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玉割り人ゆき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉割り人ゆき
監督 牧口雄二
脚本 田中陽造
原作 三木孝祐(作)、松森正(画)
出演者 潤ますみ
森崎由紀
大下哲矢
奈辺悟
川谷拓三 
音楽 渡辺岳夫
撮影 塩見作治
編集 玉木濬夫
配給 東映
公開 日本の旗 1975年5月14日
上映時間 64分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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玉割り人ゆき』(たまわりにんゆき)は、1975年公開の日本映画潤ますみ主演・牧口雄二監督。東映京都撮影所製作。R−18作品。原作は劇画『玉割り人ゆき』(原作・三木孝祐、作画・松森正)。

札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』(芹明香主演・関本郁夫監督)ともう1本の三本立てで封切り公開された[1][注 1]

あらすじ

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昭和初期の京都島原に売られてきた未通女に性技を仕込む玉割り人・ゆき。廓の掟を冷徹に教えていたゆきが、アナーキストの森に出会って恋に落ち、捨てた筈の女の性に戸惑う[3][4][5]

概要

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本作は1960年代後半から東映ポルノを推進していた当時の東映社長・岡田茂が、1973年頃から東映京都撮影所(以下、東映京都)で作らせた「500万(製作費)ポルノ」「東映ニューポルノ」の一本である[2][6][7][8]。下番線用[注 2]の低予算ポルノであったが[2]、岡田が本作を激賞し[9][10]、岡田社長の"鶴の一声"で、三本立ての全国封切り公開に昇格した[9][11]。監督の牧口雄二は"70年代の東映京都が生んだ最後の新人監督"と呼ばれ[12]本作に於ける叙情エログロの合わせ技を岡田から高く評価され[10]、以降次々と監督作品を発表した[10]

製作

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原作

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原作漫画三木孝祐作、松森正画による同名作品であるが、有名漫画に便乗して映画化という通常と違い、漫画本は誰も見たことがないといわれる程知られていないという珍しいパターンである[5]。1975年当時は漫画原作映画ブームがあり、原作漫画は『プレイコミック』(秋田書店)で1974年11月に連載が始まるとすぐに映画化権を東映が買い、半年後に映画公開という青田買いだった。しかし『プレイコミック』の知名度の低さも災いし、映画公開中に秋田書店から単行本1巻が出版されたが、2巻は出版されず、その後も続巻は出なかった。1978年エロ劇画ブームに便乗して未収録分を再構成した雑誌別冊が「娼妓指南 玉割り人ゆき」というタイトルで他社から刊行された[5]。映画はこの原作漫画とほとんど設定が同じといわれる[5]

撮影

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巻頭のゆきと森が出会うシーンは実際に島原ロケを行っている[13]。ゆきの傘の柄に"二人司町ゆき"と島原大門近くに実際にある地名が彫り込まれている[13]。ロケ以外の屋内シーンでは、低予算のため、ステージも建ててもらえず、東映京都に既にあるステージを借りた[14]深作欣二が撮影している大作映画の横で撮影を行った。ラストの電車内のシーンの椅子だけは作って欲しいと牧口が会社に頼み込んでセットを作ってもらった[14]。主演の潤ますみが撮影当日に生理で、「乳首の色が悪いから撮影を止めて欲しい」と訴えたが、日数が厳しいのでドーランを乳首に塗って撮影した[14]。潤は芝居が下手で、監督の牧口は演技指導にてこずったと話している[14]

音楽

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音楽を担当した渡辺岳夫は、本作から始まる牧口との"東映ポルノ"シリーズで、劇中のBGMマンドリン1本で通すなど、低予算を逆手に取る事で、作品のテーマである「官能」や「エロス」を巧みに表現している[15]。当時の渡辺の作曲ギャラは通常だと50万円であったが[13]、音楽予算は10万円しかなく、牧口が「先に画を見てください」と頼み、引き受けてもらえることになったが「作曲は自分の作業だから何とかなるけど、楽師は(ギャラを)まけてもらうことはできない」と言われたので、牧口の方から「マンドリン一つでやってもらえませんか」と頼んだ[13]

