日本プロサッカーリーグ
明治安田Jリーグ Meiji Yasuda J.League | |
---|---|
今シーズン・大会: 2024年のJリーグ | |
前身 | 日本サッカーリーグ(JSL) |
競技 | サッカー |
創立 | 1991年11月 |
代表 | 野々村芳和(チェアマン) |
開始年 | 1993年 |
参加チーム | 60(J1:20、J2:20、J3:20) |
国内カップ戦 | JリーグYBCルヴァンカップ |
国 | 日本 |
連盟 | アジアサッカー連盟(AFC) |
前回優勝 | J1:ヴィッセル神戸 J2:FC町田ゼルビア J3:愛媛FC |
最多優勝 | J1:鹿島アントラーズ(8回) J2:北海道コンサドーレ札幌(3回) J3:ブラウブリッツ秋田(2回) |
参加資格 | Jリーグクラブ ライセンス制度参照 |
テレビ局 | 特記事項参照 |
スポンサー | #協賛団体参照 |
公式サイト | Jリーグ.jp |
備考 | |
インターネット配信業者DAZNが一次放映権を保有しており、インターネット配信を行うほか、Jリーグが各テレビ局に映像提供を行っている。 |
日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英: Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注釈 1](ジェイリーグ、英: J.LEAGUE)。公益財団法人日本サッカー協会(JFA)傘下の公益社団法人日本プロサッカーリーグが主催する。
明治安田生命保険とタイトルパートナー契約を結んでおり、「明治安田Jリーグ」と称している。
概説
[編集]1993年に10クラブで開始し[注釈 2]、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年から「Jリーグ ディビジョン1」(現:J1リーグ/J1)と「Jリーグ ディビジョン2」(現:J2リーグ/J2)[注釈 3]の2部制に移行、2014年に「J3リーグ」(J3)が創設され3部制に移行した。J3リーグは日本サッカーのリーグ構成上、アマチュア最高峰の日本フットボールリーグ(JFL)と同格と位置付けられており、J1・J2とJ3とでは参加要件やスタジアム規定等の面において差別化が成されている[注釈 4]。
2024年シーズン開始時点で、日本国内の41都道府県に本拠地を置く60クラブ(J1・J2・J3各階級とも20ずつ)が参加[注釈 5]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが4クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。
アジアサッカー連盟(AFC)主催のクラブコンペティション(AFCチャンピオンズリーグなど)にはJ1リーグの上位に出場権が与えられている。2024年シーズンの結果に基づく出場枠については、基本的にJ1リーグの上位3クラブ(前年のAFCクラブコンペティションの結果により変動あり)がAFCチャンピオンズリーグエリートに出場する[4]。
理念と活動方針
[編集]Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[5]。
- 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
- 豊かなスポーツの振興および国民の心身の健全な発達への寄与
- 国際社会における交流および親善への貢献
また、次の内容の活動方針を掲げている[5]。
この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[6]。
クラブ名称表記
[編集]Jリーグでは地域密着の観点から、チーム名及び呼称に必ず地域名を含めるよう求めている(Jリーグ規約第31条第1項)。また、新規参入クラブがJリーグに加入する際にはその名称について理事会の承認を求めており(Jリーグ規約第31条第2項)、運営母体となった企業名等をチーム名に含めることを原則排除している。一方で、クラブ運営法人に関しては当初より企業名の排除を求めておらず(柏レイソルの運営法人である「日立柏レイソル」、ヴィッセル神戸の運営法人である「楽天ヴィッセル神戸」など)、JSL時代の実業団チームからJリーグクラブへの過渡期においては、日本サッカー協会に登録した正式チーム名について企業名を冠した運営法人名を使用した「読売日本サッカークラブ(読売ヴェルディ)」(ヴェルディ川崎)、「三菱浦和フットボールクラブ」(浦和レッズ)、「東日本JR古河サッカークラブ」(ジェフユナイテッド市原)、「全日空佐藤工業サッカークラブ(ASフリューゲルス)」(横浜フリューゲルス)、「パナソニックガンバ大阪」(ガンバ大阪)、「日産FC横浜マリノス」(横浜マリノス)といった登録名を用いていた時期がある。
このことについて、Jリーグ初期のころ、報道等における企業名排除を求めた初代チェアマン・川渕三郎と、(日本プロ野球のような)企業名を冠するチーム名表記を求めた読売新聞主筆・読売巨人軍会長などを歴任した渡邉恒雄が対立した「川渕・渡邉論争」という問題が起きた。渡邊は「Jリーグの理念は空疎だ」として、企業名を排除し、地域名を重視するのは現実離れしていると主張したもので、実際1994年のゼロックススーパーカップまでは読売新聞系メディアではヴェルディ川崎を「読売ヴェルディ(川崎)」と企業名を出して報道していた。この「川渕・渡邉論争」について、川淵は「あの論争があったからJリーグの理念が世間に広まった。今は感謝の気持ちしかない」と述べている[7]。
2024年9月30日に公開されたJリーグ公式YouTubeチャンネルの動画内で第6代チェアマンの野々村芳和と対談した川淵[8]は、チーム名に企業名を記すことを禁じた規約はリーグ発足当初からなかったことに触れ、リーグ発足にあたって読売グループの他、ガンバ大阪の親会社・パナソニックら複数の出資企業が企業名排除に反対していたものの、当時のマスコミの論調に乗る形でチェアマン権限で押し切ったことを明かし、「これ(企業名外し)がなくちゃ、もう絶対成功しない。間違いなく成功しなかった」と述べた[9]。一方で、ジェフユナイテッド市原の名称である「ジェフ」(JEF) が出資元である東日本旅客鉄道 (JR East) と古河電工 (Furukawa) のイニシャルに由来していることは承知しており、「ジェフと言ってもJR東日本と古河電工だって思う人は誰もいない。愛称と言うことで決めた」「例えばコカ・コーラ (Coca-Cola) が参入して、CC何とかというチーム名にするとなったときに、それをコカ・コーラと思う人はいないのと同じ」と、企業名に由来するイニシャル等であっても直接企業を連想させるものでなければ容認して良いのではないかとの私見を披露した[10]。
設立経緯
[編集]日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[出典 1]、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[出典 2]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[出典 3]。1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[出典 4]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[出典 5]。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり[28]、1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』[出典 6]、1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど[出典 7]、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった[出典 8]。日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主の正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり[37]、1977年にドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度[出典 9]により奥寺、木村和司を始め[出典 10]、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた[出典 11]。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった[出典 12]。
1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにもかかわらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた[出典 13]。
このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」[注釈 6]が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる [出典 17][出典 18]。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」、J.League x JFA公式サイトの「サッカーで振り返る平成史」でも、この1988年3月「JSL活性化委員会」設置をその始まりに置いている[40]。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している[57]。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』[34](プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した[出典 19][注釈 7]。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり[出典 20]、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」[注釈 8]を設置[出典 27]。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健や岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが[38]、ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり[出典 28]、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」[注釈 9]で大勢を占めた[出典 29]。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった[34]。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し[出典 30]、翌1989年6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し[出典 31]、JFA内に「プロリーグ検討委員会」[注釈 10]が設置された[出典 35]。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた[65]。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである[42]。プロリーグ構想は具現化され[出典 36]、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表[49]、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した[注釈 11]。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案[注釈 12]の中から川淵が気に入り採用に至ったもの[出典 38]。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが[出典 39]、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で[29]、電通がペレの引退興行を始め[71]、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった[出典 40]。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる[出典 41]。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる[73]。
1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で[出典 42]、FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年か2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て[出典 43]、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える[出典 44]。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化[注釈 13]とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった[出典 45]。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず[42]、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた[出典 46]。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は[出典 47]、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている[30]。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした[出典 48]。Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた[出典 49]。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが[出典 50]、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になった事も事実ではある。しかし、森健兒と木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて[出典 51]、川淵は日本サッカーに絶望し[84]、一時サッカー界から離れていた時期があり[84]、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった[31]。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており[56]、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで[84]、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている[87]。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが[84]、2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった[出典 52]。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は「公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早い」と反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された[出典 53]。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ[出典 54]、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した[出典 55]。
1992年には前哨戦として、ヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)をスポンサーとし第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。
沿革
[編集]- 1988年
- 1989年
- 6月、第二次JSL活性化委員会による最終報告書が日本サッカー協会へ提出される。
- 1990年
- 3月、ホームタウン制、ホームスタジアムの確保、拠出金などJリーグ参加条件の詳細が決定される。
- 6月、日本サッカーリーグ参加クラブへJリーグ参加の要請が行われ、20団体からプロリーグ参加希望の返答。
- 8月、プロリーグ検討委員会が組織される。
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 4月、Jリーグ規約施行。
- 5月15日、「サントリーシリーズ」開幕で初年度のリーグ戦開始(1993年Jリーグ開幕節 参照)。横浜マリノス VS ヴェルディ川崎の神奈川ダービーで幕を開ける。
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- マルチボールシステムを導入。
- アビスパ福岡、京都パープルサンガが加盟。
- このシーズンはクラブ数の増加に伴う試合数の増加により、2ステージ制およびチャンピオンシップを実施せず、通年の勝ち点で年間優勝を決定。
- 3月、「Jリーグ百年構想」をキーワードとした広報活動が開始される。
- 1997年
- ヴィッセル神戸が加盟。
- 4回戦総当たりを2回戦総当たりへ変更し、再び前期後期制およびチャンピオンシップを実施。
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 水戸ホーリーホックが加盟。
- 2001年
- 横浜FCが加盟。
- 2002年
- J2での延長戦を廃止。
- 7月、2代目チェアマンに鈴木昌が就任。
- Jリーグアカデミー・サポートセンターが発足。
- 2003年
- J1での延長戦を廃止。
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦を導入。
- 2005年
- J1の所属クラブ数が増加(16クラブ→18クラブ)。
- 徳島ヴォルティス、ザスパ草津が加盟。
- J1を1ステージ制へ移行。Jリーグチャンピオンシップを廃止。
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- ガイナーレ鳥取が加盟。
- 2012年
- 4月1日、「公益社団法人 日本プロサッカーリーグ」に移行[90]。
- FC町田ゼルビア、松本山雅FCが加盟。
- J1昇格プレーオフを導入。
- J2・JFL間での入れ替え制度を導入。
- タイ・プレミアリーグ、ベトナムサッカーリーグ、ミャンマーサッカーリーグとパートナーシップ協定を締結。
- 2013年
- Jリーグクラブライセンス制度を導入。
- V・ファーレン長崎が加盟、FC町田ゼルビアが正会員資格喪失。
- Jリーグ月間MVPを新設。
- Jリーグマスコット総選挙を新設。
- カンボジア・リーグ[91]、Sリーグ(シンガポール)[92] とパートナーシップ協定を締結。
- 2014年
- 2月、5代目チェアマンに村井満が就任。
- 3部にあたる下部リーグ・J3リーグ(J3、11クラブ+Jリーグ・アンダー22選抜の計12クラブ/チーム)[93]。を新設。J3リーグ独自の「タイトルパートナー」(特別協賛)として明治安田生命保険と契約を締結し、名称を「明治安田生命J3リーグ」に制定。
- カマタマーレ讃岐 (J2)、AC長野パルセイロ、SC相模原、ツエーゲン金沢、ブラウブリッツ秋田、FC琉球、Y.S.C.C.横浜、藤枝MYFC、福島ユナイテッドFC、グルージャ盛岡(以上J3)が新規加盟。FC町田ゼルビアが再加盟。
- J3発足に伴いJ2・JFL間での入れ替え制度を廃止。
- インドネシア・スーパーリーグ[94] とパートナーシップ協定を締結。
- 2015年
- スポンサーカテゴリーに「タイトルパートナー」を新設し、明治安田生命保険相互会社と契約を締結。リーグ全体の総称を「明治安田生命Jリーグ」(英: MEIJI YASUDA J.LEAGUE)[注釈 14]、また各カテゴリーごとのタイトルも「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」に統一。
- J1を11年ぶりに2ステージ制へ移行。ステージ優勝クラブと年間勝点1位、2位、3位の最大5クラブが出場できるJリーグチャンピオンシップを復活させる。
- レノファ山口FCが加盟。
- バニシング・スプレーの使用を開始。
- ニューイヤーカップを新設。
- イランサッカーリーグ[95]、マレーシア・スーパーリーグ[96]、カタール・スターズリーグ[97] とパートナーシップ協定を締結。
- 2016年
- 鹿児島ユナイテッドFCが加盟。Jリーグ・アンダー22選抜が活動終了し、FC東京U-23・ガンバ大阪U-23・セレッソ大阪U-23がJ3に参加。
- Jサテライトリーグが7年ぶりに復活。
- 3月、日本トップリーグ連携機構へ加盟[98]。
- Aリーグ(オーストラリア)と戦略的連携協定を締結[99]。
- 7月20日、イギリスの大手動画配信会社パフォーム・グループと2017年から2026年まで10年間の放映権を契約。
- 2017年
- アスルクラロ沼津が加盟。
- J1を3年ぶりに1ステージ制へ移行。JリーグチャンピオンシップおよびJ2・J3入れ替え戦を廃止。
- ラ・リーガ(スペイン)と戦略的連携協定を締結[100]。
- 2018年
