2002 FIFAワールドカップ日本代表
2002 FIFAワールドカップ日本代表(2002フィファワールドカップにほんだいひょう)は、2002年5月31日から6月30日に日本と大韓民国で開催された2002 FIFAワールドカップの日本代表メンバーである。
概説
[編集]開催国である日本は、大会規定により予選が免除されて本大会からの出場となった。初出場した4年前のフランス大会で果たせなかったワールドカップ初勝利を達成するとともに、「過去の開催国はすべてグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出している」というジンクス[1] に挑むことになった。
監督はフランス人のフィリップ・トルシエが務めた。トルシエはフランス大会直後の1998年9月に就任して以降、1999年の ナイジェリアワールドユース代表・2000年のシドニーオリンピック代表監督を兼任し、若い世代の選手達の育成に尽力した。予選のない4年間に多数の選手をテストし、年齢や実績に関係なく自らの戦術に適うタレントを選抜した。
本大会のメンバーは、シドニー五輪世代で25歳の中田英寿・松田直樹・宮本恒靖らを中心に据え、22歳の小野伸二・稲本潤一・中田浩二ら「黄金世代」とも呼ばれる1979年度生まれが5人を占めており、若手が多く起用された。長く代表から離れていた中山雅史・秋田豊の両ベテランをサプライズ選出する一方、国内有数のゲームメーカーである中村俊輔を選考外にしたことは大きな波紋を呼んだ。エースストライカーとして期待されていた高原直泰は、4月にエコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)を発症し出場を断念している。
23人中フランス大会経験者は8人。ヨーロッパのクラブに所属する選手(海外組)が4人。平均年齢はフランス大会と同じ25.3歳[2]。
基本布陣は3-4-1-2。正GKは楢﨑正剛。トルシエの代名詞「フラット3DF」は左から中田浩二、森岡隆三、松田直樹を並べたが、初戦ベルギー戦で負傷した森岡に代わり、宮本恒靖がDF中央に定着した。WBは右に守備的な明神智和、左に攻撃的な小野伸二。中盤の2ボランチは稲本潤一と戸田和幸。ゲームメーカー中田英寿の前に2トップの柳沢敦と鈴木隆行が位置する。
大会経過
[編集]グループリーグ
[編集]グループHではヨーロッパの古豪ベルギーとロシア、北アフリカのチュニジアと同組に入った。日本が地元開催のアドバンテージを得ているとはいえ、過去のワールドカップの成績は日本が一番低い(出場1回・0勝3敗)。
- 6月4日 グループH ベルギー戦(さいたま)
- 初戦ベルギー戦は、膠着状態の後半12分にマルク・ヴィルモッツにオーバーヘッドシュートを決められ先制される。その2分後、小野が送ったロビングボールに鈴木がDFと競り合いながら追いつき、つま先でゴールに流し込んで同点とした。8分後にも稲本が中盤でのパスカットから持ち上がり、逆転ゴールを決めた。しかし、後半30分にオフサイドトラップ崩れから失点し、2-2の引き分けで終了。日本にとってワールドカップ初の勝ち点1を手にした。
- 6月9日 グループH ロシア戦(横浜)
- 第2戦はグループ首位のロシアと対戦。後半5分、左からの低いクロスを柳沢がワンタッチで繋ぎ、稲本が冷静に先制点を決めた。稲本は2試合連続得点でラッキーボーイ的存在となる。守っては初戦の反省からDFラインを下げ、ロシアの攻めを完封して1-0で記念すべきワールドカップ初勝利を手にした。他会場でベルギーとチュニジアが引き分けたため、日本は勝ち点4でグループ首位に立った。
- フジテレビが中継した日本対ロシア戦の平均視聴率は66.1%を記録し、国内サッカー中継歴代1位、スポーツ全体でも1964年東京オリンピック女子バレー決勝日本対ソビエト連邦戦の66.8%に次ぐ歴代2位となった[3]。
- 6月14日 グループH チュニジア戦(大阪)
- 第3戦チュニジア戦は、引き分けでも2点差以内の負けでもグループ突破という有利な条件で臨んだ。試合は後半開始から森島と市川を投入する積極采配が的中。後半2分に森島がミドルシュートを決めて先制し、後半30分には市川のクロスを中田英寿がダイビングヘッドでゴール。2-0で快勝し、勝ち点7によりグループHを1位で通過した。
決勝トーナメント
[編集]- 6月18日 ベスト16 トルコ戦(宮城)
- グループH1位の日本はグループC2位のトルコと対戦した。トルシエはグループリーグ3戦で先発してきた柳沢と鈴木の2トップを変更し、ワントップに西澤明訓、やや後方に三都主アレサンドロを配置するフォーメーションを採用した。
- 前半12分、バックパスの連携ミスからトルコにコーナーキックを与え、ウミト・ダヴァラに強烈なヘディングゴールを決められた。同点に追いつこうとするも新布陣が上手く機能せず、前半41分の三都主のフリーキックがゴールポストに嫌われるなどツキにも見放された。後半開始から三都主に代え鈴木を投入して2トップに戻したが、トルコの守備陣を崩すことが出来ず、0-1のまま試合終了。決勝トーナメント進出というノルマを果たしたものの、不完全燃焼という印象を残して大会を終えた[4]。
大会登録メンバー
