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伊東輝悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊東 輝悦
名前
愛称 テル
カタカナ イトウ テルヨシ
ラテン文字 ITO Teruyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-08-31) 1974年8月31日(50歳)
出身地 静岡県清水市(現:静岡市清水区
身長 168cm[1]
体重 70kg[1]
選手情報
ポジション MF(DMF)
利き足 右足
ユース
1990-1992 東海大学第一高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-2010 清水エスパルス 483 (30)
2011-2013 ヴァンフォーレ甲府 59 (0)
2014-2015 AC長野パルセイロ 11 (0)
2016 ブラウブリッツ秋田 2 (0)
2017-2024 アスルクラロ沼津 6 (0)
通算 561 (30)
代表歴2
1996  日本 U-23 3 (1)
1997-2002 日本の旗 日本 27 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年11月26日現在。
2. 2001年11月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
自筆サイン(2019年)

伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)。元日本代表

来歴

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小学生時代から多くのサッカー関係者に注目されていたが、当時は小柄なMFではなく長身FWだった。小学5年生時には清水市の選抜チーム・清水FCのメンバーとして1学年上の服部年宏望月重良らと共に、小学6年生の時にはエースとして田島宏晃らと共に全日本少年サッカー大会2連覇を経験している。

東海大学第一高校に進学。同校は2学年上に森島寛晃、後にアトランタオリンピック代表となる服部年宏、岩下潤(1年先輩)、松原良香白井博幸らを始め、後にJリーガーとなる選手が数人いたが、清水商業清水東静岡学園などの壁に阻まれ高校選手権には一度も出場できず、地元開催で2枠の出場があった1991年度高校総体での準優勝のみが目立った成績となった(決勝戦の相手は清水東で、後に清水エスパルスでチームメイトとなる田島宏晃、斉藤俊秀が所属していた)。

しかし、静岡県選抜としては国体2年連続優勝に貢献。各世代の日本代表にも選ばれるなど評価は高く注目されていた。「ゴムまりのようなドリブル」で一気に数人を抜き去るようなプレーから、マラドーナをもじって「テルドーナ」とも[2] 呼ばれる。

クラブ

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高校卒業後、1993年に地元の清水エスパルスに加入した。1994年6月11日のJリーグ・サントリーシリーズ第21節ガンバ大阪戦でプロ初出場を記録した。プロ3年目の1995年から頭角を現わした。また、当時U-22日本代表監督だった西野朗に促され、「最大の転機」というディフェンシブハーフへの転身を果たす[2]。ただし、状況によってはチャンスメイクを果たした。

1999年スティーブ・ペリマン監督の下、Jリーグ2ndステージ優勝を果たし、この年のJリーグベストイレブンに選出されるが、アタッキングゾーンでのプレーを求められなかったため、この頃からさらに攻撃的なプレーが少なくなる。

2007年11月11日サンフレッチェ広島F.C戦(日本平)にて、藤田俊哉に続いて史上2人目のJ1通算400試合出場を達成した(同一クラブ所属では史上初)。2008年5月11日の鹿島戦(日本平)ではJリーグ通算最多出場となる415試合出場を達成、2009年6月27日FC東京戦(国立)にて、J1史上初となる450試合出場を達成した。

2010年11月、デビュー以来所属していた清水エスパルスより戦力外通告を受けたが、2011年よりJ1に昇格し戦力補強を望んでいたヴァンフォーレ甲府より、同じく戦力外となったチームメイト市川大祐と共にオファーがあり移籍。引き続きJ1でプレーすることとなった。

2011年7月16日ガンバ大阪戦(中銀スタ)でJ1史上初の通算500試合出場を達成[3]

2012年に甲府が降格したがチームに残留し、J2初参戦で25試合に出場。2013年に甲府が再昇格したことから再びJ1のピッチに立つことになった。しかし2013年はコンディション不良もあり6試合の出場にとどまり、同年限りで甲府を退団することとなった。

2014年、AC長野パルセイロへ移籍[4]

