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船岡町 (宮城県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふなおかまち
船岡町
船岡城
廃止日 1956年4月1日
廃止理由 新設合併
船岡町槻木町柴田町
現在の自治体 柴田町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
柴田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 12.92 km2
総人口 12,451
(『宮城県町村合併誌』、1956年3月31日)
隣接自治体 柴田郡槻木町村田町大河原町
伊具郡角田町
船岡町役場
所在地 宮城県柴田郡船岡町
座標 北緯38度03分24秒 東経140度45分57秒 / 北緯38.05661度 東経140.76581度 / 38.05661; 140.76581 (船岡町)座標: 北緯38度03分24秒 東経140度45分57秒 / 北緯38.05661度 東経140.76581度 / 38.05661; 140.76581 (船岡町)
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船岡町(ふなおかまち)は、昭和31年(1956年)まで宮城県柴田郡の北東部にあった町。現在の柴田町南部(おおむね白石川南岸)にあたる。

地理

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沿革

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  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、船岡村・上名生村・中名生村・下名生村の計4か村が合併して新制の船岡村が発足。
  • 昭和16年(1941年)11月3日 - 町制施行し、船岡町となる。
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 槻木町と合併し、柴田町となる。

行政

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歴代村長

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氏名 就任 退任 備考
1 阿部勇八 明治22年(1889年)4月22日 明治30年(1897年)4月23日
2 笠松直蔵 明治30年(1897年)4月30日 明治30年(1897年)9月25日
3 吉野龍三郎 明治30年(1897年)11月24日 明治32年(1899年)5月9日
4 飯淵七三郎 明治32年(1899年)10月10日 明治34年(1901年)10月11日 農事改良に尽力し多額納税により貴族院議員にも選出[1]
5 相馬政五郎 明治34年(1901年)10月12日 明治35年(1902年)3月20日
6 大槻荘三郎 明治35年(1902年)3月20日 明治39年(1906年)3月19日
7 阿部勇八 明治39年(1906年)4月30日 明治41年(1908年)3月9日 再任
8 清水寅治 明治41年(1908年)3月13日 明治42年(1909年)12月25日
9 大泉源之助 明治42年(1909年)12月15日 明治43年(1910年)3月31日
10 大槻荘三郎 明治43年(1910年)5月20日 大正3年(1914年)5月19日 再任
11 水戸熊蔵 大正3年(1914年)6月8日 大正15年(1926年)6月27日
12 猪股卓爾 大正15年(1926年)7月16日 昭和4年(1929年)11月22日
13 飯淵辰一郎 昭和4年(1929年)12月7日 昭和7年(1932年)7月25日
14 大和田謙之亮 昭和7年(1932年)8月8日 昭和11年(1936年)4月28日
15 飯淵藤三郎 昭和11年(1936年)5月16日 昭和14年(1939年)4月24日
16 佐藤庄治 昭和14年(1939年)4月29日 昭和14年(1939年)8月3日
17 大和田謙之亮 昭和14年(1939年)8月4日 昭和16年(1941年)11月2日 再任

歴代町長

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氏名 就任 退任 備考
1 大和田謙之亮 昭和16年(1941年)11月3日 昭和18年(1943年)3月19日 村長より留任
2 森田専七郎 昭和18年(1943年)4月27日 昭和22年(1947年)4月26日
3 小林貞 昭和22年(1947年)6月18日 昭和25年(1950年)4月9日
4 柴田倫之助 昭和25年(1950年)5月21日 昭和31年(1956年)3月31日

交通

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鉄道

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道路

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脚注

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  1. ^ 佐々木武彦「水稲「愛国」の起源をめぐる真相」『育種学研究』第11巻第1号、日本育種学会、2009年3月、15-21頁、ISSN 13447629NAID 110007122407 

参考文献

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  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958年)
  • 角川日本地名大辞典』 4 宮城県(角川書店、1979年)

関連項目

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