- J1昇格プレーオフを廃止し、J1参入プレーオフを導入。
- 2019年
- ヴァンラーレ八戸が加盟。
- 2020年
- 2021年
- テゲバジャーロ宮崎が加盟。
- ガンバ大阪U-23・セレッソ大阪U-23が活動終了。
- 2022年
- いわきFCが加盟。
- 2023年
- 奈良クラブ・FC大阪が加盟。
- J1参入プレーオフを廃止し、J1昇格プレーオフが復活。
- J3・JFL間での入れ替え制度を導入。
- 2024年
クラブ一覧
[編集]加盟要件
[編集]Jリーグ加盟の要件には、スタジアム・経営状況・チーム運営状況などの項目が定められている。チーム運営については、実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず、育成組織(下部組織)によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている。2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し、Jリーグへの加盟可否・加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された。
また2006年から、Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを「Jリーグ準加盟」と認定することを定め、J3発足後の2014年以降は代わって「Jリーグ百年構想クラブ」と呼称するものとしている。
正会員クラブ
[編集]2024年シーズンのクラブ編成[104] に基づく全60クラブの一覧。
- クラブのカテゴリ並びに掲載順序は2023年12月19日のJリーグリリース[104] における順序による。
- クラブ名は日本サッカー協会への登録チーム名ではなく、Jリーグにおける「呼称」を示している[104]。
- ホームスタジアムについては2024年時点でJリーグコーポレートサイトにおいて示されているスタジアム[105] について、同資料の表記に基づいて記す。
地域 | クラブ名(呼称) | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
Cat. | 加盟 |
---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道コンサドーレ札幌 HOKKAIDO Consadole SAPPORO |
北海道 / 札幌市を中心とする全道 (大和ハウス プレミストドーム〈札幌市豊平区〉) |
J1 | 1998年 |
東北 | ヴァンラーレ八戸 Vanraure HACHINOHE |
青森県 / 八戸市ほか3市11町2村[注釈 16] (プライフーズスタジアム〈八戸市〉) |
J3 | 2019年 |
いわてグルージャ盛岡 IWATE Grulla MORIOKA |
岩手県 / 岩手県全県14市15町4村[注釈 17] (いわぎんスタジアム〈盛岡市〉) |
J3 | 2014年 | |
ベガルタ仙台 Vegalta SENDAI |
宮城県 / 仙台市を中心とする全県 (ユアテックスタジアム仙台〈仙台市泉区〉) |
J2 | 1999年 | |
ブラウブリッツ秋田 Blaublitz AKITA |
秋田県 / 秋田市ほか5市[注釈 18] を中心とする全県 (ソユースタジアム〈秋田市〉) |
J2 | 2014年 | |
モンテディオ山形 Montedio YAMAGATA |
山形県 / 山形市、天童市、鶴岡市を中心とする全県 (NDソフトスタジアム山形〈天童市〉) |
J2 | 1999年 | |
福島ユナイテッドFC FUKUSHIMA United FC |
福島県 / 福島市ほか3市3町[注釈 19]を中心とする全県 (とうほう・みんなのスタジアム〈福島市〉) |
J3 | 2014年 | |
いわきFC IWAKI FC |
福島県 / いわき市ほか1市6町2村[注釈 20] (ハワイアンズスタジアムいわき〈いわき市〉) |
J2 | 2022年 | |
関東 | 鹿島アントラーズ KASHIMA Antlers |
茨城県 / 鹿嶋市ほか5市[注釈 21] (県立カシマサッカースタジアム〈鹿嶋市〉) |
J1 | 1991年 |
水戸ホーリーホック MITO Hollyhock |
茨城県 / 水戸市ほか10市4町1村[注釈 22] (ケーズデンキスタジアム水戸〈水戸市〉) |
J2 | 2000年 | |
栃木SC TOCHIGI SC |
栃木県 / 宇都宮市 (カンセキスタジアムとちぎ〈宇都宮市〉) |
J2 | 2009年 | |
ザスパ群馬 Thespa GUNMA |
群馬県 / 前橋市を中心とする全県 (正田醤油スタジアム群馬〈前橋市〉) |
J2 | 2005年 | |
浦和レッズ URAWA Reds |
埼玉県 / さいたま市 (埼玉スタジアム2002〈さいたま市緑区〉) |
J1 | 1991年 | |
大宮アルディージャ OMIYA Ardija |
埼玉県 / さいたま市 (NACK5スタジアム大宮〈さいたま市大宮区〉) |
J3 | 1999年 | |
ジェフユナイテッド千葉 JEF United CHIBA |
千葉県 / 千葉市、市原市 (フクダ電子アリーナ〈千葉市中央区〉) |
J2 | 1991年 | |
柏レイソル KASHIWA Reysol |
千葉県 / 柏市 (三協フロンテア柏スタジアム〈柏市〉) |
J1 | 1995年 | |
FC東京 FC TOKYO |
東京都 / 東京都 (味の素スタジアム〈調布市〉) |
J1 | 1999年 | |
東京ヴェルディ TOKYO Verdy |
東京都 / 東京都 (味の素スタジアム〈調布市〉) |
J1 | 1991年 | |
FC町田ゼルビア FC MACHIDA Zelvia |
東京都 / 町田市 (町田GIONスタジアム〈町田市〉) |
J1 | 2012年 [注釈 23] | |
川崎フロンターレ KAWASAKI Frontale |
神奈川県 / 川崎市 (Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu〈川崎市中原区〉) |
J1 | 1999年 | |
横浜F・マリノス YOKOHAMA F. Marinos |
神奈川県 / 横浜市、横須賀市、大和市 (日産スタジアム〈横浜市港北区〉 |
J1 | 1991年 | |
横浜FC YOKOHAMA FC |
神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉) |
J2 | 2001年 | |
Y.S.C.C.横浜 Y.S.C.C. YOKOHAMA |
神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場〈横浜市神奈川区〉) |
J3 | 2014年 | |
湘南ベルマーレ SHONAN Bellmare |
神奈川県 / 平塚市ほか8市11町[注釈 24] (レモンガススタジアム平塚〈平塚市〉) |
J1 | 1994年 | |
SC相模原 S.C. SAGAMIHARA |
神奈川県 / 相模原市ほか4市1町[注釈 25] (相模原ギオンスタジアム〈相模原市南区〉) |
J3 | 2014年 | |
ヴァンフォーレ甲府 Ventforet KOFU |
山梨県 / 甲府市、韮崎市を中心とする全県 (JIT リサイクルインク スタジアム〈甲府市〉) |
J2 | 1999年 | |
北信越 | 松本山雅FC MATSUMOTO Yamaga F.C. |
長野県 / 松本市ほか4市3町4村[注釈 26] (サンプロ アルウィン〈松本市〉) |
J3 | 2012年 |
AC長野パルセイロ AC NAGANO Parceiro |
長野県 / 長野市ほか6市5町5村[注釈 27] (長野Uスタジアム〈長野市〉) |
J3 | 2014年 | |
アルビレックス新潟 Albirex NIIGATA |
新潟県 / 新潟県全県20市6町4村[注釈 28] (デンカビッグスワンスタジアム〈新潟市中央区〉) |
J1 | 1999年 | |
カターレ富山 Kataller TOYAMA |
富山県 / 富山市を中心とする全県 (富山県総合運動公園陸上競技場〈富山市〉) |
J3 | 2009年 | |
ツエーゲン金沢 Zweigen KANAZAWA |
石川県 / 金沢市ほか3市2町[注釈 29] を中心とする全県 (金沢ゴーゴーカレースタジアム〈金沢市〉) |
J3 | 2014年 | |
東海 | 清水エスパルス SHIMIZU S-Pulse |
静岡県 / 静岡市 (IAIスタジアム日本平〈静岡市清水区〉) |
J2 | 1991年 |
ジュビロ磐田 Júbilo IWATA |
静岡県 / 磐田市ほか7市1町[注釈 30] (ヤマハスタジアム (磐田)〈磐田市〉) |
J1 | 1994年 | |
藤枝MYFC FUJIEDA MYFC |
静岡県 / 藤枝市ほか4市2町[注釈 31] (藤枝総合運動公園サッカー場〈藤枝市〉) |
J2 | 2014年 | |
アスルクラロ沼津 Azul claro NUMAZU |
静岡県 / 沼津市 (愛鷹広域公園多目的競技場〈沼津市〉) |
J3 | 2017年 | |
名古屋グランパス NAGOYA Grampus |
愛知県 / 名古屋市、豊田市、みよし市を中心とする全県 (豊田スタジアム〈豊田市〉) |
J1 | 1991年 | |
FC岐阜 FC GIFU |
岐阜県 / 岐阜市を中心とする全県 (岐阜メモリアルセンター長良川競技場〈岐阜市〉) |
J3 | 2008年 | |
関西 | 京都サンガF.C. KYOTO Sanga F.C. |
京都府 / 京都市ほか15市4町[注釈 32] (サンガスタジアム by KYOCERA〈亀岡市〉) |
J1 | 1996年 |
ガンバ大阪 Gamba OSAKA |
大阪府 / 吹田市ほか7市[注釈 33] (パナソニックスタジアム吹田〈吹田市〉) |
J1 | 1991年 | |
セレッソ大阪 Cerezo OSAKA |
大阪府 / 大阪市、堺市 (ヨドコウ桜スタジアム〈大阪市東住吉区〉) |
J1 | 1995年 | |
FC大阪 FC OSAKA |
大阪府 / 東大阪市 (東大阪市花園ラグビー場(東大阪市)) |
J3 | 2023年 | |
ヴィッセル神戸 Vissel KOBE |
兵庫県 / 神戸市 (ノエビアスタジアム神戸〈神戸市兵庫区〉) |
J1 | 1997年 | |
奈良クラブ NARA Club |
奈良県 / 奈良市、三郷町を中心とする全県 (ロートフィールド奈良〈奈良市〉) |
J3 | 2023年 | |
中国 | ガイナーレ鳥取 Gainare TOTTORI |
鳥取県 / 鳥取市ほか4市[注釈 34] を中心とする全県 (Axisバードスタジアム〈鳥取市〉) |
J3 | 2011年 |
ファジアーノ岡山 Fagiano OKAYAMA |
岡山県 / 岡山市、倉敷市、津山市を中心とする全県 (シティライトスタジアム〈岡山市北区〉) |
J2 | 2009年 | |
サンフレッチェ広島 Sanfrecce HIROSHIMA |
広島県 / 広島市 (エディオンピースウイング広島〈広島市中区〉) |
J1 | 1991年 | |
レノファ山口FC Renofa YAMAGUCHI FC |
山口県 / 山口県全県13市6町[注釈 35] (維新みらいふスタジアム〈山口市〉) |
J2 | 2015年 | |
四国 | カマタマーレ讃岐 Kamatamare SANUKI |
香川県 / 高松市、丸亀市を中心とする全県 (Pikaraスタジアム〈丸亀市〉) |
J3 | 2014年 |
徳島ヴォルティス TOKUSHIMA Vortis |
徳島県 / 徳島市ほか6市4町[注釈 36] を中心とする全県 (鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム〈鳴門市〉) |
J2 | 2005年 | |
愛媛FC EHIME FC |
愛媛県 / 松山市を中心とする全県 (ニンジニアスタジアム〈松山市〉) |
J2 | 2006年 | |
FC今治 FC IMABARI |
愛媛県 / 今治市 (アシックス里山スタジアム〈今治市〉) |
J3 | 2020年 | |
九州 | アビスパ福岡 Avispa FUKUOKA |
福岡県 / 福岡市 (ベスト電器スタジアム〈福岡市博多区〉) |
J1 | 1996年 |
ギラヴァンツ北九州 Giravanz KITAKYUSHU |
福岡県 / 北九州市 (ミクニワールドスタジアム北九州〈北九州市小倉北区〉) |
J3 | 2010年 | |
サガン鳥栖 Sagan TOSU |
佐賀県 / 鳥栖市 (駅前不動産スタジアム〈鳥栖市〉) |
J1 | 1999年 | |
V・ファーレン長崎 V Varen NAGASAKI |
長崎県 / 長崎市、諫早市を中心とする全県 (トランスコスモススタジアム長崎〈諫早市〉) |
J2 | 2013年 | |
ロアッソ熊本 Roasso KUMAMOTO |
熊本県 / 熊本市 (えがお健康スタジアム〈熊本市東区〉) |
J2 | 2008年 | |
大分トリニータ OITA Trinita |
大分県 / 大分市、別府市、佐伯市を中心とする全県 (レゾナックドーム大分〈大分市〉) |
J2 | 1999年 | |
テゲバジャーロ宮崎 Tegevajaro MIYAZAKI |
宮崎県 / 宮崎市、新富町、西都市 (いちご宮崎新富サッカー場〈児湯郡新富町〉) |
J3 | 2021年 | |
鹿児島ユナイテッドFC KAGOSHIMA United FC |
鹿児島県 / 鹿児島市 (白波スタジアム〈鹿児島市〉) |
J2 | 2016年 | |
FC琉球 FC RYUKYU |
沖縄県 / 沖縄市を中心とする全県 (タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉) |
J3 | 2014年 |
Jリーグ百年構想クラブ
[編集]クラブ名 | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
カテゴリ | 承認年度 | |
---|---|---|---|---|
関東 | VONDS市原 VONDS ICHIHARA |
千葉県 / 市原市 (ゼットエーオリプリスタジアム〈市原市〉) |
関東1部 | 2020年 |
南葛SC NANKATSU SC |
東京都 / 葛飾区 (奥戸総合スポーツセンター陸上競技場〈葛飾区〉)他 | |||
クリアソン新宿 Criacao SHINJUKU |
東京都 / 新宿区 (味の素フィールド西が丘〈北区〉) |
JFL | 2021年 | |
東京23フットボールクラブ TOKYO 23 Football Club |
東京都 / 江戸川区 (江戸川区陸上競技場〈江戸川区〉) |
関東1部 | 2022年 |
なお、現在は、Jリーグ参入希望に当たってJリーグ百年構想クラブへの加入は必須とされていない。
過去にJリーグ正会員であったクラブ
[編集]クラブ名 | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
加盟期間 |
---|---|---|
横浜フリューゲルス YOKOHAMA Flügels |
神奈川県 / 横浜市、長崎県、熊本県、鹿児島県[注釈 37] (三ツ沢公園球技場、横浜国際総合競技場、長崎県立総合運動公園陸上競技場[注釈 37]、熊本市水前寺競技場[注釈 37]、鹿児島県立鴨池陸上競技場[注釈 37]) |
1991-1998年 |
過去にJリーグ準会員、準加盟、百年構想クラブであったクラブ
[編集]脱退等に関する経緯については各クラブの項目を参照のこと。
資格 | クラブ名 | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
カテゴリ | 承認期間 |
---|---|---|---|---|
準会員 | 鳥栖フューチャーズ TOSU Futures |
佐賀県 / 鳥栖市 (鳥栖スタジアム〈鳥栖市〉) |
旧JFL | 1994-1996年 |
浜松F.C HAMAMATSU F.C |
静岡県 / 浜松市 (本田技研都田サッカー場〈浜松市浜名区〉) |
JFL | 1997年 | |
準加盟 百年構想 |
tonan前橋 Tonan MAEBASHI |
群馬県 / 前橋市 (前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場〈前橋市〉) |
関東2部 | 2013-2019年 |
百年構想 | 東京武蔵野シティFC TOKYO MUSASHINO City FC |
東京都 / 武蔵野市 (武蔵野陸上競技場〈武蔵野市〉) |
JFL | 2016-2020年 |
鈴鹿ポイントゲッターズ SUZUKA Point Getters |
三重県 / 鈴鹿市 (三重交通Gスポーツの杜鈴鹿サッカー・ラグビー場〈鈴鹿市〉) |
2021-2022年 | ||
コバルトーレ女川 Cobaltore ONAGAWA |
宮城県 / 女川町 (女川スタジアム〈女川町〉) |
東北1部 | 2022年 | |
沖縄SV OKINAWA SV |
沖縄県 / 豊見城市、うるま市、沖縄市を中心とする全県 (タピック県総ひやごんスタジアム〈沖縄市〉他) |
JFL | 2022-2023年 | |
栃木シティFC TOCHIGI City Football Club |
栃木県 / 栃木市 (CITY FOOTBALL STATION〈栃木市〉) |
2014-2023年 | ||
高知ユナイテッドSC KOCHI United SC |
高知県 / 高知市を中心とする全県 (高知県立春野総合運動公園陸上競技場〈高知市〉) |
2022年 |
クラブ数の推移と昇降格制度
[編集]1998年にJ1参入決定戦を実施。1999年からはJ1・J2の2部制への移行に伴い、入替制度を導入した。2012年以降はJ2と下部リーグ(2012年は日本フットボールリーグ(JFL)、2013年のポストシーズン以降はJ3)との入替制度も導入された。
- 実際に適用されたケースはないが、2012年のJリーグクラブライセンス制度導入までは、Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され、J1の16位からJ2降格も取り消される可能性があった。
- 2012年のポストシーズン(2013年の参入)以降は、J1・J2・J3のリーグに参入するには、クラブライセンス制度により当該リーグないしそれより上のライセンスを取得している」ことが要件となる。
- 消化できた試合数がその年に予定されていたJ1・J2・J3リーグ全体の試合数の75%に満たない場合や、所属カテゴリでその年に予定されていた総試合数の50%に満たないクラブが発生した場合は、大会は不成立となり昇格・降格は行われないが、2022シーズン終了時点で実際に適用されたシーズンはない。
年度 | 総数 | J1 | JFL | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
数 | JFL降格 | Jリーグ参入 | |||
1993 | 10 | 10 | 降格 制度 なし |
平塚 / 磐田 | JFLは旧JFL |
1994 | 12 | 12 | C大阪 / 柏 | ||
1995 | 14 | 14 | 福岡 / 京都 | ||
1996 | 16 | 16 | 神戸 | ||
1997 | 17 | 17 | 札幌 |
年度 | 総数 | J1 | J2 | JFL | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
数 | J2降格 | J1昇格 | 数 | JFL降格 | Jリーグ参入 | |||
1998 | 18 | 18 | 札幌 | - | 9クラブ[注釈 38] | J1参入決定戦実施 横浜Fと横浜Mとの合併により1クラブ減 | ||
1999 | 26 | 16 | 浦和 / 平塚 | 川崎 / FC東京 | 10 | 降格 制度 なし |
水戸 | 自動入替2クラブ |
2000 | 27 | 京都 / 川崎 | 札幌 / 浦和 | 11 | 横浜FC | |||
2001 | 28 | 福岡 / C大阪 | 京都 / 仙台 | 12 | - | |||
2002 | 広島 / 札幌 | 大分 / C大阪 | - | |||||
2003 | 仙台 / 京都 | 新潟 / 広島 | - | |||||
2004 | 川崎 / 大宮 | 徳島 / 草津 | J1・J2入れ替え戦の導入 | |||||
2005 | 30 | 18 | 柏† / 東京V / 神戸 | 京都 / 福岡 / 甲府† | 愛媛 | 自動入替2クラブ+J1・J2入れ替え戦 | ||
2006 | 31 | 福岡† / C大阪 / 京都 | 横浜FC / 柏 / 神戸† | 13 | - | |||
2007 | 広島† / 甲府 / 横浜FC | 札幌 / 東京V / 京都† | 熊本 / 岐阜 | |||||
2008 | 33 | 東京V / 札幌 | 広島 / 山形 | 15 | 栃木 / 富山 / 岡山 | |||
2009 | 36 | 柏 / 大分 / 千葉 | 仙台 / C大阪 / 湘南 | 18 | 北九州 | 自動入替3クラブ | ||
2010 | 37 | FC東京 / 京都 / 湘南 | 柏 / 甲府 / 福岡 | 19 | 鳥取 | |||
2011 | 38 | 甲府 / 福岡 / 山形 | FC東京 / 鳥栖 / 札幌 | 20 | 町田 / 松本 | |||
2012 | 40 | 神戸 / G大阪 / 札幌 | 甲府 / 湘南 / 大分 | 22 | 町田 | 長崎 | J1昇格プレーオフ開始 |
年度 | 総数 | J1 | J2 | J3 | JFL | 備考 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
数 | J2降格 | J1昇格 | 数 | J3降格 | J2昇格 | 数 | JFL降格 | Jリーグ参入 | |||
2013 | 40 | 18 | 湘南 / 磐田 / 大分 | G大阪 / 神戸 / 徳島 | 22 | 鳥取 | - | 讃岐 10クラブ[注釈 39] |
讃岐はJ2・JFL入れ替え戦の結果 10クラブはJFLからJ3への参入 | ||