2016年、ブラウブリッツ秋田へ完全移籍したが[5]、同年シーズン限りで秋田を退団[6]

2017年よりアスルクラロ沼津に加入した[1]。2022年、これまで最年長Jリーガーであった三浦知良がJFLの鈴鹿ポイントゲッターズに移籍したことで、伊東が最年長Jリーガーとなった。

2024年10月31日、現役引退を発表。11月24日、最終節のホーム松本山雅FC戦のアディショナルタイムに主将のMF徳永晃太郎に代わって途中出場しキャプテンマークも譲り受けた。愛鷹は試合終了間際の失点直後にも関わらず拍手に包まれた[7]。試合後の引退セレモニーでは「サッカーを楽しむ事の大切さ」を柔和な表情で説いた[8]

日本代表

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1996年アトランタオリンピックに出場。初戦のブラジル戦で決勝ゴールを決めマイアミの奇跡の立役者となる。3戦目のハンガリー戦でも前園真聖の決勝ゴールをアシストした。

1997年サッカー日本代表に初選出される。1998 FIFAワールドカップ日本代表にも選出されたが、試合に出場することはなかった。

フィリップ・トルシエ監督の下では運動量と守備的意識を買われ、ボランチではなく主に右サイドの要員として起用される事が多かった。しかし常に望月や明神や波戸らと併用され、レギュラーとして定着した時期はなかった。2000年カールスバーグカップメキシコ戦では初のゲームキャプテンを任せられるなど、トルシエ監督から絶大な信頼を得る(合宿終了後にゲームキャプテンから一言と言われた際、寡黙な性格のためか「お疲れ様でした」の一言しか言わなかった)。しかし、2002 FIFAワールドカップ日本代表には、負傷から復帰した直後のタイミングとなってしまい選出されなかった。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 清水 - J 0 0 0 0 3 1 3 1
1994 6 0 1 0 0 0 7 0
1995 44 4 - 1 0 45 4
1996 26 4 7 1 3 0 36 5
1997 7 31 7 6 1 3 1 40 9
1998 34 5 1 0 5 0 40 5
1999 J1 29 1 4 1 3 0 36 2
2000 24 1 4 0 5 1 33 2
2001 27 1 2 0 1 0 30 1
2002 22 0 2 0 3 0 27 0
2003 30 2 4 0 4 0 38 2
2004 30 1 7 0 1 0 38 1
2005 32 0 5 0 5 0 42 0
2006 34 2 5 0 3 0 42 2
2007 34 1 2 0 3 0 39 1
2008 34 0 9 0 2 0 45 0
2009 30 0 8 0 2 0 40 0
2010 16 1 6 0 5 0 27 1
2011 甲府 27 28 0 1 0 2 0 31 0
2012 J2 25 0 - 0 0 25 0
2013 J1 6 0 3 0 1 0 10 0
2014 長野 30 J3 8 0 - 0 0 8 0
2015 3 0 - 0 0 3 0
2016 秋田 25 2 0 - 0 0 2 0
2017 沼津 0 0 - 1 0 1 0
2018 0 0 - - 0 0
2019 1 0 - - 1 0
2020 0 0 - - 0 0
2021 0 0 - - 0 0
2022 4 0 - - 4 0
2023 0 0 - - 0 0
2024 1 0 - - 1 0
通算 日本 J1 517 30 77 3 55 3 649 36
日本 J2 25 0 - 0 0 25 0
日本 J3 19 0 - 1 0 20 0
総通算 561 30 77 3 56 3 694 36
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2002-03 清水 7 3 0
通算 AFC 3 0

