柴田郡
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人口77,980人、面積428.17km²、人口密度182人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の4町を含む。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記4町のまま変更されていない。
人口
[編集]現市町村界での国勢調査人口の推移(単位:人)を以下に示す[1][2]。
歴史
[編集]文献上における初見は、養老5年(721年)10月で、柴田郡から苅田郡を分割した旨の記事であり、それ以前の柴田郡は、現在の柴田・刈田両郡を合わせた範囲を指していたことになる。
近世以降の沿革
[編集]- 船岡村、上名生村、中名生村、下名生村、大谷村、船迫村、入間野村、四日市場村、上川名村、海老穴村、小成田村、成田村、大河原村、平村、堤村、新寺村、小山田村、福田村、沼辺村、薄木村、関場村、小泉村、村田郷、足立村、小野村、本砂金村、今宿村、川内村、支倉村、入間田村、菅生村、富沢村、葉坂村、沼田村、前川村
宮城県第16大区(全11小区。柴田郡のみ) | |
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小区 | 所属村 |
小1区 | 大河原村・沼辺村 |
小2区 | 薄木村・小泉村・関場村・沼田村 |
小3区 | 平村・堤村・新寺村・小山田村・福田村 |
小4区 | 船迫村・上名生村・中名生村・下名生村 |
小5区 | 船岡村・大谷村 |
小6区 | 入間野村・上川名村・富沢村・四日市場村 |
小7区 | 入間田村・海老穴村・成田村・小成田村・葉坂村 |
小8区 | 村田本郷・足立村 |
小9区 | 菅生村・支倉村 |
小10区 | 前川村・今宿村 |
小11区 | 本砂金村・小野村・川内村 |
宮城県第9大区(全12小区。柴田郡1~6・刈田郡) | |
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小区 | 所属村 |
小1区 | 船迫村・船岡村・上名生村・中名生村・下名生村・大谷村 |
小2区 | 入間野村・入間田村・海老穴村・上川名村・富沢村・成田村・小成田村・葉坂村・四日市場村 |
小3区 | 村田本郷・足立村・菅生村・支倉村 |
小4区 | 前川村・本砂金村・今宿村・小野村・川内村 |
小5区 | 沼辺村・関場村・薄木村・小泉村 |
小6区 | 大河原村・小山田村・福田村・平村・堤村・新寺村・沼田村 |
宮城県第1大区(全9小区。刈田郡・柴田郡3~4・伊具郡・亘理郡) | |
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小区 | 所属村 |
小3区 | 村田本郷・足立村・薄木村・小泉村・沼辺村・関場村・沼田村・菅生村・支倉村・前川村・本砂金村・今宿村・小野村・川内村・平村・堤村・新寺村・小山田村・福田村 |
小4区 | 大河原村・大谷村・船迫村・船岡村・上名生村・中名生村・下名生村・入間野村・入間田村・海老穴村・上川名村・富沢村・成田村・小成田村・葉坂村・四日市場村 |
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[3]。(1町7村)
- 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が大河原町に設置。
- 明治28年(1895年)10月31日 - 村田村が町制施行して村田町となる。(2町6村)
- 明治37年(1904年)4月1日 - 槻木村が町制施行して槻木町となる。(3町5村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和16年(1941年)11月3日 - 船岡村が町制施行して船岡町となる。(4町4村)
- 昭和23年(1948年)5月3日 - 川崎村が町制施行して川崎町となる。(5町3村)
- 昭和30年(1955年)4月20日(5町1村)
- 村田町・沼辺村と富岡村の一部(菅生)が合併し、改めて村田町が発足。
- 川崎町と富岡村の一部(支倉)が合併し、改めて川崎町が発足。
- 昭和31年(1956年)
- 4月1日 - 船岡町・槻木町が合併して柴田町が発足。(4町1村)
- 9月30日 - 大河原町・金ヶ瀬村が合併し、改めて大河原町が発足。(4町)
- 昭和35年(1960年)3月14日 - 川崎町の一部(表支倉地区[4]、0.54平方km、133人)が村田町に編入。
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和元年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
