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羽生直剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羽生 直剛
FC東京時代
名前
愛称 ニュウ[1]、はにゅー
カタカナ ハニュウ ナオタケ
ラテン文字 HANYU Naotake
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-12-22) 1979年12月22日(44歳)
出身地 千葉県千葉市花見川区
身長 167cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足[2]
ユース
1986-1991 日本の旗 こてはし台SC(千葉市立横戸小学校)
1992-1994 日本の旗 千葉市立こてはし台中学校
1995-1997 日本の旗 八千代高校
1998-2001 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 165 (24)
2008-2016 日本の旗 FC東京 196 (10)
2013 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府(loan) 20 (0)
2017 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 8 (0)
通算 389 (34)
代表歴
2006-2008 日本の旗 日本 17 (0)
獲得メダル
ユニバーシアード
2001 北京 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

羽生 直剛(はにゅう なおたけ、1979年12月22日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はFC東京のクラブナビゲーターを務める。筑波大学卒業。

来歴

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プロ入り前

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小学1年生の時にサッカーを始める[1]。1992年まで千葉の強豪こてはし台サッカークラブで活動、当時地域の中心的チームで前年、全日本少年サッカー大会でも3位に入っていた千葉北FCに選手登録し出場している[3]。当時、千葉北FCには村井慎二山根伸泉らがいた。

1995年「(強豪の)習志野市立船橋よりも、理論的なサッカーで試合に出るチャンスが高い」と千葉県立八千代高等学校への進学を選び[4]、3年次に国体で3位入賞[5]第76回全国高等学校サッカー選手権大会千葉県予選決勝では自身を中心とするスピーディーなパスワークで前年度全国優勝の市立船橋を翻弄し[6] 八千代高校14年ぶりの全国大会出場を決め、ベスト8に進出[5]、準々決勝で中田浩二を擁する帝京高等学校に敗退した。

1998年筑波大学に進学し、蹴球部でプロ入り後に通じるボールに絡みながらスペースで活きるプレースタイルを体得[7][4]。自身と森島寛晃のプレースタイルを重ね合わせており、大学の卒業論文は「ルイ・コスタと森島寛晃と自分のプレーの違い」をテーマに書き上げた[8]。同期には石川竜也平川忠亮鶴見智美らがいた。2001年、関東選抜として参加したデンソーカップのMVPに選出され[9]同年開催のユニバーシアード北京大会には全日本大学選抜として出場。決勝戦(対ウクライナ戦)での決勝点を含め[10]、チーム最多タイとなる3得点を挙げた(巻誠一郎も同点)[11]。自身は、大学選抜選出に至ってプロ入りを意識できたと語る[3]。また、同年の関東大学リーグ1部でも、得点・アシスト共に上位に入り[12] MVPに選出された。 尚、大学時代に、TV放送筋肉番付に出演して賞金100万円を獲得している。

ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉

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2002年に大学を卒業し、ジェフユナイテッド市原[注 1]に入団[5]3月3日、開幕戦の対京都戦(市原臨海)で初出場を果たす。初得点は11月9日の対浦和戦(国立[13]。このシーズンは新人でありながら、リーグ戦とカップ戦を合わせて32試合に出場し、2得点を記録した。

2003年より千葉の監督に就いたイビチャ・オシムからは「羽生はそのポジションにもっといい選手がいても、どこかで使いたくなる選手だ」と評価され[14] レギュラーに定着[15]2005年10月29日大分戦でJ1通算100試合出場を記録した[16]。千葉では主にトップ下、1.5列目でのシャドーストライカーに配され、ダイナミックなフリーランニングで[17]「考えて走るサッカー」の中核を担った。

2006年、オシムが日本代表監督に就任すると、代表合宿に招集され、8月16日アジアカップ2007予選、対イエメン戦で国際Aマッチ初出場を果たした[15]。翌2007年の本選にも代表メンバーとして参加。途中出場ながら効果的な飛び出しと鋭い突破でアクセントとなり[18] 5試合に出場したが再三の決定機を決められず、3位決定戦の対韓国戦ではPK戦で失敗し敗退[18]。日本代表は大会4位で終えた。このアジアカップを「自分のサッカー人生のどん底だった」とのちに回想している[19]

