東松島市
ひがしまつしまし 東松島市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
市町村コード | 04214-5 | ||||
法人番号 | 1000020042145 | ||||
面積 |
101.30km2 | ||||
総人口 |
37,426人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 369人/km2 | ||||
隣接自治体 | 石巻市、遠田郡美里町、宮城郡松島町 | ||||
市の木 | 松 | ||||
市の花 | さくら | ||||
東松島市役所 | |||||
市長 | 渥美巖 | ||||
所在地 |
〒981-0503 宮城県東松島市矢本字上河戸36-1 北緯38度25分35秒 東経141度12分40秒 / 北緯38.42639度 東経141.21108度座標: 北緯38度25分35秒 東経141度12分40秒 / 北緯38.42639度 東経141.21108度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
東松島市(ひがしまつしまし)は、宮城県の中部に位置する市である。仙台湾沿岸にある。
地理
[編集]宮城県の中部に位置し、周りを石巻市、美里町、松島町に境を接する。また、南側は太平洋(石巻湾)に面している。野蒜は鳴瀬川の河口にあたり、北上運河、東名運河も通じる。市の南部には陸繋島の宮戸島が浮かぶ。
歴史
[編集]2005年(平成17年)4月1日、東松島市は桃生郡矢本町と鳴瀬町の合併(平成の大合併)によって発足した。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、津波の襲来で、死者1,000人以上が出て、市内全住宅の3分の2を超える約11,000棟が全半壊した[2]。野蒜海岸では10.35メートルの津波が観測された[3]。野蒜地区では、東側の石巻湾から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ。野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。一方、野蒜地区では民間人の佐藤善文が会社近くの[4]岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。近所の住民は「津波なんてここまで来るわけがない」と佐藤を変わり者扱いし、この避難所を「佐藤山」と呼んでいたが、結果的に約70人が津波被害を免れた[5][6][7]。死者は1,109人(2014年1月時点)、行方不明者は25人。浸水域は市街地の約65パーセントに達した[8]。電気の復旧は約2週間、宮戸地区は津波被害が甚大のため復旧まで約3か月かかった[注釈 1]。上水道は2週間以上かけて徐々に復旧したが、宮戸地区では3か月以上かかった[注釈 2]。携帯電話の復旧には7日程度[9]、固定電話の復旧には2週間程度を要した。仙石線の矢本駅と松島海岸駅の間が不通となり、バスによる代替輸送に変わり、野蒜北部の丘陵地区へ路線の変更が決定した。
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津波により冠水した車両と家屋(赤井地区)
2011年3月13日撮影 -
津波によって破壊された家(野蒜地区)
2011年3月17日撮影 -
津波によって発生した瓦礫と流されたランドセル
2011年3月17日撮影 -
地震から約1か月後の東松島市立野蒜小学校屋内運動場
2011年4月17日撮影 -
行方不明者の捜索のため運河をせき止めて水を抜き、運河の底の瓦礫の撤去が行われた
2011年5月25日撮影
2020年(令和2年)2月1日、市町境界変更が実施され、隣接する美里町の二郷字浦谷地の一部が東松島市に編入され、東松島市西福田字大日向の一部が美里町に編入された[10]。
行政
[編集]市長
[編集]- 市長:渥美巌(あつみいわお、2017年4月29日就任、2期目)
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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初-3代 | 阿部秀保 | 2005年4月29日 | 2017年4月28日 |
4-5代 | 渥美巌 | 2017年4月29日 | 現職 |
総合支所
[編集]- 鳴瀬総合支所(旧鳴瀬町役場庁舎)
経済
[編集]商圏としては石巻商圏の範囲であるが、近年イオングループ系のショッピングセンター、イオンモール石巻が市内に完成したほか、三陸沿岸道路の開通もあり、仙台とのアクセスは向上した。
市内には航空自衛隊松島基地があり、曲技飛行隊のブルーインパルスはこの基地の所属である。
郵便局
[編集]- 矢本郵便局(集配局)
- 鳴瀬郵便局(集配局)