逸話

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  • "玉割り人"という職業は存在しないが[16]"玉割り"という言葉は京都にかつてあったという証言もある[16]。未熟な娼妓に性技を教え込む指導者は江戸時代より、一流の遊郭には存在し[2]、現在もソープランドに性技を教える指南役などの仕事はある。ただし、本作の"玉割り人"は更に足抜き(廓から娼妓が脱走すること)などの面倒事に関しての差配も行う[2]
  • 川谷拓三は、本作撮影当時はまだ通行人役などもやっていた[13]。牧口監督とは同じ苦労人で「名が出るようお互い頑張ろう」と励まし合ってきた無二の親友で、その牧口との友情でノーギャラ出演した[4][14][13]。川谷はこの後急激に人気が上がり、本作以降も牧口作品に数本ノーギャラで出演したが、忙しくて1時間しか撮影時間が取れないこともあったという[14]
  • 東映の社員監督である牧口雄二は、この後『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』(1976年)や『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』(1977年)などのショッキングな映画群を世に出し、2年半の間に計9本の劇場用映画を監督した後[13]、テレビに転身し多くのテレビドラマを手掛けた。その後再評価が高まり、名画座で何度もリバイバル公開され全作がDVD化されている[4][12]。牧口は定年間際の1996年、東映Vシネマでセクシーなアクション時代劇『女郎蜘蛛』(大沢逸美主演)を撮影。本作は東映京都が東映ビデオと組んで自らの企画を製作したもので、宿場のオープンセットをこの作品のために建て、牧口も『玉割り人ゆき』の見せ場の一つである足抜きに対する局部切断を再現し、東映京都の意地を見せた[12]。東映京都はこの後Vシネ時代劇を製作することはなく『女郎蜘蛛』は東映唯一のVシネ時代劇となっている[12]
  • 極道の妻たち 情炎』(2005年)や『探偵はBARにいる』(2011年)で東映のエース監督となった橋本一は、石井輝男、牧口雄二ら東映エログロ映画をリスペクトした『桜姫』(2013年)を製作している[12]

スタッフ

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キャスト

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注釈

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  1. ^ 監督の牧口が「下番館穴埋め用の低予算ポルノの一つとして企画され、封切館三本立ての一本として上映された」と話している[2]。『札幌・横浜・名古屋〜』ともう一本が何かは不明。4月26日公開の『県警対組織暴力』の続映と思われる。
  2. ^ 直営館では滅多に封切られることのない、主に地方の映画館で、二本立てでメインの映画がロングランになった際に、交替して併映される映画や、三本立ての映画の一本のこと。不振番組はすぐに切り替えられた[7]

出典

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  1. ^ 「今号の新作」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、34頁。 
  2. ^ a b c d e 牧口雄二「古都金沢撮影の現場から」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1975年8月、30-31頁。 
  3. ^ 「日本映画批評 玉割り人ゆき 井沢淳他」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、146-147、170-171。 
  4. ^ a b c エロ・グロ・純情 東映カルトプリンス 牧口雄二の世界/ラピュタ阿佐ヶ谷第8回「玉割り人ゆき」 忘れられない名画 〜昭和の名作映画を語る
  5. ^ a b c d 「『玉割り人ゆき』の世界」『映画秘宝』、洋泉社、2010年6月、83頁。 
  6. ^ 復活!東映ニューポルノのDeepな世界/ラピュタ阿佐ケ谷
  7. ^ a b 「東映不良性感度映画の世界」『映画秘宝』、洋泉社、2011年8月、61頁。 
  8. ^ 二階堂卓也『ピンク映画史』彩流社、2014年、266-272頁。ISBN 978-4779120299 
  9. ^ a b 松田政男「和製B級映画の周辺」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1975年6月、14-21頁。 
  10. ^ a b c 『鮮烈!アナーキー日本映画史 1959-1979』洋泉社〈映画秘宝EX〉、2012年、200-201頁。ISBN 4-86248-918-4 
  11. ^ 『キネマ旬報』1975年5月下旬号、34頁。 
  12. ^ a b c d e 『別冊映画秘宝 90年代狂い咲きVシネマ地獄』、洋泉社、2014年10月26日、240-241頁、ISBN 978-4800305046 
  13. ^ a b c d e f g 筒井武文・多田功「ロングインタビュー牧口雄二」『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』ワイズ出版〈日本カルト映画全集8〉、1996年、35-64頁。 
  14. ^ a b c d e f 杉作J太郎・植地毅(編著)「牧口雄二インタビュー」『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、200-203頁。ISBN 4-19-861016-9 
  15. ^ 「キミは渡辺岳夫を知っているか!?」『映画秘宝』、洋泉社、2010年8月、62頁。 
  16. ^ a b 「日本映画批評 玉割り人ゆき 井沢淳」『キネマ旬報』1975年5月下旬号、146頁。 

外部リンク

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