FC東京

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2008年、J1のFC東京へ完全移籍し[20][21]、同年4月の東京ダービーで移籍後初ゴール[22]城福浩監督が推し進めるムービングフットボールの核として奮闘し、特にオフ・ザ・ボールの動きの質はチームメートから一目置かれていた[注 2]。オシムの後任である岡田武史が率いる日本代表にも引き続き招集され、出場機会を得ていたが[24]、4月の日本代表トレーニングキャンプを下腿三頭筋挫傷により辞退[25] したことが響き[26][27]、これ以後、A代表には選出されていない。

2009年は、前年に続いてゲームキャプテンを任され、リーグ戦全試合に先発出場[28]。チームトップの9アシストを記録する[29][注 3] と同時に、ビルドアップへの加担や、味方が空けたスペースを埋めるなどのバランサーとしての役割を担った[1][17]

2010年にはボランチにも配されたがチームはJ2降格を喫し、大幅な減俸提示を受けた[30][31]。しかし、翌2011年には千葉所属時以来となるトップ下に入ると、キーマンとして[32] パスを繋ぐ中でのアクセントとしてリズムを作るなど[33][34] 攻撃の核を担い、J1復帰に導く[31] 活躍を見せた。2012年は序盤こそ先発出場を続けていたものの[35]足底筋膜炎による手術[36] など負傷が重なり[37] プロ入り後初めての公式戦無得点に終わった。

ヴァンフォーレ甲府

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2013年、城福が率いるヴァンフォーレ甲府期限付き移籍[2]。シーズン当初より先発出場を続けたが、前年の手術の影響も残る中[38][39]J1第16節湘南戦で肉離れを起こし[40] 戦線離脱。羽生不在の間にチームは守備的なシステムへと変更して調子を上向かせたこともあり[41]、これ以降出場機会を激減させた[42]。また、前年に続き公式戦無得点に終わった。

甲府では副将を務め[43]、選手ミーティングを主導した他[39]、城福と選手の間での橋渡し役を担い、厚い信頼を得ていた[44]。慰留を受けていたものの[44]、責任を取りたいという自身の希望により移籍期間を延長せずに退団[45]

FC東京へ復帰

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2014年、FC東京へ復帰[46]。若手登用を進めるマッシモ・フィッカデンティ監督によって序盤はターンオーバーでの起用が続いたが[47]、細やかなポジショニングと気の利いたプレーを見せ[48]、途中投入の際には試合終盤の足が止まる時間帯に的確な判断でチームを後押し[49]。「この歳(34歳)になって初めて守る楽しさが分かってきた」[50] と精緻な守備戦術にも順応し、シーズン半ばよりフィッカデンティからの信頼を確たるものとし[51] インサイドハーフのポジションを奪取した。

2015年も、優れた戦術眼による好判断で守備戦術を機能させ[52][53]、ゲームコントロールの一翼を担った[54]

東京在籍中には数度の監督交代を経験したが、その度に高い戦術理解度を発揮し[55] チームを助けた。

ジェフ千葉復帰

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周囲からはFC東京残留を望まれていたが、安定した立場で引退を迎えるよりも選手としての挑戦を選び[56][57]、2017年にジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍[58]。10年ぶりの復帰となり[17]、副将を務めた[59]。2018年1月5日、現役を引退することを発表された[60]

引退後

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2018年1月、FC東京強化部スカウト担当に就任[61]

2020年1月23日、FC東京の新体制発表会で「クラブナビゲーター」就任が発表された[62]