[編集]背番号 | 選手名 | Pos. | 年齢 | 所属クラブ | 出場状況 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ベルギー戦 6月4日 |
ロシア戦 6月9日 |
チュニジア戦 6月14日 |
トルコ戦 6月18日 | ||||||
1 | 川口能活 | GK | 1975年8月15日(26歳) | ポーツマス | |||||
2 | 秋田豊 | DF | 1970年8月6日(31歳) | 鹿島アントラーズ | |||||
3 | 松田直樹 | 1977年3月14日(25歳) | 横浜F・マリノス | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||
4 | 森岡隆三 | 1975年10月7日(26歳) | 清水エスパルス | 71分 | 主将 | ||||
5 | 稲本潤一 | MF | 1979年9月18日(22歳) | アーセナル | 〇 | 85分 | 46分 | 46分 | |
6 | 服部年宏 | 1973年9月23日(28歳) | ジュビロ磐田 | 75分 | |||||
7 | 中田英寿 | 1977年1月22日(25歳) | パルマ | 〇 | 〇 | 84分 | 〇 | ||
8 | 森島寛晃 | 1972年4月30日(30歳) | セレッソ大阪 | 68分 | 46分 | 86分 | |||
9 | 西澤明訓 | FW | 1976年6月18日(25歳) | セレッソ大阪 | 〇 | ||||
10 | 中山雅史 | 1967年9月23日(34歳) | ジュビロ磐田 | 72分 | |||||
11 | 鈴木隆行 | 1976年6月5日(25歳) | 鹿島アントラーズ | 68分 | 72分 | 〇 | 46分 | ||
12 | 楢﨑正剛 | GK | 1976年4月15日(26歳) | 名古屋グランパスエイト | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |
13 | 柳沢敦 | FW | 1977年5月27日(25歳) | 鹿島アントラーズ | 〇 | 〇 | 46分 | ||
14 | 三都主アレサンドロ | MF | 1977年7月20日(24歳) | 清水エスパルス | 64分 | 46分 | |||
15 | 福西崇史 | 1976年9月1日(25歳) | ジュビロ磐田 | 85分 | |||||
16 | 中田浩二 | DF | 1979年7月9日(22歳) | 鹿島アントラーズ | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | |
17 | 宮本恒靖 | 1977年2月7日(25歳) | ガンバ大阪 | 71分 | 〇 | 〇 | 〇 | 主将代行 | |
18 | 小野伸二 | MF | 1979年9月27日(22歳) | フェイエノールト | 64分 | 75分 | 〇 | 〇 | |
19 | 小笠原満男 | 1979年4月5日(23歳) | 鹿島アントラーズ | 84分 | |||||
20 | 明神智和 | 1978年1月24日(24歳) | 柏レイソル | 〇 | 〇 | 〇 | |||
21 | 戸田和幸 | 1977年12月30日(24歳) | 清水エスパルス | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | ||
22 | 市川大祐 | 1980年5月14日(22歳) | 清水エスパルス | 〇 | 46分 | 46分 86分 | |||
23 | 曽ヶ端準 | GK | 1979年8月2日(22歳) | 鹿島アントラーズ |
スタッフ
[編集]- フィリップ・トルシエ(監督)
- 山本昌邦(コーチ)
- アジャム・ブジャラリ・モハメッド(コーチ)
- 川俣則幸(GKコーチ)
試合結果
[編集]グループリーグ・グループH
番 | チーム | 勝点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
H1 | 日本 | 7 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | +3 |
H2 | ベルギー | 5 | 3 | 1 | 2 | 0 | 6 | 5 | +1 |
H3 | ロシア | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 4 | 0 |
H4 | チュニジア | 1 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 5 | -4 |
日時はすべて日本時間(JST)。
決勝トーナメント 1回戦
脚注
[編集]- ^ 2010年大会で開催国の南アフリカがグループ敗退してジンクスが途絶えた。
- ^ "【特集】ワールドカップ日本代表戦士たちのいま ". football webmagazine Qoly.(2013年1月6日)2013年10月1日閲覧。
- ^ "全局高世帯視聴率番組50". ビデオリサーチ. 2013年10月1日閲覧。
- ^ "'02根日韓W杯 決勝トーナメント1回戦 vs.トルコ". Number web. 2013年10月2日閲覧。