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上原賢六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上原 賢六(うえはら けんろく、1924年大正13年)6月3日 - 1980年昭和55年)9月14日)は昭和期の作曲家。兄は同じく作曲家の上原げんと

経歴

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青森県つがる市出身。東洋音楽学校卒業。1945年(昭和20年)、召集され満州へ出征。シベリア抑留を経験し、帰国後、兄上原げんとのもとで作曲を学ぶ。後に作曲家になる船村徹と知り合い、共にバンドの仕事をするなどして、1953年(昭和28年)テイチクレコードの専属作曲家になる。主に石原裕次郎とコンビを組み、「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、「赤いハンカチ」などを作曲した。1980年(昭和55年)9月14日心臓疾患にて死去。56歳没。墓所は東京都の小平霊園。

代表曲

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  • 『俺は待ってるぜ』(昭和32年3月)[石崎正美作詞、歌:石原裕次郎
  • 『錆びたナイフ』(昭和32年9月)[萩原四朗作詞、歌:石原裕次郎]
  • 『風速40米』(昭和33年6月)[友重澄之介作詞、歌:石原裕次郎]
  • 『男の友情背番号・3』(昭和34年9月)[大高ひさを作詞、歌:石原裕次郎]
  • 『赤いハンカチ』(昭和37年11月)[萩原四郎作詞、歌:石原裕次郎]
  • 『夕陽の丘』(昭和38年9月)[萩原四郎作詞、歌:石原裕次郎、浅丘ルリ子
  • 草笛を吹こうよ』(昭和38年)[門井八郎作詞、歌:浜田光夫三条江梨子
  • 『あしたの虹』(昭和39年)[門井八郎作詞、歌石原裕次郎
  • 『さすらい花』(昭和43年2月)[萩原四郎作詞、歌:石原裕次郎]