人物

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所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 筑波大 9 - - - 1 0 1 0
2000 - - 2 0 2 0
2002 市原 22 J1 23 2 5 0 4 0 32 2
2003 25 6 2 0 3 1 30 7
2004 25 1 6 0 0 0 31 1
2005 千葉 31 2 10 2 1 0 42 4
2006 32 7 9 2 1 0 42 9
2007 29 6 4 1 1 0 34 7
2008 FC東京 27 1 4 0 4 0 35 1
2009 34 2 8 0 3 0 45 2
2010 25 2 7 0 2 0 34 2
2011 J2 37 5 - 5 0 42 5
2012 J1 13 0 1 0 1 0 15 0
2013 甲府 20 0 2 0 3 0 25 0
2014 FC東京 21 0 4 0 2 0 27 0
2015 25 0 6 0 1 0 32 0
2016 14 0 2 0 1 0 17 0
2017 千葉 J2 8 0 - 1 0 9 0
通算 日本 J1 344 29 70 5 27 1 441 35
日本 J2 45 5 - 6 0 51 5
日本 - - 3 0 3 0
総通算 389 34 70 5 36 1 495 40
その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 22 4 0
2016 4 0
通算 AFC 8 0
その他の国際公式戦
出場歴

代表・選抜歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 17試合 0得点 (2006年 - 2008年 )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 5 0
2007 7 0
2008 5 0
通算 17 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2006年08月16日 日本の旗新潟県 新潟スタジアム  イエメン ○2-0 イビチャ・オシム アジアカップ予選
2. 2006年09月03日 サウジアラビアの旗ジッダ  サウジアラビア ●0-1 アジアカップ予選
3. 2006年09月06日 イエメンの旗サヌア  イエメン ○1-0 アジアカップ予選
4. 2006年10月04日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ガーナ ●0-1 キリンチャレンジカップ
5. 2006年11月15日 日本の旗北海道 札幌ドーム  サウジアラビア ○3-1 アジアカップ予選
6. 2007年03月24日 日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場  ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ
7. 2007年06月05日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  コロンビア △0-0 キリンカップ
8. 2007年07月09日 ベトナムの旗ハノイ  カタール △1-1 アジアカップ
9. 2007年07月13日 ベトナムの旗ハノイ  アラブ首長国連邦 ○3-1 アジアカップ
10. 2007年07月16日 ベトナムの旗ハノイ  ベトナム ○4-1 アジアカップ
11. 2007年07月25日 ベトナムの旗ハノイ  サウジアラビア ●2-3 アジアカップ
12. 2007年07月28日 インドネシアの旗パレンバン  韓国 △0-0(PK5-6) アジアカップ
13. 2008年01月26日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  チリ △0-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ
14. 2008年01月30日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ボスニア・ヘルツェゴビナ ○3-0 キリンチャレンジカップ
15. 2008年02月06日 日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002  タイ ○4-1 ワールドカップ予選
16. 2008年02月17日 中華人民共和国の旗重慶  北朝鮮 △1-1 東アジア選手権
17. 2008年02月20日 中華人民共和国の旗重慶  中華人民共和国 ○1-0 東アジア選手権

タイトル

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筑波大学
ユニバーシアード日本代表
ジェフユナイテッド市原・千葉
FC東京

