系テレビドラマ「キイハンター」挿入歌。

出典

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  1. ^ a b 「ちかづく かがやく ほくりくへGO!」”. 東京新聞. 中日新聞東京本社. 2017年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月22日閲覧。
  2. ^ a b 平成29年津幡町議会3月会議・提案理由説明の抜粋” (PDF). 津幡町 (2017年3月6日). 2017年4月22日閲覧。
  3. ^ a b c d 野際陽子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2021年11月20日閲覧。
  4. ^ a b c 野際陽子”. ラヴァンス. 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月24日閲覧。
  5. ^ 野際陽子”. goo人名事典. 2021年11月20日閲覧。
  6. ^ a b c 野際陽子『脱いでみようか』扶桑社、1996年1月、[要ページ番号]頁。ISBN 4-594-01885-8 
  7. ^ a b 「ベルトクイズQ&Q」押阪忍アナ「ひよっこ」で名司会復活!ネット興奮 - スポーツニッポン、2017年8月15日、2019年12月28日閲覧
  8. ^ a b 『近代映画』1970年1月号、近代映画社、152頁。 
  9. ^ あさイチ プレミアムトーク 野際陽子,goo
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 週刊現代2022年8月13日・20日号「脇役稼業」第14回・野際陽子「『悪女』の矜持」p189-196
  11. ^ a b c d 「大山勝美のテレビドラマ内緒ばなし(10) 岡本愛彦と森光子」『週刊文春』1983年1月27日号、文藝春秋、76-77頁。 
  12. ^ a b “野際陽子さん…必ず「わたし」ではなく「わたくし」と言った“美学の人””. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月16日). オリジナルの2017年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170619120618/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170616-OHT1T50015.html 2017年6月19日閲覧。 
  13. ^ 「女優が語る私の人生」 ラジオ深夜便、2010年8月7日放送分。[出典無効]
  14. ^ a b c “野際陽子さん追悼秘話 壮絶闘病と女優魂「生き残り」かけ美意識改革”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2017年6月17日). オリジナルの2017年6月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170617084815/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/697938/ 2017年6月17日閲覧。 
  15. ^ a b “野際さんアドリブで冬彦の指をペロリでドラマヒット”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2017年6月16日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1840862.html 2017年6月17日閲覧。 
  16. ^ 第9回 1992年 授賞語”. 「現代用語の基礎知識」選・ユーキャン新語・流行語大賞のウェブサイト. 2022年9月8日閲覧。
  17. ^ 千葉真一『千葉真一 改め 和千永倫道』山と渓谷社、2008年5月、113-114頁。ISBN 978-4-635-34022-9 
  18. ^ a b “野際陽子さん13日に亡くなる、81歳”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月15日). オリジナルの2017年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170615150452/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170615-OHT1T50193.html 2017年6月15日閲覧。 
  19. ^ “「徹子の部屋」で野際陽子さん追悼特集 泥棒事件や離婚秘話など振り返る”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月16日). オリジナルの2017年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170619120945/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170616-OHT1T50100.html 2017年6月16日閲覧。 
  20. ^ 過去の成績”. オールスター感謝祭. TBSテレビ. 2017年3月24日閲覧。
  21. ^ 革新懇ニュース 2011年9月号”. 全国革新懇. 2017年3月24日閲覧。
  22. ^ “秘密保護法:著名人多数が反対、懸念を表明”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2013年12月8日). オリジナルの2013年12月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131208035504/http://mainichi.jp/select/news/20131207k0000e040164000c.html 
  23. ^ 橘井堂(佐野史郎オフィシャルブログ)「野際陽子さん、安らかにお眠りください」
  24. ^ 野際陽子氏「津幡町広報特使」委嘱状交付式の開催について」(PDF)『産業建設部交流経済課』、津幡町、2016年11月17日。オリジナルの2017年2月2日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20170202000055/http://www.town.tsubata.ishikawa.jp/soshiki/kikakuzaisei/img/houdouPDF/4281117kouryukeizai.pdf2022年8月24日閲覧 
  25. ^ a b c 『elan』2001年12月号、扶桑社[要ページ番号] 
  26. ^ 1996年出演の徹子の部屋[出典無効]
  27. ^ “初エッセーに正直な自分 女優の野際陽子さん”. 読売新聞夕刊: p. 4. (1996年2月9日) 
  28. ^ a b 『毎日が発見』2010年6月号、KADOKAWA、2010年5月28日、[要ページ番号] 
  29. ^ a b 佐野史郎 (2006年9月27日). “丹波哲郎さん大霊界へ逝く”. 橘井堂. 2013年2月9日閲覧。
  30. ^ [1]「女性自身」2017年06月21日配信記事より
  31. ^ 週刊女性2017年7月4日号
  32. ^ a b NHK大阪放送局制作。
  33. ^ “11年目の『警視庁捜査一課9係』4月期に放送 野際陽子が初参戦”. ORICON STYLE (オリコン). (2016年2月8日). https://www.oricon.co.jp/news/2066498/full/ 2016年2月8日閲覧。 
  34. ^ “東山紀之主演『必殺仕事人』最新作9・25放送 悪役は安田顕&寺島進”. ORICON STYLE (オリコン). (2016年8月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2077018/full/ 2016年8月19日閲覧。 
  35. ^ 北日本新聞』1992年6月4日朝刊第二社会面26頁「富山・長野連続誘拐 「男の責任」テレビドラマに 判決通りの仕上がり 主役に室井滋さん(滑川出身)ら 26日夜、富山TVで」(北日本新聞社)
  36. ^ 朝日新聞』1992年6月26日東京朝刊第13版テレビ番組表32頁「番組表…フジテレビ (8) 21時02分「金曜ドラマシアター」 試写室 金曜ドラマシアター「最期のドライブ」 フジ 夜9:02 鬼気迫る車の中の殺人」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 1992年(平成4年)6月号1334頁

外部リンク

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