2014 | 51 | 大宮 / C大阪 / 徳島 | 湘南 / 松本 / 山形 | 富山 | 金沢 | 11 | 降格 制度 なし |
山口 | J2・J3入れ替え戦の導入 | ||
2015 | 52 | 松本 / 清水 / 山形 | 大宮 / 磐田 / 福岡 | 大分† / 栃木 | 山口 / 町田† | 12 | 鹿児島 | ||||
2016 | 53 | 名古屋 / 湘南 / 福岡 | 札幌 / 清水 / C大阪 | 北九州 | 大分 | 13 | 沼津 | ||||
2017 | 54 | 甲府 / 新潟 / 大宮 | 湘南 / 長崎 / 名古屋 | 群馬 | 栃木 | 14 | - | J2・J3入れ替え戦を廃止 | |||
2018 | 柏 / 長崎 | 松本 / 大分 | 熊本 / 讃岐 | 琉球 / 鹿児島 | 八戸 | J1参入プレーオフ開始 | |||||
2019 | 55 | 松本 / 磐田 | 柏 / 横浜FC | 鹿児島 / 岐阜 | 北九州 / 群馬 | 15 | 今治 | ||||
2020 | 56 | - | 徳島 / 福岡 | - | 秋田 / 相模原 | 16 | 宮崎 | 降格無し J1参入プレーオフなし | |||
2021 | 57 | 20 | 徳島 / 大分 / 仙台 / 横浜FC | 磐田 / 京都 | 相模原 / 愛媛 / 北九州 / 松本 | 熊本 / 岩手 | 15 | いわき | J1参入プレーオフなし | ||
2022 | 58 | 18 | 清水 / 磐田 | 新潟 / 横浜FC | 琉球 / 岩手 | いわき / 藤枝 | 18 | 奈良 / FC大阪 | |||
2023 | 60 | 横浜FC | 町田 / 磐田 / 東京V | 大宮 / 金沢 | 愛媛 / 鹿児島 | 20 | - | J1昇格プレーオフ復活 J3・JFL入れ替え戦の導入 | |||
2024 | 20 | 鳥栖 | 清水 / 横浜FC | 20 | 栃木SC / 鹿児島 / 群馬 | 大宮 / 今治 | 岩手 | 栃木C | J2昇格プレーオフ開始 | ||
2025 |
- 「†」を付したクラブは入替戦の結果による昇降格。
通算成績
[編集]- J1リーグ戦
- J2リーグ戦
- J3リーグ戦
表彰
[編集]配分金
[編集]Jリーグ各クラブに対しては、Jリーグ規約第122条〔収入の配分〕ならびにJリーグ配分金規程[106] に基づき、(公財)日本プロサッカーリーグの得た事業(付随事業、公衆送信権、その他の事業、パートナー契約)による収益の一部を各クラブに「配分金」として分配している。以下の5種類がある。
- 事業協力配分金
- J1リーグおよびJ2リーグに所属するJクラブに対して支給されるもの。
- toto交付金
- スポーツ振興投票の実施等に関する法律第4条に基づくスポーツ振興投票の対象試合の計画的かつ安定的な開催の確保に資するため、独立行政法人日本スポーツ振興センターからJリーグに支払われる支援経費を原資として、全てのJクラブに対して支給されるもの。
- 「事業協力配分金」と併せてクラブの所属ディビジョンごとに定額(均等配分金)となっており、2021年度時点ではJ1クラブに3億5千万円、J2クラブに1億5千万円、J3クラブに3千万円が配分されることが明らかになっている[107]。
- 理念強化配分金
- 前シーズンのJ1リーグ戦の年間順位1位から4位のJクラブに対して最長3年間にわたって支給されるもの。2017年度より支給開始されており、DAZNと結んだ10年2100億円超の放送権料が原資と報じられている[108]。金額については後述。2020年・2021年は配分が停止された[107]。
- 年度毎に理念強化配分金活用計画書における理念強化配分金の活用計画の審査・承認を受ける必要あり。
- 降格救済配分金
- J1からJ2に、およびJ2からJ3にそれぞれ降格した各Jクラブに対して支給されるもの。均等配分金の激変緩和措置として行われる。
- 2021年時点では降格1年目に降格前所属リーグの均等配分金額の80%を、降格2年目は60%を受け取れるよう、以下のように配分される[107]。
- J1→J2:1年目1億3千万円、2年目6千万円
- J2→J3:1年目9千万円、2年目6千万円
- ACLサポート配分金
- 支給年度のAFCチャンピオンズリーグ (ACL) に参加した各Jクラブに対してその遠征費等について一定割合を補助するもの。
- 2021年度出場クラブは1クラブ当たり1億円[107](2020年までは2千万円)。
順位 | 理念強化配分金 | 内訳 |
---|---|---|
年間1位 | 15億5000万円 | 1年目5.5億円、2年目5億円、3年目5億円の計15.5億円[注釈 40] |
年間2位 | 7億円 | 1年目2.5億円、2年目2.5億円、3年目2億円の計7億円[注釈 41] |
年間3位 | 3億5000万円 | 1年目2億円、2年目1.5億円の計3.5億円 |
年間4位 | 1億8000万円 | 1年目1.8億円 |
なお、この配分金の構造については、リーグの成長促進を目的として2023年度以降見直されることになっており、特にカテゴリー間の定額配分金の配分比率を5-6倍程度まで段階的に拡大させることが言及されると共に、同一カテゴリー内の配分方法も均等配分中心から競技成績やファン増加等の成果に応じた傾斜配分中心へ段階的にシフトすることが明らかにされている[109]。
懲罰
[編集]Jリーグでは各クラブが不正行為や選手・観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある。制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり、裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて、チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている。
制裁措置はクラブ、及びクラブに所属する個人に対して行われ、以下のような段階が設けられている。
- クラブに対する制裁
※中立地開催・無観客試合・没収試合・強制降格は2014年から設けられた。
- 個人に対する制裁
-
- けん責
- 制裁金(最大5,000万円)
- 出場資格停止(無期限または最大1年以内の期限付き出場停止)
- 公式試合に関わる職務の停止(一定期間、無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止)
開催日時
[編集]リーグ戦の試合は基本的に毎週土曜日または日曜日に開催している。スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか、祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある。
土曜日・日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが、各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか、夏期(おおむね6月下旬から9月上旬にかけて)のJ1・J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される。また、祝祭日以外の平日に開催される試合は原則としてナイトマッチで開催されている(2022年度まで照明設備を必須としていなかったJ3を含め、かつては施設の都合等で平日の開催でもデイマッチを行うことがあった)。
なお、最終節は基本的に全試合の開催日と試合開始時間を統一している。
2008年以降、日本代表の試合のある日は原則として、JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない(この間、J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため、リーグ戦の試合自体が組まれない)。また、試合予定が未定の分で、日本代表の試合が予定されている場合は土曜、日曜両方で開催できるように対応している。
試合日程については、概ね1月中旬に、各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程・対戦組み合わせ・試合会場のみを先行で発表し、1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程・組み合わせ・試合会場、並びに前半戦(概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は、第1ステージの17試合分のみ)の試合開始時間を、6月下旬または7月初めに後半戦(概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが、第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり)の試合開始時間について発表される[110]。
- J1
-
- 1部制だった時代(1993年から1998年)も含めて、1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた。ただし、1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日(主に水曜日)にも開催されていた。
- 2001年以降はスポーツ振興くじ(toto)の導入に伴い、J2と共に土曜日を中心とする開催になった。
- 2002年、テレビ中継などの日程調整も考慮し、土曜日開催を基本としつつ、原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された。
- 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが、AFCチャンピオンズリーグに参加するクラブについては、週の中間(火曜・水曜)に試合をすることを考慮して、週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり、アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある。国際Aマッチ期間は試合が開催されない。
- 2018年度からは、DAZNと協力し年間10節程度、各節1-3試合程度を「フライデーナイトJリーグ」として金曜日に適宜開催する。通称「金J」(きんジェイ)。
- 金曜日に開催することで他の試合との被りを避けて試合の注目度を高めることを目的とする[111]。来場者プレゼントやイベントを開催して新規層を開拓するのも特徴であり、デートや仕事帰り、学校帰りの人に気軽にスタジアムに来てほしい狙いもある。
- J2
-
- 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが、1か月に1-2回程度は木曜日にも開催されていた。
- 2001年以降はtotoの導入に伴い、J1と共に土曜日を中心とする開催になった(一部は日曜日に開催)。
- 2012年以降は原則日曜日開催。J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある。水曜日開催が行われる週もある。国際Aマッチ期間も、日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する(ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった)。
- J3
-
- 基本的に原則日曜日の開催に固定している。
- 2022年度まではJ3クラブのスタジアム基準で現在照明設備が必須とされていなかったことから、夏季にもデイマッチが行われた試合がいくつかあった(本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される)。
- 毎年8月から9月は、天皇杯の都道府県予選(J3は都道府県予選から出場)、並びに国体ブロック予選(ミニ国体)が行われるため、3週間から1か月程度のインターバルがある。なおこれについては2017年以降、天皇杯の制度改革によって多少見直されている。
その他、同一都道府県・市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は、極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している(2011年の場合はJ1のさいたま市、神奈川県、静岡県、大阪府、J2の東京都、神奈川県が該当)。ただし、初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった[注釈 42]。2011年にもJ1のさいたまと大阪、J2の東京都、さらにJ1・J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが、このときでもやむをえない場合を除き原則として、どちらかが土曜日、もう一方は日曜日の開催とするよう配慮されている[注釈 43]。
なお、2012年から2016年までJ1とJ2の開催日が分けられていたこと、及びキックオフ時間がずらされていたが、これは当時Jリーグ中継を担当していたスカパー!のチャンネル数や放送時間の制約によるものであったことが、2016年のJリーグとDAZNの契約記者会見の際に明らかにされており、現在は土曜か日曜のどちらを開催日にするかはクラブ側に委ねられているという[112]。
アウェイゲームは原則3試合以上連続しないこととなっているが、日程の兼ね合いやその他イベントの影響などでアウェイゲームが3試合以上連続することもある[注釈 44]。特に降雪地では気候的理由もあって開幕直後はアウェイゲームが続くことが多い[注釈 45]。
試合入場者数
[編集]歴代入場者数
[編集]J1 | J2 | J3 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
合計 | 平均 | 合計 | 平均 | 合計 | 平均 | |
1993年 | 3,235,750 | 17,976 | - | - | ||
1994年 | 5,173,817 | 19,598 | ||||
1995年 | 6,159,691 | 16,922 | ||||
1996年 | 3,204,807 | 13,353 | ||||
1997年 | 2,755,698 | 10,131 | ||||
1998年 | 3,666,496 | 11,982 | ||||
1999年 | 2,798,005 | 11,658 | 827,217 | 4,596 | ||
2000年 | 2,655,553 | 11,065 | 1,340,820 | 6,095 | ||
2001年 | 3,971,415 | 16,548 | 1,505,722 | 5,703 | ||
2002年 | 3,928,215 | 16,368 | 1,806,392 | 6,842 | ||
2003年 | 4,164,229 | 17,351 | 2,084,185 | 7,895 | ||
2004年 | 4,551,695 | 18,965 | 1,904,172 | 7,213 | ||
2005年 | 5,742,233 | 18,765 | 1,975,340 | 7,482 | ||
2006年 | 5,597,408 | 18,292 | 1,998,648 | 6,406 | ||
2007年 | 5,834,081 | 19,066 | 2,034,543 | 6,521 | ||
2008年 | 5,875,865 | 19,202 | 2,227,570 | 7,072 | ||
2009年 | 5,809,516 | 18,985 | 2,903,607 | 6,326 | ||
2010年 | 5,638,894 | 18,428 | 2,290,082 | 6,696 | ||
2011年 | 4,833,782 | 15,797 | 2,440,695 | 6,423 | ||
2012年 | 5,375,300 | 17,566 | 2,681,881 | 5,805 | ||
2013年 | 5,271,047 | 17,226 | 3,079,181 | 6,665 | ||
2014年 | 5,275,387 | 17,240 | 3,043,948 | 6,589 | 440,388 | 2,224 |
2015年 | 5,447,602 | 17,803 | 3,152,545 | 6,824 | 563,606 | 2,409 |
2016年 | 5,498,222 | 17,968 | 3,209,051 | 6,946 | 704,953 | 2,937 |
2017年 | 5,778,178 | 18,883 | 3,219,936 | 6,970 | 705,910 | 2,595 |
2018年 | 5,833,538 | 19,064 | 3,256,416 | 7,049 | 671,854 | 2,470 |
2019年 | 6,349,681 | 20,751 | 3,315,234 | 7,176 | 732,567 | 2,394 |
2020年 | 1,773,481 | 5,796 | 1,270,808 | 2,751 | 348,875 | 1,140 |
2021年 | 2,531,007 | 6,661 | 1,806,409 | 3,910 | 401,776 | 1,913 |
2022年 | 4,384,401 | 14,328 | 2,318,829 | 5,019 | 833,042 | 2,722 |
2023年 | 5,811,987 | 18,993 | 3,189,591 | 6,904 | 1,141,166 | 3,003 |
2024年 | 2,913,415 | 7,667 |
- 2020年から2022年にかけては新型コロナウイルス (COVID-19) 感染拡大の影響により無観客開催あるいは入場者数制限を行った試合がある。
年度 | 11 - 18歳[注釈 46] |
19 - 22歳 |
23 - 29歳 |
30 - 39歳 |
40 - 49歳 |
50 - 59歳[注釈 47] |
60歳 以上 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年[114] | 12.6 | 11.2 | 26.0 | 27.5 | 14.3 | 8.2 | |
2001年[114] | 12.0 | 11.4 | 26.2 | 28.9 | 13.2 | 8.3 | |
2002年[114] | 10.8 | 13.0 | 26.7 | 26.9 | 13.7 | 8.8 | |
2003年[114] | 10.9 | 9.0 | 20.8 | 32.1 | 17.8 | 9.4 | |
2004年[114] | 8.0 | 7.3 | 19.2 | 34.1 | 19.9 | 11.5 | |
2005年[114] | 8.0 | 6.7 | 17.5 | 33.9 | 21.2 | 12.8 | |
2006年[114] | 7.4 | 7.1 | 16.3 | 33.7 | 21.8 | 13.7 | |
2007年[114] | 6.3 | 7.1 | 15.9 | 33.0 | 23.6 | 14.2 | |
2008年[114] | 5.9 | 6.8 | 14.3 | 31.3 | 25.5 | 16.2 | |
2009年[114] | 6.8 | 6.8 | 14.8 | 29.8 | 24.9 | 16.9 | |
2010年[114] | 5.9 | 6.1 | 14.1 | 29.4 | 26.3 | 11.7 | 6.5 |
2011年[114] | 7.0 | 5.7 | 13.1 | 27.5 | 26.7 | 12.6 | 7.5 |
2012年[114] | 6.5 | 6.2 | 12.5 | 26.4 | 27.0 | 13.7 | 7.7 |
2013年[114] | 6.7 | 6.5 | 11.8 | 23.6 | 28.4 | 14.8 | 8.2 |
2014年[115] | 6.3 | 5.8 | 12.0 | 22.0 | 28.4 | 16.0 | 9.5 |
2015年[116] | 5.4 | 5.5 | 11.6 | 21.1 | 29.1 | 17.2 | 10.1 |
2016年[117] | 5.8 | 5.5 | 10.8 | 19.7 | 28.7 | 18.5 | 11.0 |
2017年[118] | 6.6 | 6.3 | 10.7 | 17.5 | 28.8 | 18.9 | 11.4 |
2018年[119] | 6.5 | 6.0 | 11.1 | 17.3 | 27.3 | 19.6 | 12.1 |
2019年[120] | 5.8 | 5.5 | 10.8 | 16.8 | 26.9 | 20.5 | 13.7 |
- Jリーグが実施し公表した「スタジアム観戦者調査」の結果(特定日の調査値)に基づく。J3リーグは調査対象外。なお、2020年から2022年は調査を実施せず、2023年はリーグ全体の集計が行われていない[121]ため、割愛している。
2010年8月8日、J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した。なお、カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は、2009年3月に1億人を突破している。
なお、イギリスのサッカー専門誌『World Soccer』が2009年8月号で掲載した統計によると、世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38,975人であり、J1リーグは19,278人(2008年シーズン)で第6位に位置している[122]。
スタジアム別入場者数(2019年シーズン終了時点)
[編集]- 掲載順はリーグ戦ホームゲームの1試合あたり平均入場者数の多いクラブ順による(以下の入場者数にカップ戦及びプレーオフの数値は含めない)。
- ホームスタジアムの略称、所属ディビジョン、入場者数[123] は、2019年シーズン終了時点のもの(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が17試合)。