個人

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脚注

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注釈
  1. ^ 出身の千葉県内のクラブを選んだことには、病床の父に試合を見せたいという考えもあったという[4]
  2. ^ 大竹洋平はオフ・ザ・ボールでの動き方を羽生に相談し、自分のプレーを取り戻した[23]
  3. ^ Jリーグ公式記録での「アシスト」は集計されていない。
出典
  1. ^ a b c 『FC東京ファンブック2010』アサヒオリジナル、2010年、26頁。 
  2. ^ a b 羽生 直剛選手 FC東京より期限付き移籍加入 ヴァンフォーレ甲府 (2003年1月11日)
  3. ^ a b 「プロになってからは『最後まで汗をかこう』と決めました」名古屋グランパスxFC東京 (3/4) J SPORTS (2015年8月21日)
  4. ^ a b c 元川悦子『黄金世代』スキージャーナル、2009年、207-217頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i j 羽生直剛選手の加入内定について - ウェイバックマシン(2002年3月6日アーカイブ分) ジェフユナイテッド市原 (2001年11月19日)
  6. ^ 『高校サッカー 伝説の名勝負&プレイヤー列伝』カンゼン、2005年、228頁。 
  7. ^ a b c 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、40頁。 
  8. ^ 「ひたむきに闘うクレバーな才能」羽生直剛(ジェフ市原/MF) 週刊サッカーダイジェストNo.670、2003.03.25号 103ページ
  9. ^ a b デンソーカップサッカー'01 最優秀選手・優秀選手 College Soccer Central
  10. ^ 羽生の先制点を守りきる・アマの日本が頂点へ - ウェイバックマシン(2001年11月7日アーカイブ分) 日本経済新聞 (2001年8月31日)
  11. ^ 2001年 ユニバーシアード・北京(中国)大会 予選リーグ 試合結果詳細同 決勝トーナメント 試合結果詳細 College Soccer Central
  12. ^ 2001年 第75回関東大学サッカーリーグ戦 得点、アシストランキング College Soccer Central
  13. ^ 「profile」 羽生直剛オフィシャルサイト
  14. ^ 木村元彦『「オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える」第8章 リスクを冒して攻める』集英社インターナショナル、2005年、197頁。ISBN 4797671084 
  15. ^ a b 【J1 注目選手スペシャルインタビュー】Vol.17:千葉 羽生直剛選手 J's GOAL (2006年11月6日)
  16. ^ 羽生直剛選手 Jリーグ100試合出場記念Tシャツ限定販売について Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2005年11月12日)
  17. ^ a b c MF羽生は不退転の決意で10年ぶり千葉復帰「懐かしさはない」「やらなきゃというのが上」 ゲキサカ (2017年1月16日)
  18. ^ a b (羽生直剛) 効果的な動きも悲劇に泣く (archive) ゲキサカ (2007年7月29日)
  19. ^ オシムさんじゃないと選ばれないだろうと思っていた…羽生直剛を今も苦しめる日本代表の記憶 - ぐるなび千葉駅・蘇我のグルメ・ランチ(2017年9月7日)
  20. ^ 羽生直剛選手の移籍について - ウェイバックマシン(2008年1月18日アーカイブ分) ジェフユナイテッド市原・千葉 (2008年1月15日)
  21. ^ 羽生直剛選手 完全移籍加入決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2012年7月14日アーカイブ分) FC東京 (2008年1月15日)
  22. ^ 羽生、オシム前監督の前で移籍1号 - ウェイバックマシン(2008年4月16日アーカイブ分)
  23. ^ 【Jリーグ注目選手スペシャルインタビュー】Vol.16:大竹洋平選手 J's GOAL、2008.10.21
  24. ^ 羽生 岡田ジャパンの切り札 東京中日スポーツ、2008.1.27
  25. ^ 羽生直剛選手の検査結果について - ウェイバックマシン(2008年9月23日アーカイブ分) FC東京 (2008年4月18日)
  26. ^ 「岡ちゃん合宿離脱組に“非情通告”」デイリースポーツ、2008.4.22
  27. ^ 岡田監督 不参加主力組に警告 - ウェイバックマシン(2008年4月22日アーカイブ分)東京中日スポーツ (2008年4月22日)
  28. ^ 選手出場記録 (1/2)同 (2/2) Jリーグ (2009年12月5日)
  29. ^ FC東京データランキング Stats Stadium
  30. ^ チーム最年長の羽生残留 東京中日スポーツ (2011年1月22日)
  31. ^ a b ニューカマー・レコメンド Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年2月5日)
  32. ^ FC東京は痛恨ドローも新システムに光明、羽生が“オシム流トップ下”で攻撃に変化 ゲキサカ (2011年5月22日)
  33. ^ 【第91回天皇杯 決勝 京都 vs F東京】大熊清監督(F東京)記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年1月1日)
  34. ^ 大熊監督「アジアに連れていく夢を達成できて感無量」天皇杯決勝後 FC東京監督会見 スポーツナビ (2012年1月1日)