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大河原村 | 大河原町 | 大河原町 | 大河原町 | 昭和31年9月30日 大河原町 |
大河原町 | 大河原町 | |
大谷村 | |||||||
小山田村 | |||||||
福田村 | |||||||
平村 | 金ヶ瀬村 | 金ヶ瀬村 | 金ヶ瀬村 | ||||
堤村 | |||||||
新寺村 | |||||||
入間野村 | 槻木村 | 明治37年4月1日 町制施行 槻木町 |
槻木町 | 昭和31年4月1日 柴田町 |
柴田町 | 柴田町 | |
入間田村 | |||||||
海老穴村 | |||||||
上川名村 | |||||||
富沢村 | |||||||
成田村 | |||||||
小成田村 | |||||||
葉坂村 | |||||||
四日市場村 | |||||||
船迫村 | |||||||
船岡村 | 船岡村 | 船岡村 | 昭和16年11月3日 町制施行 船岡町 | ||||
上名生村 | |||||||
中名生村 | |||||||
下名生村 | |||||||
村田本郷 | 村田村 | 明治28年10月31日 町制施行 村田町 |
村田町 | 昭和30年4月20日 村田町 |
昭和35年3月14日 川崎町の一部を編入 |
村田町 | 村田町 |
足立村 | |||||||
薄木村 | |||||||
小泉村 | |||||||
沼辺村 | 沼辺村 | 沼辺村 | 沼辺村 | ||||
関場村 | |||||||
沼田村 | |||||||
菅生村 | 富岡村 | 富岡村 | 富岡村 | ||||
支倉村 | 昭和30年4月20日 川崎町 |
昭和35年3月14日 一部を村田町へ |
川崎町 | 川崎町 | |||
前川村 | 川崎村 | 川崎村 | 昭和23年5月3日 町制施行 川崎町 | ||||
本砂金村 | |||||||
今宿村 | |||||||
小野村 | |||||||
川内村 |
行政
[編集]- 柴田・刈田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 富田広信 | 明治12年(1879年)2月13日 | 明治27年(1894年)3月31日 | 廃官 柴田郡長へ転任 |
- 柴田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 富田広信 | 明治27年(1894年)4月1日 | 明治33年(1900年)12月27日 | 柴田・刈田郡長より転任 |
2 | 片野続 | 明治33年(1900年)12月27日 | 明治34年(1901年)4月4日[5] | |
3 | 白極誠一 | 明治34年(1901年)4月20日[6] | 明治35年(1902年)9月2日 | |
4 | 伊藤近春 | 明治35年(1902年)9月2日 | 明治41年(1908年)7月29日 | |
5 | 坂元蔵之允 | 明治41年(1908年)7月29日 | 明治43年(1910年)8月29日 | |
6 | 仙石卯策 | 明治43年(1910年)8月29日 | 大正2年(1913年)6月30日 | |
7 | 兼子悌次 | 大正2年(1913年)7月31日 | 大正3年(1914年)12月28日 | |
8 | 土居通次 | 大正3年(1914年)12月28日 | 大正6年(1917年)3月12日 | |
9 | 中井正猪 | 大正6年(1917年)3月12日 | 大正7年(1918年)5月10日 | |
10 | 渡邊寿 | 大正7年(1918年)5月10日 | 大正9年(1920年)4月19日 | |
11 | 卯埜正路 | 大正9年(1920年)4月19日 | 大正9年(1920年)12月28日 | |
12 | 森田専七郎 | 大正9年(1920年)12月28日 | 大正11年(1922年)4月12日 | |
13 | 古川為二 | 大正11年(1922年)4月12日 | 大正13年(1924年)1月25日 | 任期途中、郡会廃止 |
14 | 本田鶴吉 | 大正13年(1924年)1月25日 | 大正13年(1924年)12月10日 | |
15 | 手島伝 | 大正13年(1924年)12月10日 |
脚注
[編集]- ^ 平成17年国勢調査1次結果(宮城県)
- ^ 平成27年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)(宮城県)
- ^ 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)
- ^ 大字支倉のうち、字櫛挽・字道海・字道海前山および字東湯沢の一部
- ^ 『官報』第5326号、明治34年4月9日。
- ^ 『官報』第5337号、明治34年4月22日。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 『柴田郡誌』(柴田郡教育会、1925年)
- 『川崎町史』通史編(宮城県柴田郡川崎町、1975年)