- ホームスタジアムが複数登録されている場合は、座席数が大きいものから記載(ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外)。
- 招待券比率は、2019年シーズン中[124] に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査(アンケート)の集計結果による(必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない)。なお、同調査ではJ3クラブの招待券比率を公表していないため、J3クラブについては割愛する。
- 入場料収入[125] は、各クラブの2018年(平成30年)度決算の数値(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が17試合)。
クラブ 所属 |
スタジアム略称 (所在地) |
座席数 (席) |
平均入場者数 (人) |
総入場者数 (人) |
招待券比率 (%) |
入場料収入 (百万円) |
画像 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 浦和 J1 |
埼玉 (さいたま市) |
63,770 | 34,184 | 581,135 | 3.6 | 1,923 | |
2 | FC東京 J1 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 31,540 | 536,187 | 10.1 | 947 | |
3 | G大阪 J1 |
パナスタ (吹田市) |
39,694 | 27,708 | 471,034 | 7.9 | 1,152 | |
4 | 名古屋 J1 |
豊田ス (豊田市) |
40,000 | 27,612 | 469,397 | 14.6 | 936 | |
パロ瑞穂 (名古屋市) |
20,000 | |||||||
5 | 横浜FM J1 |
日産ス (横浜市) |
72,372 | 27,010 | 459,168 | 5.2 | 1,127 | |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | |||||||
6 | 川崎 J1 |
等々力 (川崎市) |
26,827 | 23,272 | 395,619 | 8.7 | 975 | |
7 | C大阪 J1 |
ヤンマー (大阪市) |
47,000 | 21,518 | 365,810 | 14.9 | 618 | |
8 | 神戸 J1 |
ノエスタ (神戸市) |
30,132 | 21,491 | 365,349 | 10.3 | 840 | |
9 | 鹿島 J1 |
カシマ (鹿嶋市) |
40,728 | 21,491 | 365,349 | 10.3 | 840 | |
10 | 札幌 J1 |
札幌ド (札幌市) |
41,484 | 18,768 | 319,053 | 6.5 | 636 | |
11 | 松本 J1 |
サンアル (松本市) |
20,396 | 17,416 | 296,079 | 7.0 | 503 | |
12 | 大分 J1 |
昭和電ド (大分市) |
40,000 | 15,347 | 260,893 | 6.8 | 254 | |
13 | 磐田 J1 |
ヤマハ (磐田市) |
15,165 | 15,277[注釈 48] | 259,709 | 10.0 | 638 | |
14 | 鳥栖 J1 |
駅スタ (鳥栖市) |
24,490 | 15,050 | 255,845 | 4.6 | 678 | |
15 | 清水 J1 |
アイスタ (静岡市) |
20,281 | 15,043 | 255,735 | 16.7 | 582 | |
16 | 仙台 J1 |
ユアスタ (仙台市) |
19,694 | 14,971 | 254,503 | 13.0 | 608 | |
17 | 新潟 J2 |
デンカS (新潟市) |
42,300 | 14,497 | 304,445 | 14.9 | 507 | |
18 | 広島 J1 |
Eスタ (広島市) |
50,000 | 13,886 | 236,063 | 11.3 | 500 | |
19 | 湘南 J1 |
BMWス (平塚市) |
15,690 | 12,848 | 218,424 | 7.6 | 480 | |
20 | 千葉 J2 |
フクアリ (千葉市) |
18,500 | 9,701 | 203,725 | 14.2 | 332 | |
21 | 大宮 J2 |
NACK (さいたま市) |
15,600 | 9,478 | 199,040 | 7.3 | 339 | |
22 | 柏 J2 |
三協F柏 (柏市) |
15,349 | 9,471 | 198,887 | 6.8 | 449 | |
23 | 岡山 J2 |
Cスタ (岡山市) |
20,000 | 9,444 | 198,331 | 3.2 | 176 | |
24 | 山形 J2 |
NDスタ (天童市) |
21,292 | 8,289 | 174,064 | 11.6 | 178 | |
25 | 甲府 J2 |
中銀スタ (甲府市) |
17,000 | 8,273 | 173,742 | 15.9 | 297 | |
26 | 京都 J2 |
たけびし (京都市) |
20,588 | 7,850 | 164,845 | 18.8 | 173 | |
27 | 長崎 J2 |
トラスタ (諫早市) |
20,246 | 7,737 | 162,476 | 10.3 | 407 | |
28 | 横浜FC J2 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 7,061 | 148,280 | 10.6 | 167 | |
29 | 福岡 J2 |
レベスタ (福岡市) |
22,563 | 6,983 | 146,639 | 34.6 | 174 | |
30 | 岐阜 J2 |
長良川 (岐阜市) |
20,000 | 6,644 | 139,526 | 24.4 | 131 | |
31 | 水戸 J2 |
Ksスタ (水戸市) |
12,000 | 6,087 | 127,824 | 15.7 | 84 | |
32 | 北九州 J3 |
ミクスタ (北九州市) |
15,066 | 6,049 | 102,831 | - | 107 | |
33 | 鹿児島 J2 |
白波スタ (鹿児島市) |
12,571 | 5,785 | 121,493 | 12.1 | 27 | |
34 | 徳島 J2 |
鳴門大塚 (鳴門市) |
16,599 | 5,736 | 120,460 | 7.0 | 135 | |
35 | 山口 J2 |
みらスタ (山口市) |
15,115 | 5,653 | 118,718 | 9.9 | 212 | |
36 | 熊本 J3 |
えがおS (熊本市) |
32,000 | 5,533 | 94,065 | - | 106 | |
37 | 東京V J2 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 5,371 | 112,789 | 9.1 | 178 | |
38 | 金沢 J2 |
石川西部 (金沢市) |
20,261 | 5,209 | 109,386 | 15.2 | 69 | |
39 | 栃木 J2 |
栃木グ (宇都宮市) |
15,589 | 5,148 | 108,105 | 13.9 | 115 | |
40 | 琉球 J2 |
タピスタ (沖縄市) |
10,189 | 4,953 | 104,009 | 24.2 | 10 | |
41 | 町田 J2 |
町田 (町田市) |
16,033 | 4,718 | 99,077 | 8.7 | 108 | |
42 | 愛媛 J2 |
ニンスタ (松山市) |
21,401 | 3,780 | 79,373 | 26.4 | 56 | |
43 | 群馬 J3 |
正田スタ (前橋市) |
15,253 | 3,594 | 61,098 | - | 43 | |
44 | 長野 J3 |
長野U (長野市) |
15,491 | 3,000 | 51,006 | - | 46 | |
45 | 相模原 J3 |
ギオンス (相模原市) |
15,300 | 2,879 | 48,940 | - | 35 | |
46 | 富山 J3 |
富山 (富山市) |
25,250 | 2,737 | 46,535 | - | 28 | |
47 | 沼津 J3 |
愛鷹 (沼津市) |
5,104 | 2,470 | 41,992 | - | 16 | |
48 | 鳥取 J3 |
とりスタ (鳥取市) |
16,033 | 2,229 | 37,889 | - | 34 | |
49 | 讃岐 J3 |
ピカスタ (丸亀市) |
30,099 | 2,112 | 35,906 | - | 74 | |
50 | 八戸 J3 |
ダイスタ (八戸市) |
5,124 | 1,760 | 29,919 | - | 7 | |
51 | 藤枝 J3 |
藤枝サ (藤枝市) |
13,000 | 1,740 | 29,581 | - | 8 | |
52 | 秋田 J3 |
ソユスタ (秋田市) |
18,528 | 1,576 | 26,793 | - | 20 | |
53 | 盛岡 J3 |
いわスタ (盛岡市) |
4,946 | 1,368 | 23,249 | - | 9 | |
54 | 福島 J3 |
とうスタ (福島市) |
21,000 | 1,242 | 21,115 | - | 12 | |
55 | YS横浜 J3 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 1,095 | 18,617 | - | 14 |
ユニフォーム
[編集]1993年から1996年までは「ミズノ」が全クラブのユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)を一括して受け持っていた。ただ、その契約はリーグ戦のみの契約だったので、天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して、カップ戦用のユニフォームを着用していた。全面的にミズノと契約したクラブの場合、チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と、他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった。またリーグ戦とカップ戦(チームによってはJリーグカップ・天皇杯など大会ごとにも)でユニフォームスポンサーが異なることもあった他、天皇杯や海外のクラブとの試合などでは、当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号や、選手名を入れたユニフォームがあった。
1997年にはこれまでの「ミズノ」に加えて、「アンブロ」・「アディダス」・「プーマ」(ヴェルディ川崎は自主制作という形で「ナイキ」)が新たなユニフォーム・サプライヤー(これもリーグ戦限定)として加わり、1998年からは事前にJリーグとユニフォーム・サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って、各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった[126]。
3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが、現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している。また、Jリーグ事務局長の事前承認があれば、「ユニフォーム使用計画」に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる。なお、Jリーグ年間王者のクラブは、金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。
国内公式戦(リーグ、リーグカップ、天皇杯)では、ユニフォームの前面胸部と、背番号上部、左袖、トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている。2016年からは背番号下部、2018年からは前面鎖骨部(左側および右側)に関してもスポンサーを付けることが認められたが、これ以前にもFC東京とガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある[127]。
2021年シーズンから、視認性の確保(特にカラーユニバーサルデザインの観点から)を目的として、ユニフォームに用いる背番号・選手名表記のフォント及び配色がJリーグ全体で統一された[128]。統一フォントはカールスバーグのビジュアルデザインなどを手がけたデンマークのコントラプンクト社が制作したオリジナルフォントの「J.LEAGUE KICK」(ジェイリーグ・キック)で、フォントで使用可能な色も白・青・赤・黒・黄の5色に指定された。なお、2023年シーズンをもって全チーム統一での使用は終了。2024年シーズンからは各クラブが4年ぶりに独自のフォントを採用するほか、一部チームは引き続き「J.LEAGUE KICK」を使用する。
2024シーズンユニフォーム・サプライヤー
[編集]サプライヤー | 使用クラブ | ||
---|---|---|---|
J1 | J2 | J3 | |
アシックス | 神戸 | - | 今治 |
アディダス | 町田 / 横浜FM / 新潟 | 仙台 | 松本 |
アスレタ | 東京V | 秋田 / 栃木 | - |
アドミラル | 磐田 | - | - |
アンダーアーマー | - | いわき | 大宮 |
アンブロ | - | - | 相模原 / 北九州 |
ケレメ | - | 群馬 | 岩手 |
ゴル | - | 藤枝 | - |
ゴールドウイン | - | - | 富山 |
サッカージャンキー | - | 水戸 | 鳥取 |
JOGARBOLA | - | 愛媛 | - |
スクアドラ | - | - | 奈良 |
スフィーダ | - | - | 琉球 |
ナイキ | 鹿島 / 浦和 / 広島 | - | - |
ニューバランス | FC東京 / 鳥栖 | - | - |
ヒュンメル | G大阪 | 千葉 | 八戸 / 福島 / 金沢 |
フィンタ | - | 山口 | - |
プーマ | 川崎 / 京都 / C大阪 | 横浜FC / 清水 / 熊本 / 大分 | - |
ペナルティ | 湘南 | 山形 / 岡山 | 長野 / 沼津 |
ボネーラ | - | - | YS横浜 / FC大阪 |
マクロン | - | 長崎 | - |
ミズノ | 札幌 / 名古屋 | 甲府 / 徳島 | - |
ヨネックス | 柏 / 福岡 | - | 宮崎 |
ラッツォーリ | - | - | 岐阜 |
なし[注釈 49] | - | 鹿児島 | 讃岐 |
背番号
[編集]1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが、1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された[130]。
2004年には欠番の解禁など規約が一部改定されたことで特定の番号(12が多い)をクラブ公式にサポーターズナンバーとし欠番とするクラブが出てきた。
2018年5月30日、Jリーグの理事会が開催され、シーズン途中の背番号変更が可能となり、同日から適用された[131]。初適用者は当時ヴィッセル神戸の三田啓貴で、8から7へ変更となった。
2023年シーズン現在の主な規約内容は以下の通り。
- 背番号0は不可。
- 背番号1はゴールキーパー、背番号2から11まではフィールドプレーヤーが付けなければならない。
- 背番号12以降は、99まではポジションとは無関係に自由に付けることができる。
なお、2022年シーズンまではユニフォーム要項で「50までは欠番を認める。ただし、51からは連番で番号をつけることとし、欠番は認めない」と定めていた[132]。
なお、変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある。
固定背番号導入当初、天皇杯では、Jリーグへの届け出とは別に背番号を登録したため、リーグ戦と異なる背番号を着用した例がある。
公式試合球
[編集]Jリーグの試合では、Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球(公式試合球)が使用されている。なお、1993年の開幕戦でヘニー・マイヤー(V川崎)が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に、ガラスケースに入れて保存されている[133]。
年度 | 公式試合球 |
---|---|
1993年 | エトルスコ・ユニコ |
1994年 | |
クエストラ | |
1995年 | |
1996年 | |
1997年 | |
1998年 | トリコロール |
1999年 | |
2000年 | |
2001年 | ガマラダ |
2002年 | フィーバーノヴァ |
2003年 | |
2004年 | ロテイロ |
2005年 | |
2006年 | チームガイスト |
2007年 | |
2008年 | チームガイストII |
2009年 | テラパス |
2010年 | ジャブラニ |
2011年 | スピードセル |
2012年 | タンゴ12[134] |
2013年 | カフサ タンゴ12コトホギ[135] |
2014年 | ブラズーカ[136] |
2015年 | コネクト15[137] |
2016年 | エレホタ[138] |
2017年 | クラサバ[139] |
2018年 | テルスター18[140] |
2019年 | コネクト19[141] |
2020年 | ツバサ[142] |
2021年 | コネクト21[143] |
2022年 | コネクト21[144] → アル・リフラ[145] |
2023年 | オーシャンズ[146] コトホギ30[147] |
2024年 | コネクト24[148] |
指導者資格
[編集]第1種チーム(トップ)の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導することとされている。但し、不測の事態が認められた場合には、S級ライセンスを持たないコーチがコーチ資格のまま実質的な監督役を務めることができる。一例として、2021年に徳島ヴォルティスでダニエル・ポヤトスの代理として10試合の指揮を執った甲本偉嗣は当時S級ライセンスを保有していなかった[149]。
一方、第1種チーム(サテライト)は同A級(以上)指導者ライセンス保持者、第2種以下は同B級(以上)ライセンス保持者が監督を務めることが出来る。
審判員
[編集]日本サッカー協会に登録された1級審判員の中から推薦、決定されJリーグ担当審判員となる。2021年シーズンの場合、主審担当者が59名、副審担当者が99名[150]。この中には日本サッカー協会の認定したプロフェッショナルレフェリー (PR) がおり、審判員としての報酬のみで生計を立てている。
2020年シーズンからJ1全試合においてビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR) が導入されることが決まっていた[151] ものの、新型コロナウイルスの影響により実施が見送られた。しかし、その後2021年からVARの導入が決まった[152]。
フラッグ
[編集]毎試合、Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ(旗)が掲げられる。フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし、自クラブのロゴタイプやエンブレムが入っていることが一般的である。また、Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか、選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する。なお、リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり、通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている。
- 背景は「白」を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
- 背景は左側から黒で縁取られた「緑」「白」「赤」を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
音楽
[編集]特に規約では規定されていない[注釈 50]ものの、リーグ戦では一部クラブ除き選手入場時にアンセムが流れる。1993年のJリーグ開幕時、Jリーグ公式テーマソング「J'S THEME(Jのテーマ)」をTUBEのギタリスト春畑道哉が制作し、開幕のオープニングセレモニーで演奏した。Jリーグに関するイベントやスタジアムなどで使用されている。また、岸利至の作曲によるJリーグの公式アンセム「THE GLORY」も存在し、一部のクラブでアンセムとして使用しているが、多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを作成し、入場時に流している。
なお、Jリーグ開幕30周年の企画として、2023年5月15日のJリーグ開幕30周年を迎えるのを機に、RADWIMPSが、新しいアンセムを制作することになった[154]。
ルヴァンカップは専用のアンセム(作曲:☆Taku Takahashi)を使用する。
年度 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 | |
---|---|---|---|---|---|
公式テーマソング | 1993年 | J'S THEME | - | 春畑道哉(TUBE) | |
J'S BALLAD | |||||
公式アンセム | 2003年 | THE'GLORY | 岸利至 | 岸利至 | |