  35. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2012年12月1日)
  36. ^ 羽生直剛選手の手術について FC東京 (2012年7月4日)
  37. ^ 試合記録 Jリーグディビジョン1 第28節 FC東京 (2012年10月6日)
  38. ^ 【甲府】羽生が練習に完全合流「だいぶ良い感じ」 - ウェイバックマシン(2013年8月31日アーカイブ分) スポーツ報知 (2013年8月29日)
  39. ^ a b 羽生直剛が復活、天皇杯2回戦でメンバー入りの可能性も blogola (2013年9月4日)
  40. ^ 羽生直剛選手の負傷について ヴァンフォーレ甲府 (2013年7月23日)
  41. ^ 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、86頁。 
  42. ^ 羽生、F東京へ復帰 契約満了 山梨日日新聞 (2014年1月17日)
  43. ^ 2013シーズン キャプテン・副キャプテン 決定のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2013年2月20日)
  44. ^ a b 昨季甲府の羽生が2年ぶりに東京へ復帰 日刊スポーツ (2014年1月15日)
  45. ^ 羽生 直剛選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2014年1月16日)
  46. ^ 羽生直剛選手 FC東京復帰のお知らせ FC東京 (2014年1月16日)
  47. ^ FC東京 今節・G大阪戦で先発出場の羽生直剛「ピッチの中では空気を読んでプレーしたい」 blogola (2014年5月24日)
  48. ^ 【ヤマザキナビスコカップ F東京 vs 鹿島】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年3月20日)
  49. ^ 【J1:第17節 F東京 vs 仙台】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年7月27日)
  50. ^ 週刊サッカーダイジェスト No.1305』日本スポーツ企画出版社、2014年、63頁。 
  51. ^ 【J1:第17節 F東京 vs 仙台】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年7月28日)
  52. ^ サッカーダイジェスト 2015Jリーグ総集編 (No.1347)』日本スポーツ企画出版社、2015年、22頁。 
  53. ^ 「プロになってからは『最後まで汗をかこう』と決めました」名古屋グランパスxFC東京 (1/4) J SPORTS (2015年8月21日)
  54. ^ 「プロになってからは『最後まで汗をかこう』と決めました」名古屋グランパスxFC東京 (2/4) J SPORTS (2015年8月21日)
  55. ^ 千葉へ復帰の羽生「昇格してJ1で対戦したい」FC東京チームメートにあいさつ デイリースポーツ (2016年12月26日)
  56. ^ サッカーダイジェスト No.1379』日本スポーツ企画出版社、2017年、106頁。 
  57. ^ 羽生直剛選手 ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2017年1月5日)
  58. ^ 羽生直剛選手加入のお知らせ ジェフユナイテッド市原・千葉 (2017年1月5日)
  59. ^ 2017シーズン新キャプテン決定のお知らせ ジェフユナイテッド市原・千葉 (2017年1月18日)
  60. ^ 羽生直剛選手 現役引退のお知らせ ジェフユナイテッド市原・千葉 (2018年1月5日)
  61. ^ 羽生直剛氏がFC東京強化部スカウト担当に就任、石川直宏氏の役職も決定 ゲキサカ (2018年1月13日)
  62. ^ 【FC東京】羽生直剛氏がクラブナビゲーターに就任。黒子として「内側からクラブに貢献」”. サカノワ (2020年1月15日). 2020年7月4日閲覧。
  63. ^ 羽生直剛選手に第1子(長女)誕生のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年12月29日アーカイブ分) FC東京 (2008年3月29日)
  64. ^ F東京、“パパ”羽生祝うゆりかごダンス (F東京vs京都) ゲキサカ (2008年3月31日)
  65. ^ 【J1:第3節 F東京 vs 京都】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2008年3月30日)
  66. ^ 羽生直剛選手に第二子誕生のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2013年3月21日)
  67. ^ 甲府 憧れの選手との対戦を前に「リスペクトしすぎずに、勇猛果敢にやっていきたい」とレフティー堀米 blogola (2013年3月22日)
  68. ^ a b 【J1:第4節 川崎F vs 甲府】試合終了後の各選手コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年3月30日)
  69. ^ ゲルマン魂を受け継ぐトルコ系司令塔エジル ゲキサカ (2010年7月9日)
  70. ^ ドイツのエジルが羽生に似ていると話題 サポティスタ 2010.7.5
  71. ^ 2014Jリーグディビジョン1 第27節 羽生直剛 選手(F東京)J1通算300試合出場達成 Jリーグ (2014年10月5日)

関連項目

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外部リンク

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