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児湯郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮崎県児湯郡の位置(1.高鍋町 2.新富町 3.西米良村 4.木城町 5.川南町 6.都農町)

児湯郡(こゆぐん)は、宮崎県日向国)の

人口64,049人、面積714.99km²、人口密度89.6人/km²。(2024年12月1日、推計人口

以下の5町1村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町1村に西都市および宮崎市の一部(佐土原町下富田の一部)、日向市の一部(美々津町)を加えた区域にあたる。

歴史

古代

和名類聚抄によると、は八つのから構成されており、三納郷、都野郷、穂北郷、大垣郷、覩唹郷、三宅郷、韓家郷、平群郷が記載されている。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
児湯郡 2座(並小)
都農神社 ツノノ 都農神社 宮崎県児湯郡都農町川北 日向国一宮 [1]
都万神社 ツマノ 都萬神社 宮崎県西都市 (日向国二宮・総社) [2]
凡例を表示

近世以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 西国筋郡代[1] 10村 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、調殿村、童子丸村、南方村、穂北村
藩領 日向高鍋藩 3町
13村
高城町[2]、都農町[2]、美々津町[2]、高鍋村、上江村、椎木村、高城村、石河内村、川原村、平田村、持田村、川南村、三納代村、日置村、川北村、高松村
日向佐土原藩 2町
15村
妻町[2]、都於郡町[2]、岩爪村、荒武村、山田村、上三財村、加勢村、三納村、平郡村、下三財村、藤田村、鹿野田村、妻村、伊倉村、新田村、上富田村、下富田村

町村制以降の沿革

1.高鍋村 2.上江村 3.富田村 4.新田村 5.下穂北村 6.都於郡村 7.三財村 8.三納村 9.西米良村 10.東米良村 11.上穂北村 12.木城村 13.川南村 14.都農村 15.美々津村(紫:西都市 桃:日向市 赤:高鍋町 橙:新富町 黄:木城町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(15村)
    • 高鍋村 ← 北高鍋村、南高鍋村、蚊口浦村、高鍋町(現・高鍋町)
    • 上江村 ← 上江村、持田村(現・高鍋町)
    • 富田村 ← 上富田村、下富田村、日置村、三納代村(現・新富町)
    • 新田村 ← 新田村、伊倉村(現・新富町)
    • 下穂北村 ← 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、妻町、妻村、右松町[3](現・西都市)
    • 都於郡村 ← 鹿野田村、都於郡町、岩爪村、荒武村、山田村(現・西都市)
    • 三財村 ← 藤田村、下三財村、上三財村、加勢村、寒川村(現・西都市)
    • 三納村 ← 平郡村、三納村(現・西都市)
    • 西米良村 ← 小川村、村所村、板谷村、越野尾村、上米良村、竹原村、横野村(現存
    • 東米良村 ← 銀鏡村、上揚村、八重村、中尾村、尾八重村(現・西都市)、中之又村(現・木城町)
    • 上穂北村 ← 南方村、穂北村、調殿村、童子丸村(現・西都市)
    • 木城村 ← 高城町、高城村、川原村、石河内村、椎木村(現・木城町)
    • 川南村 ← 平田村、川南村(現・川南町)
    • 都農村 ← 都農町、川北村(現・都農町)
    • 美々津村 ← 美々津町、高松村(現・日向市)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治31年(1898年10月26日 - 美々津村が町制施行して美々津町となる。(1町14村)
  • 明治34年(1901年2月7日 - 高鍋村が町制施行して高鍋町となる。(2町13村)
  • 大正9年(1920年8月1日 - 都農村が町制施行して都農町となる。(3町12村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正13年(1924年
    • 4月1日 - 下穂北村が町制施行して下穂北町となる。(4町11村)
    • 8月1日 - 下穂北町が改称して妻町となる。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和13年(1938年10月1日 - 高鍋町・上江村が合併し、改めて高鍋町が発足[4]。(4町10村)
  • 昭和28年(1953年2月11日 - 川南村が町制施行して川南町となる。(5町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 美々津町が日向市に編入。(4町9村)
    • 4月1日 - 妻町・上穂北村が合併して西都町が発足。(4町8村)
  • 昭和33年(1958年
    • 4月1日 - 西都町・三納村・都於郡村が合併し、改めて西都町が発足。(4町6村)
    • 11月1日 - 西都町が市制施行して西都市となり、郡より離脱。(3町6村)
  • 昭和34年(1959年3月31日 - 新田村・富田村が合併して新富町が発足。(4町4村)
  • 昭和37年(1962年)4月1日(4町2村)
    • 三財村が西都市に編入。
    • 東米良村が分割し、一部(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重)が西都市、残部(中之又)が木城村にそれぞれ編入。
  • 昭和48年(1973年)4月1日 - 木城村が町制施行して木城町となる。(5町1村)
  • 平成17年(2005年2月18日 - 新富町の一部が佐土原町に編入。

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年5月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和63年 平成1年 - 現在 現在
美々津村 明治31年10月26日
町制
美々津町 昭和30年1月1日
日向市に編入
日向市 日向市
都農村 大正9年8月1日
町制
都農町 都農町 都農町 都農町
川南村 川南村 昭和28年2月11日
町制
川南町 川南町 川南町
高鍋村 明治34年2月7日
町制
高鍋町 高鍋町 高鍋町 高鍋町
上江村 昭和13年10月1日
高鍋町に編入
新田村 新田村 新田村 昭和34年3月31日
新富町
新富町 新富町[5]
富田村 富田村 富田村
木城村 木城村 木城村 木城村 昭和48年4月1日
町制
木城町 木城町
東米良村 東米良村 東米良村 昭和37年4月1日
木城村に編入
(中之又)
昭和37年4月1日
西都市に編入
(銀鏡・上場・中尾・八重・尾八重)
西都市 西都市
下穂北村 大正13年4月1日
町制
大正13年8月1日
改称
妻町
妻町 昭和30年4月1日
西都町
昭和33年11月1日
市制
上穂北村 上穂北村 上穂北村
都於郡村 都於郡村 都於郡村 昭和33年4月1日
西都町に編入
三納村 三納村 三納村
三財村 三財村 三財村 三財村 昭和37年4月1日
西都市に編入
西米良村 西米良村 西米良村 西米良村 西米良村 西米良村

行政

鹿児島県児湯郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年)2月17日
明治14年(1881年)7月27日 廃官
鹿児島県宮崎・那珂・児湯郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)7月28日
明治16年(1883年)5月8日 宮崎県に移管
宮崎県宮崎・那珂・児湯郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治16年(1883年)5月9日
明治17年(1884年)1月25日 廃官
宮崎県児湯郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治17年(1884年)1月26日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ a b 「旧高旧領取調帳」では明治5年に肥後国球磨郡から所属郡が変更された14村も本郡として記載されている。
  2. ^ a b c d e 無高のため記載なし。
  3. ^ 右松村のうち。本項では町数に数えない。
  4. ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/2960016/1/58
  5. ^ 旧富田村の一部(新富町下富田のうち、一ツ瀬川河口左岸部の一部)は2005年に佐土原町に編入され、2006年から宮崎市に属する。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502 
  • 旧高旧領取調帳データベース