2023年 | 大団円 feat.ZORN | 野田洋次郎、ZORN | 野田洋次郎 | ||
公式ソング | 2003年 | 飛躍 | 安岡優 | 村上てつや | 小西貴雄 |
スローガン
[編集]年度 | スローガン |
---|---|
1999年 | Join! |
2000年 | |
2001年 | |
2002年 | |
2003年 | |
2004年 | |
2005年 | Amazing,J. |
2006年 | |
2007年 | Will Be 見せたい未来がある。 |
2008年 | Will Be クラブサッカーの世界水準へ。 |
2009年 | 「SHOUT! for SHOOT!」声、枯れるまで。体、果てるまで。 |
2010年 | 極上のライブエンターテイメント |
2011年 | 明日のために 今、走る チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(東日本大震災復興支援スローガン) |
2012年 | |
2013年 | |
2014年 | |
2015年 | |
2016年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-がんばろう熊本・九州(熊本地震復興支援スローガン) |
2017年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(震災復興支援活動を一本化) |
2018年 | |
2019年 | |
2020年 | |
2021年 | |
2022年 | |
2023年 | よっしゃ いこ!(Jリーグ30周年メッセージ) |
アカデミー
[編集]Jリーグに所属するクラブはアカデミー(下部組織、Jリーグの用語では「育成組織」)をもつことを義務つけている。アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され(日本サッカー協会チーム登録種別を参照)、Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する。
マスコットキャラクター
[編集]Jリーグ
[編集]- Mr. ピッチ
- 読み方は「ミスター・ピッチ」。
- 1991年11月1日生まれ、出身地は不明。
- 血液型はJ型。
- 身長は180センチメートル、スリーサイズは上から200・200・200センチメートル、全身を緑の芝生におおわれているのが特徴。
- 好きな色はグリーン。好きな言葉は「地球は青かった」、「石の上にも三年 芝の上にも百年」。
- 趣味はガーデニング。
- 「Jリーグ百年構想メッセンジャー」として、現在は各地で毎年行われている「ファミリーJoinデイズ」や「Jリーグオールスターサッカー」を始め、積極的に様々なイベントなどに出演している。また、各地の試合会場において、試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる。なお、「百年構想」をPRしているポスターや雑誌の広告などでも、彼がモデルを務めている。
- Jリーグキング(J-boy)
Jリーグクラブ
[編集]協賛団体
[編集]Jリーグ(リーグ戦)の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか、新聞や雑誌、放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに「(企業名)はJリーグの○○パートナーです」、あるいは「(企業名)はJリーグを応援しています」のクレジットを掲載できる。また、各所属クラスに関係なく、試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる。
2011年度までの協賛カテゴリーは「オフィシャルスポンサー」と、それ以外のスポンサー(用具サプライヤー、90度システム広告スポンサーなど)とに区分されていたが、2012年度から原則として「○○パートナー」に呼称を統一させており、スポンサー・サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している。
- 全ディビジョン共通
- オフィシャルパートナーの広告設置に関しては、Jリーグ規約[155] 第35条(27ページ)に「スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ、並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業・団体が所定サイズ・及び枚数の広告看板(幕)を設置・掲出できるスペースを確保しなければならない」とする取り決めによるものである。
- 日本スポーツ振興センター(WINNER・toto・BIG、2001年より)、DAZN(2017年より)のトップパートナー[注釈 51] 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている[注釈 52]。なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合[注釈 53] もある。
- 2008年から2013年まで、メインスタンドから見て左側(原則としてホームゴール裏)にオフィシャルサプライヤー(コンタクトレンズ等提供)のジョンソン・エンド・ジョンソンの小型広告が設置されていた。現在はJ1リーグに限り、メインスタンドから見て両ゴール裏にリーグのタイトルロゴとスポーツくじ(WINNER[156])の小型広告がそれぞれ設置されている。
- J1
- 1993年から1995年の2ステージ制時代は、そのステージの冠スポンサー(1st・サントリー、2nd・日本信販)の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列[注釈 54] に2枚ずつの合計4枚、他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた。それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている。2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため、両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり、ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している(球技専用が多い)場合がある[注釈 55]。
- 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた。ただ、導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い。また、2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板(オーロラリボンビジョン)を導入した。主に、NHK-BSの中継対象試合を中心に運用されている。2015年からは回転広告板を廃止した代わりに、電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した。
- 2015年からは、タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚(うち、長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ、コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚)設置されている(J2・J3も同様)。またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚(各ゴール裏1枚ずつ)を設置している。
- J2
- J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった(各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている)が、1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた。なお、2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった。
- J3
- 2014年は、J1・J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており、各会場のバックスタンド最前列[注釈 54]に、タイトル協賛の明治安田生命が4枚、他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板(横断幕)が設置されていた[注釈 52]。2014年のJ3のスポンサーのうち、日本航空以外の各社はJ1・J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが、2015年度からはJ1・J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり、J2同様、大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった(なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1・J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった)。
- Jリーグカップ
- 大会創設時よりヤマザキナビスコ→ヤマザキビスケットの企業ロゴ、および同社商品の広告看板(ルヴァン、チップスター他)が設置されている。なお創設当初からの最初の3年(1992年から1994年)は、予選リーグの試合(1994年は1・2回戦)に限って、ナビスコの広告と一緒に、通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた。
- スポンサースペシャルデー&スペシャルマッチ
- 1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って、Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節・試合を対象としてスポンサースペシャルデー、ないしはスペシャルマッチを開催した。試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した。
協賛団体一覧
[編集]協賛カテゴリー種別 | 契約開始年度 | 協賛団体名 |
---|---|---|
タイトルパートナー | 2015年 | 明治安田[注釈 56] |
オフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2017年 | DAZN[157][158] |
トップパートナー[注釈 51] | 2005年 | アイデム |
2015年 | ルートインホテルズ | |
イオン | ||
2017年 | NTTドコモ[157][159] | |
2018年 | コナミデジタルエンタテインメント[注釈 57] | |
2019年 | いちご | |
リーグカップパートナー | 1992年 | ヤマザキビスケット[注釈 58] |
スーパーカップパートナー | 1994年 | 富士フイルムビジネスイノベーション[注釈 59] |
オフィシャルエクイップメントパートナー | 1993年 | モルテン[注釈 60] |
2005年 | アディダス[注釈 60] | |
スポーツ振興パートナー | 2001年 | 日本スポーツ振興センター(スポーツくじ〔WINNER・toto・BIG〕) |
オフィシャルチケッティングパートナー | 2012年 | ぴあ(チケットぴあ) |
オフィシャルECプラットフォームパートナー | 2017年 | 楽天グループ[160] |
オフィシャルテクノロジーパートナー | NTTグループ[157][159] | |
サポーティングカンパニー | 2003年 | 朝日新聞社 |
2015年 | LINEヤフー(スポーツナビ)[161][162] | |
2017年 | デロイトトーマツ(ファイナンシャルアドバイザリー/コンサルティング)[163] | |
2021年 | データスタジアム | |
IMAGICA GROUP/イマジカ・ライヴ | ||
2022年 | サントリーウエルネス | |
2024年 | ニコン | |
TikTok[164][165][166] | ||
A.T.カーニー | ||
マーケティングパートナー | 2014年 | 電通[167] |
過去の協賛団体一覧
[編集]協賛カテゴリー種別 | 契約期間 | 協賛団体名 |
---|---|---|
ステージスポンサー[注釈 61] | 1993年 - 1995年 | サントリー(第1ステージ・チャンピオンシップ[注釈 62]) |
日本信販(NICOSカード)(第2ステージ) | ||
オフィシャルスポンサー(1993年 - 2011年) →トップパートナー(2012年 - )[注釈 51] |
1993年 - 1995年 | 岡三証券 |
資生堂 | ||
日清製粉 | ||
ボブソン | ||
ミズノ | ||
1996年 - 1997年 | アンブロ | |
1994年 - 1998年 | 日本生命 | |
1996年 - 1998年 | 第一勧業銀行 | |
1993年 - 1999年 | 小学館 | |
1999年 - 2001年 | 日本コダック | |
2000年 - 2001年 | 光通信 | |
トライグループ(家庭教師のトライ) | ||
1999年 - 2003年 | 武富士 | |
1993年 - 2004年 | ダイエーコンビニエンスシステムズ→ローソン[注釈 63] | |
1993年 - 2007年 | サントリー | |
日本信販→三菱UFJニコス(NICOSカード) | ||
1994年 - 2007年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2005年 - 2007年 | 平和[168] | |
GEコンシューマー・ファイナンス(GE Money)[169] | ||
2008年 - 2010年 | マイラン製薬 | |
レオパレス21 | ||
プレナス | ||
2011年 | 東京エレクトロン | |
2011年 - 2013年 | 日本マクドナルド | |
1993年 - 2014年 | カルビー | |
2009年 - 2015年 | 日本コカ・コーラ | |
2012年 - 2015年 | ジェーシービー | |
2015年 - 2016年 | コロプラ | |
ECC | ||
2016年 - 2018年 | タグ・ホイヤー | |
1996年 - 2019年 | キヤノン/キヤノン販売→キヤノンマーケティングジャパン | |
2014年 - 2019年 | 明治安田生命 | |
2017年 - 2020年 | マスターカード[170] | |
2016年 - 2022年 | エレクトロニック・アーツ(EAスポーツ) | |
90°システム広告スポンサー[注釈 64] | 2002年 - 2007年 | サントリー |
2008年 - 2009年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2004年 - 2010年 | NTTコミュニケーションズ(OCN) | |
2009年 - 2012年 | 日本コカ・コーラ[注釈 65] | |
百年構想パートナー | 2003年 - 2022年 | 朝日新聞社 |
ワールドチャレンジスポンサー | 1994年 - 1997年 | 三和銀行 |
オールスターサッカースポンサー | 1993年 - 1998年 | 日本コダック |
1999年 - 2001年 | たらみ | |
2002年 - 2007年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
ドリームマッチスポンサー | 1995年 - 2001年 | ジャパンエナジー(JOMO) |
ネットワークパートナー | 2002年 - 2010年 | 東日本電信電話 |
西日本電信電話 | ||
オフィシャルサプライヤー | 2008年 - 2013年 | ジョンソン・エンド・ジョンソン ビジョンケア カンパニー |
オフィシャルタイムキーパー | 2019年 - 2020年 | タグ・ホイヤー |
フェアプレーパートナー | 2012年 - 2014年 | 東京エレクトロン |
オフィシャルVAR・フェアプレーパートナー | 2020年 | トップ[171] |
アソシエイト[注釈 66][172] | 2015年 | 日本航空[172][注釈 60] |
アライアンスマーケティングパートナー | 1993年 - 2013年 | 博報堂DYメディアパートナーズ |
博報堂 | ||
オフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2007年 - 2016年 | スカパーJSAT |
J2サポーティングカンパニー | 2002年 - 2003年 | 大日本印刷 |
スポーツ振興くじ販売代理 | 2023年 | 楽天グループ(楽天toto) |
※2014年のJ3リーグに設定されていた独自の協賛スポンサーについてはJ3リーグ#協賛団体参照。 |
海外の提携リーグ
[編集]- タイ・プレミアリーグ(2012年2月、パートナーシップ協定締結)
- ベトナムサッカーリーグ(2012年8月、パートナーシップ協定締結)
- ミャンマーサッカーリーグ(同上)
- カンボジア・リーグ(2013年5月、パートナーシップ協定締結)
- Sリーグ(2013年6月、パートナーシップ協定締結)
- インドネシア・スーパーリーグ(2014年1月、パートナーシップ協定締結)
- イランサッカーリーグ(2015年1月 - 2017年、パートナーシップ協定締結)
- マレーシア・スーパーリーグ(2015年2月、パートナーシップ協定締結)
- カタール・スターズリーグ(2015年5月、パートナーシップ協定締結)
- Aリーグ(2016年5月、戦略的連携協定締結)
- ラ・リーガ(2017年6月、戦略的連携協定締結)
諸問題
[編集]自治体との関係
[編集]Jリーグは入会を希望するクラブに対して「地域との協力関係およびホームスタジアム、練習場等に関する調査」を行うことになっており(Jリーグ規約第17条)、加えて各クラブがホームタウンと定めた自治体から「全面的な支援が得られること」を求めている(Jリーグ規約第24条第1項第1号)。
また、Jリーグ全60クラブのホームスタジアムの多くは地元自治体が資金拠出して整備し保有する「公設公営」のスタジアムでありながら、Jリーグのホームスタジアムとして利用する際にはクラブライセンス制度に基づいて一定以上の設備要件(屋根の設置、規定数以上のトイレの確保、など)を求めており、老朽化や設備不備に伴うスタジアムの更新に自治体側が難色を示したり[173]、自治体によるスタジアム整備が進まないことでライセンス剥奪の可能性が取り沙汰される事態も生じている[174]。また、ライセンス基準を念頭に整備されたスタジアムにおいても、クラブの成績不振などを遠因として収益が見込めず建設費用の償還が行政の負荷になっているのではないかとの意見もある[175]。
こういった点から、Jリーグ(クラブ)の運営がホームタウンとなっている自治体の拠出する税金に依存しているとの批判があり、インターネット上などで「税リーグ」などと揶揄される状況となっている[176][177]。
こうした中、全日本空輸 (ANA) のシンクタンク・ANA総合研究所の主席研究員・廣岡信也は2024年8月30日付けで「Jリーグは誰のものか」というレポートを公開[178]。この中で、前述のとおりスタジアムの多くが地元自治体が整備したものであること、ライセンスに関する諸問題があることを踏まえ、「Jリーグの基準を満たすためには屋根を設置するなどコストが掛かる。反面、専用球技場であれば芝の養生のために使用頻度は限られ、多くの収入を見込めないばかりか市民が使用する機会もかなり制限されてしまうのである。これでは本当に(Jリーグクラブのスタジアム整備のために)税金を投入する価値があるのであろうか」と述べ、用地面や費用面、稼働率などの面で優れた「費用対効果の良いBリーグの支援(≒アリーナの整備)を優先させる可能性は高い」と述べている。
一方で、スポーツ庁と経済産業省による「スタジアム・アリーナ改革ガイドブック」[179]で示した「スタジアム・アリーナ改革の全体像」によれば、スタジアム・アリーナの新築、改築、改修においては資金面やリスクの観点から公的な資金の提供が不可欠としつつ、民間活力の活用による多様な事業方式(PFI、コンセッション、公設民営など)・資金調達方式を活用・充実させることが必要と述べ、併せてスポーツで稼いだ収益をスポーツへ再投資することを促し、地域経済とスポーツ関係者が連携しつつ自律的に成長を遂げるための資金循環のシステムを実現することが必要と述べており、スタジアム整備に当たって自治体の関与を必要としつつも、特に資金面に於いて新たな手法の導入を推進している。
選手の海外移籍とJリーグの「空洞化」
[編集]かつて選手の海外移籍は、日本代表クラスの選手でも中心選手に限られていたが、2010年代に入ると日本人選手の海外移籍が増加していき、その流れが加速した末、Jリーグを経ずに海外クラブに加入する事例も生じている。こうした結果、Jリーグ全体でいわゆる「働き盛り」の選手層が薄くなり、Jリーグの「空洞化」を招いているのではないかと複数の関係者から指摘されている[180][181][182]。
今後の課題と展望
[編集]Jリーグは2021年4月6日に行われた実行委員会後の記者会見で、リーグの将来像を議論する「リプランニング推進チーム」を2021年4月1日付で創設したことを明らかにした[183]。専務理事の木村正明が中心となって推進するもので、以下の項目について実現可能性の模索、前提となる研究分析を検討していくことが示されている。
- 選択と集中の意思決定が必要だが、実現可能性を模索したいもの
-
- 視聴拡大のための体制強化
- リーグ内組織の最適化による、さらなる価値向上(人材リソースの最適化)
- toC戦略の確実な実行(来場者に対する伝える中身・伝える方法)
- クラブ&企業マッチング機能の充実