- 野蒜郵便局
- 宮戸郵便局
- 大塩郵便局
- 宮城赤井郵便局
姉妹都市・提携都市
[編集]日本国内
[編集]- 提携都市
- 富士見市(埼玉県)
- 小牧市(愛知県)
- 北名古屋市(愛知県)
- 2014年(平成26年)2月23日 災害時相互応援協定締結。
- 豊山町(愛知県西春日井郡)
- 2014年(平成26年)2月23日 災害時相互応援協定締結。
教育
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]小学校
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人口
[編集]東松島市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 東松島市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 東松島市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
東松島市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]道路
[編集]高速道路
[編集]一般国道
[編集]主要地方道
[編集]一般県道
[編集]道の駅
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]史跡・名勝
[編集]レジャー
[編集]- 野蒜海水浴場
- 室浜海水浴場
- 大浜海水浴場
- 月浜海水浴場
- 蛤浜海水浴場
- 奥松島乗馬クラブ
- 奥松島運動公園
- 奥松島体育館(バウンズ88)
- 奥松島縄文村歴史資料館
- 鷹来の森運動公園
- 滝山公園
- 矢本海浜緑地
祭り・イベント
[編集]- 日本三景松島ツーデーマーチ
- 奥松島まつり
- 奥松島ビーチバレー大会
- 鳴瀬流灯花火大会
- 奥松島縄文まつり
- 青い鯉のぼりプロジェクト
- 野蒜海岸凧あげまつり(1月1日)
- やもとクロスカントリー大会(12月)
- 滝山桜まつり(4月中旬 滝山公園)
- やもと夏まつり(7月最終土曜日)
- 航空自衛隊松島基地航空祭(8月最終日曜日)
伝統芸能
[編集]出身著名人
[編集]- 相澤タロウイチ - イラストレーター・絵本作家
- 阿部豊 - 俳優・映画監督
- 池田渉 - プロラグビー選手(三洋電機ワイルドナイツ→リコーブラックラムズ)
- 内海安吉 - 政治家
- 大内誠弥 - プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 大槻俊斎 - 仙台藩医・幕府医(お玉が池種痘所を設立。初代西洋医学所頭取。東京大学医学部の初代総長とみなされている)
- 尾形貴弘 - お笑い芸人(パンサー)
- 大久秀憲 - 小説家
- 五ノ井里奈 - 柔道指導者、陸上自衛官時代の自身への性暴力被害を告発
- 白岩亮治 - 大相撲力士
- 富田鐵之助 - 外交官・実業家(日本銀行第2代総裁)
- ニードル - 伊藤政仁・石垣進之介(共に旧鳴瀬町出身)のお笑いコンビ(東松島ふるさと大使に任命されている[12])
- 山路嘉人 - 元プロサッカー選手(東芝サッカー部→ブランメル仙台)
- 矢本平之助 - 政治家
- 鹿嶋静 - ヴァイオリニスト(東松島ふるさと大使に任命されている[12])
- 太十郎 - 日本人として初めて、漂流も含め世界一周をした4名の船乗りのうちの1人(奥田多十郎とも書く)
- 儀兵衛 - 1793年 - 1804年に渡り、奥田太十郎らと共に世界一周した船乗り(奥田儀平とも書く)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 図典 日本の市町村章 p37
- ^ 統計局ホームページ
- ^ ~平成23年3月11日発生 東日本大震災の概要~
- ^ “感謝受けても残る後悔 住民救った私設避難所 佐藤 善文さん”. 石巻Days(石巻日日新聞). 2023年11月29日閲覧。
- ^ “手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島”. 朝日新聞. (2011年3月31日) 2014年1月16日閲覧。
- ^ 東松島市を襲った大津波の証言
- ^ “70人の命救った手作り避難所「佐藤山」 東松島市野蒜地区”. 産経フォト. (2016年8月11日) 2018年3月17日閲覧。
- ^ 東松島市 東日本大震災記録誌
- ^ 東松島市
- ^ “市町の境界変更の件(令和二年総務省令二三号)”. インターネット版官報. 国立印刷局. 2020年1月31日閲覧。
- ^ “震災教訓、広域タッグ 災害時相互支援へ協定”. 47NEWS (2012年5月15日). 2017年4月13日閲覧。
- ^ a b “東松島ふるさと大使”. 東松島市 (2021年7月1日). 2023年3月2日閲覧。
参考文献