個人タイトル

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代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 27試合 0得点 (1997年 - 2001年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1997 1 0
1998 1 0
1999 7 0
2000 7 0
2001 11 0
2002 0 0
通算 27 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1997年06月08日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  クロアチア ○4-3 加茂周 キリンカップ
2. 1998年05月17日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  パラグアイ △1-1 岡田武史 キリンカップ
3. 1999年03月31日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ブラジル ●0-2 フィリップ・トルシエ キリンビバレッジ
4. 1999年06月03日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ベルギー △0-0 キリンカップ
5. 1999年06月06日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ペルー △0-0 キリンカップ
6. 1999年06月29日 パラグアイの旗アスンシオン  ペルー ●2-3 コパ・アメリカ
7. 1999年07月02日 パラグアイの旗アスンシオン  パラグアイ ●0-4 コパ・アメリカ
8. 1999年07月05日 パラグアイの旗ペドロ・ファン・カバジェロ  ボリビア △1-1 コパ・アメリカ
9. 1999年09月08日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  イラン △1-1 キリンチャレンジ
10. 2000年02月05日 香港の旗香港  メキシコ ●0-1 カールスバーグカップ
11. 2000年02月13日 マカオの旗マカオ  シンガポール ○3-0 アジアカップ予選
12. 2000年04月26日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-1 国際親善試合
13. 2000年06月04日 モロッコの旗カサブランカ  フランス △2-2(PK2-4) ハッサン2世杯
14. 2000年06月06日 モロッコの旗カサブランカ  ジャマイカ ○4-0 ハッサン2世杯
15. 2000年06月11日 日本の旗宮城県 宮城スタジアム  スロバキア △1-1 キリンカップ
16. 2000年12月20日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  韓国 △1-1 キリンビバレッジ
17. 2001年03月24日 フランスの旗サンドニ  フランス ●0-5 国際親善試合
18. 2001年04月25日 スペインの旗コルドバ  スペイン ●0-1 国際親善試合
19. 2001年05月31日 日本の旗新潟県 新潟スタジアム  カナダ ○3-0 コンフェデレーションカップ
20. 2001年06月04日 日本の旗茨城県 茨城県立カシマサッカースタジアム  ブラジル △0-0 コンフェデレーションカップ
21. 2001年06月10日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  フランス ●0-1 コンフェデレーションカップ
22. 2001年07月01日 日本の旗北海道 札幌ドーム  パラグアイ ○2-0 キリンカップ
23. 2001年07月04日 日本の旗大分県 大分スポーツ公園総合競技場  ユーゴスラビア ○1-0 キリンカップ
24. 2001年08月15日 日本の旗静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム  オーストラリア ○3-0 AFC/OFCチャレンジカップ
25. 2001年10月04日 フランスの旗ランス  セネガル ●0-2 国際親善試合
26. 2001年10月07日 イングランドの旗サザンプトン  ナイジェリア △2-2 国際親善試合
27. 2001年11月07日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  イタリア △1-1 キリンチャレンジカップ

脚注

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  1. ^ a b c 伊東 輝悦選手(2016年ブラウブリッツ秋田所属) 加入のお知らせ』(プレスリリース)アスルクラロ沼津、2017年1月21日http://www.azul-claro.jp/information/32054/2017年1月21日閲覧 
  2. ^ a b 吉崎エイジーニョ"鉄人に訊け 伊東輝悦さん、長く続ける秘訣は何ですか?". Number Web.(2011年5月24日)2013年9月11日閲覧。
  3. ^ 鉄人・伊東 前人未到のJ1通算500試合出場”. スポーツニッポン (2011年7月17日). 2013年9月6日閲覧。
  4. ^ 新加入選手のお知らせ”. AC長野パルセイロ (2014年1月17日). 2014年1月17日閲覧。
  5. ^ 伊東輝悦選手、AC長野パルセイロより完全移籍のお知らせ - 2016年1月20日 ブラウブリッツ秋田公式サイト
  6. ^ ““マイアミの奇跡”立役者、42歳・伊東輝悦がJ3秋田を退団 去就未定”. スポニチアネックス. (2016年11月16日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/16/kiji/K20161116013735150.html 2016年11月16日閲覧。 
  7. ^ 50歳2ヶ月24日 伊東輝悦、最後のピッチへ”. X (2024年11月24日). 2024年12月11日閲覧。
  8. ^ 伊東輝悦 引退セレモニー”. X (2024年11月24日). 2024年12月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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