- 23区スタジアム(ロンドンのウェンブリー・スタジアムのような、中立地として使えるスタジアムを整備する構想)
- 思想レベルの意識転換が必要で、前提となる研究分析を継続するもの
このうち、「リーグ構造の見直し」に関しては、2014年の時点でJ1・J2・J3の合計クラブ数の上限を60と設定していることを明らかにし、J3クラブが20クラブに達した時点で以降の形をどのようにするかを検討する内容で2021年9月末までに結論を出す意向であることを明らかにしており[183][184]、一部メディアが報じた、J1リーグよりも上位に位置するいわゆる「プレミアリーグ」を設置する構想[185] については、意見としてはあるものの「一切議題には入っていない」と否定している[183]。
また、『上場も考慮した資本流動性の研究』の一環として、「株式異動に関わるルール・規則」については、2022年2月28日にオンラインで行われたJリーグ理事会で決議され、2022年3月1日付で改定された[186][187]。この改定では、現状不可能であるサッカークラブの株式上場がJリーグの新しい成長戦略として挙げられ、資本力のある投資家を呼び込み、クラブの経営管理体制を強化するといったJリーグ自体の発展に加え、価値の向上に反映させていくことが目的とされる一方で、インテグリティの観点によって、サッカークラブの株式保有の禁止対象について、再定義させることになったもの[186]。また、15%未満の保有株式が移行した場合に、Jリーグへの報告義務は廃止となるが、敵対的買収や反社会的勢力などの不適切な株主への対策の一環として、15%以上保有する大口の株主の場合はJリーグの方で審査を行うことになった[187]。
2022年11月15日に、Jリーグは、新たな成長戦略として「58クラブが、それぞれの地域で輝く」と「トップ層が、ナショナル(グローバル)コンテンツとして輝く」という2つの成長テーマを掲げ、その上で、「配分金構造の見直し」と「リーグ組織のガバナンス改革」という、2つの「成長戦略を実現するための構造改革」を行うことを明らかにした[188]。「成果創出を後押しし、高みへの挑戦を促す新たな配分ルールへ」を目的とした「配分金構造の見直し」に関しては、「カテゴリー間の配分比率の見直し」と「同一カテゴリー内の配分方法の見直し」を掲げ、また、「リーグ組織のガバナンス改革」に関しては、「より質の高い議論とスピーディーな意思決定を実現する会議のあり方へ」を目的とした「会議等の意思決定構造の見直し」として「理事会の見直し」と「実行委員会の見直し」を掲げ、そして、「クラブの成果創出を実現できる執行体制の強化」を目的とした「リーグ執行機関の組織構造の見直し」として「執行役員の新設」と「変動報酬制の導入」、それに、「経営会議の新設」を掲げている[188]。
関連項目
[編集]- 日本サッカーのリーグ構成 (1種)
- ファミリーJoinデイズ
- 譲渡試合
- プレシーズンマッチ
- 日本のダービーマッチ
- 地域密着
- ホームタウン
- プロフェッショナル (サッカー)
- 日本のサッカー選手一覧
- 日本プロサッカー選手会
- 特別指定選手
- 社員選手
- レンタル移籍
- 外国人枠 (サッカー)
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- スポーツ振興くじ(toto、サッカーくじ)
- AFCチャンピオンズリーグにおける日本のサッカークラブ#出場クラブと成績
- 「Jリーグ」で始まるページの一覧
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ リーグの定める「用語集(ターミノロジー)」[1] では、「Jリーグ」の語を含め、日本語表記において「J」を全角の「J」を用いることと定めているが、Wikipediaにおいては表記ガイドに基づき半角で表記する。
- ^ リーグカップはその前年の1992年から始まっている
- ^ 2014年度までJ1・J2のリーグ戦の呼称についてはJリーグ定款でそれぞれ「Jリーグ ディビジョン1」「Jリーグ ディビジョン2」と表記されていたが、2015年よりそれぞれ「J1リーグ」「J2リーグ」に改める。なおJ3については、初年度の2014年から正式な呼称として「J3リーグ」を採用している[2]。
- ^ リーグ発足当初はリーグエンブレムも別デザインのものが用いられていたが、2022年12月20日より、J1・J2のリーグエンブレムと同様のデザインに統一された[3]。
- ^ 2016年から2020年まではこれと別にJ3に参加するJ1クラブのU-23チームが3チーム存在した。
- ^ 「活性化委員会」の提唱は森健兒[出典 14]。設置時の名称は「JSL活性化委員会」である。現在これを「JSL第一次活性化委員会」と呼ぶのは、川淵が森の後、総務主事に就任し、森らに倣い再開させたものを「第二次活性化委員会」と名付けたため、森が総務主事だった時代に開催されたものを後に「"第一次"活性化委員会」と分けて呼ぶようになった[50]。「第一次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三の他、森と木之本が、石井義信、森孝慈、小倉純二、村田忠男(JFA)、浅野誠也(読売)、杉山隆一、佐々木一樹[28]の7人を選んだ[出典 15]。委員長には森健兒が就くのが自然だったが、森は名古屋転勤で忙し過ぎたためとバランスや企業説明を考え、森が小倉純二を委員長に指名した[出典 16]。「活性化委員会」は、短期間に6回の会合をもち、日本リーグの現状分析、他国のプロリーグの調査、日本にプロリーグをつくる可能性を模索した[42]。
- ^ この10ヵ月後にまとめられた「第二次活性化委員会」の報告書もこれを踏襲し、これがほとんどそのままJリーグの骨格となる[58]。
- ^ 「第二次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三を含む、「第一次活性化委員会」と同じメンバー9人と、プロ化に乗り気でないチームの実行委員・阿部豊(NKK)、有村宏三郎(ヤンマー)、泉信一郎(全日空)に、川淵を加えた13人で[出典 21]、「第二次活性化委員会」でも委員長には引き続き川淵が小倉純二を指名した[出典 22]。「第二次活性化委員会」は「第一次活性化委員会」が出した結論をさらに検討させた[出典 23]。川淵は、当時の日本リーグのレベルが低いばかりでなく、アンフェアなプレーが横行していたこともあり、当初はリーグのプロ化には反対だった[出典 24]。しかし「活性化委員会の真剣な議論に参加しているうちに、根本的な改革が必要であることを思い知り"失うものは何もない"とプロ化推進に傾いていった[出典 25]。「第二次活性化委員会」は1988年10月3日から翌1989年3月13日まで8回の会合を開き「1992年スペシャルリーグ・スタート」という提案を出して解散、以後の検討をJFAの「プロリーグ検討委員会」に委ねた[出典 26]。
- ^ 「JSL評議委員会」は、JSLの最高議決機関。主に加盟チームが自ら選出した評議員で構成されていた。親会社で立場のある取締役クラスの人が選出されることが多く、会社の意向を尊重する傾向があった[34]。「第一次活性化委員会」~「第二次活性化委員会」のメンバーは、各チームを実質的に切り回していた人たちではあったが、親会社に戻れば会社の経営方針に直接タッチできる役職には就いていなかった[48]。「JSL評議委員会」の議長は日産自動車副社長の細川泰嗣。他のメンバーも各チームの代表者であり、親会社での地位は「活性化委員会」のメンバーよりはるかに上だった[48]。
- ^ JFA内に「プロ対策本部」(本部長は長沼健)が作られ[出典 32]、1990年10月、その中に「プロリーグ検討委員会」(委員長は川淵三郎)が設置された[出典 33]。「プロリーグ検討委員会」は1991年1月まで6回の会合を重ね、リーグ参加条件の決定、当該団体への参加意思確認とヒアリング、アドバイザーボードの開催などを行う[出典 34]。
- ^ 1991年11月1日、新リーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」として法人化されることが決定した[出典 37]。
- ^ 「Jリーグ」という名称の提案は、当初 Jipang League(ジパング・リーグ)の略称として提案された[66]。
- ^ 未出場の国がワールドカップのホスト国となった先例はなかった。
- ^ ロゴ等で用いられている表記は「明治安田生命 J.LEAGUE」
- ^ ロゴ等で用いられている表記は「明治安田 J.LEAGUE」
- ^ 八戸市、十和田市、五戸町、三戸町、田子町、南部町、おいらせ町、階上町、新郷村、三沢市、七戸町、六戸町、東北町、野辺地町、横浜町、六ヶ所村
- ^ 盛岡市、北上市、宮古市、大船渡市、花巻市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、滝沢市、雫石町、葛巻町、岩手町、紫波町、矢巾町、西和賀町、金ケ崎町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町
- ^ 秋田市、由利本荘市、にかほ市、男鹿市、潟上市
- ^ 福島市、会津若松市、伊達市、国見町、桑折町、川俣町
- ^ いわき市、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、葛尾村、浪江町
- ^ 鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市
- ^ 水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村
- ^ 2013年に退会し2014年に再加盟。
- ^ 平塚市、厚木市、伊勢原市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、平塚市、藤沢市、大磯町、寒川町、二宮町、鎌倉市、南足柄市、大井町、開成町、中井町、箱根町、松田町、真鶴町、山北町、湯河原町
- ^ 相模原市、海老名市、座間市、綾瀬市、愛川町
- ^ 松本市、安曇野市、山形村、塩尻市、大町市、池田町、生坂村、箕輪町、朝日村、高森町、麻績村
- ^ 長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市
- ^ 新潟市、聖籠町、長岡市、三条市、柏崎市、新発田市、小千谷市、加茂市、十日町市、見附市、村上市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、南魚沼市、胎内市、弥彦村、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、刈羽村、関川村、粟島浦村
- ^ 金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町
- ^ 御前崎市、菊川市、掛川市、袋井市、森町、磐田市、浜松市、湖西市
- ^ 藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町
- ^ 京都市、宇治市、城陽市、京田辺市、向日市、長岡京市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市、精華町
- ^ 吹田市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、摂津市、箕面市
- ^ 鳥取市、倉吉市、米子市、境港市
- ^ 山口市、下関市、山陽小野田市、宇部市、防府市、周南市、美祢市、萩市、下松市、岩国市、光市、長門市、柳井市、周防大島町、和木町、上関町、田布施町、平生町、阿武町
- ^ 徳島市、鳴門市、美馬市、吉野川市、小松島市、阿南市、松茂町、板野町、藍住町、北島町
- ^ a b c d 1992年から1995年に「特別活動地域」として九州地方の3県をホームタウンとほぼ同権限の地域と位置づけた。
- ^ 仙台・山形・大宮・FC東京・川崎・甲府・新潟・鳥栖・大分の9クラブ。
- ^ JFLから9クラブ(秋田・福島・町田・相模原・YS横浜・長野・金沢・藤枝・琉球)、地域リーグ(東北リーグ)から1クラブ(盛岡)。
- ^ 2017年と2018年の成績による支給分は1年目10億円、2年目4億円、3年目1.5億円
- ^ 2017年と2018年の成績による支給分は1年目4億円、2年目2億円、3年目1億円
- ^ このときは横浜Mが三ツ沢、横浜Fは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった。
- ^ ゴールデンウィーク・お盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日。
- ^ ラグビーワールドカップの影響で8連続アウェイゲームとなった2019年のFC東京など。
- ^ 開幕から4連続アウェイゲームとなった2021年の秋田など。
- ^ 10歳以下は調査対象外となっている。
- ^ 2009年までは、60歳以上の区分はなく、50歳以上に合わせて集計されていた。
- ^ 平均入場者数がスタジアムの収容人数を上回るのは、エコパでの開催分があるため
- ^ 特定ブランドとのサプライヤー契約では無く、株式会社Jリーグ、三菱商事ファッション株式会社が共同で取り組むユニフォーム協働制作プロジェクトANGUA。なお初の同プロジェクト製作のユニフォーム使用クラブとなる[129]。
- ^ Jリーグの試合実施要項[153] 第4条第2項で「ホームクラブは、試合の前後およびハーフタイムに、次の各号の事項を行うことができる」とあり(第3号に「音楽放送」の記述あり)、必ずしも義務づけられているわけではない。
- ^ a b c 2011年までのオフィシャルスポンサーに当たるリーグ戦最上位スポンサーカテゴリー(なお2015年度からは明治安田生命保険がJリーグ全体のタイトルパートナー(特別協賛)に就任するため、スポンサーカテゴリーとしてはタイトルパートナーが最上級、トップパートナーはその次のクラスに当たる)。
- ^ a b J3に関しては2014年度にJ3独自のオフィシャルパートナーがあった名残で、日本スポーツ振興センター、スカパーJSAT、アディダスジャパンの広告はバックスタンド最前列に2枚ずつ張り付けてある
- ^ 2014年予選ではコカコーラ、コナミ(ウイニングイレブン)、東京エレクトロンの3社。
- ^ a b 陸上競技場の場合は、バックスタンドはトラック部分、ゴール裏はフィールド競技が行われる箇所に設置
- ^ 陸上競技場は場所によってバックスタンド一列で掲示する場合もある
- ^ 2014年度はJリーグ全体のトップパートナーであるとともに、J3リーグのタイトルパートナー(特別協賛)であったが、2015年度はJリーグ全体のタイトルパートナーに昇格させた(Jリーグチャンピオンシップを含む。トップパートナー契約は2019年まで兼任)。
- ^ 1999年から2014年まで以来のトップパートナー復帰
- ^ 2016年8月までの社名は「ヤマザキナビスコ」。
- ^ 2021年3月までの社名は「富士ゼロックス」。
- ^ a b c 2014年J3リーグのオフィシャルスポンサーも務めた。
- ^ 公式スポンサー兼務
- ^ 1997年から2004年のチャンピオンシップにおいても冠スポンサーとなっている
- ^ この期間中、関連会社のローソンチケットがJリーグオフィシャルチケットステーションの業務を担当していた。
- ^ 2012年をもって廃止。
- ^ 2015年まで掲出は継続。
- ^ アソシエイトとは、Jリーグ・アンダー22選抜チームと、それが出場するJ3リーグをサポートするための協賛カテゴリーである
出典
[編集]- ^ “用語集(ターミノロジー)”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年1月7日閲覧。
- ^ 『明治安田生命保険相互会社とJリーグタイトルパートナー契約を締結』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2014年12月16日。2024年2月9日閲覧。
- ^ 『明治安田生命とのタイトルパートナー契約更新について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2022年12月20日。2024年2月9日閲覧。
- ^ 『2025/26シーズンAFCクラブ競技会の出場枠について(修正版)』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2023年12月19日。2024年2月9日閲覧。
- ^ a b “About Jリーグ”. Jリーグ.jp. 2017年3月21日閲覧。
- ^ 忠鉢信一 (2013年4月11日). “スポーツの自立を目指して Jリーグ20年”. nippon.com. 2017年3月21日閲覧。
- ^ “正平調 2023年5月16日”. 神戸新聞. 2024年2月11日閲覧。
- ^ 川淵さんが語るレッドブルへの大宮の株式譲渡の件。「企業名は外せ」の真意とは/川淵さんの一番ショックだった思い出「ののチャンネル #33」 - YouTube(Jリーグ公式YouTubeチャンネル)
- ^ “【Jリーグ秘話】川淵三郎が激白「クラブ名から企業外し」はどうやって実現したか「許していたら成功はなかった」”. アサ芸プラス (2024年10月5日). 2024年10月22日閲覧。
- ^ “Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎さん、チーム名へ柔軟な姿勢示しネットざわつく「企業名も認める方向?」「ジェフ許されていた」”. 中日スポーツ (2024年10月2日). 2024年10月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 沿革・歴史JFA|公益財団法人日本サッカー協会
- ^ a b c d 日本リーグの錦の御旗 - 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト、日本サッカー・リーグ50年(11) - 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評、多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕|賀川サッカーライブラリー
- ^ a b c d e f 長沼健 NHK人物録、日本サッカーリーグの創設(上)、オリンピック代表監督からワールドカップ招致まで 40年間を日本協会とともに 長沼健(下)、人の話を聞き、人を働かせ、自らも労をいとわぬ気配りの名手。日本サッカーの大功労者、長沼健さんを偲んで、トヨタカップを呼んだ男たち 第5回 長沼健(Internet Archive)『サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』双葉社、2003年、36-37頁。(Web版サッカー批評(Vol.11) -スポーツナビ2003年9月12日)(Internet Archive)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 夢があるから強くなる ~日本サッカーの国際化を支えて40年~. 講師: 公益財団法人 日本サッカー協会名誉会長 小倉純二氏、情報紙『有鄰』No.412 P3 - 有隣堂
- ^ a b c d e f g h i 大住良之 (2017年10月20日). “三菱重工サッカー部の系譜 VOL.4 森健兒 環境改善の先導者 - We are REDS!”. 三菱重工業. 2018年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月3日閲覧。“戦後の学制改革とスポーツ”. 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評. 2013年5月10日閲覧。野々村芳和 (2022年8月25日). “初代Jリーグ専務理事 森 健兒氏の訃報に接して”. 日本プロサッカーリーグ. 2022年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月27日閲覧。「野々村チェアマン「Jリーグの創設にご尽力いただいた偉大な先輩」J元専務理事・森健児さん追悼」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年8月25日。2022年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。「川淵三郎さん 森健児さん訃報に無念「彼の功績があってサッカーの基礎が築かれた」」『スポーツニッポン』スポーツニッポン新聞社、2022年8月26日。2022年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月25日閲覧。荻島弘一「日本サッカープロ化への礎築いた森健児さん死去、85歳 Jリーグ初代専務理事 幅広く発展に尽力」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年8月25日。2022年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。仙田信吾 (2022年8月26日). “森 健児さんご逝去に寄せて”. サンフレッチェ広島F.C. 2022年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。「森健児さん死去 Jリーグ、日本サッカー協会の元専務理事」『東京新聞』中日新聞東京本社、2022年8月26日。2022年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月31日閲覧。大住良之 (2022年9月3日). “人間性とサッカーの成長につながった広島という土壌【森健兒さんとはどんな人物だったのか(上)】(1)”. サッカー批評web. 双葉社. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月4日閲覧。「びんご人国記ふるさと応援団 日本サッカー協会名誉副会長 森健兒さん (65)」『中国新聞』中国新聞社、2002年10月4日。2002年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月3日閲覧。“日本サッカーのプロ化に尽力…Jリーグ初代専務理事を務めた森健兒氏が逝去”. ゲキサカ. 講談社 (2022年8月25日). 2022年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月27日閲覧。六川亨「六川亨のフットボール縦横無尽 Jリーグを作った男「即断即決のできるリーダー」森ケンさんを悼む」『日刊ゲンダイ』日刊現代、2022年9月2日。2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月4日閲覧。「フォーラムディスカッション第II部 : 汎用モデルとしてのJリーグのビジョン」『スポーツ産業学研究』第7巻第1号、日本スポーツ産業学会、1997年、78頁、CRID 1390001205316917120、doi:10.5997/sposun.7.77、ISSN 13430688、2023年10月13日閲覧。絹見誠司「JFA元専務理事・森健児氏を悼む 「よく取材しているじゃないか」豪快ながらも繊細な人情家だった」『日刊ゲンダイ』日刊現代、2017年1月18日。2022年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月27日閲覧。「Jリーグ創設に尽力した森健兒氏が逝去…旧知の川淵三郎キャプテン、Jリーグ野々村芳和チェアマンが哀悼の意」『超ワールドサッカー』CWS Brains、2022年8月26日。2022年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e f “サッカー” (PDF). Web Japan. 外務省. pp. 1-4. 2017年6月16日閲覧。
- ^ a b c d Jリーグの基礎である日本サッカーリーグ27年間、ラモス瑠偉 オフィシャルウェブサイト、2013年5月16日、“ラモス瑠偉が見た現在の日本代表、足りないものは…”. マイナビ (2017年5月7日). 2017年7月6日閲覧。
- ^ a b c d “私のサッカー人生 岡野俊一郎さんインタビュー 『自分で自分を強くする』” (PDF). 東大LB会. pp. 42–47 (2007年5月24日). 2023年7月30日閲覧。「岡野俊一郎インタビュー」『サッカーファン・ブック '92-'93』日本出版社、1992年、65-77頁。ISBN 4-89048-317-9。
- ^ a b c 伝統の立役者たち 森 孝慈 | 早稲田大学ア式蹴球部、浦和タウンミーティング第3回Special issue 森孝慈さんを偲び。浦和レッズの原点を知る(1)、ARCHIVE:2010.8.9 森孝慈 ラストインタビュー[最終回]森孝慈さんの思い出 - 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評、五輪で共にプレー 釜本氏「あまりにも早い」 ― スポニチ Sponichi、J SPORTS|コラム 【後藤健生コラム】日本代表新監督が決まらないのはなぜか?(Internet Archive)
- ^ 伝説-スポーツ王国日本 歴史を作った者たち- 【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(10)】- nikkansports.com(Internet Archive)
- ^ a b c KIRIN サッカー応援の歴史|サッカー応援|CSV活動|キリン - キリンビール“日本が歩んだ1923ー2017 そして舞台は、2018年ロシアへ ともに走りつづける。倒れてもともに立ち上がる。キリン” (PDF). キリンホールディングス. 2018年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月6日閲覧。“日本が歩んだ1923ー2017 そして舞台は、2018年ロシアへ ともに走りつづける。倒れてもともに立ち上がる。キリン” (PDF). キリンホールディングス. 2028年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月24日閲覧。“キリン×日本代表パートナーシップ40周年 記念トークイベントを実施”. 日本サッカー協会 (2018年12月12日). 2019年1月18日閲覧。勝見壮史「山手線を挟んだご近所の縁 キリン、マイナー時代から支えて44年」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2022年9月21日。2022年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月24日閲覧。「AZrenaキリンとサッカー日本代表、40年の絆。「支援」ではなく「応援」だ!」『毎日新聞』毎日新聞社、2020年6月9日。2020年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月24日閲覧。“【スポーツbiz】キリン、サッカー日本代表の協賛のきっかけは「たまたま…」 語り継がれる逸話 (2/3ページ)”. Sankei Biz. 産業経済新聞社 (2017年9月6日). 2017年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月6日閲覧。
- ^ a b “リーグ25周年記念特設ページ. Jリーグについて語ります. Vol.3 木村和司”. Jリーグ25周年記念特設サイト. 日本プロサッカーリーグ (2018年9月28日). 2018年9月29日閲覧。
- ^ 二宮寿朗 (2018年6月22日). “サッカー日本代表 激闘日誌 漫画家・高橋陽一にとってのサッカー日本代表”. Number Web. 文藝春秋社. 2018年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g “【セルジオ越後】平成の日本サッカーには大きな欠陥があったのではないか”. サッカーダイジェストWeb. 日本スポーツ企画出版社 (2019年4月24日). 2019年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月18日閲覧。セルジオ越後が、日本サッカーをなで斬り! | スポーツ | 東洋経済オンライン
- ^ a b c 『釜本邦茂 蹴球男塾(21))』 ヤンマー電撃入社編(2) デイリースポーツ、2011年11月9日6頁、『釜本邦茂 蹴球男塾(36))』 Jリーグ誕生編(2) デイリースポーツ、2011年11月30日6頁。
- ^ a b c 「創立記念日によせて~【コラム】田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.1~」日本サッカー協会、2016年9月9日。2017年7月6日閲覧。公益財団法人日本サッカー協会 田嶋幸三 副会長と対談インタビュー
- ^ a b c d e f g h i j k 「木之本さん死去を盟友・森健児氏しのぶ「病室でもサッカーの話ばかりだった」」『スポーツ報知』報知新聞社、2017年1月18日。2017年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月16日閲覧。「森健兒氏 「Jリーグをつくった男 木之本興三君を悼む」」『日刊ゲンダイ』株式会社日刊現代、2017年1月18日。2017年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月16日閲覧。NHKプロジェクトX|第85回 2002年4月23日放送-わが友へ 病床からのキックオフ(Internet Archive)、「一時は“余命5年”の宣告、両足を日本サッカー界に捧げた木之本興三氏が死去」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2017年1月18日。2017年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月5日閲覧。田村修一 (2021年11月10日). “「トルシエ監督解任 W杯ベンゲル氏に」朝日新聞やNHKが確定的に報じた《解任》をトルシエはどう切り抜けたのか”. Sports Graphic Number Web. 文藝春秋. 2022年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。宇都宮徹壱「木之本興三が語る真実のJリーグ史」『サッカー批評issue64 - サッカーメディアを疑え!』双葉社、2013年、24-31頁。
- ^ a b c d e 大住良之 (2012年5月31日). “「夢」を実現した軌跡をたどる Jリーグを創った男・佐々木一樹 第1回”. スポーツナビ. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月25日閲覧。
- ^ a b c 豊田真嗣(博報堂DYメディアパートナーズスポーツ事業局局長代理)「連載 『J15年目の輝き』 蹴球熱を創り出せ~J創世記を駆け抜けた男たちの情熱 第3回 【プロリーグ誕生の舞台裏】 Jが生まれた日」『週刊サッカーダイジェスト』日本スポーツ企画出版社、2007年2月20日、100-101頁。
- ^ a b c d e f g #時代の証言者,pp.52-54
- ^ a b c d e f g #日本サッカー狂会,pp.128-132
- ^ #平塚pp.34-40、103-104
- ^ a b #マネジメント,pp.31-32
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 武智幸徳. “川淵三郎、大いに語る”. Number Web. 文藝春秋. 2017年6月15日閲覧。Soccer King - 川淵三郎「日本人にとってサッカーは非常に相性のいいスポーツ~」、【川淵 三郎】色褪せることのない情熱と日本サッカーへの想い Jリーグ誕生の仕掛人| 早稲田大学ア式蹴球部の公式サイト 『我が道 - 川淵三郎(13)』スポーツニッポン、2014年10月13日付。(14)、2014年10月15日付、キャプテン川淵のウィークリーコラム(08.01.25) | JFA | JFA、「リーダー」としての極意と覚悟~川淵三郎氏 | GLOBIS 知見録 - 視る「連載1 日本プロ・サッカーリーグのビジョンと問題点 川淵三郎氏 ―日本サッカー協会プロ準備検討委員長― に聞く プロ・リーグ設立の狙いと構想」『週刊サッカーマガジン 1990年11月号』、ベースボール・マガジン社。
- ^ a b #マネジメント,pp.11-29
- ^ a b c d e f g h i #Jリーグ群像,pp.9-37
- ^ 読売サッカークラブ~東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会 編『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ~ヴェルディの40年』東京ヴェルディ1969フットボールクラブ、2010年、3頁。佐野眞一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』文藝春秋、1994年、491-494頁。ISBN 978-4-16-349460-9。スポーツナビ|サッカー|トヨタカップを呼んだ男たち 第2回 坂田信久(Internet Archive)3月例会報告 -「サロン2002in岡山」 - サロン2002オフィシャルサイト(Internet Archive)
- ^ a b c #Jリーグ創造記,pp.69-73
- ^ a b “世界への挑戦(1)~先駆者~”. 横浜FC (2021年3月11日). 2021年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。
- ^ a b c d e Jリーグの歴史(Internet Archive) Jリーグ、J.League x JFA サッカーで振り返る平成史と未来への展望 - 日本サッカーの歴史 J.League x JFA
- ^ a b #日本サッカー史,pp.229-231、240
- ^ a b c d e f g h i #75年史,pp.51-54、120-121、258-259
- ^ #平塚pp.134-140
- ^ #75年史,pp.126-127、258
- ^ a b 山下幸志朗「【サッカーコラム】カズが明かした激動の平成」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2019年4月30日。2019年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月15日閲覧。「三浦知良インタビュー」『Jリーグ10年の軌跡 1993-2002』ベースボール・マガジン社、2003年、16-21頁。ISBN 4-583-03775-9。
- ^ 二宮清純 (2010年12月10日). “第127回 日本代表監督、こう選んだ<前編>”. SPORT COMMUNICATIONS. 2023年8月30日閲覧。
- ^ #平塚pp.126-131
- ^ a b c d e f g h #虹を掴む,pp.84-89
- ^ a b c d e f g h i #75年史,pp.258-262、268-273
- ^ 「フットボールサミット」議会『フットボールサミット第1回』カンゼン、2010年11月19日、172-179頁。
- ^ #虹を掴む,pp.19-23
- ^ a b #Jリーグ創世記,pp.154-158、170、356
- ^ a b “川崎F・中村憲剛選手とYBC・飯島茂彰社長、ルヴァン杯が結ぶ「接点」【対談】飯島茂彰(ヤマザキビスケット社長)×中村憲剛(川崎フロンターレ選手)”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社 (2017年11月3日). 2017年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。
- ^ a b #平塚p.6、172
- ^ #日本サッカー史,pp.240-241
- ^ a b #Jリーグの経済学,pp.16-19
- ^ a b 「木之本興三の提言 初心 第2節」『サッカー批評issue56』双葉社、2012年、100-101頁。
- ^ #平塚p.184
- ^ a b c d チケットぴあ/JAPANサッカーを支える企業第23回 株式会社スポーツ21エンタープライズ 代表取締役 三ッ谷洋子
- ^ a b c #平塚pp.190-197
- ^ #平塚pp.141-150
- ^ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』ベースボール・マガジン社、116頁。
- ^ #大住後藤,pp.220-222
- ^ a b #マネジメント,pp.32-35
- ^ 日本サッカー史, pp. 240–241.
- ^ a b #プロ制度構築,pp.27-32
- ^ #マネジメント,pp.55-58
- ^ 烏賀陽弘道『Jポップとは何か』岩波書店、2005年、23頁。ISBN 978-4-00-430945-1。
- ^ a b #マネジメント,pp.35-37
- ^ a b #Jリーグの経済学,pp.19-21
- ^ a b #濱口,pp.57-80
- ^ #虹を掴む,pp.35-38
- ^ 長沼健さん、ご逝去 (スポーツ総合研究所 広瀬一郎Blog) (Internet Archive)
- ^ a b c #平塚pp.167-169
- ^ #田崎,pp143-148
- ^ a b #濱口,pp.109-118
- ^ a b c #仮野,pp.58-63
- ^ a b #75年史,pp.18-19、51-54
- ^ 細江克弥 (2019年1月9日). “連載:すべてはアジアカップから始まった…合言葉は「俺たちが歴史を変える」柱谷哲二が語るアジア制覇の記憶 1992年”. スポーツナビ. 2019年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月25日閲覧。
- ^ 飯尾篤 (2013年10月27日). “福田正博 「20年前のドーハは『悲劇』じゃない」”. Web Sportiva. 集英社. 2017年7月6日閲覧。
- ^ 植田朝日 (2018年5月30日). “サッカー日本代表 激闘日誌 植田朝日にとってのサッカー日本代表”. Number Web. 文藝春秋社. 2018年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月19日閲覧。
- ^ 六川亨 (2019年4月28日). “「サッカー専門誌」の平成史 「サッカーダイジェスト」元編集長が明かす“栄枯盛衰物語””. デイリー新潮. 新潮社. 2019年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月15日閲覧。
- ^ #濱口,pp.118-120
- ^ a b c d e f 「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(全20回)」『日刊ゲンダイ』株式会社日刊現代、2006年11月21日~12月18日。 『木之本興三 Jリーグへの遺言(5)』2006年11月28日付、39頁、『Jリーグへの遺言(6)』2006年11月29日付、32頁、『Jリーグへの遺言(13)』2006年12月8日付、33頁、「木之本興三 月刊サッカー通信(6)」『日刊ゲンダイ』株式会社日刊現代、2007年7月2日、33頁。
- ^ #平塚pp.61-63、108-113、124-131
- ^ #虹を掴む,pp.60-65、75-77
- ^ a b 「連載 森健兒 いま沈黙を破る(全15回)」『日刊ゲンダイ』株式会社日刊現代、2007年4月10日~4月28日。『いま沈黙を破る(11)』2007年4月24日付、31頁
- ^ 松原 明、東京中日スポーツ報道部、スポーツアドバンテージ
- ^ a b c d 「『そして独裁者に誰も逆らえなくなった』の異常事態 川淵キャプテン再選の裏で 『追放』『空手形』『降格』『抜擢』が乱舞」『週刊ポスト』2006年8月11日号、小学館、2006年8月11日、52-53頁。
- ^ 『「公益社団法人」への移行について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ。
- ^ “カンボジアリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年6月6日閲覧。
- ^ “シンガポールリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年6月6日閲覧。
- ^ 『2014Jリーグ クラブ編成』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2013年12月17日。2013年12月17日閲覧。
- ^ “インドネシアスーパーリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年1月27日閲覧。
- ^ “イラン・プロフェッショナル・フットボールリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年1月26日閲覧。
- ^ “マレーシア・スーパー・リーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年2月8日閲覧。
- ^ “カタール・スターズリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年6月9日閲覧。
- ^ 『JTLにJリーグが加盟、9競技13団体に』(プレスリリース)、日本トップリーグ連携機構、2016年3月29日。2016年3月30日閲覧。
- ^ 『オーストラリア・Aリーグとの戦略的連携協定の締結について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2016年5月2日。2016年5月2日閲覧。
- ^ 『スペイン ラ・リーガとの戦略的連携協定の締結について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2017年6月22日。2017年6月22日閲覧。
- ^ “2020シーズンJ3リーグへの参加辞退について|FC東京オフィシャルホームページ”. www.fctokyo.co.jp. 2023年2月24日閲覧。
- ^ “2024Jリーグ 大会方式等の変更点について”. Jリーグ. 2023年12月20日閲覧。
- ^ “2024シーズン以降のリーグ構造・大会方式について”. Jリーグ. 2023年2月17日閲覧。
- ^ a b c 『2024 Jリーグ クラブ編成』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2023年12月19日。2024年1月2日閲覧。
- ^ “スタジアム情報一覧”. 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)組織・経営情報. 2024年3月20日閲覧。
- ^ “Jリーグ配分金規程(2022/1/1 改正)”. 日本プロサッカーリーグ 組織・経営情報. 2022年11月19日閲覧。
- ^ a b c d 『2021年度配分金について』(プレスリリース)、公益財団法人日本プロサッカーリーグ、2020年10月13日。2022年11月19日閲覧。
- ^ “J1優勝15・5億円 理念強化配分金の詳細発表”. 日刊スポーツ. 2019年7月16日閲覧。
- ^ 『Jリーグ新たな成長戦略とリーグ組織の構造改革について』(プレスリリース)、公益財団法人日本プロサッカーリーグ、2020年10月13日。2022年11月19日閲覧。
- ^ 参考として、『2015 Jリーグ 日程発表について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2014年12月25日。2016年1月26日閲覧。
- ^ “週末にサッカー観戦ができないすべての人へ。”. 2022年12月25日閲覧。
- ^ 田丸英生「Jリーグと『DAZN』の契約で「サッカーがお茶の間から街に出て行くサービスに」」『サッカーキング』2016年7月20日。2019年1月13日閲覧。
- ^ “年度別入場者数推移”. 日本プロサッカーリーグ. 2024年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Jリーグ スタジアム観戦者調査2013 サマリーレポート (PDF) , p.16, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2014 サマリーレポート (PDF) , p.14, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2015 サマリーレポート (PDF) , p.15, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2016 サマリーレポート (PDF) , p.15, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2017 サマリーレポート (PDF) , p.15, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2018 サマリーレポート (PDF) , p.15, 2024年11月9日閲覧。
- ^ Jリーグ スタジアム観戦者調査2019 サマリーレポート (PDF) , p.15, 2024年11月9日閲覧。
- ^ “Jリーグ観戦体験分析レポート 2023シーズン版”. デロイトトーマツ (2024年7月30日). 2024年11月9日閲覧。
- ^ 大住良之. “J1の入場者数は世界で第6位”. 日本経済新聞. 2013年5月10日閲覧。
- ^ “通算データ - クラブ別入場者数”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年4月11日閲覧。
- ^ “2018 Jリーグ スタジアム観戦者調査 サマリーレポート” (PDF). 日本プロサッカーリーグ. p. 61. 2020年4月11日閲覧。
- ^ “クラブ経営状況、2018年度(平成30年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年4月11日閲覧。
- ^ 中山淳『Jクラブ歴代ユニフォーム完全カタログ 西日本編』えい出版社、170頁。
- ^ 「スポンサー募集! Jリーグユニ背面下部の広告解禁」『日刊スポーツ』2015年12月15日。2015年12月23日閲覧。
- ^ 『Jリーグオフィシャルネーム&ナンバー導入について ~2021シーズンから全クラブの選手番号・選手名の書体統一を決定~』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2020年9月15日。2020年10月13日閲覧。
- ^ 『2021シーズン トップチームユニフォームについて』(プレスリリース)、鹿児島ユナイテッドFC、2021年1月18日。2021年1月19日閲覧。
- ^ “No.180 Jリーグも固定番号制に”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1997年2月17日). 2012年5月2日閲覧。
- ^ Jリーグ背番号変更が可能に スポニチ2018年5月30日
- ^ “GK権田修一57番にユンカー77番、Jリーグ背番号規定改定で99番まで自由選択可能に”. ゲキサカ (2023年1月9日). 2024年2月10日閲覧。
- ^ 『週刊サッカーマガジン 2003年5月27日号』ベースボール・マガジン社。
- ^ 『2012Jリーグ公式試合球として“TANGO 12(タンゴ12)”を使用』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2011年12月19日。2011年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月20日閲覧。
- ^ Jリーグ20周年記念試合球として、5月から1ヶ月弱の期間限定で使用された。
- ^ 『2014Jリーグ公式試合球として『brazuca(ブラズーカ)』を使用』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2013年12月9日。2013年12月9日閲覧。
- ^ 『2015Jリーグ公式試合球として『コネクト15』を使用』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2014年12月9日。2014年12月17日閲覧。
- ^ 『2016Jリーグ公式試合球として『ERREJOTA(エレホタ)』を使用 2016Jリーグヤマザキナビスコカップ 特別デザイン試合球を使用』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2015年12月15日。2016年1月6日閲覧。
- ^ 『2017Jリーグ公式試合球として『クラサバ(KRASAVA)』を使用』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2016年12月13日。2016年12月14日閲覧。
- ^ 『2018Jリーグ公式試合球として『テルスター18(TELSTAR18)』を使用 2018JリーグYBCルヴァンカップ 特別デザイン試合球を使用【Jリーグ】』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2017年12月12日。2023年4月14日閲覧。
- ^ 2019Jリーグ公式試合球として『コネクト19(CONEXT19)』を使用 2019JリーグYBCルヴァンカップ 特別デザイン試合球を使用 公益社団法人日本プロサッカーリーグ 2018年12月12日
- ^ 『2020明治安田生命Jリーグ公式試合球として『ツバサ(TSUBASA)』を使用 2020JリーグYBCルヴァンカップ 特別デザイン試合球を使用』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2019年12月10日。2019年12月23日閲覧。
- ^ 『2021明治安田生命Jリーグ公式試合球として『CONEXT21(コネクト21)』を使用 2021JリーグYBCルヴァンカップでは特別デザイン試合球を使用【Jリーグ】』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2020年12月15日。2021年2月5日閲覧。
- ^ “2022明治安田生命Jリーグ、2022JリーグYBCルヴァンカップ 公式試合球として『コネクト21(CONEXT21) 』を使用【Jリーグ】:Jリーグ.jp”. Jリーグ.jp(日本プロサッカーリーグ). 2022年2月16日閲覧。
- ^ 『2022明治安田生命Jリーグ、2022JリーグYBCルヴァンカップ 公式試合球として『アル・リフラ(AL RIHLA)』を5月21日より使用【Jリーグ】』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2022年5月16日。2022年6月6日閲覧。
- ^ “2023明治安田生命Jリーグ、2023JリーグYBCルヴァンカップ公式試合球として 『オーシャンズ(OCEAUNZ) 』を使用”. 日本プロサッカーリーグ (2023年1月24日). 2023年1月25日閲覧。
- ^ 『Jリーグ30周年記念試合球 『KOTOHOGI 30(コトホギ 30)』~30周年記念マッチより1か月間 2023明治安田生命Jリーグ公式試合球に~』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2023年4月12日。2023年4月12日閲覧。
- ^ “2024明治安田Jリーグ、2024JリーグYBCルヴァンカップ 公式試合球として『コネクト24』を使用”. 日本プロサッカーリーグ (2023年12月19日). 2024年1月9日閲覧。
- ^ “徳島“代役監督”務めた甲本コーチ、10戦4勝でバトンタッチへ「選手に助けられた」”. ゲキサカ (2021年4月14日). 2022年6月11日閲覧。
- ^ 『2021Jリーグ担当審判員決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2021年1月28日。2022年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月23日閲覧。
- ^ 『2020シーズンのビデオアシスタントレフェリー導入試合について』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2019年9月24日。2019年10月1日閲覧。
- ^ 『2021・2022シーズンのビデオアシスタントレフェリー導入試合について【Jリーグ】』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2020年11月17日。2021年12月23日閲覧。
- ^ 2018明治安田生命J1・J2・J3リーグ戦試合実施要項 (PDF) - 日本プロサッカーリーグ、2018年12月10日閲覧。
- ^ “Jリーグ30周年記念企画 RADWIMPSがJリーグの新たな“アンセム”を制作”. 日本プロサッカーリーグ (2023年2月16日). 2023年2月16日閲覧。
- ^ J リーグ規約(平成26年1月21日改正) (PDF) - 日本プロサッカーリーグ
- ^ 2022年8月まではtoto・BIG
- ^ a b c 『Jリーグ、DAZN、NTTグループ 「スマートスタジアム事業」協業契約締結 ~スタジアム・ホームタウンのICT化で、日本のスポーツ界に新たな感動と体験を~』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2016年7月20日。
- ^ 『Jリーグオフィシャルブロードキャスティングパートナー決定』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2017年1月25日。2017年1月29日閲覧。
- ^ a b 『2017年Jリーグトップパートナー&オフィシャルテクノロジーパートナー契約決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2017年6月30日。
- ^ 『JリーグオフィシャルECプラットフォームパートナー決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2017年4月24日。
- ^ 2023年まではYahoo! JAPAN・LINE名義
- ^ 『2015年Jリーグサポーティングカンパニー契約決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2015年11月24日。
- ^ 『2017年Jリーグサポーティングカンパニー契約決定』(プレスリリース)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ、2017年5月25日。2017年6月5日閲覧。
- ^ 『2022年Jリーグサポーティングカンパニー契約決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2022年4月11日。2022年4月28日閲覧。
- ^ 『2023年Jリーグサポーティングカンパニー契約(更新)』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2023年4月6日。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『2024年Jリーグサポーティングカンパニー契約 TikTokとの契約更新が決定〜契約更新を記念し、Effect House Mobileで制作された「ラモス瑠偉なりきりエフェクト」が復活、TikTok LIVEでは「31試合フルマッチライブ」も配信中!〜』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2024年5月14日。2024年5月31日閲覧。
- ^ 『株式会社電通と「Jリーグ マーケティングパートナー」契約に基本合意』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2013年12月17日。2022年4月28日閲覧。
- ^ 『【2005-2007 Jリーグオフィシャルスポンサー】』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2004年12月21日。
- ^ 『GEコンシューマー・ファイナンス株式会社がJリーグオフィシャルスポンサーに決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ。
- ^ 「マスターカード」契約解除 Jリーグスポンサー、今季途中で サッカー 朝日新聞デジタル, 2020年8月12日
- ^ 『2020年JリーグオフィシャルVAR・フェアプレーパートナー契約決定【Jリーグ】』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2020年1月31日。
- ^ a b 『Jリーグ - 2015年Jリーグアソシエイト契約決定』(プレスリリース)、日本プロサッカーリーグ、2015年1月30日。2015年1月31日閲覧。
- ^ 足立朋子「J1湘南の新スタジアム負担「無理」 平塚市長がチェアマンに直訴へ」『朝日新聞』2024年2月29日。2024年10月26日閲覧。
- ^ “秋田や鹿児島、琉球らに“施設基準の例外適用”J1ライセンス…Jリーグは新スタ構想で「一定の進捗を確認」と強調”. ゲキサカ (2024年9月24日). 2024年10月26日閲覧。
- ^ “【街 みらい】北九州市政点検 ミクスタ揺れる成否 ギラ降格で減収、運営費重く”. 西日本新聞 (2018年12月28日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ “「J」の価値、再定義の道 村井満・前Jリーグチェアマン Jリーグ30年を温ねて(4)”. 日本経済新聞 (2023年5月19日). 2024年10月26日閲覧。
- ^ 野々村チェアマンに訊く!「税リーグってよばれてますけど」 - YouTube(ABS秋田放送公式YouTubeチャンネル)
- ^ 廣岡信也『Jリーグは誰のものか』(レポート)株式会社ANA総合研究所、2024年8月30日 。2024年10月26日閲覧。
- ^ “スタジアム・アリーナ改革 ガイドブック <第2版>平成30年12月” (PDF). スポーツ庁・経済産業省. 2024年10月26日閲覧。
- ^ 西部謙司 (2023年10月26日). “Jリーグの空洞化とチーム作り”. スポニチアネックス. 2024年10月26日閲覧。
- ^ 藤木健 (2024年2月23日). “空洞化するJリーグ? 「世界基準」へ、32年目でめざすべき姿は”. 朝日新聞デジタル. 2024年10月26日閲覧。
- ^ 加部究 (2024年9月22日). “次々と欧州へ。日本サッカーのブランド力向上の半面、確実に進むJリーグの空洞化。打開策を見出せなければ、代表との格差はますます”. サッカーダイジェストweb. 2024年10月26日閲覧。
- ^ a b c “東京23区の新スタ構想も! Jリーグが「リプランニング推進チーム」発足、10テーマを議論へ”. ゲキサカ (2021年4月6日). 2021年4月6日閲覧。
- ^ “【独自】Jリーグのクラブ数、上限を60に…競技レベル維持へ拡大路線見直し”. 読売新聞 (2021年8月26日). 2021年8月28日閲覧。
- ^ 「Jリーグ、プレミア化 最上位リーグ新設、外国人枠撤廃など検討「推進チーム」たち上げ」『スポーツ報知』2021年3月30日。2021年4月6日閲覧。
- ^ a b “~上場も考慮した資本流動性の研究~株式異動に関わるルール・規則の改定について”. Jリーグ (2022年2月28日). 2022年3月1日閲覧。
- ^ a b 共同通信「Jリーグ、クラブの株式上場解禁 コロナ苦境加味し緩和」『日本経済新聞』2022年2月28日。2022年3月1日閲覧。
- ^ a b 「Jリーグ新たな成長戦略とリーグ組織の構造改革について」『公益社団法人日本プロサッカーリーグ』2022年11月15日。2022年11月15日閲覧。
出典(リンク)
[編集]- ^ [11][12][13][14][15][16][17]
- ^ [13][14][16][18][19][20]
- ^ [13][14][16][19][21][22][23]
- ^ [12][17][24][25]
- ^ [25][26][27]
- ^ [29][30][31][32]
- ^ [31][33]
- ^ [14][16][21][26][30][34][35][36]
- ^ [15][16][18][27][38][36]
- ^ [11][15][18][22][39][40]
- ^ [13][14][15][31][34][39][41][42]
- ^ [19][31][41][43][44]
- ^ [12][45][46][47][48][49]
- ^ [34][36]
- ^ [51][52]
- ^ [14][35][36]
- ^ [11][13][14][15][16][18][25][26][27][34]
- ^ [30][31][36][38][42][48][53][54][55][56]
- ^ [28][31][36][48][49][54][52]
- ^ [15][27][34][59]
- ^ [28][48][60]
- ^ [14][33][60]
- ^ [11][14][49]
- ^ [14][49]
- ^ [34][49]
- ^ [11][49]
- ^ [34][40]
- ^ [30][61]
- ^ [62][63]
- ^ [34][36][48][64]
- ^ [34][36][48][42][64]
- ^ [11][34][42]
- ^ [11][34][59]
- ^ [34][42][59]
- ^ [11][34][40][49][59]
- ^ [34][60]
- ^ [49][66]
- ^ [28][67][68]
- ^ [29][69][70]
- ^ [70][71]
- ^ [69][72]
- ^ [14][74]
- ^ [14][74][75][76][77]
- ^ [11][14][30]
- ^ [14][24][74][78][76]
- ^ [14][34][77][78]
- ^ [30][34][42][77]
- ^ [11][17][21][45][79][80][81][82][83]
- ^ [14][27][34]
- ^ [11][12][13][14][15][17][27][24][34][53]
- ^ [34][15][27][24][57][84][85][86][36]
- ^ [27][88][89]
- ^ [27][24][89]
- ^ [24][27][89]
- ^ [15][24][27][84][89][87]
参考文献
[編集]- Jリーグ法務委員会 池田正利+小竹伸幸『Jリーグ、プロ制度構築への軌跡』自由国民社、1993年。ISBN 4-426-46000-X。
- 生方幸夫『Jリーグの経済学』朝日新聞社、1994年。ISBN 4-02-256698-1。
- 大住良之『Jリーグ群像 夢の礎』アストロ教育システム あすとろ出版部、1995年。ISBN 4-7555-0857-6。
- 財団法人 日本サッカー協会75年史編集委員会『日本サッカー協会75年史』ベースボール・マガジン社、1996年。ISBN 4-583-03337-0。
- 大住良之、後藤健生『日本サッカーは本当に強くなったのか』中央公論新社、2000年。ISBN 978-4-12-003044-4。
- 仮野忠男『新時代へのキックオフ』角川書店、2001年。ISBN 4-04-883696-X。
- 平塚晶人『空っぽのスタジアムからの挑戦』小学館、2002年。ISBN 4-09-366481-1。
- 後藤健生『日本サッカー史・代表編 日本代表の85年』双葉社、2002年。ISBN 4-575-29489-6。
- 広瀬一郎『「Jリーグ」のマネジメント』東洋経済新報社、2004年。ISBN 4-492-50128-2。
- 読売新聞解説部『時代の証言者13 「サッカー」長沼健』読売新聞社、2006年。ISBN 4-643-06006-9。
- 川淵三郎『川淵三郎 虹を掴む』講談社、2006年。ISBN 4-06-212676-1。
- 『日本サッカー狂会』国書刊行会、2007年。ISBN 978-4-336-04848-6。
- 濱口博行『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』朝日新聞出版、2010年。ISBN 978-4-02-100903-7。
- 木之本興三『日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記』ワニブックス、2013年。ISBN 4-8470-9165-5。
- 木村元彦「[21年目の真実] Jリーグ創造記 森健兒、木之本興三の回想」『サッカー批評』第62号、2013年5月。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Jリーグ規約・規定集(Jリーグに関する規定がすべて閲覧可能)
- Jリーグ (@J_League) - X(旧Twitter)
- Jリーグ (jleagueofficial) - Facebook
- Jリーグ公式チャンネル - YouTubeチャンネル
- J.LEAGUE OFFICIAL (@jleaguejp) - Instagram
- Jリーグ (@j_league) - TikTok
- Jリーグ (@j.league) - LINE公式アカウント
- 日本プロサッカー選手会
- Jリーグ選手OB会公式サイト
- Jリーグ 公式ブログ - ウェイバックマシン(2013年5月27日アーカイブ分)